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    燭へしが好きな女審神者&主に片思いして夢男士になった長谷部&最近顕現した燭台切光忠 feat.初期刀の山姥切国広

    失楽園プロローグ ~主、こんなのってないですよ!~


    「長谷部のそれは刷りこみみたいなものだと思うなあ」
     お慕い申しあげております、となけなしの勇気を振り絞って伝えたところでこの台詞。しかも冷ややかな視線つき。その場に崩れ落ちなかっただけでも上等だ。泣きださなかっただけでも褒めてほしい。長谷部は蒼白な顔で目が乾くほどに自らの主を見つめ、哀れに震える唇をいたずらに何度か開閉させた。

     長谷部がこの本丸に顕現したのは、おりしも藤の花咲く季節であった。迎えた審神者はこれといった特徴のない凡庸な女である。巫女服に身を包んでいたが、率直に言えば服に着られているようなありさまで、神職の者が持つ凛とした厳かさもなにもない。
     これからよろしくお願いします、と一礼した審神者を見て、臣下を相手に頭をさげるのか、と長谷部は思った。それが審神者に対する第一印象である。
     まだ刀剣のすくないうちに鍛刀された長谷部は戦力として重宝され、また、近侍としても重用された。そうして審神者の補佐をし、誰よりも近くで日々をすごしているうち、はじめのころは緊張していた審神者の態度もほぐれ、親しいやりとりもできるようになった。
     長谷部、と呼ぶ審神者の軽やかな声が鼓膜を叩くと、長谷部の顔は自然とほころぶ。堅苦しいのは嫌いだから仲良くしよう、と言われて戸惑ったこともあったが、臣下としての態度も最低限弁えつつ、友人のような関係になることができた。
     主、と呼び、審神者がそれに応えて笑顔をくれるたびに、心には柔らかな風が吹いた。ひょっとすると主も同じ気持ちなのでは、もしそうなら──。
     その期待がまさか完膚なきまでに打ち砕かれることになろうとは、まったく想像もしていなかったのである。

    「長谷部のことは好きだけど、それはまあ、お友達としてというか。恋愛感情を向けられるってのはちょっと、無理かなあ……」
     審神者のお断りはまったくもって容赦がなかった。これでは長谷部に期待の持ちようもない。まるで鉄に戻ったかのように指先からすうっと冷えていき、生命機能が停止したのではないかと思えるほどに『物』と化して、長谷部は審神者がいなくなったあともしばらくその場に立ちつくしていた。
     ようやく自らが刀剣男士であるということを思いだしたころにはすっかり陽が暮れ、空はさびしく朱色に染まっていた。近侍の仕事があったはずだが、はてさて主はどうしているやら。そう思って執務室へと足を運ぶと、審神者は初期刀の山姥切と仲良く事務仕事をしていた。長谷部はいつの間にか近侍をはずされていたのであった。

            💮

     長谷部はろくに家具も私物もないがらんとした自室の隅に膝を抱えて座り、飯も食わず明かりもつけず、ただただ壁を見つめていた。
     近侍を変えるほどの徹底ぶり、よもや己は主に嫌われているのではなかろうか。告白ひとつでここまで態度を翻されるなど誰が想像できたことやら。あまりに無慈悲だ。長谷部はすっかり気力を失ってしまった。
     しかしいまだ駆けだしの本丸なので出陣の命はくだる。山姥切の指揮のもとに戦へ出ても心ここにあらず、煩悶はその刃をも曇らせる。
    「あんた、だいじょうぶか」と山姥切が不憫そうに声をかけてくる。「いまにも倒れそうな顔をしているが」
     長谷部には答える気力もなく、ただ恨みがましい目を向け、荒んだ自嘲を浮かべるばかり。
    「おまえはいいなぁ。何しろ初期刀だ。本丸の誰も得ることができない唯一の称号、勲章みたいなものでその地位を保障されている。俺にはとても、この先どんなことがあろうと得られないものだ……ふ……ふふ……」
    「長谷部……」
    「笑いたくば笑えよ。もっとも、貴様は愉快でたまらんだろう。俺が取り返しのつかない失態を演じたおかげで近侍の座に返り咲いた……。感謝の言葉のひとつでもあるか? 聞いてやってもいいぞ?」
    「……目も当てられないな」
     彼方から飛びこんできた遡行軍の短刀を無造作に切り捨てる。血糊を顔から浴び、長谷部は溜息をついた。
    「俺が誉を取ったとしても……主はよろこんでくださるのだろうか。──いや、他の連中に花を持たせるべきだろうな。俺は所詮、ただの数合わせ、いずれ下げ渡される運命か……」
     髪の先から血しずくをしたたらせながら覇気のない調子で言う長谷部は亡霊のようであった。
    「おい、長谷部!」
     たまりかねたようすで肩を掴んできた山姥切の手を振りはらう。俺に構うな、と睨みをきかせながら鋭く言うと、山姥切は存外にもあっさりと引いて、もう追ってこなかった。

