Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    eiketsu_tn

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 1

    eiketsu_tn

    ☆quiet follow

    喪服で再会するそせの途中。3万字ぐらいになるかな~
    今月中にアップできたらいいな

    今際のきわまで 大学時代の恩師が急逝した、という連絡を受けたのは、勤務先である小学校の夏休みを使って新潟まで扉を探しに来ていたときのことだった。黄昏時を過ぎ、ひぐらしの鳴き声も聞こえなくなった山中の道路(とも呼べないような粗末なものだ)の隅で、俺はゼミの同期からの電話を受けた。おそらくその地点がようやっと電波が繋がる場所だったのだろう、電話に応答するとすぐに「宗像! 良かった、やっと繋がった」とほっとしたような同期の声が耳に飛び込んできた。
    『橋爪先生、脳出血で倒れて亡くなったって。まだ若いのに残念だよな』
     そうなのか、と短く相槌を打つ。退官のときの最終講義に行ったのは確か三年前なので、まだ68歳かそこらのはずだ。これからは妻とのんびり旅行でもして過ごすよ、と笑っていた顔を思い出す。
     講義の内容も面白く、質問をすれば熱意を持って答えてくれ、「家業の都合」で何度かゼミを休んだときには時間を取って一対一で指導してくれる、そんな理想の教師像をかたちにしたような先生だった。恩師の訃報を聞きながら、俺は電話の相手が芹澤ではないという事実を反芻する。
    『通夜、吉祥寺の○✕会館で明日の18時かららしいんだけど、宗像来れる?』
     電話の向こうにいるゼミの同期からの問いに「ああ」と言葉少なに頷いた。さっき扉を閉めたばかりで身体はくたくたに疲れているが、今からどうにかして新潟駅に戻れば東京行き最終の新幹線に間に合うだろう。間に合わなくても最悪どこかのネットカフェで朝まで時間を潰して始発で帰れば良い。教授にとっての俺は大勢いる教え子のなかのひとりにすぎなかっただろうが、教師というものの在り方についてひとつの指針を示してくれた彼に最期の別れをしておきたいという、まともな人間らしい気持ちが自分にそなわっていることにほっとする。
    『宗像、連絡先変わってなくて良かったよ。さっき芹澤に聞いたら宗像と連絡取ってないって言うからさ。お前らなんかあった?』
     無邪気に聞いてくる同期の言葉にどう返したらいいかわからず、俺は黙りこくってしまった。それと同時に、心臓がどくんと大きな音を立てる。妙な空気を察知したのか『まあいろいろあるよな。んじゃ』とだけ言って電話を切ろうとした同期を引き止める。
    「……あのさ、明日の通夜って芹澤も来るのか」
    『ああ、顔出すつもりとは言ってたけど。まあ、なんかあったんなら会って話してみたらいいんじゃね?』
     あっけらかんとした調子で話す同期に「そうだな、ありがとう」と返して電話を切った。職場の連絡以外はほとんど更新されないトーク画面から芹澤のものをタップし、最後に送られてきた「元気でな」という四文字を指でなぞる。何百回、何千回見返してみても大学の卒業式の日を境にそこで止まったままだった。ふう、と息をひとつ吐いてスマホをポケットに仕舞う。とにかく今は急いで新潟駅まで戻らなくてはいけない。車もろくに通らない日の暮れた峠道をくだる足に力を込める。

     こういうとき、きっと俺は芹澤から連絡をもらうんだろうと思っていたんだけどな。
     ぼそっと呟いた言葉がトンネルのなかで思いのほか大きく反響してしまい、俺は自嘲気味に笑いをこぼした。もとより友人と呼べる相手は芹澤しかいなかった俺とは違い、顔のひろい芹澤は冠婚葬祭の情報を得るのも早いだろう、そうして俺に連絡をまわしてきてくれるんだろう、そんなふうに思っていたのはただの自惚れだったのだと、芹澤から連絡を絶たれてからようやっと気づいた。

