『散歩、寄り道、鬼ごっこ』 群れが出るなんてめずらしい。
イーターが出現する予報だって無かった。
避難を促す緊急サイレンの音を聞きながら、北村倫理は「わぁお」と小さく呟いた。
学校帰りの散歩途中に見かけた幼生体を追いかけるうち、山裾の林の中へと誘い込まれた。誘われたわけではないかもしれない。けれど林の地面を覆う乾いた草を踏むうちに、木陰に潜む数十の幼生体を見つけたのだから、結果として彼等の住処に招待された形だ。
「君たちにとっては招かれざる客、かな。ごめんね。招待状をもらったことはないんだ」
肩をすくめる仕草と一緒に、手のひらにしのばせていた石を握り割る。
裾の長い赤い戦闘服。山中ではすぐ泥に汚れる真っ白なブーツ。ふわりとなびく黒いマフラー。都会と違って林の中では姿を映す鏡や窓がないので自分がどんな格好をしているのか、北村倫理にはわからない。けれど知っていた。
――――ヒーローの姿だ。
ガサッと地面を蹴って走り出すと、幼生体の群れも一斉に同じ方向へ動き出した。動きが統制されている。
(ってことは、ボスがいるのかな)
黒い手袋に覆われた掌に生成したナイフを複製する。一本。二本。四本。八本。十六本。一呼吸ごとに倍化させたナイフを、腕の一振りで走らせる。視線上の直線という制限はあるものの、その一波で十三体の幼生体が消し飛んだ。三本はずれ。
木の幹にぶつかったナイフは回収せずに、ゆるい登りの斜面を駆ける。生成した武器は本人から一定距離、一定時間離れると、自然と消えてしまう。そういう仕組みだ。イーターが消える時同様、測定不可能なほど小さな粒子に還元されたエネルギーは本人に戻らないが地球に溶けてゆく。
ナイフ一本のままのほうが攻撃力は高いが、倍化させればそれだけ多くの幼生体を同時に潰せる。変身したヒーローの徒手の攻撃で消し飛ぶ程度の幼生体なら、十六分割でおつりがくる。
幼生体の群れは林をすり抜け、山を上へとのぼっていく。
北村は掌でナイフを生成しながら追いかけた。十六分割したナイフを数本ずつ投げては、群れから遅れた幼生体を仕留めていく。
「楽しくない鬼ごっこだね」
呟きながらも、ナイフを投げることはやめない。
逃げる群れと追いかける鬼。遅れた個体から、鬼に喰われていく。仲間が討たれても幼生体の群れは振り返ることも反撃することもなく、ただただ追いかけてくる者から距離をとろうと逃げていく。
イーターに指向はあれど思考があるのかは未だ解析されていない。けれど弱った個体を捕食・吸収して己のエネルギーに転換する習性があることは知られている。幼生体が集合、合体してより大きなイーターに変態するのもそれと同じ理屈らしい。
だからかな、と北村はわずかに目を細めた。
群れの餌にもなれない個体は顧みられず――見捨てられて、塵となる。
斜面の向こう側に立ち並ぶ木々の隙間に空が見えて、北村は移動速度を上げた。
イーターの群れが、民家のある山裾から離れるのは好都合だけれど、特定の行動は指向型イーターの指示の可能性がある。北村は脳内に地図を広げた。このまま斜面をのぼり、尾根をたどった先には――電波塔がある。
「おいおい、勘弁してくれよ。今日は話題沸騰の大人気ドラマの最終回だぜ! まあボクは初回から一度も見たことないんだけどね!」
移動速度を上げながら、北村はまた十六分割したナイフを一斉に投げる。今度は一本もはずれなかった。群れは半分以上削ったけれど、まだ両手の数ほど残っている。次の生成と分割で仕留め切れる。
「逃がさないよ!」
両掌で同時にナイフを生成して分割する。
走り続けて尾根に出る。木々がまばらになり、視界が開けたその一瞬を狙って、ナイフを投げた。閃く刃は幼生体の群れの最後の一握りを消し飛ばした。
追いかけていた群れは消えた。
その名残の黒い塵の中を駆け抜けて、北村はさらに尾根の上を目指した。
イーターの警報は、幼生体の一定数以上の集団出現でも反応する。けれど幼生体の目指していたその先に、未だ姿の確認できていない中型以上のイーターがいる筈だった。事実、イーターの出現を報せ、避難を促すサイレンはまだ鳴り続けている。