     その夜のことだ。味気ない夕餉をぼんやりと食み、虚無を背負いながら自室に戻ると山姥切が待ち受けていた。
    「ここはおまえの部屋じゃないが?」
    「当たり前だ。あんたに話があって来た」
    「俺には近侍様と話すようなことなどなにもないんだが、ねぇ……」
    「そう言うな。卑屈がすぎるぞ、へし切長谷部」
    「同族嫌悪か?」
     はあ、とうんざりした調子で山姥切が溜息をつき、それから言う。
    「あんたに言っておかないといけないことがある」
    「なんだ? 謝罪か? 近侍の座を奪って申し訳ありませんでした、って?」
    「いいから聞け。主のことだ」
     主のこと、と言われてしまうと長谷部も黙らざるを得ない。はやく言え、と目で促すと、山姥切はすこし迷うようにしながらも口を開いた。
    「主はあんたのことを嫌って近侍からはずしたわけじゃない」
    「は……、おまえの言葉を信じろと?」
    「主には考えがある。それを待ってもらえないか。あんたが自暴自棄になれば主も悲しむ」
     どうだかね……、と長谷部は言って壁を睨む。
    「なんだかんだでおまえは、……どこかひとが好いやつだからな。だが気休めはいらない。俺は寝るから、もう出ていってくれ」
     にべもない態度の長谷部に山姥切はまた嘆息した。
    「……いますぐには信じられなくてもいい。これは本当のことだ。主があんたを見棄てることはない。心に留めておけ」言って、山姥切が立ちあがる。「信じてもらえなくて残念だ」
     ふん、と長谷部はちいさく鼻を鳴らし、山姥切の去っていった戸口のほうを見つめていた。
    「信じられるか、そんなこと」
     主に態度を翻された、その事実は長谷部の心をずたずたに切り裂き、深い傷をこしらえてしまった。心の傷というものは身体とは違って手入れで治るものでもなし、いちばん厄介である。
     日々の暮らしにうるおいを見いだす心も、風雅を愛でる心も、なにげない会話やふれあいを尊びいとおしむ心も、ぜんぶ審神者から与えられたものなのに。
    「主……こんなのはあんまりです……」
     しかし、いちど得てしまったものを手放すことなどできないのがへし切長谷部という刀であった。

            💮

    「そっか……ちょっと冷たくしすぎちゃったかな」
     山姥切の話を聞いて、審神者はすまなそうな顔をしてみせる。
    「あんたから長谷部に謝ってやれば、あいつもいくらか楽になると思うが」
    「でもねえ……、それじゃだめなんだよね」
    「だめ、とは」
    「長谷部の心に空いた穴を埋めるのは、もっと適役がいるんだもん」
     なんの話なんだ、と山姥切は内心あきれていた。

     ──長谷部は審神者を恋心というフィルターをとおして見ているため美化しているようだが、この女、ふつうにろくでもない。
    「まんばちゃんには最初に話しておこうと思うんだけど、わたしね、腐女子なんだ」
    「婦女子……、ああそうだな、言われるまでもなく」
    「じゃなくて。とくに男士と男士の恋愛を積極的に推していきたい人間なの!」
    「……はあ」
    「それでね、わたしのいちばんの推しは燭へし! 分かる? まんばちゃん」
    「分からん」
    「燭台切光忠とへし切長谷部! こう言えば分かるかな?」
    「俺とは面識のない刀だ」
    「そうなんだ。残念⌇⌇っ」
     山姥切には意味不明の話であったが、審神者はどうやら男士と男士を恋愛的にくっつけてよろこぶ性癖があるということのようだった。その餌食となっているのが燭台切光忠とへし切長谷部であり、まったくどのような刀かは知らないが、これからおもちゃにされるであろう二振りが哀れでならなかった。
     さらに不憫なのは『推しカプ』の『受け』である長谷部が早々に顕現したことだ。まるで神父のような衣装を身にまとい、審神者に対して忠義深く礼をとるようすを見て、山姥切はその刀の未来に不穏なものを感じずにいられなかった。
    「まんばちゃん! 長谷部が来てくれたよ! どうしようはやい! こんなはやくに来てくれるとは思わなかったどうしようああ顔がいいっ もちろんまんばちゃんも綺麗だけどね」
    「綺麗とか言うな」
    「と、とりあえずお友達になっとかないとね、気軽にコイバナができるような関係にならないと、旨味がすすれなくなっちゃうもん!」
    「推しカプ、というのは味噌汁かなにかか?」
    「ちがうよっ! もう! とにかく、今日から長谷部を近侍にするから、まんばちゃんはサポートとかいろいろよろしくねっ」
     これが本丸を起ち上げてから三日目のことだった──。

