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    mmmori0314

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    mmmori0314

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    GoS時空、蒼真くん加入直後くらい。
    色々な事情を知ったので距離が縮まった蒼真くんと有角さんの話。やたら距離近いけどあくまで親子愛です。

    ##悪魔城ドラキュラ

    永遠の夜、血と魂 さらり、と。
     緩く波打つ髪が、黒衣の背に揺れている。
     それをぼんやりと眺めながら、蒼真はのそりとソファの上に寝そべっていたを身体を起こした。
     本、本、本。
     視界を埋め尽くす大量の本。魔導書の研究組織であるエルゴスには、本が溢れている。壁面を覆い隠さんばかりの大量の書は、魔導を齧ったことすらない身には意味がわからないものばかりだ。触れることすら躊躇われる。読んだら呪われそう、なんて感想は、きちんとその道を修めた人間にとっては失笑ものなのかもしれないが、素人にはよくわからない。
     ──来須蒼真という少年は、本来このような場所にいるべき人間ではない。
     ベルモンドの血脈、魔法使いの系譜、あるいは別の退魔の業を磨いてきた者たち。
     彼らのように背負う使命などなく、魔を祓う為に研鑽を積んできた訳でもない。聖なるものも邪なるものも知らず、ただ平穏のうちに暮らしていた彼が悪魔城に挑み、魔導書に記述された英雄として召喚されるに至ったのは、ひとえにその魂ゆえ。

     魔王ドラキュラの魂。

     肉体の滅びと共に転生し、人の器に産み落とされた強大な魔。
     前世だと言っても、記憶も人格も失われたそれは蒼真にとっては他人でしかなかった。しかしかつては振り払ったその闇に、一度染まってしまってからというものの、連れ戻された今も、かの存在を以前よりずっと近くに感じる。
     時たま、懐かしい面影に心かき乱される程度には。
     月の夜の庭。自分を見て微笑む、淡い金の髪の女と子供。あの、愛おしき───
     ふらりと立ち上がり、目蓋の裏に映る遠い残像を追うように手を伸ばすと、触れた指先は記憶にあるのと寸分違わぬ感触を伝えた。
     するりと指を通す柔らかな髪。掬い上げた端から零れ落ちていくそれは深い夜の闇の色で、視界にちらついていた金色の幻視は、いつの間にか綺麗さっぱり消え失せていた。
    「…………蒼真。何だ?」
     と、そこで振り返った相手に声をかけられて、ようやく蒼真は我に返った。
     能面のような無表情に、平坦な声。ともすれば不機嫌そうにも見える態度だが、実のところ単に愛想がないだけで、いつもこうだということは知っている。急に脈絡なく髪に触れた不躾さを咎める色もないあたり、別に怒ってはいないのだろう。しかし流石に無遠慮だったなと思うと、何となく気まずい。
    「あー……えー、えっと、書の中とは違うなと思って。ごめん、有角……いや、アルカード?」
     本当のことを言えば特に深い理由もなく、記憶の残影に引きずられて触れただけだ。だがそれを正直に白状するのは憚られて、適当に思いついた理由を口にして謝罪する。どうかしている。呼ぶべき名すらわからない。
    「有角でいい。魔導書の中での姿は記述された当時の……父を討った時のものだが、今ここにいる俺はお前の側にいた時とさして変わりはない」
     魔導書の中で会った彼は、母譲りの淡い金の髪をしていた。同色の長い睫毛に縁取られた瞳もまた闇夜の月が如き金。端正な顔立ちと透き通るような青白い肌も相まって、それは現実感のない幻想の美、この世ならざる麗しさだった。
     ドラキュラの直系。妖美にして気高き半人半魔の貴公子。蒼真が初めて見る、懐かしいその姿。
