「どうしてあんな事をしたんです!? お陰でまた今年も入学式はめちゃくちゃですよ、まったく!!!」
信じられないと嘆く学園長は、何故かボクひとりだけ悪いかのように責め、あまりにも理不尽だ。全てはあの男がボクの髪を掴んで、馬鹿にしたことが悪い。ボク一人を断罪するなんて間違っている。
あの男……本当に今思い返しても怒りでどうにかなりそうだ。髪を不躾に鷲掴むなんて、一体どういった教育を受けてきたんだ!? きっとお母様が言う所の“親も碌でもない”というやつだ。
未だグルグルと怒りに顔の熱が引かないボクに、周りの先生方が大きくため息を付く。
「ローズハート、学園では個人的な私闘は校則で違反とされている」
校則違反と言われ一瞬でボクの血の気が引いた。
「違います、だってあれは……」
「“だって”? 何だと言うんだね。お前が髪を掴まれ個人的に腹が立って彼に魔法で暴力を働いた……これが現実だ。確かに、相手の……リーチの方にも大いに問題がある、ローズハートが怒っても仕方のない事をした。しかし、それを暴力で返してはいけない。わかるか?」
先生の言葉がボクの胸に突き刺さる。学園の校則も入学前にしっかりと頭に叩き込んでいたのに、ボクはあれを“正当防衛”の範囲内だと思ってしまっていたが、確かに怒りに任せてやりすぎてしまった。人の上に立つべき存在に育てられたボクが、こうやってルール違反を犯してしまうなんて……
「申し訳ありません」
素直に頭を下げれば、学園長も先生方も「わかればいい」と言ってくださった。
「ただし、また同じような事をするようなら、こちらもローズハートのご両親も交えて話し合いをしなければならない。それを念頭に、今後問題を起こさぬよう。いいか?」
先生からすれば事実を述べたまでだろうが、ボクからすれば脅しにも近いひと言だ。お母様にボクの愚かな行いを知られて、ローズハートの家名に傷をつけた事が伝われば、また“あのとき”のような事になりかねない。
ルールを守ることは何よりも大事なことだ。
もう二度と何も、大切なものを失わないように、もっと自分を律さねばと心に誓った。
「分かったならもういい、そろそろ寮分けも後半だ。お前の名も直に呼ばれるだろう、そろそろ入学式会場に戻るんだ」
それに頷いて、ボクは大人しく先生に連れられ会場に戻れば、新入学生、そして上級生の視線が一斉にボクを見た。その視線を受けながら席に戻れば、程なくして闇の鏡に名を呼ばれたボクは、思った通りハーツラビュル寮生となった。
「はいはい、ハーツラビュルのやつはこっちね〜」
ハーツラビュルは、このナイトレイブンカレッジで最も寮生が多いとされる寮だ。しかし、その厳格さ故か、毎年転寮希望の生徒が多いように感じる。去年も3分の1ほどが、厳格さに耐えられず転寮したようだったが……目の前の寮長も副寮長もその厳格さからは程遠い見た目をしていた。
ナイトレイブンカレッジの式典服にも最低限のルールがあった。彼らの着方は、そのルールに違反していたし、何よりルール以前に履いていた靴が汚れていたり、式典服にほつれや皺があった。
お母様は服装の乱れを嫌い、ミドルスクールを卒業するまでは、毎日家を出る時はお母様にチェックされ、服にきちんとアイロンが掛かっているか、ホコリが付いていないかを調べられた。
だから、ミドルスクールに入る頃には、自分の洋服に毎朝アイロンを掛けることも覚えたし。ボタンが外れかかってたり、ほつれがあったら本を見て練習し、きっちり縫うことだって覚えた。
なのに、ハートの女王の厳格な精神に基づくハーツラビュル寮のすべてを取り仕切る寮長や副寮長がこんなだなんて……
「これから鏡舎に行って、そっからハーツの鏡に入るから、おまえらチンタラしてたら置いてくからな」
付いてこいと寮長が先導するが、その足は早く、寮生を一度も振り返らず自分たちのペースで歩くその姿に、ハーツラビュル寮に寮分けされた新入生たちも不安げだ。
そして、その不安は、鏡をくぐった先……到着した寮を見て最大限まで膨れ上がった。
「はーい、ここがお前らがこれから暮らすハーツラビュルね。ここでは先輩の言葉が法律オマエら絶対にやぶんなよ。ギャハハ!」
笑う寮長やガラの悪い上級生……その背後には、スレートグレーの屋根に赤と白のお城のような外観をした寮の壁、そこには真っ黒いスプレーで落書きがされていたし、両出入り口の手前にある噴水も同じく落書きがされていて、掃除がされていない為か溜まった水は濁り、噴出口は故障してクモの巣が張っている。
何より写真で見たハーツラビュルには、赤いバラが美しく植えられていたのに、寮の外に広がる薔薇の迷路に咲くバラたちは手入れを一切されていなかった。
これが、ナイトレイブンカレッジで2番目に伝統があり、最も厳格なはずの寮だなんて信じられない。
「次はオマエら新入生のスートを、寮長の俺が直々に決めてやっから。ほらさっさと並べ!」
戸惑いながら並ぶ新入生たちの列に並べば、ボクの番が来た時に、寮長が盛大に声を上げて笑った。
「オイオイ、このツラはどう見てもポムフィオーレ顔すぎるだろ!」
「お嬢ちゃん、付いてくる列を間違えたんじゃないですカァ?」
何も面白くないのに、彼らはそう言ってまたギャハハと声を上げて笑う。
「間違っていません、先程の寮分けでは、確かにハーツラビュルと闇の鏡にそう告げられました」
「真面目ちゃんでつまんねぇなぁ……まぁいい、かわいいツラにはハートでいいだろ」
寮長がペンを振れば、ボクの頬骨の位置に小さなハートのスートが入った。
「はい、これでお前も、俺のトランプ兵な。寮長のためにしっかり働けよ!!」
ポイとボクに真紅の魔法石がついたマジカルペンを投げて渡せば、もうボクに興味を失った彼は「次」と言って後ろに並んだ寮生に絡み、またギャハハと笑っていた。
入口に乱雑に置かれたトランクの山から、自分のトランクを探し出し、それを持ってこれから1年間使うことになる1年生用の四人部屋に向かった。
ハーツラビュル寮には、本館と別館があり、1年生と2年生の部屋は本館裏の別館にあるのだが、その寮内も、外観と同じく酷く汚れていた。いつ掃除をしたのかも分からない寮内は、窓や天井に蜘蛛の巣が見え、窓も外が見えないほど汚れている。床の隅にはホコリが溜まっていて寮の空気も埃っぽく、どう考えても健康に悪い。
ボクに与えられた部屋に入れば、同室の生徒はヒソヒソ声で話し合い、寮長や寮への不安を話し合っていた。
——こんな荒れた寮だとは思わなかった……
——どうする? 転寮するなら早いほうがよくないか?
——いやでも……流石に入学して直ぐに転寮なんて……
彼らの会話に、ハーツラビュルから別の寮への転寮者が多い理由がなんとなく分かってしまった。
入学式のあの男といい、この寮や寮長も、この学園の生徒はあまりにも非常識この上ない部分が多すぎる。ボクはこの寮で4年間、お母様が望まれる正しさを貫けるのだろうか?
消灯後、廊下や本館から聞こえる騒ぐ上級生の声を聞きながら、ボクは埃っぽく慣れないベッドの上で眠ることができず、小さく唇を噛み、強引に目を瞑った。