    「わたしがいけないのは分かってるんだ……。だって、まさかこんなに燭台切が来ないなんて思わなくて」
     がっくりと肩を落としながら審神者が言う。現在の本丸には二十口ほどの刀剣が顕現していたが、その中に彼女のおめあてである太刀の姿はない。
    「はぁ⌇⌇物欲センサーってやつかなあ。それともわたしの煩悩が邪魔をしてるのかなあ。どう思う? まんばちゃん」
    「俺の知ったことか」
    「そう言わないでよ。はやく来てもらわないと困るんだよぉ。だってだって、長谷部がわたしに告白してくるなんて……もぉ、長谷部はなに考えてるの」
     まったくだ、と山姥切は思う。長谷部はこの女のどこがそんなに良いというのだろうか。主としてはそれなりに尊重するつもりだが、ひとりの女としてはいかがなものかと思う。
    「予定ではとっくに燭台切が顕現して、長谷部と順調に仲を深めていってるはずだったんだよ。出陣、遠征、そして日々の生活で、衣食住をともにして生まれる絆──戦場で育まれる男と男の巨大感情……! ときには衝突し、そして解りあい、やがてお互いがお互いにとってなくてはならない存在に発展して……、ああっ、燭へし! 燭へしぃ⌇⌇っ!」
    「部屋に帰ってもいいか」
    「だめ! まんばちゃんにしかこの話できないの!」
    「俺以外にもっと適役がいるんじゃないか……?」
    「やだやだ、まんばちゃんがいいよぉ!」
     都合の良い存在として見られていることは分かっているのに、刀剣の性なのか、主から求められると満更でもない気分になってしまう。
    「だからつまりね、仕方ないことなの。わたしへの恋心はすっぱり忘れてもらって、新たな恋に生きてほしいの! 傷心の長谷部を癒やしてふたたび心に春の風を吹かせるのは燭台切の役目なんだから! わたしも頑張って鍛刀するし、長谷部にはそれまで待っててもらわないと困るんだよぉ」
    「いっそのこと長谷部にそれを言ってみたらどうだ」
    「ええ だめだめ、それじゃ主命になっちゃう! 自然に出会って恋してもらわないと、わたしクソ審神者になっちゃうじゃん!」
     すでに充分そんな感じだ、とはさすがの山姥切も言わなかった。
    「まんばちゃんには本当にほんとーに苦労かけるけど、長谷部が戦場で無茶しないように見張っててね。長谷部が折れたら絶対立ちなおれないもん。わたし、審神者やめちゃうかも……」
     なんてことを言いだすんだ、と山姥切は内心でおののきながら、青ざめた顔で唇をかむ。
     ──やっぱり、主としても尊重できない女なのかもしれない……。

            💮

     長谷部は日に日にふさぎこんでいった。出陣や内番などの主命はかろうじてこなすものの、まるで屍体が動いているかのようなありさまである。
    「目に余ります」と宗三が言い、「しゃきっとせんね、男士やろうもん!」と博多が言ったが、長谷部は「ああ、ああ」と空返事をするばかり。なにも予定がないときは自室の畳の上で横たわり、刀に戻ってしまったかのように動かない。
     あまりにも無であった。審神者といるときはあれほど色づいていた世界が無味乾燥なものとなり、もはや今生に思い残すところなし、座して刀解を待とう、という心づもりになるくらいだった。
     なにもかもがどうでもいい、そう思って投げやりになっていると、唐突に長谷部のもとを太郎太刀が訪れた。
    「私は現世の機器には疎いのですが、長谷部殿には心得があると聞きました」
     いったい誰になにを聞いたというのか、あまりに不自然である。長谷部は機器の扱いに心得などない。近侍の仕事ですこしばかりタブレット端末を使っていただけだ。しかしこうして面と向かって頼られれば無下にするのも忍びなく、貸してみろ、と手をだした。
    「弟に頼まれて通販で酒を買おうと思ったんです」
    「なんという酒だ」
     太郎太刀からめあての酒を聞きだし、検索欄に入力してやる。出てきたショッピングサイトから適当なものを見つくろってページを開き、これでいいか、と確認しながら注文をすませた。
    「ありがとうございます。非常に助かりました、さすがは長谷部殿」
     太郎太刀は切れ長の目をほそめて微笑し、深々と頭をさげて帰っていった。
     ……まあまあ、悪い気はしない。
     ひさびさに誰かの役に立った。本当は主の役に立つのがいちばんだが、すこしは自己嫌悪も薄れようというもの。それと同時に長谷部は、一振りにひとつずつ支給されていた先ほどの電子機器──スマートフォンのことを思いだしたのであった。
     うんともすんともいわないスマートフォンを充電し、長谷部は初めてその端末の電源をいれた。とくにこれといった目的があるわけでもない。ただなんとなく、検索サイトの画面を開いてみて、入力欄にフォーカスする。点滅するカーソルをながめながらしばらく考え、長谷部はおずおずと入力した。
    『へし切長谷部 主 好き』
     ほどなくして出てきた結果の一覧、最上部に出てきたのは、『へし切長谷部は主が大好き! それって本当?』と書かれたサイトだ。俗に言う『いかがでしたかブログ』である。
     ──ふん、くだらん。調べるまでもなく本当に決まってるだろ、誰がこんな当たり前のことを疑ってるんだ。ばからしい。
     そう思いながらふたたび一覧に戻り、スクロールしてほかを見る。
    「これは……」
     その文字列が目に飛びこんできた瞬間、長谷部は思わず声をあげていた。
    『へし切長谷部を好きになってしまいました』
     震える指でリンクをタップしてみると、開いたのは
    Q&Aサイトである。

    『へし切長谷部を好きになってしまいました』
     近侍を任せているへし切長谷部のことを、気がついたら好きになってしまっていました。長谷部は普段から好意をほのめかしてくれますが、それはやっぱり僕が主だからですよね? それともワンチャンあるのでしょうか。長谷部と恋愛経験がある人がいたら教えてください。ちなみに男です。