     アルカード。父と道を違え叛いた、けれど父を愛しその魂の安寧を祈り続ける、我が子。
     ……ああ、違う。違う、違う。
     混乱する。
    「有角……有角……。うん、俺はやっぱりこっちの方がしっくり来る」
     どうにも場違いな気がして落ち着かないこの場所で、元々知り合いである有角の存在はありがたかった。知人といっても、蒼真の知る有角という男はあまり多くを語らず──今でも言葉が足りず、きつい物言いに聞こえがちな所は全然変わっていない──当時の蒼真は彼の正体も目的も知らなかったが。
    「……あのさ、有角。今、ちょっといいかな?あんたには言っておきたいことがあって」
    「……構わない。何だ?」
     そうだ、何も知らなかった。
     彼とドラキュラの関係も。彼のドラキュラへの想いも。
     あの時玉座の前で、蒼真に魔王の運命を背負わせたくないと告げた言葉の重みも、何も。
    「……ごめん。本当に、すまなかった……」
     絞り出すように告げた謝罪は、ひどく小さく頼りなかった。
     今更だ、という躊躇。許されない、という後悔。それでも言わなければと思うのは、自己満足だろうか。
     有角は訝しげに目を細めて、軽く首を傾げている。聞こえていなかったということはないだろうが、意図は伝わっていなそうだ。
    「……何がだ。魔王化していた時のことか?気にしなくていい。お前のせいではない」
    「それも申し訳ないとは思ってるけど、それじゃない」
     散々迷惑をかけたのは事実だが、それについては一応話がついている。
     誰も蒼真を責めなかった。お前のせいだ、責任を取って死んで来いと言われても仕方がなかったのに、皆許してくれた。有角に至っては蒼真を巻き込みたくない、などと言う始末。散々暴れた当事者に言うことではない。対応が甘すぎて逆に少しいたたまれないくらいだった。あとはもう、行動することで償っていくしかないだろう。これ以上どうこう言う気はない。
     それよりも。
    「魔王化してた時の記憶があるって言っただろ?」
    「……それが?」
     覚えている。覚えているのだ、全部。
     魔導書の中であったこと。魔王と化した自分のしでかしたこと。あの時の『蒼真』の胸中すべて。
     手を伸ばして有角の頬に触れる。血の気のない青白い肌はひんやりと冷たかった。少しばかり眉間に皺は寄っているが、振り払われなかったあたり、受け入れられていると自惚れてよいのだろうか。
    「……おい、蒼真──」
    「『アドリアン』。……あの時の『俺』は、あんたが誰だかちゃんとわかってたんだよ」
     困惑混じりの声が途切れて、有角が息を呑む。
     アドリアン・ファーレンハイツ・ツェペシュ。
     その名を捨てて、アルカードは父に剣を向けた。
     悪魔城が日食に消えてなお、その姿すら捨てて有角幻也は父の魂を護っていた。
    「アドリアン。おまえには、つらい思いばかりさせた」
    「…………っ」
     見開かれた目に過った感情は、安堵か悲嘆か郷愁か哀惜か。静かな湖面に立つさざ波のように、一瞬その無表情を揺らしたそれが何だったのか、蒼真にはわからなかった。当たり前かもしれない。有角の長過ぎる生を思えば、共に過ごした時間は前世を含めてもあまりに少ない。
    「なあ、おまえは父を恨んでないのか?おまえに全てを捨てさせて、おまえを永遠に縛りつける父親を」
     幸せな記憶はほんの僅かで、けれど彼は、父親の凶行を止めるために人生全てを捧げてしまった。今に至るまで。そしてきっとこれからもずっと。
     たった一人の肉親に剣を向けて。帰るべき場所はもうなく。心を許した者は皆過ぎ去り。死ねば魔に堕ちる命を絶つことも出来ず永遠を生きる。
     それは心を削る道行きだろうに、ドラキュラの目覚めを望むものは絶えず、安息の眠りに就くことさえ許されない。