途中、群れからはぐれたのか、もとからそこにいたのかわからない幼生体を数体仕留め――ついに北村は尾根にそびえる電波塔に辿り着いた。
木々を切り払われた山肌に複数の電波塔が群れて佇んでいる。その周囲にふわふわと小さな幼生体が漂っていた。
そして一番高い電波塔のてっぺんに、中型のイーターが鎮座していた。
細いアンテナを掴んでふもとを睥睨する様子はどこか昔の映画の一場面のようだ。
(……ま、そんなの見たことないんだけどさ)
中型イーターは、北村のほうを振り返らない。
都合がいいのか悪いのか――特定のものにだけ執着を見せる指向型イーターの場合、そちらへと飛んで行かれたら追いかけるのが大変だ。
「やあ、こんにちは!」
朗らかに話しかけてみるが、反応はない。
試しに分割したナイフの一つで電波塔の近くを漂っていた幼生体を撃つ。
消し飛ぶ幼生体に、中型イーターは見向きもしなかった。
「あらら。ほんとに無反応だ。ボクごときは相手にしたくないってことかな。それじゃあ、素直にやられてくれるかい?」
呟き、北村は、たん、と地面を蹴った。電波塔の半ばに飛びつき、鉄骨を伝ってするするとのぼっていく。ビル数階分ほどの高さがあるけれど、リンクユニットを割って強化されたヒーローの身ならば問題はない。たとえ落ちたところで骨も砕けなければ内臓だって破裂しない。だから躊躇なく鉄骨を掴み、上を目指す。
北村の投げナイフならば地面からでも攻撃はできるが、威力が落ちる。地面と水平に投げるならばまだしも、重力に逆らって上に投げるとなれば余計に威力は落ちてしまう。
中型イーター相手に、投げたナイフではずれを出すわけにはいかなかった。
都会のヒーローのようにチームを編成し、フォーメーションを組んで連携するような戦術は北村には選べない。イーターをこの場から逃がしては追いかける間に被害が出かねない。
だから最速で、最大火力で仕留めるだけだ。
アンテナに捕まる中型イーターまで、あと数メートル。
(この距離なら…!)
北村が掌にナイフを生成した瞬間、唐突に中型イーターが北村に顔を向けた。地球上の生命のものとは異なる、視線の読めない光るだけの眼球――あるいはそれに類する器官が、発光を強める。そうして牙の生えた口のような器官ががぱりと開いた。
「―――オオオオオオオオオオオ!」
空気を震わせる振動を真正面から浴びて、北村の身体がのけぞった。危うく鉄骨から転げ落ちそうになったので――わざと手を放し、数メートルを落下する。そうすることで中型イーターから距離をとり、再度、鉄骨にしがみついた。
がしっと鉄骨を掴んだ左腕から肩にかけて落下速度と体重が一気にかかって身体がきしむ。思わずこぼれたうめき声を飲み込んで、すばやく足をからめて肩の負担を減らした。
北村がぱっと顔を持ち上げると、中型イーターは北村を注視していた。
否、その格好のままで再び硬直したように止まっている。
「うっひゃあ! 『距離』かよ!」
悲鳴混じりの声を上げ、北村は歯ぎしりする。
一定範囲に接近した相手を攻撃するらしい。
「だけど――そういうことなら、ボクとの相性抜群だね」
北村は片手で鉄骨を掴んだまま、もう片方の手のひらでナイフを倍化させた。十六分割。
投げたナイフが数メートルの距離まで近づくと、中型イーターは再び動いた。大きな爪のように歪曲した腕を振って飛んできたナイフをまとめて払いのける。そうして鉄骨の下に向かって、ぐいっと身を乗り出してきた。
北村は再度ナイフを投げた。今度は八分割。再びナイフは全て振り払われ、腕に払われなかったナイフも硬い表皮に弾かれて消し飛んだ。中型イーターが建物一階分、鉄骨を下りてくる。北村もするりと鉄骨の下へ移動しながら、ナイフを造った。
四分割したナイフを投げる。
中型イーターが腕を振るう。その腕にナイフは振り払われず、突き刺さっていた。それに気づいた中型イーターが咆哮する。
