【エー監】初めてなので広々とした談話室の灯りを全て消して。テレビの光に照らされた、座り心地がイマイチなソファへと腰を下ろす。
すると先に座っていたお隣さんが、カランと音を立てキラキラと青い光を反射させているグラスを、私の目の前に差し出してきた。
「ありがとう」
ひんやり冷たいグラスを受け取ると、エースは「んっ」満足気に笑うと、自分のグラスへと手を伸ばした。
水滴が僅かに生み出しているグラスを傾け一口飲むと、口の中でシュワっと弾ける炭酸。それに特徴的な甘い香り。なるほど、コーラをチョイスしたのか。いいね、最高。
「今日はミステリー?」
「恋愛もの。 ほら、前にユウが『面白かった!』って言ってた監督のやつ」
「……あぁ! あの伏線が凄かった映画!」
「そそ、漁ってたらたまたま見つけてさ。 レビューも良かったし、たぶん当たり」
「わー楽しみ」
テーブルの大皿にはポップコーンやチョコなどのお菓子。膝には二人で使っても余裕のあるフワフワなブランケット。うん、今夜も完璧なセッティング。
リモコンを操作して用意してくれた映画が再生されると、意識は画面の向こうの世界へと染まっていく。
何時しか主人公の女性へ感情移入し、まるで自分の事のように喜んだり、悲しんだり。色んな感情がたった数時間で生み出されていく。
そんな時。瞬き一つ、現実へと戻る。
「ねぇ、エース」
「何?」
「『恋人』って何をすればいいんだろう?」
「はぁ?」
私の疑問に、エースを現実へと連れ戻す。
画面に映る男女は、どこからどう見ても理想的な仲良しカップル。
そんな二人の幸せそうな姿が羨ましくなって、つい私たちでも、って当てはめて想像してみた。……けれども。
「一緒にお出かけして、ご飯食べて、時々お泊まりして……これってさ、今までと変わらなくない?」
想像はあっさりできるのに、それはいつもの光景。それこそ付き合う前となんら変わらない。
私たちにとって『恋人』と『友達』の違いは何なんだろう?
「それ以外にも『恋人にしかできないこと』あるじゃん」
「例えば?」
「抱きしめたり、キスしたり……そーいうの」
「うーん……?」
「何その反応」
私の反応に不満だったのか、エースは半目で私を見つめ、けど直ぐにその目は不安そうなものに変わる。
「…………もしかして、ユウはそういうこと……したくない?」
あ、やばい。誤解してる。
咄嗟に首を振って、エースの言葉を否定する。
したくない、という訳ではない。けど……なんて言えばいいのか言葉が見つからなくて、思考を巡らせる。
「えっとね、できるかどうかって話なら『できる』と思うんだけど、したいかしたくないかなら『分からない』……かな」
整理のついてない思考と感情とを、まるでパッチワークのように繋ぎ合わせていく。
エースのことは好きなんだと思う。こうやって一緒にいるのは嬉しいし、エースが他の人と一緒にいて楽しそうにしてるのヤダなって思うし。
けど、だからと言って『そういうこと』がしたいか、と聞かれるといまいちピンとこない。
うん、やっぱ今の自分にとっては『分からない』がピッタリなアンサーだ。
「…………じゃあ、してみる?」
「なにを?」
「キス」
エースは目を細め、指で私の唇を撫でて、その言葉の意味を感覚的にも伝えてきた。
そうか、試せばいいんだ。
そうすればきっと、この『分からない』が分かるようになるかもしれない。
「…………うん」
こくんと小さく頷く。
きっと恋人としては不純な動機。それでも確かめたい。
私がエースに『恋人にしかできないこと』を求めているのかを。
「……目、瞑って」
低く落ち着いた声に従って、瞼をゆっくり閉じる。
緊張からか冷えた手が暖かい手に包まれ、布の擦れる音が妙に響く。
そして。
ふにっと柔らかな、だけど少しカサついた感覚と熱が唇に触れて、ゆっくり離れた。
「……どう?」
目を開けると真っ先に瞳に映ったのは、頬を赤らめたエースの顔。
緊張しているような顔つきに、珍しいな、なんて場違いな感想を持つ。
どうも何も、ただ唇を重ねただけ。
何ともない。
そう思ってたのに。
「えっ、あ、あれ?」
ドッドッと心臓の音が煩い。呼吸も早くなって、息苦しい。顔が熱を帯びて、赤く染っていく。冷たかったはずの手は汗で少し湿っている。
「な、なんで急に……? なに、これ……っ!?」
頭はスッキリ事実を認識しているのに、身体の理解不能な反応を起こす。
こんなこと、今までなったことない。何が起きてるの?
「あ〜。 もしかして、そーいうこと?」
「な、なにが?」
「いや……っはは。 なーんだ、よかった」
「何もよくないよ!?」
クツクツと嬉しそうに笑うエースに混乱中の私はただただ噛みつく。恋人の異常事態を楽しむのは失礼なのでは?
そんな私の様子にエースはひとしきり笑った後、愛おしそうに私を見つめた。
「全然興味ないのかなって不安だったけど……単純にユウがウブすぎるってことでしょ?」
「うっ……だって、こういうことするのエースが初めてだしっ! しょうがないじゃん!」
ニヤニヤ笑いながら「ふーん?」余裕そうなエースにむぅっと頬をふくらませる。
漫画や映画で知識として知っているけど、実体験はエースが初めてだ。まさかここまで自分に耐性がないとは思わなかった。
「なら、慣れるまで……やってみる?」
顔を近づけて、私の手を再び握る。「ユウが嫌じゃなければ」なんて言われて、拒否なんて、できるわけないじゃん。
まるで私たちの合図かのように、ゆっくり瞼を閉じると、エースは応えるかのように唇を重ねる。
ちゅ。ちゅ。
触れるだけだったキスは、何時しかリップ音が加わって、少し恥ずかしい。キスの合間にエースの吐息が唇を掠めると、その度にビクッと身体が震えてしまう。
そんな私の反応にエースはクスッと小さく笑った。
「どう? 慣れそう?」
「っはぁ……な、れるわけ、なくない?」
治まらないドキドキ。慣れるための行為のはずなのに、逆効果な気がしてならない。
世の中のカップルみんな、こんなことを平然とやってるの!?
「ははっ。 やっば……すげーかわいー」
「ごめん、なんか言った?」
「なんでもねーよ。 ほら、今日はおしまい」
突然の終了発言に「え、なんで?」と首を傾げる。
エースはきっと、こういう『恋人らしいこと』をしたいんだろうなって思ってたから。
温かくて大きな手が私の頭をぽんぽんっと撫でる。
「別に今すぐに慣れなきゃいけないわけじゃないし、ユウのペースで慣れていこーぜ」
たった一言。その一言になぜだかホッと安心してしまう。
そっか、私ちょっと焦ってたのかも。
エースの求める『恋人』になれているのか。期待に応えられているのか。
根本にあるモヤモヤの正体。それに気づいた時にはエースが晴らしてしまった後。なんかずるい……けど。
「うん、ありがとう」
聞こえているかどうか分からないほど小さな声で、映画を巻き戻すエースの背中へと感謝の気持ちを送った。
見覚えのあるシーンから再開された映画。けれども観ていた時とは違って、未だにドキドキが治まらない。
あんなに感情移入できてたのに、もう映画には集中できなかった。