【エー監】Ace in the hole【カジノパロ】繁忙期も過ぎ、仕事も定時で帰れるぐらいに落ち着いた頃。きっかけは、さして親しくない、かといって不仲でもない同僚からの頼み事だった。
「お願い! 今夜、カジノ行くの付き合ってくれない!?」
「…………えぇー」
オレンジのベースカラーにグリーンのラインストーンが輝くネイルの手を合わせる彼女曰く。
先日上司に連れられて行ったカジノで、とあるディーラーに一目ぼれ。何としてでも彼の連絡先を知りたいけれど、慣れていない女性一人でカジノに行くのはハードルが高く、何より危険。
せめて誰か一緒に行ってくれる人がいれば……と考えた結果、同性かつ席の近い私を誘った。とのこと。
今日一日彼女からの視線がチラチラ煩かった理由はこれだったのか。
「そもそもディーラーと連絡先交換って、していいの?」
「ご法度だから、こんなに悩んでるんでしょー!?」
嘆きながら片付けられたデスクに突っ伏す彼女。これまたなんとも、ホストよりたちが悪い相手に一目ぼれしたようで。
幸運か不幸か、今晩の私には特に予定もない。頭の中でスーパーの安売りと天秤をかけ、少し悩んだ末。純粋なカジノへの興味と彼女の「今度夜ご飯おごるから!」の一言に二つ返事を返して、パソコンの電源を落としたのだった。
*
太陽が沈みかけた紫の空の下、施設が立ち並び賑わいを見せるダウンタウンの中でも一際ギラギラ輝く建造物に、仕事終わりであろう男女が次々と吸い込まれていく。一際輝く看板には"CASINO"の文字。
電気代凄そう……なんて一歩引いて冷静になる私の隣で、彼女は目をギラギラ輝かせて「はやくいこっ!」入口の扉に手をかけた。
二重扉の奥は、いくつものシャンデリアに照らされた煌びやかな世界。目の前にはスロットが大量に並べられており、一台一台から流れる賑やかな音が何重にも重なる。
なんだかゲームセンターに来たみたい。
初めての場所でキョロキョロする私のことなんか気にせず、スロットの森をズンズンと突き進む彼女。慌てて彼女の背中を追いかけ森をぬけると、先にはまた別世界が広がっていた。
見慣れないテーブルが等間隔に並び、それぞれのテーブルでタキシード姿の男性一人が四、五人のお客さんを相手にゲームがおこなわれている。
この中に、彼女のお目当てのディーラーがいるのか……。
彼女は辺りを一通り見渡すと、さっそくお目当てを見つけたみたいで。先程より足早にテーブルの間を通り抜けていく。
「け~くん〜!!」
「ん? ……あぁ、この前の! こんばんは~」
四人の女性客の中心で、テーブル上のカードを片付ける男性。
ゆるりカールのかかったオレンジの髪に緑色の瞳。目元には赤いダイヤのスート。色合い的にも間違いない、この人が"お目当ての彼"だろう。
「あれ? その子は?」
「あ、この子は同僚。 この前の話をしたら彼女もカジノに興味があったみたいで、一緒に来たの」
色々と修正したい情報を飲み込んで、ペコッと彼に一礼すれば「初めまして♪」笑顔が返ってくる。なんだか軽そうな人なのに、不思議と不快感はない。
先に席についていた女性客からも「こんばんは~」可愛らしい声であいさつを貰う。けれどもその目は笑っておらず、彼女たちも同僚と同じ目的で来ているのだと瞬間で察知した。女の世界って恐い。
「私たちも参加していい?」
「もち! けど残念、一席しか空いてないんだよね~」
空いてる椅子は右端の一つだけ。このチャンスを逃がすものか!
けーくんと呼ばれていた彼から「どっちがゲームする?」と質問される前に、彼女の腕をくいっと引っ張る。
「私カジノ初めてだから色々見て回りたいんだけど、いい?」
私のお願いに彼女は驚いて瞬き二つ。そしてにこやかな表情で「いいよ~」と了承。私を気にせず彼との交流を深めたいだろう、という読みが当たり、心の中でガッツポーズをキメる。
私は口早に「後で連絡するから」と一言残してポーカーのテーブル……もとい、女の戦場を後にした。
さて、彼女と離れることに成功したけど……。
「これから、どうしよう……」
本来なら同僚と一緒にゲームに参加してルールを学ぼうと予定していた。しかし現実はそれも出来ぬまま、賑わう館内で一人きり。
カジノに憧れはあった。けれども一人でゲームに参加する勇気なんて、残念ながらない。
つまるところ暇になってしまった。
「おねーさん」
離れるための言い訳どおりに、ふらふら見てまわるのもいいけど、ゲームのルールを一切知らない私にはちんぷんかんぷんになってここに戻ってくるのが目に見えている。
「そこの綺麗なおねーさん」
ふと、入り口のスロットに目を向ける。
スロットなら複雑なルールもないだろうし、丁度いいのかも……?