にぃ、と口の端を吊り上げて北村は目を細める。
「オッケー! 通る、ね」
ははっと笑いながら、北村は鉄骨から両手足を放した。身体が自由落下する。建物三階分の高さから地面にぶつかる直前に、北村はくるりと身をひねって一回転し、衝撃を殺して着地した。同時に電波塔から距離をとって数歩駆ける。
「それじゃあ、鬼ごっこを始めようか! 鬼さん、こちら! 手の鳴るほうへ! ってね」
ぱぁん、と手袋に包まれた掌を叩き鳴らして、北村はナイフを生成した。両掌に一本ずつ。すれ違うように交差させて倍化させた四分割のナイフを、中型イーターめがけて投擲する。
電波塔の上部にいた中型イーターは避けようと身をひねったものの、避け切れずに三本のナイフを喰らった。咆哮し、すばやい挙動で電波塔を下りてくる。その光る眼が、北村のいる方角を捉えていた。
地面に近い場所まで下りると、中型イーターは宙を滑るように距離を詰めてくる。
北村は中型イーターの正面を避けて横に逃げた。咆哮に伴う空気の衝撃波は、最悪、脳震盪を起こしかねない。まともに食らいたくはなかった。
中型イーターの突撃を回避しながら、側面に生成したナイフを二本撃ち込む。同時に反対側の手で最小限まで分割したナイフを、電波塔のまわりに散らばる幼生体めがけて投げた。
中型イーターの相手をしているうちに、残りの幼生体が集合して新しい中型イーターが発生するような事態は避けなくてはならない。そのためには――そして目の前に相対する中型イーターが仲間を捕食して変態する危険を避けるためにも、目についた幼生体も全て潰す必要がある。
「うっひゃあ、大忙しだ! 一対複数の鬼ごっこだなんて卑怯だと思わないかい? 数が少ないほうがいつだって不利なんだ。ま、いつでもぼっちのボクにはぴったりなシチュエーションだけどね!」
中型イーターが咆哮する。
北村は横に転んで衝撃波を回避した。背後にあった細い立ち木がへし折れる。姿勢を低くしたまま走り出すと同時にナイフを投げる。ナイフは中型イーターの側頭部に命中した。それに応じて、中型イーターがぐるりと頭部を動かす。
(なるほどね)
北村は掌の中でナイフをぱしりと握り直した。ナイフを投げれば、その動きに反応してカウンターで攻撃してくる。攻撃するまではこちらを向かない。
(目が見えていないってことでいいのかな。どっちにしろ、一度にもっと叩きこまないと全然ダメージ入らないってことかな)
軽く肩を竦めて、北村は握ったナイフを分割する。
その隙に突撃してきた中型イーターの攻撃を回避したはずみで、手のひらから生成したばかりのナイフがこぼれた。けれどそれには構わず、その場から跳んで中型イーターから距離をとる。
掌ではナイフを複製し続けた。
威力を細かく分割したナイフを周囲に漂う幼生体に投げることも忘れない。そのうちの一本、二本がたまに中型イーターの近くを通り抜けたはずみで、中型イーターが北村の位置を補足した。
ナイフを生成する。分割する。
攻撃する。攻撃される。避ける。
生成する。攻撃しつつ次のナイフを生成する。攻撃を避ける。
躱されたナイフが地面に刺さる。構わず、次のナイフを生み出す。
地面を跳び、周囲の木立を盾にし、幼生体を潰しながら、北村は中型イーターが振り回す腕と咆哮を避けて駆け回る。白いブーツも戦闘服の裾もとっくに泥だらけだ。
けれどそんなのはいつものことだった。
都会と違ってこの地域は道路以外、コンクリートに覆われている地面のほうが少ない。イーターの出現頻度は高くないといっても、彼等が群れやすい林や川辺をパトロールしていれば、足元はいつだって泥にまみれている。
いちいち気にしてなんかいられない。
十六分割したナイフを電波塔に向かって放つ。集まりかけていた複数の幼生体が弾けて塵となり、あたらなかった幾本かは鉄骨にぶつかり、ギィン、と耳障りな音を上げて跳ねた。
跳ねたナイフに反応して、中型イーターが振り返る――北村に背を向けて。
北村はすばやく手元のナイフを分割した。