     おとこ、と長谷部が口の中でつぶやく。なぜだか急に喉がからからに渇きはじめていた。

     ベストアンサー 相模丸さん
     セクハラになる可能性あるし、変なことしないほうがいいと思うよ。知人の本丸がブラック本丸として検挙されたからこれはマジ。あと、長谷部に告白してOKもらえたから両思いだと思ってたら、主命として受け取られちゃってた、みたいな話も聞いたよ。こんのすけの監査が入ってパワハラ警告されたんだってさ。悪いことは言わないからやめときな。

     長谷部は思わず目を覆った。
    「なぜだ……!」
     確かに、そう確かに、主から好意を告げられたとして、その主に対して恋愛感情を持たない長谷部ならば、主命として受けてしまうかもしれない。そんなことはありえないと言えないのが悲しい。しかし、それを理由に諦められるなんて、あまりにもつらい。相手の長谷部も主のことを好きだったらいったいどうするのだ。
     それにしても、と長谷部はもういちど質問文を読みかえしながら思う。
    (こんなことがあるのか……)
     玉砕した己とは違い、主のほうから一方的に思いを寄せられる長谷部というのも世の中には存在するのだ。……まあ、いないということはないだろう。世界は広いのだから。であるならば、中には恋仲となっているものたちも存在するのではないだろうか……?
     長谷部はひさしぶりに胸の高鳴りを感じていた。こんなにドキドキしているのは、茶菓子を食べようとして伸ばした手が審神者の手とぶつかったとき以来だった。
    「……あ! も、申し訳ありません、主」
    「んーん」
     思えば照れちらかす長谷部をよそに、審神者は平然としていたものだった。あきらかな脈なし仕草だったというのに、恋をしている最中はわからないのだから罪なものである。
     ──それはさておいて。
    「ほかに、ほかにはないのか……、似たような相談は……」
     スクロールすると、関連度の高い質問としてへし切長谷部に対する恋の悩みがいくつか出てきた。その中で、長谷部は女の審神者と思われる内容をタップしてみる。

    『長谷部に告白しようと思っています』
     肥前国の審神者です。このあいだ学校の創立記念日で休みになったとき、長谷部と一緒に花見をしたんですが、そのとき急に長谷部のことが好きだなあと気づきました。長谷部もたぶん、私のことは嫌いじゃない……と思うんです。演練先の長谷部と比べてもすごく優しいし、このまえふざけて手をつないでみたら真っ赤になっててすごくかわいくて、これってたぶん脈ありですよね でもやっぱり確実にいきたいので必勝法を教えてほしいです。

     ベストアンサー とよのか一期さん
     長谷部は近侍にしてる? やっぱ万屋デートに誘って、ふたりっきりのときに告白するのがいちばんだね☆ 向こうも脈ありだったらどこで言われてもよろこぶだろうけどせっかくだからロケーションのいいとこで告白したらいいんじゃない? 必勝法かどうかは分かんないけどね(笑) がんばれー! 結果報告待ってるよ!

     長谷部は目を瞬かせ、震える指でスクロールする。その下には質問者からの返信があった。

     ありがとうございます! 万屋デートで一緒にお買いものしてデザート食べて、帰り道の桜の下で告白しました! このあいだの花見の話から、好きだと自覚したことをそのまま伝えました。そしたら長谷部がびっくりした顔で固まっちゃって、しかも泣いちゃって……。そんなに嫌だったのかなと思って涙目になってたら、うれしくて涙が出てしまった、自分も同じ気持ち、って感じのことを言われました。安心したら私も泣けちゃって、ふたりでしばらく泣いててほかの人にすごく見られちゃいましたw そのあと一緒に手をつないで帰って、和泉守さんにからかわれました。でも、うまくいってよかったです! とよのかさん、そして答えてくれたみなさん、ありがとうございました!