「おーい! そこのキョロキョロしてる、明らかに初心者な奴! 無視すんな!」
「え?」
「いや、それで気づくのかよ」
聞こえてきた罵声に振り返れば、誰もいないテーブルに先程のディーラーと同じ格好をした青年が頬杖をついてじっとこちらを見つめていた。念のため自分に指を差して首を傾げれば、彼はこくり頷く。私で間違いないみたい。
急かすようにクイクイっと手招きをされたので、呼ばれるままにひょこひょこ彼のテーブルへ近づく。
「なんですか?」
「アンタ暇? ちょっと助けてよ」
「助ける?」
目元に大きなハートが描かれた青年はニコッと可愛らしく笑うと、積まれていたカードをシャッフルし始めた。
「今日ポーカー目当てのお客さんばっかりでさ~。 さっきいた客も帰っちゃって次の客来なかったら、オレも裏方で掃除に回んなきゃいけねーの」
「……ポーカーをすればいいのでは?」
「それを決めるのはオーナー。 今任されてんのは掃除かブラックジャックのテーブル」
シャッフルしていた手を一時休め、彼が指をさした先には白色で"Black Jack"の文字。どれも同じに見えるのに、テーブルごとに出来るゲームが決められているらしい。
彼の言いたいことを察するに『掃除したくないからブラックジャックのお客さんになって欲しい』ってことだろう。
「えっと、私ブラックジャック……というかカジノ初めてで、ゲームのルールとか何もわからないよ?」
「見るからに初心者だもんな、アンタ。 なら丁度いいじゃん。 時間あるし、やりながら教えてやるよ」
彼はシャッフルを終えると、退けられていたカードシューへカードをセットしていく。
「せっかくカジノに来たんなら、遊ばなきゃ勿体ねーじゃん?」
確かに。
憧れていたカジノ。思い出としてもやっぱり一回はゲームしたい。しかも"ディーラーに直接教えてもらいながら遊ぶ"なんて貴重な体験、今後きっとこないだろうし。
「……じゃあお願いしていい?」
「もちろん! 早速始めようぜ……の前にチップまだ持ってないだろ? 交換するよ」
あぁそっか。カジノでゲームするにはチップが必要なんだっけ。
背の高い椅子に腰をかけ、エースに10ドル札を一枚、1ドルチップに替えてもらう。
これでようやく準備完了。
「改めまして、このテーブルを担当する『エース』です。 アンタの名前は?」
「ユウです。 よろしくお願いします」
「オッケー、ユウ! まずはこの店でのブラックジャックのルールな。 ミニマムベットは1ドルから。 俺が『Place your bets』って言ったら、目の前にある円形のマーク内に賭ける金額のチップを置いて」
エースが手のひらを上に向け、右から左へ滑らせながら「Place your bets」と唱える。初めてだし、とりあえず1ドルのチップを円の中に置いてみる。するとエースは手を返し「No more bets」と左から右へ戻していく。
「『No more bets』がベットを動かす締め切り。 ここからは基本ベットには手をつけないよーに! んじゃ、カードを配んね」
セットされたてのカードシューからエースは一枚ずつカードを取り出し、私とエースの手前へ交互にカードを並べる。
私の手前にはクローバーの『3』とダイヤの『4』。エースの手前にはスペードの『2』と、伏せられたカードが一枚。
「ブラックジャックってのは、プレイヤーとディーラーとでどっちが手札の数字を『21』に近づけられるかってゲーム。 今ユウの手札は『3』足す『4』で『7』。 オレの手札は『2』と『何か』。 最初の手札をくばり終わったから、今からユウのターン」
「私は何をすればいいの?」
「オレの手札を予測しながらカードを追加するか、そのまま勝負に出るかを決める。カードを追加するならHit、そのままならStayを選んで」
さぁどうする?そう聞くように、エースが手のひらで私の手札を示す。
今私の手札は『7』だから――。
「Hit」
「ん。 上出来」
エースはカードシューから新たにカードを1枚取り出し、私の手札に並べると、そのカードをめくった。
現れたのはダイヤの『K』。えっと、この場合『K』は『13』?