    「恨んでいい、見捨ててもいい。おまえはもう充分父に尽くした。もう……ドラキュラの為に傷つかなくていい」
     あんまりだ。もういいだろう。
     人間を怨み、世界を呪い、神を憎んだ。
     怒りのままに、多くのものを奪って壊して踏みにじった。優しい妻がそうされたように。
     たとえそれに我が子が心を痛めたとしても、どうしても許せなくて、止まれなかった。けれどそれでも、血の繋がった実の子を、愛した女が産んだ子を苦しめたかった訳ではない。
    「……この生き方は自分で選択した結果だ。俺は俺の意志で父を裏切った。そして自分の意志で父の魂の安寧を護るために戦い続けている。恨まれる覚えこそあれ、俺が父を恨む理由はない」
    だというのに、これだ。
     父親のことなど忘れて、離れて、自分の為に生きてもよかっただろうに。
     ドラキュラが滅びてなお、自由になれない。枷はなく檻は開いているのに、未だ囚われ続けている。それがひどく痛々しい。
    「アドリアン、」
    「やめろ。有角でいいと言っただろう。蒼真、お前は父ではない。あの人が遺したものをお前が継ぐ筋合いはない」
     蒼真の手をどけ、静かに首を振る有角は、もういつもの鉄面皮だ。にべもない拒絶は冷たいようで、けれど余計なものを背負わせまいとする彼なりの気遣いなのだろう。
     届かない。
     蒼真と有角の間に横たわる深い断絶。それは人ならざるものの血であり、幾百の年月でもある。
    「確かに、俺はあんたの親父ではないけどさ」
     この魂が確かに持っていたそれは、蒼真が生まれる前、ドラキュラが死んだときに失われてしまった。同じ闇に属する魂とはいえ、人間として生きてきた蒼真にその重みは理解出来ない。
    「だとしても……いや、だからこそ、俺はあんたを苦しめてたんじゃないのか。俺が……俺がドラキュラの力を持ってるのにドラキュラじゃなかったから……!」
     同じ魂、別の精神。
     跡形もなく消えるより残酷だ。
     来須蒼真という人間の存在は、彼の父たる吸血鬼が『死んだ』ことの証明に他ならない。
     確かにそこに在るのに、面影すら残っていない。愛した者が永遠に失われた事実を突き付け続けられる。有角もよく平気な顔をして蒼真に接していたものだ。
     何も知らなかったあの頃、蒼真と有角は親しいとは言い難い関係だった。有角は多くを語らず突き放した態度を取ったし、蒼真も何かと反発していた。
     有角は蒼真の中に父の姿を探しはしなかったのか。知らなかったとはいえ、あのような態度を取ることは、血の乾かぬ傷口に爪を立てるような所業ではなかったか。
    「俺のせいで、あんたはずっと……っ」
    「蒼真」
     有角の静かな声が、絞り出すような蒼真の声を遮る。
     ぽすりと軽く頭に手を置かれただけで言葉が続かなくなった。これ以上喋らなくても良いと言われた気がして、黙ってうつむく。
    「何度も言わせるな。お前は人間だ。神でも魔王でもない。全て自分のせい、などと思い上がるな。お前の手の届かぬ事、預かり知らぬ事はいくらでもある」
     言葉の厳しさとは裏腹に、髪を撫でる手の感触はひどく優しい。申し訳なさと後ろめたさはまだ残っていたし、子供扱いされているようで思うところはあったが、何とも言えない安心感があった。
     結局のところ、身内だと思っているのだろう。
     血の繋がりがなくなっても。父たる人格をなくしても。
     あるいはそれは、来須蒼真という人間の感情だっただろうか。
     無愛想だし説明不足だしクソみたいな態度だ、と常々蒼真は思っていたが、それでも守られていることは理解していた。魔に堕ちない限り、この男が自分を見捨てることはないと本能的に悟っていた。
     蒼真にとって、有角は絶対的な味方だった。それこそ、無償の愛を注ぐ家族のように。