     東京都の教採二次試験を受けずに終わった俺は、なんとか非常勤講師の仕事にありつくことができ、翌年無事合格して都内の小学校教員となった。芹澤は二次試験に落ちたのち、私立小学校の採用試験に合格して俺と同じように教員として働いているはずだ。はずだ、というのは、芹澤とは大学を卒業して以来、会うどころか一度も連絡を取っていないからだ。
     さっきの電話で「なにかあったのか」と訊かれたが、思いあたることはなにもないのだった。気がついたときにはもう、電話をかけようとしてみてLINEを送ろうとしてもぜんぶ駄目だった。スマホを壊して連絡先が消えてしまったんだろうか、そう思い込もうとしたが、芹澤だったら連絡が取りたければどうにかして俺の目の前に現れるに違いない、だからこれは芹澤の意思で俺との関係を絶ったのだと理解するほかなかった。

     一方的に連絡を絶たれるのがこんなにきついものだとは知らなかったな、とまた独り言をこぼす。口から言葉というかたちで出していかないと、からだのうちがわで際限なくふくれあがって息をするのもままならないぐらい苦しくなってしまいそうだ。相手が芹澤でなかったらこんなに苦しくなることはなかったにちがいない。だから「一方的に連絡を絶たれる」のまえには「芹澤に」という連用修飾語がつくべきだ、なんてことをうだうだと考えてしまう程度には、俺は芹澤朋也という人間に囚われつづけている。

     そんなふうにして卒業してから季節が五回めぐり、もう二十七だ。機種変更してしまうとそれ以前のやりとりは消えてしまうのだと知って、変えるに変えられず、微妙に調子のわるいスマホをだましだまし使っている。だって俺にはもう、あいつが残していったものはここに記録されているやりとりと郵便受けに突っ込まれていた四万ぐらいしかないのだ。そっけない茶封筒に入れられていた四万円は、使えずに封筒のまま机の引き出しにしまってある。
     自分でも馬鹿だと思う。そんなふうに、芹澤が残していったわずかな痕跡に縋るぐらいなら、この五年のあいだにどうにかしてあいつを探し出そうとしてみればよかったのにそれもできなかった。もういちど会って「会いたくなかった」と告げられたら、もしくは会うことを拒まれでもしたらほんとうにそこで終わってしまう気がした。事象を観測さえしなければ確定はしない。そう、シュレディンガーの猫の思考実験のように。
     つまるところ、俺は臆病だったのだ。芹澤がなにを思って俺と連絡を経ったのか知ることを恐れていた。だが、そんな馬鹿馬鹿しい逡巡にもようやっと終止符を打てる日がやってきたのかもしれない。山道を降りるたびにすこしずつ増えていく街灯に照らされながら、いっそ「お前とは二度と会わない」とひとおもいに介錯されていたほうがらくだったのだろうか、とどうしようもないことを考える。どちらにせよ、二十四時間後には観測を先延ばしにしていた箱の蓋が開けられ、俺のこの行き場のない感情の生死は確定するのだ。俺にいまできる唯一のことは新潟駅に向かって必死に足を動かすことのみだった。

     結局、ぎりぎりで新潟発東京行の最終の新幹線に飛び乗り、日が変わるごろに家に着いた。部屋に籠もっているむっとした熱気に顔をしかめながら冷房をつける。悲しいかな、日本の夏における冷房は生命維持装置となってしまった。
     暑い中歩きまわっていたせいでこれ以上は少したりとて動きたくなかったが、おなじくらい汗まみれで気持ち悪かったので気力を振り絞ってシャワーを浴び、泥のように眠った。目を覚ますと昼ちかくで、夢も見ないくらい疲れていて良かったと思った。そうでなければきっと俺は山から降りていたときのようにうだうだと芹澤のことを考えて夜を明かしていただろう。
     ロフトから降り、顔を洗って冷蔵庫を開ける。家を出るときに消費期限がちかいものは片付けていったのでろくなものが入っていなかった。仕方なく湯を沸かして冷凍庫から冷凍のうどんを取り出す。金がないときはよく芹澤とふたりで3玉98円のうどんをわけあって食べた。鍋の底からふつふつと浮かび上がってくる泡を見ながらそんなことを思い出す。
     芹澤が残した「もの」はスマホのトーク画面に記された文字と封筒に入った四万円だけだ、けれどここには――学生時代からいまだに住み続けているこの古びれたアパートの狭苦しい部屋、そのいたるところに芹澤と過ごした日々が色褪せず貼りついたまま剥がれず、俺はときおり胸を激しく掻きむしりたくなるような衝動に襲われる。いや、剥がれないようにみずから望んで反芻しては刻みつけていうほうがただしいのかもしれない。俺のなかにある芹澤の記憶がいつしか風化して、てのひらから砂のようにさらさらとこぼれ落ちていってしまう日がくるのがいやだ。あの男をただの想い出にはしたくないのだと、関係が途絶えて五年経ったいまでもそう思っている。