     長谷部は読み終えた瞬間、つう、と頬を滑り落ちるあたたかいものに気づいた。
    「これは……涙……」
     まるで深い悲しみに暮れるあまり何年も涙が涸れてしまっていた悲劇の主人公のような台詞を口走り、呆然としながら袖で頬を拭う。
    「くそ、止まらん……」
     拭っても拭ってもこぼれおちる涙に困惑しながら、先ほどの返信にもういちど目をとおす。
    「なんて……尊いんだ……!」
     気がつくと長谷部は拝みこむように合掌していた。なぜ自分がそのような行動を取るかもわからなかったが、心には確かに春の息吹があった。
    (この、質問した審神者はおそらく十代の娘だ……。学校、と書いてあるから間違いないだろう。詳しい年齢は不明だが、そういうことならこの長谷部はさぞ主のことを大切に見守っていたことだろうな……。審神者に就任したのがいつなのか、どのくらい経っているのかもまったくわからんが、すごく優しいとあるし過保護なくらいだったのだろう。目にいれても痛くないほど大切にしていた主がある日ふと、『俺』への恋心に気づいたという……。よろこばないはずがない。それに、仮にだ、仮にこの長谷部がこの審神者と長いつきあいで、もっと幼いころから見守っていたとするなら、いろんな感情が去来したことだろう。主の成長がうれしい反面さびしくもあり、同時にほかの誰でもない『俺』を恋の相手に選んでくださったという感激……! 俺がこの長谷部の立場だったとしても泣いているはずだ、なんという、尊さ……)
     長谷部は感動に打ちふるえながら画面をスクロールし、もういちど質問文からすべて読みかえし、改めて涙した。
    「こんなことがあるのか……。こんな、ことが……」
     まさしく青天の霹靂であった。
     己は恋路に破れて玉砕した身であるが、世には心を通いあわせた審神者と長谷部もいる。嫉妬──それがまったくないといえば嘘になるだろう。
     しかし長谷部は幸か不幸か想像力が豊かだった。他刃のエピソードをまるで自分のことのように感じ、文面にないことまで勝手に補完して味わうことすらできた。
     ──もっと審神者と長谷部の話を見たい。
     そうやって検索していた長谷部が『そこ』に行き着くのは、必然といっても過言ではなかった。
    「なんだ、これは……小説……?」
     実録の恋愛相談を中心に探していたはずの長谷部だったが、何個目かのリンク先でこれまでとはようすの違うサイトに辿り着いた。
     主人公の女審神者の軽妙な語り口で綴られたその物語は、どうやらへし切長谷部との恋愛小説のようであった。笑いあり涙ありすれ違いあり、しかし最後にはすべての問題が綺麗に解決し、文句なしのハッピーエンドでしめくくられている。ひかえめに言って最高だ、と長谷部はまぶたを腫らした。
     そう、これこそが彼の『へしさに夢小説』との出会いだった。

            💮

    「長谷部が本当にやばそうだからさあ、わたし考えたんだけど、ペットのお世話をしてもらうっていうのはどうかな? ほら、長谷部って責任感が強いから、わたしからプレゼントしたペットだったら大事にかわいがってくれると思うのね。それに、自分がこのこの世話をちゃんとしてあげないと死んじゃうかもしれない、みたいな適度なプレッシャーを感じてもらいつつ、健全な共依存関係でも作って日々の生きがいにしてほしいというか。でねまんばちゃん、長谷部ってどんな動物が好きだと思う? 室内で飼える程度のサイズ感で、猛獣とか希少生物とかあんまりお値段が張らないやつがいいんだけど」
    「あんた、考えることがいちいちド畜生だな。戦に向いてるぞ。よかったな」
    「なんて?」
     審神者がまたろくでもない──言い分こそひどいものだが理屈はわかるしアニマルセラピーと考えれば一概に悪いとは言えない──提案をしたことで山姥切は頭痛に苛まれていた。審神者を適当にいなしたのち、出陣の命のもと向かった元寇・博多湾でまじまじと見た長谷部はあからさまに寝不足な顔をしていて、今度は胃がキリキリしてくる。こいつはついに不眠症までわずらってしまったのか、と思った。
     ところが、顔色の悪さとは裏腹にその日の長谷部は刃のキレがよかった。四肢に力が入っていて、眼差しにも光がある。ひさびさに誉も取った。
    「今日の長谷部さん、調子が良いみたいです。よかった……」
     五虎退がそう言ってちいさく微笑むのにうなずき、山姥切は長谷部の背中をふしぎな心もちで見つめる。
    「なにか心境の変化でもあったのか」
     声をかけると、ああ、と長谷部が振りかえった。まぶたは腫れているが、どこかすっきりとした表情だ。
    「すこしな」
    「……そうか」
    「おまえには心配をかけてすまない」
     すれ違いざまに長谷部が山姥切の肩を叩きながら言う。
    「もう、だいじょうぶだ」
    「……」
     ちらりと口の端に笑みを浮かべた長谷部を見て、山姥切も安堵した。なにがあったかは知らないが、立ちなおるきっかけのようなものを自分で見つけたのだ。それはとてもよろこばしいことであるように思えた。
     帰城してさっそく戦況の報告がてらにその話をすれば、審神者は驚いた顔をして山姥切を見た。
    「ええ、立ちなおっちゃったの?」
    「……」
     残念がるような言いかたに、どこまでこの女は外道なんだ、と思う。
    「そっかぁ⌇⌇立ちなおっちゃったか。燭台切にカウンセリングしてほしかったんだけどなぁ……」
    「あんたには人の心がないのか?」
    「なんて?」
     審神者はひとしきりぼやいたあと、なにか思いついたようすではっと顔をあげた。
    「もしかして、ステルス燭へしの可能性」
    「ステルス燭へし」
    「わたしたちの目には見えないところで燭へしがはじまってたりするのかも!」
     つまり、他本丸に所属する燭台切光忠との交流、またはネットという匿名空間で互いに素性を明かさないまま知り合っている可能性があるのでは、というたぐいの妄想であった。
    「よその本丸との燭へしか……。それももちろんおいしいんだけど、わたしが観測できる範囲を超えてしまうのが悩みどころなんだよね。できれば内々でやってほしさがあるんだけど……」
    「報告は以上だ。部屋に戻る」
    「待って待ってまんばちゃん! わたしの推理を聞いて!」
     布を掴まれて引きとめられ、山姥切は心底うっとうしげに顔をゆがめた。
    「あのね、燭台切は社交的で穏やかで誰とでもうまくやっていけるような刀なんだけど、とくにその包容力やカウンセリング力っていうのは長谷部に対して働くの。お互いに需要と供給をカッチリ満たす相性なのよね、たぶん……。悩める長谷部の心を救い光の中に連れもどしてくれるのは燭台切光忠しかいない! ハイスペックイケメン! スパダリ! イエス!」
    「帰っていいか」
    「ノンノン! だから今回のこともきっと、どこかの燭台切が長谷部のために力を貸してくれたんだと思う……。とってもハートフルな燭へしの序幕がたったいまあがったばかり! 素敵……でも惜しむらくは、わたしがそれを特等席で見ることができないってこと……。でね、考えたんだけど、やっぱり鍛刀なり拾得なりしてはやく燭台切を顕現させて、いま動きだしている物語を序章の序章にしてもらわないといけないなって! 燭台切は優しいから困ってる長谷部をほうっておけない、だけどそれが必ずしも恋愛感情による優しさかというとそうではなくて、失恋の傷を癒やしてもらった長谷部としては感謝とともに淡い恋心を持つかもしれないけど、君が愛すべき相手は本当はもっと身近にいるんだよ──っていう流れでね?」
     他者の人生──もとい刃生を自分にとって都合の良い物語として消費しようなど、言語道断だ。罪悪感皆無で、いちじるしく良心が欠けている……この女はサイコパスなのではないか。
     山姥切はうんざり息を吐き、審神者のノンブレス妄想を右から左へ流した。