     かつては素直に受け入れることが出来なかったが、全てを知ってしまった今では反発する気も起きない。
     そうして残ったのは、安堵だけだ。
    「…………有角」
    「何だ」
     うつむいたまま、顔を見ないまま名を呼ぶ。前世で父として与えた名ではなく、蒼真の知る彼の名を。
     そうしてすぐ返事があることに、そっと胸を撫で下ろす。
     自分から過去を持ち出しておいて勝手なものだと、小さな棘のような痛みを覚えながら。
    「ごめん……ありがとう」
     頭を撫でていた有角の手がぴたりと止まった。
     有角は感情の読みにくい奴ではあるが、これは顔を見なくてもわかる。驚いているし、困惑している。
     礼を言われて固まるとか自分が何だと思われているのか気になるところではあるが、しかし有角がこうも露骨な態度を取るのはそれだけ距離が近いということなのかもしれない、そういうことにしておこうと蒼真はひとり結論付けた。
    「感謝、してるんだよ。これでも。あんたはいつも俺によくしてくれるし、何度も助けられた」
     蒼真が魔王の運命に絡め取られないように、日常の中にいられるように。
     態度こそ冷たいものの、有角の行動はいつだって蒼真の助けになるものだった。それはドラキュラ復活の阻止の為、父の魂の安寧を願ってのことだったのかもしれないが、それでも恩恵を受けたことに変わりはない。
    「……何も返せなくて、悪いとは思ってるけど」
    「お前がそんなことを気にする必要はない」
     端的な否定は温情であり、同時に拒絶でもある。
     有角は何も求めない。
     自分自身の為の望みなど、とっくの昔に諦めて失くしてしまった。そうさせたのが誰なのかなんて明白で──
    「……あんたがドラキュラや俺に何も期待してないのはわかってる。当然だよな。あんたから奪い続けて、あんたの気持ちを無視し続けた俺達に、期待なんて出来るわけない」
     ──だから、寂しいなんて思うのはきっと間違いだ。
     どこかの誰かも感じていたような、胸の痛みには蓋をしておく。こんなものは、有角が背負う羽目になった苦しみに比べれば、些細なものだ。
    「……。蒼真」
    「でも、それでも……全て知ってしまった以上、俺はあんたに何か返したいと思うよ」
     うつむくのを止めて、まっすぐ顔を上げる。見上げる蒼真と見下ろす有角の視線がちょうどかち合う。有角の視線は力なく、秀麗な美貌は些か困惑気味に曇っていた。
    「それは…………お前のその心遣いはありがたいが……俺はもう、充分満たされている。これ以上望むものはない」
     珍しいことに有角にしては随分言葉を選んでいて、蒼真を傷つけずに断ろうと腐心しているのが伝わってくる。何かと刺々しい態度を取っていたあの頃を思えば、多少丸くなったのかもしれない。だが、労りたいのに逆に気を遣われるのは何だかやるせない。
     そして有角を困らせたい訳ではないのだが、やはり理解が出来ず蒼真は首を傾げた。
    「……迷惑かけた覚えしかないんだけど。あんた、俺といて何かいいことあったか?」
     純粋に疑問だ。
     有角は自分の境遇を嘆くべきものとは思っていない。あるいはそれは、自身を不幸だと認識してしまえば、永遠の生に耐え難くなるが故の防衛本能なのかもしれないが、ともかく。
     不幸でないから幸福だ、という訳でもないだろう。散々迷惑をかけて死んだ父が、転生して記憶を失くして迷惑をかけてくるなんていう状況、悪夢としか思えない。
     だというのに、有角はふっと静かに微笑んだ。
     遠い記憶の彼方にある幼子の無邪気な笑顔ではなく。父と対峙した時の悲愴な眼差しではなく。蒼真に見せていた無愛想な態度でもなく。
    「お前がお前のまま戻って来た。それだけで……それだけで充分だ。俺は満ち足りている」
     ひどく穏やかで、温かな。
