オルタナティブの卵4-3 人形の存在が伏せられることが決定したのは、それからほどなくのことだった。
仮に人形であったとしても、命の形、姿、力量、その全てが厄災を討伐するに足るのであれば、勇者を名乗るのは誰でもよいというのが陛下や将軍たちの判断であった。
また、彼は古代シーカー族に作られたことから、現代を生きるシーカー族たちが彼の補佐に就くことが決まった。主にはあの薄気味悪い研究部とやらの変人奇人たちだ。ここ数年、不思議と対厄災用のガーディアンなどという兵器開発が進んでいると思っていたが、どうやら秘密裏に彼の躯体の情報を転用していたらしい。
おかげさまで彼には今までの武具甲冑に加え、シーカー製のところどころに青く光る模様の入った新しい甲冑が与えられた。騎士たちはそれを見目好いとはやし立てたが、黒い色も相まってわたくしには不気味にしか見えなかった。
なんにせよ戦事が一切分からないわたくしには、何が正解なのかは分からなかった。
むしろわたくしが頭を抱えたのは、姫様の方だった。
「リンクを通してください。それから人払いを」
ああ、またいつものが始まった、と思った。
しかし頭ごなしに否定できるほど、姫様はもはや幼くはなかった。十三歳。早い娘であれば嫁ぎ先の女主人となっていてもおかしくない年頃だ。
彼の正体が露見してからも、わたくしが言った通り欠かさず日参を続ける人形の彼を今日も姫様の部屋へと通す。それから渋々わたくしは次の間へ下がって、大事だけは起こらぬよう聞き耳を立てていた。
「まぁ、人形相手に大事など起ころうはずもないのだけれど……」
はあ、とこれから始まる姫様の不毛な人形遊びに、思わずため息が漏れる。
いつだったか、申し訳ないがさすがに何をしているのか確認せねばと、二人の様子を覗き見たことがあった。
姫様はただ、あの人形に口づけをされていた。何度も何度も撫でるように口づけを繰り返す。人形はそれをただ受け取るのみで、微動だにしなかった。なんとも悲しく、空疎な儀式に見えた。
でも姫様がどれほど必死なのかは、表情を見れば分かる。対して彼の方は、どうしたらよいのかずっと分からない様子で困惑していた。
「姫君の接吻で呪いが解けるのは、カエルぐらいだともうお分かりのお年でしょうに。人形が人になることなど……」
――ない。それはおとぎ話だ。
そう言い切ってしまえたら、どれだけ楽だろうか。それでもわたくしが姫様を叱ることができないのは、わずかに『そうなってくれたらどれだけ良いか』と思ってしまっている自分がいるからだと思う。
あの人形の彼がそのまま人になってくれたら、どれだけ良いか。姫様と共に歳を経てくれたら、どんなに幸いか。不可能であると分かるほど、願望が強くなるのは人の業かもしれぬ。
そのことに自覚的になった時、わたくしは姫様の願いを踏みにじることに決めた。
「申し訳ございません、姫様」
虚空に向って謝罪はした。
姫様が十四になる頃、この不毛な人形遊びに終止符を打つべく、わたくしは陛下に事の次第を報告した。ただし我が身が打ち首になろうとも、どうか姫様を叱責しないでほしいこと、また彼については姫様の求めに応じただけだから不問としてほしい旨を伝えた。
わたくしの嘆願を聞き終えた陛下は、しばらく目頭を押さえて沈黙していた。息を長く細く吐いた後でぽつりと、婚約者を見繕うようにとわたくしにお命じになった。
そうしてわたくしは、家柄が申し分なく、人柄の評判も良く、年の頃も見目もよい貴族子弟を幾人か吟味した。
「……婚約者?」
「姫様も来年には十五です。もうそろそろお支度を始めねばなりませぬ」
信じられないものを見るような青い目がこちらを睨みつけていた。
わたくしはひるむことなく、言葉を続ける。
「ですから、もうお分かりかとは存じますが、リンク殿とお部屋に二人きりになることはお控えなさいませ」
これがどういう意味なのか、分からぬ姫様でもあるまい。
貴女様はこれより国を背負って立たれる身、ただ一人の人形にかまけていてはなりませぬ。それぐらい言わずとも理解できるぐらいには、立派な一国の姫君に育てた自信がわたくしにはある。
ところが姫様は猛然と首を横に振った。
「彼は? 彼はどうなるのですか」
「姫様のご婚約には関係ございません」
「それでわたしの結婚を急いで既成事実を作り上げて、そのあと厄災を倒したら? お役御免でさようなら? それともいっそ壊してしまうとでも?」
「姫様」
「そんなのいやっ」
久しく聞いていなかった聞き分けの悪い言葉が、鋭く部屋に反響した。
「嫌、絶対に嫌!」
「聞き分けのないことを言うものではありません!」
「婚約なんてしない、絶対にしない」
「陛下のご命令です! 姫様はいずれこの国の主となられるお方なのですよ!」
「だってそんなことしたら、あの人が一人ぼっちになっちゃうじゃないの!」
もはや婚約は決定事項であり、先んじて彼の方に話をしておいてよかったと胸をなでおろした。
姫様はそういう理由で、勇者といえども一介の騎士が常にお傍にあることは逆に姫様にとってよろしくない。そう伝えれば、彼はすんなりと理解した。今日は扉の向こう側には待っていない。だからどれだけ大声を上げようとも、泣き叫ぼうとも、もう姫様の声が彼に届くことはない。
そんなこととはつゆ知らず、姫様はわたくしに食って掛かる。
「彼はお人形だから、歳をとらないから、いずれ一人ぼっちになってしまう。それが分かってるのに、わたしだけ誰かと子供を作って、幸せに歳をとって死ねっていうの? 厄災を封じるために利用するだけしておいて、わたしだけ人として生きるのなんて虫が良すぎるとは思わないの」
怒りに燃える姫様の言葉が、いちいちわたくしの胸を穿った。
姫様の言うことを、考えなかったわけではない。例え本物ではないにしろ魂を模して造られた人形であるためか、姫様と彼は不思議な縁で結ばれているように傍目にも見えていた。それを無理やり引き離すのだから、罪悪感がないわけがない。
「置いて行かれるのって、すっごく悲しいのよ」
「そうであったとしても!」
主の言葉に我が言葉をかぶせるのは無礼の極みである。
そうであったとしてもわたくしは、姫様のお心をここで止めるのが己の役割と断じた。
「これは王家に生まれた姫君の義務にございます。お覚悟なさいませ!」
いやいやと泣く姫様を、わたくしはその日からしばらくお部屋に閉じ込めることにした。陛下の許可はすでに得ている。
長く、姫様の泣く声が部屋からは聞こえていた。姫様のすすり泣く声は、こんな荒療治が必要になるほど人形遊びを黙認し続けた、わたくしへの罰だ。だから姫様がお心を決められるまで、同じくお部屋の扉の前でじっと立ち続けた。
姫様をお部屋に閉じ込めてから三日目の朝、激しく扉を叩く音ではっと瞼を持ち上げる。さすがのわたくしも立ったまま少し瞼が落ちていたようだ。
「お願い、開けて!」
「姫様?」
「リンクを、リンクを呼んで! 早く!」
なりません、まだあきらめないのですか。苦言を呈そうとするも、姫様の声は昨日と打って変わって切迫していた。
「何かが足元から来るの! すごく嫌なものが、這いあがってくるの!」
だからここを開けて、お願いリンクを呼んで。
いったいどういうことなのか、わたくしが扉を開けるか開けまいか迷っていたその時、ドンと一つ、地の底を打つような地鳴りがハイラル城を震わせた。