「残念。 ブラックジャックでは絵柄は全部『10』でカウントされんの。 だからユウの手札は今『17』」
「私、声に出てた?」
「声に出てなくても表情に全部出てる。 ユウ絶対ポーカーとかバカラ向いてねーよ」
「えぇ……そんなにわかりやすいかなぁ?」
そういえば、職場の先輩にも「あんた、わっかりやすいわね〜」なんて言われたことあったっけ。
対するエースは出会ってからずっと笑顔を崩さない。流石ディーラー。
「んで、どうする? Hit or Stay?」
「Stay」
「オッケー! じゃあ俺のターンな」
エースは伏せられたカードを捲る。顕になったのはスペードの『J』……つまり『10』。だからエースの手札は『12』だ。
「ディーラーは手札が『17』以上になるまでカードを引かなきゃいけねーの」
新たに追加されたカードはクローバーの『Q』。ってことは、エースの手札は……。
「オレの手札は『22』でバースト。『21』を超えたら問答無用で負け確定。つまり、このゲームはユウの勝ち」
彼はパチパチ私へ拍手を送ると「初勝利おめっと」の一言と共に、私の掛けたチップの横へ1ドルチップを添える。初の戦利品。なんだかその1ドルチップが輝いて見えた。
「ど? 基本のルールは分かった?」
「何となく……?」
「それじゃ、もーちょい慣れようぜ」
先程使用したカードが片付けられ「Place your bets」の一言で次のゲームが始まる。
私はベットに置かれたままの二枚の1ドルチップのうち、元々自分のものだった一枚を手元に戻した。
「No more bets」
締切の宣言をして、エースの手から新たなカードが配られる。彼の手元にはクローバーの『10』と伏せられたカード一枚。
今度の私の手札はスペードの『A』とハートの『7』だから『8』。
「『A』はブラックジャックでは『1』か『11』になるカード。 だからユウの手札は今『8』か『18』」
「えっと……選択肢が二つあるってこと?」
「そういうこと。 ここでStayを選べば『18』。 Hitを選んで『10』が出ても『A』が『1』に変わって『18』でカウントされるってわけ」
「へぇー」
A……エース……彼と同じ名前のカード。
それがなんだか可笑しくて、くすりと笑ってしまう。
手札が『18』ならStayで様子を見るのもありだけど……。
「Hit or Stay」
「……Hit」
私は勝負に出た。私の挑戦にエースは「へぇ……」意地悪そうな顔で笑い、ショーケースからカードを追加する。
新しいカードはダイヤの『8』。手札の数は『16』になり、さっきよりも『21』から遠ざかってしまった。
Hitを選ぶには微妙な数字。『17』よりも低い数だけど、ここで引いてしまうとバーストする可能性もある。
もう一度きた「Hit or Stay」の問いに、私は「……Stayで」と返す。
エースの伏せられていたカードはハートの『5』。合わせて『15』だから、エースはカードシューから新たにもう一枚引く。
三枚目のカードはダイヤの『5』。
「『16』対『20』でオレの勝ち! ユウのベットもーらい♪」
「あ〜あ。 勝てると思ったのになぁ!」
ベットに置かれていたチップは再びエースの元へ。
これで引き分け。なのに何も無くなったベッティングエリアがどこか寂しく感じる。
テーブルの上がキレイになり「Place your bets」また新しいゲームが始まった。
自分の手札を『21』に近づけるゲーム。ルール自体はシンプルでわかりやすいけど、実際に遊ぶとなかなか奥深い。
手札の数が小さいからとHitを選べば、予想外のところでバーストしてしまったり。かといって保守的になりすぎると、今度はディーラーに負けてしまう。
自分とエースの手札を計算して予測して、駆け引きを楽しみながら選択肢を選んでいく。
何度目かのゲームの終わり。エースと同じ格好をした黒縁メガネの男性がテーブルに近づいてきて、エースに耳打ち。エースの口が「りょーかい」と動くと、男性は私に会釈してその場を去っていった。
「っと、悪ぃ。 別のテーブルに呼ばれたから、これがラストゲームな」
テーブル上に放置されていたカードを片付けながらエースが言う。
そっか……次で最後なんだ……。
楽しい時間はあっという間だ。
手元には1ドルチップが八枚。いつも通り一枚だけ賭けるのがきっとベスト……だけど……。
「Place your bets」
最後の開始宣言に合わせて、私はベッティングエリアに八枚、全てのチップを重ねる。
エースの瞼がピクっと動く。
「へぇ~? オレと勝負するんだ?」
「だってラストゲームなんでしょ? なら最後に思いきって全部賭けようかなって」
勝ったら万々歳。負けても悔しさが香る楽しい思い出。これが私なりに後悔しない選択。
「ふーん……ユウがその気ならオレも気合い入れるとしますか!」
エースは楽しそうに「No more bets」を唱えると、美しい手さばきでカードを配っていく。
エースの手札はクローバーの『10』。私の手元には、スペードの『J』とハートの『Q』。
これは……なかなかいい手札なのではっ!