     その顔を見ていると何故だか無性に泣きたくなって、蒼真は誤魔化すように有角の肩に頭を押し付けた。そんな蒼真の胸中に有角は気付いているのかいないのか、そっと頭に添えられた手はただ静かに寄り添うだけのもので、何も言われないのが今はありがたかった。
    「……あんたにとって俺は、『ドラキュラの生まれ変わり』でしかないと思ってた」
     何も知らなかった頃の蒼真の目にも、有角は魔王という存在にこだわっているように見えた。何でそこまで、と思うほど、彼は蒼真を魔王から遠ざけることに心血を注いでいた。
     当時はその理由も心情もわからなかったが、今回の件でドラキュラと親子だと知って、納得したのだ。
     ───かつて、魔王となった父を手にかけた息子は、それをもう繰り返したくなかったのだと。
     腑に落ちると同時に、微かな虚しさがあった。
     きっとそこに『来須蒼真』という人間の存在はなく。ただ『ドラキュラの魂』だけが意味を持っているのだろうと。
     そう思っていた、のに。
     もはや、ドラキュラとの戦いは避けられないところまで迫っている。蒼真と魔王の力が切り離されようがされまいが関係なく、決戦の日は訪れ父と子は再び争うことになるだろう。
     さらに言えば、今ここにいる蒼真は所詮目録から召喚された存在に過ぎない。ほぼ完璧に再現されているとはいえ、有角が護り続けてきたドラキュラの魂そのものはここにはないのだ。
     それでも、有角は満たされていると言うのだ。蒼真が蒼真のまま──ただの人間のまま帰ってきただけで充分だと。
    「……お前は生まれ変わりでしかなく、ドラキュラそのものではない。俺とは何の関係もない他人で、だから特別な感情など不要だと──そう、思っていたのだがな」
     ぎゅ、と有角に抱き締められて、蒼真は目を白黒させた。
     新鮮な驚きに硬直しながら、頭のどこかで懐かしい愛おしさを感じている。真逆の感覚はけれど矛盾なく、蒼真の中に綺麗に収まっていた。
     自分の感情なのか、それとも別の誰かの想いなのかわからないまま──あるいは、分ける必要性すら感じないまま──蒼真もまた有角の背に手を回す。
    「……これほど情が移るとは思わなかった」
     有角の腕に僅かに力が籠る。
     鼻腔をくすぐる、深く昏く沈みゆくような夜の香り。城にいた頃から何も変わらない。今が記憶の底に刻まれている幸せな日々の続きであるような錯覚さえ覚える。
    「父の魂を守る為だけに生きていたのが、いつの間にか、お前の幸せを願っていた。お前を護る為なら、どれだけ力を費やしても、危険を冒しても構わなかった。お前の未来を奪われるのが何よりも……恐ろしかった」
     けれど、この腕は護る者の腕で。縋りつく幼子を抱き締めるのは己の役割だったはずなのに、今はもうあべこべだ。
     あの頃とは何もかも変わっていて、だが、悪い気分ではない。
    「……あんたが素直に本音を言うなんて。明日は雨どころか槍でも降るんじゃないか」
     けれどその気持ちをそのまま伝えるのは照れ臭くて、つい憎まれ口を叩く。もっとも、無駄な足掻きだろうが。二度と離すまいというように、ひしと抱きついたままつく悪態には甘えの意図しか見えないだろう。
     有角の体温が低いせいなのか、密着している割に温度を感じないが、それでもしばらくそうしているとじんわりと暖かさが伝わってくる。あるいはそれは蒼真自身の熱を移しただけだったのかもしれないが、それでも。今はこのぬくもりを手離したくなかった。
    「悪魔城は混沌の産物とはいえ、槍が降って来るのは見たことがないな」
     有角もそう思ってくれているのだろうか。しがみつく腕を振りほどく気はないらしい。珍しく蒼真に付き合って軽口を叩きながら、蒼真の頭をゆるゆると撫でている。細長い指が髪を梳く感触がなんとも心地好い。このまま眠ってしまえたらきっと、深く安らかな眠りに落ちることが出来るだろう。