            💮

     へしさに夢小説と出会ってから、長谷部の刃生は輝きを取り戻していた。無色の景色はふたたび華やかに色づき、心が瑞々しくはずむ。
     毎日、やるべきことを終えたあとに、部屋にこもってひたすら夢小説を読みあさる。この時間は長谷部にとっての至福であった。情動をゆさぶるすばらしい作品と出会えることに感謝をし、作者に最大限の敬意を払いながら、心の滋養をかみしめる。まさしく、長谷部はへしさに夢小説に救われていたのだ。
    (すばらしい話だった……。少々堅物すぎる長谷部が主の優しい心にふれてすこしずつ信頼を深め、最後には思いを確かめあう……最高だ……雨にふられて入った待合茶屋の場面では主の濡れた髪からしたたるしずくとうなじが扇情的で……尊い御方にふれてはいけないが抱きしめあたためてさしあげたいという葛藤が我がことのように伝わってきた……あまりにも良すぎたな……)
     長谷部の食指が動くのは基本的に全年齢向けの話である。年齢制限つきの話は長谷部にとって刺激が強すぎるうえ、少々どぎつく感じられるものが多いからだ。文章内にやたらとハートマークが乱舞して審神者がアヘアヘしている話を見ると、ひどく居たたまれない気持ちになる。そういうものはあまり好ましいとは言えなかった。
     年齢制限つきでもかろうじて読めるのは直接的な描写のすくないしっとりとした話で、耽美傾向が強い話など、情感たっぷりに編まれる文章はブックマークして何度も読みかえした。
     このように、さまざまな作品を読んでいるうち、己の好む話の傾向もなんとなく見えてくる。
     長谷部はハッピーエンド厨だった。バッドエンド、ビターエンド、メリーバッドエンドのたぐいはまったくもって受けつけない。ラストでふたりが幸せにならなければひどく腹が立った。
     ときおり見かける『ヤンデレ』や『神隠し』は苦手である。長谷部が主の意向を無視して好き勝手にいろいろとしようとする話を見ると、つい刀を抜きたくなってしまう。
     夢小説を読みすすめるにつれ、長谷部はゆるゆると『地雷』という概念を理解しつつあった。偏屈で狭量な読み手であるため、苦手とする話は前段のように決してすくなくないのだが、中でもいちばん『地雷』と呼ぶにふさわしいものがひとつある。
     燭台切光忠だった。
     この刀、なぜだかわからないが、長谷部の同僚として頻繁に小説内に登場する。長谷部くん、などと馴れ馴れしく呼び、やたらと関わってくるのだ。
     それでもはじめのうちは良い刀だと思っていた。審神者と長谷部がすれ違う際にこまやかなフォローとサポートをしてくれて、うまく仲を取り持ってくれるような役まわりが多く見られたからだ。
     それが『地雷』に発展したのは、『燭さに』の存在であった。
    「はあ なんだこの展開は!」
     長谷部は思わず目をつりあげて叫び、端末を畳の上にほうりだした。
     その小説には『へしさに』のタグしかなかったはずだ。だというのに、読んでみると最後の最後で燭台切が現れて、「きみが本当に愛しているのは誰か、もうわかったよね……?」などとぬかしながら審神者の唇を奪ってどこかへフェードアウトしてしまったのである。
    「なんて業深い……! これを書いたのは地獄からの使者か……」
     さらには『藤蜜サンド』というタグの小説を意味もわからないまま読み、要するに審神者が燭台切と長谷部に挟まれてイチャイチャする話だということを悟ったときには、思わず端末の画面を爪でがりがりと引っかいていた。
     へしさには読みたい。しかしなぜ、この刀と競いながら審神者を取りあう展開を読まなければならないのか。一夫一妻、ひとりには一振りが基本のはずだ。審神者の目が長谷部だけに向けられていないことにも腹が立つ。
    「燭台切光忠……燭台切光忠め……!」
     たまりかねた長谷部は血眼で庭に出て、おもむろに巻藁を立てた。
    「はあッ」
     居合斬りから逆袈裟斬り、水平斬りと三連撃を繰りだす。すぐに斬るところがなくなった巻藁をどかし、また新しく立てる。
    「おのれ! 燭台切、光忠ァ」
     まだ見ぬ刀に激怒しながら振るう刃の切れ味ばかりがますます冴えていく。
     ──そのようにして、長谷部は最終的に五〇本以上の巻藁を切りきざんだ。  