「Hit or Stay?」
エースの手が私のターンを知らせる。手札が『20』ならStayを選ぶのが当然。意気揚々と口を開く。
「なぁ、ユウ。 せっかくのラストゲームなんだから、賭けてみね?」
瞬間、チェリー味のキャンディみたいな瞳がキラリと艷めき、世界が止まる。
聞こえていたはずの店内のBGM、お客さんの話し声、ルーレットを回る球やカードがめくられる音。その一切の音が消え、ここには私とエースの二人きりなのではないかと錯覚してしまう。
逸らすことすら許されない。彼の視線にゴクリ喉を鳴らす。
ほぼ確実に勝てる『20』を引いたのに、そんな安い挑発に乗るなんて馬鹿げてる。
口に出そうとしていたStayをそのまま伝えればいい。だけど――。
――エースとの時間も、これで最後なんだ。
退屈になるはずだった時間を塗り替えてくれたエース。たとえそれが彼の仕事だからでも、私にとっては最高な一時だった。
私もエースに何かを返したい。
そう考えてしまった時点で、私の負けだった。
「――――――Hit」
勝ちが確定したからか、エースは顔を伏せるとニヤリと笑う。
新しいカードを一枚追加すると、私の前に差し出した。
目の前に現れた数字は――――。
「ハートの――――『A』っ!?」
ハートの女王の上に舞い降りた、ハートの『A』。
エースはすぐさま自分の伏せられた手札――スペードの『10』を暴いて手を鳴らす。
「お前すげーじゃん! あそこでHitを選ぶなんてさ!」
ケラケラ笑いながらエースは10ドルチップ一枚と1ドルチップを二枚、ベッティングエリアに並べる。
「『21』で勝った場合の配当は1.5倍。 あーあ、ユウが引かなきゃ、引き分けだったのに~」
「最後の最後で勝ち逃げかよ〜」と愚痴を零すエース。だけどもその様子はさして悔しそうに見えない。むしろ嬉しそう……?
まぁいいか。彼もゲームを楽しんでいたのなら。私は背の高い椅子からぴょこっと飛び降りた。
「ありがとう、エース。 すごく楽しかった!」
「オレも楽しかったよ。 またいつでも来てよ」
出会った時と同じようニコッと笑うエースに「それはどうかな〜」なんてはぐらかす。カジノなんて今後行くか分からないし、できない約束はしたくない。
最後にチップを払って挨拶しようとすると「ユウ!」一枚のカードが手の中に飛び込んできた。
それは、最高の時間をくれた"ハートのA"。
「初ブラックジャック記念にどーぞ」
「えっ!? でもこれってお店のじゃ……」
「いーのいーの! 後でバレねーように補充しとくし」
ヒラヒラと手で払うエース。うーん……良くはないと思うけど、どう返そうとしても受け取ってくれなさそう。
「…………何か言われてもエースのせいにするからね?」
「はいはい。 …………つか貰ってくれなきゃ、こっちが困るっつーの」
「えっ?」
「なーんでもねーよ。 あ、他の奴にバラすなよ!?」
「ふふっ。 うん、わかってるよ」
素敵なプレゼント。誰かに見つからないうちにこっそりカバンにしまう。
エースも呼ばれてるし、私もそろそろ同僚へ連絡を入れなくちゃ。
私は最後に「ありがとう」笑顔で手を振り、高揚感漂うまま同僚が勝負しているポーカーのテーブルへと向かった。
*
終電数本前の車両で「結局連絡先を教えてくれなかった〜!」と嘆く同僚に、どんな顔をしていいか分からないまま最寄り駅で別れ、静まった夜道に一人分のヒール音を響かせて帰り道を歩く。
「楽しかったなぁ……」
ふわふわ夢見心地な一夜。きっとこれは"初めてのカジノだったから"ではない。空で輝く月に思い出のハートのAをかざす。
「……? このカード、何か……」
月明かりに照らされたカードの端。違和感のある光の反射にカリカリ爪で引っ掻いてみると、端っこからめくれ上がる表面。
間違いない、これシールだ!
粘着力が弱くなった隅を爪で掴み、ペリペリ丁寧に剥がす。仮面を剥がされたカードには、シールと同じ絵柄、ハートのAと…………。
『×××-×××-××××
この意味、わかるよな?
エース・トラッポラ』
少し雑な筆跡で書かれた見慣れない電話番号。そして添えられた『エース』の文字。
その意味が分からないほど子供じゃない。
「〜〜〜〜〜〜っ!!?」
声にならない悲鳴をあげながら思わずその場にしゃがみこむ。
ご法度なはずじゃなかったの?なんて疑問で頭の中がぐるぐる回る。脳裏に映るニヤついてるエースの顔になんてものを渡してくれたんだ!と文句を投げつけたい。
冷たい夜風にあたっているはずなのに、この熱は冷めてくれなくて。ドクドクうるさい心臓を落ち着かせるため精一杯酸素を吸う。
ただ一言だけ、言葉にするならば。
「私も人のこと言えなくなっちゃったじゃん……」