    「……ベリガンくらいなら降るが」
    「…………マジかよ」
     眠るとまでは行かなくても、曖昧に溶けかけていた意識が一気に現実に引き戻された。
     ベリガン。ドラキュラが従えていた魂のひとつ、鳥のような恐竜のような顔をした魔物を思い出す。結構な質量があったはずだが、そんなものが降ってくるのか。確かに槍は持っていたけれども。
     まあ有角がそんなくだらない嘘をつくはずもないし、本当に降るのだろう。流石は悪魔城。混沌だ。
    「まあ、とりあえずベリガンは置いといて。俺も、あんたに初めて会った時はなんて嫌な奴だろうって思ってたんだけどな」
     なにしろ最初から喧嘩腰だった。良い印象を抱きようがない。
     あの頃の有角は、蒼真に好かれようなどと欠片も考えていなかったのだろう。むしろ嫌われたほうが深く関わらずに済むと思っていたのかもしれない。単に気が立っていただけという可能性もあるが。
     道を示してくれてはいたものの、その態度は最悪で、仲良くなれそうもないと思っていたのだが。
    「……今じゃ結構、あんたのことが好きみたいだ」
    「お前からそんな言葉を聞く日が来るとはな」
     お互い、わからないものだ。
     こんなふうに、寄り添って安らぐようになるなんて。
     頭の上で、有角が少し笑った気がした。蒼真の口元も自然と綻ぶ。
     幸せな夢に揺蕩いながら目を閉じる。温かい。ひどく落ち着く。
     ずいぶん遠回りをしたが、在るべき所へ帰って来たような、そんな感覚がある。
    「有角」
    「なんだ」
     有角の返事は相変わらず簡素なものだが、その声に険はない。柔らかな声は耳に心地よく、よく馴染む。
     目を開く。頭を撫でている手を取っても拒絶はなかった。冷たい手をそっと握って、顔を上げる。
    「もう手離さないから」
     魔王としての記憶。自分でない自分の歩んだ途方もなく長い時。死しては甦る永遠の夜。
     この手にあったもの。そして、失ったもの。犯した無数の罪。
     もう過ぎ去ったもの、取り返しのつかないもの。
    「俺は目録から再現された存在にしか過ぎないし、一緒にいられる時間もそう長くはないだろうけどさ……」
     だとしても、この自分はここにいる。今ここに存在している。
     心があるし、言葉もある。
     ならば、今度こそ後悔しないように。
    「忘れないで欲しい。俺のこと、俺のこころ。そうすればきっと永遠だ。あんたは一人じゃない。ずっと、側にいる」
    「……」
     有角の無表情が微かに揺れる。一瞬見開いて、眩しそうに細めた目。降り積もった分厚い諦念の下にあったかもしれない、悲嘆と愁苦は外からは窺い知れない。
    「……蒼真。俺はな、ドラキュラを……父を、愛している。今も昔も。これからも永遠に」
    「……うん」
     するりと、手がはずれる。脈絡なく紡がれたようにも聞こえる言葉に、ただ頷く。
     永遠に報われることのない愛の言葉。届くことも、返ってくることも想定していない悲しい思慕。淡々とした声は静かに凪いでいて、それでもどこか寂しげな響きがあった。
    「お前は父は別人だが、それでも、生まれ変わりであることに違いはない」
     ドラキュラの魂というものは、常に蒼真と共にあった。否、同一のものであり、切り離せないものだった。どれだけ蒼真が拒絶しても、否定しても。魔王の宿命という名の軛から解き放たれてさえ。
    「俺がお前に向ける感情に、父への思慕が混ざっていないかといえば自信がない。俺にはわからんのだ。どこまでが父への愛で、どこからがお前への情なのか」
     そしてそれは有角も同じことだ。その身に流れる血からは、親子という関係からは逃れられない。もっとも、有角は蒼真と違って逃れたいと願ったことすらないのだろうが。