            💮

     山姥切は庭で発憤して巻藁相手に鍛錬する長谷部を見て、なにかを察知した。聞けば燭台切光忠、と叫びながら刀を振るっている。
     ──本当にステルス燭へしとやらが進行しているのか……?
     山姥切にはオタク心が分からぬ。しかし刀一倍本丸内の機微には敏感であった(そうならざるを得なかった)。
     以前、太郎太刀に長谷部を頼るようすすめたのも山姥切であり、初期刀として近侍として、いたらぬ審神者に歪んだ好かれかたをしている長谷部のことを気にかけずにはいられないのだ。
     ──主はめちゃくちゃなことばかり言うと思っていたが、案外、燭台切の存在が長谷部を支える柱になるという話は的を射ているのかもしれない……?
     などと考えつつ、しかし、長谷部の不穏なようすを看過できるほど山姥切もお気楽ではない。なんとも言いあらわしがたい一抹の不安を抱えながら、このことは審神者には敢えて言わないでおこう、と胸にしまって日々をすごしていた。
     そんなある日、順調に攻略の進んでいた部隊は池田屋の事件をおさめるべく幕末の京都へ進軍した。いままでになかった夜戦という機会。編成には大太刀や太刀のかわりに短刀と脇差を中心として、二刀開眼などの戦法ももちいつつ、市中を駆けめぐった。
     そのさなか、部隊は一振りの太刀を拾得した。ひろってきたのは長谷部である。暗がりの中、とくになんの意識もせずひょいと掴んできた太刀であった。
    「主への手土産だ」
     と言って部隊長である山姥切に手渡そうとし、長谷部は改めてその太刀をまじまじと見、表情を変えた。
    「おい、どうした。渡せ」
     山姥切が手を差し出すと、長谷部はさっと太刀を持った手をひく。
    「やっぱりこれは棄てよう」
    「は?」
    「この太刀はよくない。たぶん不良品だ」
    「おい、なにを言ってる」
    「たぶん空だ。中身のない音がしている」
     缶でも振るかのように太刀をおもいっきり振り、長谷部が言った。あきらかに奇妙なふるまいをしている。山姥切は胡乱げなまなざしを向けた。
    「あんたらしくないぞ。そういう判断をするのは主の領分じゃないのか」
    「いや、俺にはわかる。こいつはだめだ、棄てよう」
     言って、長谷部はおもいきり振りかぶった。
    「待て、長谷部──!」
     制止もむなしく、球速一七〇㎞をゆうに超える剛速球を放つ強肩で長谷部は躊躇なく太刀を投げきった。思わず山姥切は叫んだ口の形のままで固まる。呆然としたのも束の間、山姥切の耳に、ギャッというちいさい悲鳴が飛びこんできた。
    「なんだこれは」
     見れば、狼狽する長谷部の腕に江戸紫色の下げ緒がしっかりと絡みついているではないか。
    「見ろ山姥切! 物の怪だ、物の怪! 気色の悪い……!」
    「落ち着け。それを言うなら俺たちも物の怪だ」
    「まだ顕現もしていないただの依代風情が、ええいくそ、離れろ、貴様」
     目を剥いて下げ緒と格闘する長谷部だが、抵抗すればするほど激しく絡みつき、鬱血するのではないかと思うほどに腕を締めあげる。見かねた山姥切がほどくのを手伝おうとしたが、二振りがかりでもかなわなかった。
    「長谷部さんがすてるなんて言うから、いやがってるんですよ、きっと……。かわいそうです……」
     五虎退が虎を撫でながら言う。
     かくなるうえは、と長谷部が己の右腕ごと切り離そうとしたので、山姥切は慌てて長谷部の頸動脈を締めあげて落とし、骨喰の手を借りながら馬の背に乗せ、ようやく帰城したのであった。
    「あら! あらあらあら、あら⌇⌇っ♡♡」
     どうしても下げ緒がほどけなかったので、長谷部ごと拾得物として献上すると、審神者は己の頬を手で押さえながら喜色満面の笑みを浮かべた。
    「なあにこれは? どういうことなの?」
    「は……、それがこの面妖な太刀、どうにも腕にしがみついて離れないもので……」
    「長谷部のことを気に入ったんだよね♡ そうでしょ、燭台切?」
     声をはずませながら言う審神者に、山姥切はようやくいろんなことに合点がいった。
     長谷部はやはり燭台切に対してなんらかの悪感情を抱いており、本丸に迎えるのがいやで棄てようとしたのだ。審神者がこの状況をよろこぶのは……説明するまでもないとして。燭台切のほうはよくわからない。まだ付喪神を降ろしてもいないただの依代のはずだが、五虎退の言うとおり棄てられまいと抵抗した結果なのだろうか。
    「これは、とてもはげしい運命の予感……♡」