「目隠し鬼さん、手の鳴るほうへ――なあんてね」
パァン、と北村が手を鳴らすと、イーターに避けられ、弾かれ、地面に落ちていた数十のナイフが一斉に浮き上がった。
生成した武器は本人から一定距離、一定時間離れると、自然と消えてしまう。そういう仕組みだ。けれど消滅時間ぎりぎりまでその場に残された武器は、いつだって再操作できる。
最初に弾かれた武器の消失時間限界までかけて増やし続けた数十のナイフの切っ先を、北村は中型イーターの背中に向けた。周囲で一斉に動いたナイフの動きに気をとられ、どこに焦点を向けるか迷った中型イーターがうろうろと頭をさまよわせる。
北村は最後にもう一本、ナイフを生成した。
分割しない純度の高いエネルギー刃を中型イーターの背に投擲する。
「これで、最後だ!」
そのナイフの動きに従って、他のナイフも一斉に中型イーターめがけて飛んだ。ドドドドド、と土砂降りの雨のように鈍い音を立ててナイフが中型イーターの全身を刺し貫く。
「オオオオ…!」
穴だらけになった中型イーターは、咆哮の名残を残して黒い塵に変わる。
役目を終えた北村の武器もまた、淡い金の粒子となって掻き消えた。
さあっと山肌を撫でる風が、イーターと武器だったものをあっという間にさらっていく。それを溜息ひとつと共に見送って、北村は周囲を見回した。
乾いた土を踏みながら歩いて、電波塔の周囲をぐるりとめぐる。ふわふわと漂っていた幼生体を三体、投げナイフで仕留める。分割した残りのナイフを掌の中でじゃらりと鳴らしながら歩いていると、不意に身体がバランスをくずした。
盛り上がった土の草の株に足をとられたらしい。
転ばずなんとか着地したところで、ふいい、と大きく息を吹き出す。
「おっと、ちょっとがんばりすぎちゃったかな」
泥と汗の混じった頬の汚れを手袋でこする。
目を凝らして周囲を見回しても、動くのは葉を茂らせた木々くらいだった。幼生体はもちろん、猫の子一匹どころか狸だっていやしない。
今、この場で生きて動いているのは北村倫理ただひとりだ。
イーター警報のサイレンが鳴り止む。
ふと空を見上げると、いつの間にか空の半分が藍色に染まっていた。いつの間にか夕焼けも終わり、世界は北村をおいてけぼりにして夜になろうとしている。
眼下の山裾にぽつぽつと灯りが点り始めている。山の尾根を下る間にも周囲は真っ暗になってしまうだろう。
ふう、と息を吐いて、北村はリンクを解除した。
途端に手足がずしりと重さを増す。掌を見下ろせば擦り傷が幾つかできていた。戦闘服で手袋はしていたけれど、いつの間にか擦れていたようだ。この程度なら、すぐに治る。地球とリンクして戦うヒーローとはそういうものだ。袖やズボンに覆われた四肢もあちこち痛むけれど、きっとすぐ気にならなくなる。
「……治療する必要も隠す必要もないなんて、便利だね」
小さな呟きをひとつ落として、そっと口の端を持ち上げる。
そうして痛む腕を持ち上げて頭の後ろで手を組むと、革靴のまま尾根の斜面を下り始めた。リンクしたまま山を下ったほうが早く下りられる。けれど――…。
「散歩が途中だったしね。夜の散歩だって乙なモノさ」
ぽつぽつと、呟く言葉は宵闇の風にまぎれて消えていく。
薄暗い足元は見えないけれど、散々慣れた山の斜面だ。どういう角度が、どういう箇所が滑りやすいのか、土質はよく知っている。慣れていれば革靴でもどうにか歩けはするものだ。
それでも麓まで下りるのに、一時間はかかるだろう。
その頃には夜もとっぷりと更けているに違いない。そうして身体に負った傷もあらかたは治っているだろう。だから、時間をかけてゆっくり下りていかなくてはならない。
イーター警報のサイレンは鳴り終わった。町の人々はシェルターから家に帰り、夕飯を作って、話題沸騰の大人気ドラマの最終回を見て盛り上がるはずだ。
「――――お疲れさま、ヒーロー」
ささやく声に応える者は誰もいない。
さく、さく、と乾いた草を踏みながら、北村倫理は町を目指してゆっくり山を下りはじめた。