     全てを擲つような、傍から見れば妄執とすら写る愛に囚われた彼が、ドラキュラと蒼真の間に明確な境目を見出だせないのも無理はない。
    「それでも──」
    「いいよ、それでも」
     だから、そんな申し訳なさそうにしなくてもいいのに。
     どこか苦しげに、悲しげに紡がれる言葉を遮るようにして言い切る。
     その始まりが前世への愛ありきのものだったとしても、有角は蒼真をドラキュラとは別人として見た上で、守り導いてくれた。ただの人間である蒼真に手を差し伸べて、ドラキュラではない蒼真が帰って来てくれただけでいいと言ってくれた。
     それだけで、充分だ。
    「………」
     有角がきゅっと口を引き結ぶ。口許に手を当てて、難しい顔をして何やら考え込んでいる。逡巡の気配を見せて、けれどやがて観念したように口を開いた。
    「……このようなことを言うのは、許されないと思っていたが──」
     まだ迷いがあるのか、有角の視線が彷徨って、揺れる。
     何を言おうとしているのかはわからないが、ちゃんと聞くという意思表示にこくりと頷けば、有角の表情が少し緩んで、そして。

    「──お前を愛している」

     この上なく、優しい声だった。真綿でくるむような柔らかさにひどく安心すると同時に、初めて触れるそれに驚く。あるいは、長い年月をかけて形成された冷ややかな鎧の内側には、ずっとこの穏やかさが眠っていたのだろうか。
     目の奥がじわりと熱くなって、ツンとした感覚が鼻を走り抜ける。
    「これが父への愛に根差すものであったとしても、それでも。蒼真、俺は確かにお前のことも愛している。あの頃も、今も。これから先も」
     ふっ、と有角が自嘲的な笑みを浮かべる。それが罪であると言うかのように。そんなことはない、と言いたいのに、震える喉からは上手く言葉が出ない。
    「こう言うのも烏滸がましいとは思うが、弟か子供か、そのようなものがいたなら……こんな感じなのだろうかと」
    「っ、子供扱いかよ」
     泣き出しそうなのを誤魔化して、精一杯の虚勢を張る。どうにか笑って見せれば、有角が安堵したように微笑むので、何だか見ていられなくて視線を逸らした。
    「赤子の頃から知っていたしな。大体初めて会った時も十八だっただろう。俺から見たら子供のようなものだ」
    「年寄り。あの頃のあんたと来たら、親みたいに口うるさかった」
    「悪かったな」
     お互い、弱った顔を見なかったことにするように言い合って、すぐに耐えきれなくなって吹き出した。ひどく切なくて胸が締め付けられているのに、同時に馬鹿馬鹿しくて笑い飛ばしたくなる。
    「有角。俺にとっても、あんたは家族みたいなもんだったよ」
     なんとなく、側にいるのが当たり前だという感覚があった。前世の影響だったのか、何やかんや面倒を見てくれたからそう感じたのかは、今となってはどうでもいいことだ。
     今ここにいる蒼真がそう思っている。それだけが事実だ。
    「だから、さ」
     少しだけ、口ごもる。この続きを言うべきなのか、迷いはあった。
     すぐに消える仮初めの存在がこれを言うのはあまりに無責任かもしれない。きっと残るものは救いではなく呪いだろう。
     父という存在にがんじがらめに縛られたこの男にかける、二本目の鎖。
     だとしても、それが僅かなりとも永遠の旅路の慰めになればいいと祈る。
     本当は、彼の父親が言うべき言葉だっただろう。本人だって父親に言われたほうが嬉しかったはずだ。最期にそれくらい言ってやればよかったのに。
     まったく何やってんだよ、と心の中で前世に悪態をつく。
    「俺は、あんたのこと」
    (私は、お前のことを)

    「“永遠に愛してる”」

     
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