     はたしてこれはいったいどういう感情なのだろうか。俺はなんども繰り返し考えてみた。ファイルの背表紙にタイトルを書き込むように、親友だとか恋だとか、単純にラベリングすることができるのならまだ良かった。
     たぶん俺は、あのころからずっと芹澤に触れてみたかった。あの男を手に入れたいと心の奥底で願っていたのに、あいつにいちばんちかい親友という場所を明け渡したくもなかった。そういう自分に戸惑っているうちに、芹澤はふっとろうそくの火を消すようにいなくなってしまった。
     それから五年が経つうちに、恋であり友情であった感情には執着だとか未練だとか性欲だとか、そういうものが絡みついてどろどろに煮詰まってしまっている。このどうしようもない感情を自分で殺すのにはたぶんもう遅すぎる。ならば今日、ほかのだれでもなく芹澤に息の根を止めてもらうのがいいのだろう。
     俺は昨日よりもいささか晴れやかな気持ちを抱きながら冷たいうどんを啜った。窓の外からは、肌が焦げてしまいそうなほど強烈な日差しが降り注いでいる。夕方になればいくぶん暑さはやわらぐだろうが、真夏に喪服を着て出歩くというのはなかなかに厳しいものがありそうだ。

     うどんだけの簡単な食事を終えたあと洗濯機を回し、そのあいだに一階のコンビニに降りて香典用の袋を買ってきた。こういうとき、コンビニというたいていのものが置いてある存在に感謝する。結婚式にはなんどか出たが、身内ではない葬式に出るのははじめてだったかもしれない。自分の名前なんて書き慣れているはずなのに、いざ筆ペンで書こうとするとどうにもうまくいかず、いつも妙なバランスの字になってしまう。いまごろあいつもこんなふうに香典の準備をしているだろうか。練習用に書いた紙の、自分の名前の横に「芹澤朋也」と書いてみる。あまりにばかばかしくなってくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てようと思ったが、それもできなかった。情けなさすぎるだろ、と独り言をこぼしたのとどうじに、洗濯機が仕事を終えてピーピーと騒がしい音を慣らした。
     洗濯物を外に干すと小一時間ほどで乾いた。ここのところ、小学校でも気温が高い日には校庭に出ないようにという指示を出している。「災害級の暑さ」なんていうニュースの注意文句もすっかり聞き慣れたものだ。乾いた洗濯物を取り込み、伸びた髪をゴムで括って通夜に出る身支度を整える。祖父の葬儀に出たあとクリーニングに頼み、カバーをかけて吊るしておいた喪服からはいっしょにかけておいた防虫剤の匂いがした。

     17時を過ぎてからそとに出たが、やはり喪服で歩き回るのにはつらい暑さだった。上着を脱いで小脇に抱え、アパートの階段を降りる。ここから吉祥寺までは30分もあれば到着する。目的の葬儀会館は駅からすこし離れた場所にあるようなので吉祥寺駅からはタクシーを使ったほうがいいかもしれない。普段なら多少遠くても歩くが、汗だくで先生のご遺体に向かって焼香をあげるのはさすがに気が引けた。
     中央線の快速電車に乗り込んで吉祥寺を目指す。喪服を着ていると、妙に視線を感じるのはおそらく気のせいではないだろう。死ははるか遠くのできごとなどではなく我が物顔でいつもすぐ自分のとなりに佇んでいる――普段は目を背けて見ないふりをしているその事実を突きつけられるように感じるからなのかもしれない。俺からすればいまさらなにを、という気分にもなるが、俺は芹澤にこそそんなふうに、死の匂いなど感じずに生きていてほしかった。芹澤がいたからこそ、俺はいつもあいつがいる「ふつうの日常」に戻ることができていたのだ。
     芹澤がいなくなってからの俺が、灯台を見つけることのできない船のような、あるいは帰る場所をなくした渡り鳥のような、寄る辺ない気持ちを抱き続けていることを、あいつは知る由もないだろうけれど。