     うっとりと言う審神者に、長谷部はなんともいえない顔で目を細めている。いまにも目を剥いて「冗談じゃない!」と叫びだしそうなようすだったが、審神者の手前、まだ我慢しているつもりのようで、下まぶたがこまかく震えていた。
    「手土産をそのようによろこんでくださるとは……、臣下冥利につきますね。どうやら主はこの刀の顕現をひどく心待ちになさっていたようですし……」
     言いながらわなわなと口角が引き攣っている。長谷部の背で嫉妬の炎が音を立てて燃えさかっているのが山姥切には見えた。──完全にすれ違っているのだが、どうも当人たちは気づいていないらしい。
    「名残惜しいかもしれないけど、このままじゃ顕現できないからほどくね。うふふ」
     審神者が上機嫌にそう言って下げ緒に指を絡めると、嘘のようにするりとほどけた。それを見た長谷部がいっそう殺気を帯びた目で太刀を睨みすえる。
    「ごめんね長谷部、ちょっとだけ借りるね。すぐに返すから!」
    「……はい」
     いちど袖にされたとはいえ、長谷部は審神者のことをいまだ恋い慕っているのであり、その感情が薄れるはずもないのである。だがそうした可能性に気づきもしない審神者は愚かというのか人間らしいというのか、刀の心というものがまるでわかっていない。すでに『燭へし』というラブロマンスがはじまったものだと思いこんでしまっている。山姥切は傍からそれを見て、キリキリと胃を痛めた。
    「僕は燭台切光忠。青銅の」
    「ありがとう! ようこそ我が本丸へ」
    「えっ? うん……」
     審神者に手を握られ熱烈な歓迎を受け、顕現した燭台切が戸惑った声をあげた。山姥切の隣で、皺になりにくいはずの上質な生地のカソックをぐしゃぐしゃになるほど握りしめた長谷部が、静かに青筋を立てている。
    (あの新刃、きつくいびられるかもしれない……)
     なにも知らない審神者が城の案内を長谷部へと差し向けた。長谷部はひどくぎこちない動きで立ち上がり、「拝命いたしましょう……」と常よりもいちだんと低い声でこたえる。
    「お、俺も! 俺も一緒に、いいか」
     挙手しながら山姥切が言えば、審神者はしたり顔で首を横にふる。
    「まんばちゃん、あとは若いふたりに任せて……ね?」
     なにを言っているんだ、そういうことじゃない、と慌てる山姥切をよそに、燭台切はにこやかに長谷部へ近づく。
    「よろしく、長谷部くん」
     社交的で穏やか、人好きのする笑み、なるほど審神者が言っていたとおりの温和な個体らしい。
    「ああよろしく、燭台切」
     握手を求めて差し出された手を握り返すと、長谷部がにっごりと笑う。燭台切の黒手袋を嵌めた手がみしみしと握り潰されているのを山姥切は見逃さなかった。
     瞬時に、山姥切の頭によくない妄想が駆けめぐる。
    「ここが鍛錬所だ」と言って炉に燭台切を蹴り出す長谷部の姿、「ここが井戸だ」と言って井戸に燭台切を突き落とす長谷部の姿、「池だ」と言って燭台切に足払いをする長谷部の姿、「厩舎だ」と言って燭台切の頭を掴み馬糞の山に突っこませる長谷部の姿──もう無限に想像できてしまう。
    「待て、長谷部、燭台切! 俺も行く、俺も……っ」
    「だめよまんばちゃん、邪魔しちゃだぁめ」
    「放せ! あいつらを二振りきりにさせたらどうなるか……!」
    「あらっ、横恋慕? もしかしてまんばちゃんも長谷部のこと……」
     なんでこんなろくでもない女が主なんだ、と山姥切は心の中で何度目かもわからぬ叫びをあげた。

            💮

    「……はっ」
     チチチ、と小鳥のさえずる声がする。髪の毛をくちばしでつつかれ、ちいさな足でふみふみされて、燭台切は困りきった調子で「いたいなあ」とつぶやいた。
    「えーと、昨日はなにがどうしたんだっけ……。あ、そうだ、長谷部くんに本丸の案内をしてもらってたはずなんだけど……?」
     気づいたら燭台切は木に縛りつけられ、雑木林の中で放置されていた。
    「よくおぼえてないけど、うーん……、ちょっとこれは、困ったなあ」
     僕の頭は巣じゃないんだよ、と言って頭をふると、頭上でパタパタと小鳥がはばたき羽毛を落とした。
    「なんでかわからないけど、長谷部くん、すっごく怒ってたな……。僕のことが嫌いだって言ってたけど、なんでだろう? 僕、彼になにかしたかな? 仲よくなりたいんだけどなあ……」
     舞い落ちてきた羽毛にくすぐられ、くしゅ、とくしゃみをする。夕刻になって血相を変えて駆けつけてきた山姥切に助けられるまで、燭台切は林の中で鳥の巣になっていた。
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