     吉祥寺につき、人の波に流されるようにして電車を降りる。暑さのせいか、それとも数日ぶりに混みあった電車に乗ったせいで人いきれにあてられたか、喉がからからに渇いていた。ホームにある自動販売機のまえで立ち止まった拍子にうしろから歩いてきた男にぶつかられ、チッと舌打ちをされる。余裕のなさをぶつけられたような気がして不快になった俺もおそらくは余裕がないのだろう。自販機で五〇〇ミリリットルの水を買い、半分ほど一気に喉に流し込む。それでもからだのなかが潤ったようには感じなかった。
     タクシー乗り場を目指して歩いているうちに、冷えたペットボトルは徐々にぬるくなっていき、代わりに浮いた結露がてのひらを濡らした。バッグは持っていないのでこのままペットボトルを持ち歩くことはできない。タクシーに乗るまえに飲み干し、空になったペットボトルをゴミ箱に突っ込んだ。喉の渇きは癒えていないのに、ただ腹だけがふくれたような気持ちになりながらタクシーに乗り込んだ。エアコンが効いた車内で、俺は防虫剤の匂いの消えない上着に袖をとおした。

     葬儀会場には、俺とおなじように白と黒だけを身につけた弔問客が人だかりをつくっていた。俺たちぐらいから先生と同年代まで年齢はさまざまだ。それだけで彼が多くの人々に愛されていたことが伝わってくる。会館の入り口横にあるひらけたスペースには、まるでスクラムでも組もうとしているかのようにいくつかの集団が円をつくっていた。見覚えのある顔がいくつかあるのはわかったが、名前が出てこない。
     人の名前と顔を一致させるのはむかしから苦手だ。「あんまり人に興味なさそうだよね」と言われたことだっていちどやにどじゃきかない。ミミズや要石に関する書物の内容はすんなり頭に入っても、新学期を迎えるたびにクラス全員の顔と名前を覚えるのに何ヶ月も要した。大学三年の春、「教育実習もそのロン毛で行くの?」ととつぜん話しかけてきたチャラそうな男の名前を一回で覚えることができたのは、俺にとっては奇跡的なことだった。

     俺の死角にいた集団のひとつから、花の蜜を吸いつくした蝶が飛び立つみたいにふらりと輪を離れていく男の姿に目が吸い寄せられる。男はとなりの敷地との境界線上に建てられたコンクリートの壁のそばまでいき、慣れた手つきで煙草に火をつけた。ふう、と吐き出された煙が薄くなりながら空へと昇っていく。煙を追って彷徨ったそいつ――芹澤の視線が俺を捉えるまで、さほど時間はかからなかった。
     五年ぶりに目にした芹澤は昔よりも髪のいろが控えめになっていて、ふつうの眼鏡をかけていて、あたりまえだがピアスはしていなかった。憂いのある表情に喪服がよく似合っていた。
     喪服が似合うというのははたして褒め言葉になるのだろうか、あのころどんなに楽しそうにしていても、芹澤にはどこか寂しさを滲ませているような雰囲気があったことを思い出す。あの寂しさは俺では埋められなかったのだろうか? 傲慢極まりないこと考えている俺を見て、煙草を指に挟んだ芹澤がふっと笑う。そちらのほうにちかづいていくと、「ひさしぶり、草太」とまるでなにごともなかったかのように芹澤が言った。「ああ、ひさしぶり」と俺も返す。ざらりと内臓をひと撫でされるような気持ちの悪さがこみ上げた。芹澤にたいしてではない、ここまで来て取り繕った表情を顔に貼りつけている俺自身に向けての気持ち悪さだった。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    😭🙏🌠👏❤💯😭🙏❤❤❤
    Let's send reactions!
    Replies from the creator