惜別のひ惜別の火
ゆらゆらと炎が瞬く。
だんだん細く、弱々しくなるそれをダンデは何も言わずただじっと見つめていた。
炎に照らされたその顔は20年前チャンピオンだった頃と比べ張りがなくなり、歳相応に目元には皺が浮かんでいる。
ゆらゆら、ゆらゆら
いつでも自分の行く先を照らしてくれた炎が、だんだん、だんだん細く小さくなっていく。
ゆら……ゆら……ゆらゆら
消えかけては、少しだけ持ち直す。
これをどれだけ繰り返したのだろうか。
炎が小さくなる度にひゅっと息をのみその様子を見守る。
もういい、もう無理しなくていい。
そういってやりたいのになかなかそういってはやれなくて、情けなく眉を下げれば、そんな顔をするなと言うかのように炎に力が戻る。
労るように、慈しむように、撫でてやれば乾いた鼻先が手のひらに押し付けられる。
ゆら…………ゆらゆら
鼻の奥がツンとなり泣いてしまいそうになるのを歯を食い縛り堪えれば、そんな俺をみてもうそんな力なんて残っていない筈の身体で首だけを起こしぺろりと頬を舐められた。
あぁ、なんて……なんて、愛おしく、頼もしい忠誠心に溢れた相棒なのだろう。
大好きだ、いなくなってしまうなんて嫌だ……嫌だ、それでも
「……っ、もう、もういい……苦しまないでいい、無理しないでいい……俺はもう大丈夫だから」
苦しむお前は見たくない、大事で唯一だから、こんなんにも俺を愛してくれているから……。
その献身に報わないなんて出来ないから。
震える声でそういいながらもたれ掛かるにすり寄ってきた頭を抱き締めてやれば、出会って初めて共に過ごしたあの夜のように甘えた声をあげた。
「お前は……暖かい、なぁ……」
きゅう……とずっと昔まだヒトカゲだった頃甘える時に出していたあの鳴き声で何かを語りかけてくる。
「うん……うん、大丈夫、怖くないよ、一人にしないよ…………忘れるわけなんかない。だってお前は俺の大事な大事な相棒なんだから」
大丈夫、大丈夫、安心させるように、自分に言い聞かせる。
「怖くない……怖くない……。俺がお前に嘘ついたことなんてなかっただろ?」
だんだんと荒くなり短くなる呼吸に自分の胸まで苦しくなって、安心させてやりたいのに、笑顔で見送ってやりたいのに
ゆらゆら…………ゆらゆら
命の火が消えていく。
愛した者が自分を残しいなくなる。
悲しくて悲しくて、悲しすぎて涙がでない程に寂しくて情けない顔しか出来ない。
それでも最後には笑顔で送ってやりたくて、下手くそなかたがたの笑顔を浮かべる。
「大好きだぜ、ずっと……ずっと」
最後にギュアと一鳴き、小さな、小さな炎をダンデに吹き掛けて碧い瞳は閉じて二度と開かれることはなかった。
愛しい相棒の亡骸を力一杯抱き締める。
涙は流れない。悲しくて悲しくて堪らないのに。
「悲しすぎると涙もでないって本当なんだな……でも泣けなくて良かった、泣いたらこの気持ちも流れてしまうだろうし」
頭の中がぐちゃぐちゃなのにどこか冷静な自分がいてやらなければならない処理を機械のようにこなしていた。
気付いたら真っ暗な自室の中で小さく小さくなった相棒を抱き締めていた。
惜別の日
次の日もダンデは泣けないまま、胸には何かが詰まったようにくるしいまま、それでも表面だけは取り繕って職場へ足を運ぶ。
誰もダンデの心の内を知らない。
ましてや愛しい火炎竜を喪した等知りはしなかった。
随分前から相棒は一戦を退いていた。
その代わり相棒より若い同じレベル、同じステータスの相棒の子供がチャレンジャー達の相手をしている。
誰もそれに気付かない。
それは少し寂しくもあるが、それのお陰で今の叫び
たくなるほどの悲しみから目を背けられている。
きっとこの先誰も気付かない。
それが救いになるだなんて思いもしなかった。
そんな事を思いながら責務をこなす。
忙しく過ごせば過ごすだけ時間が過ぎる。
そうしてその日の業務が終わるその少し前に執務室へキバナが表れた。
「よぉ、ダンデ」
「キバナ!どうしたんだ?」
「オーナー様に書類を届けに。ついでに」
そういってキバナがホルダーのボールを指でとんとん……と叩いた。
「どうだ?忙しいなら諦めるけど」
「いや、もうすぐキリがつくからやろう」
そういってダンデは慌ただしく書類へサインをし、机を片付ける。
バタバタと足音を立てながらバトルの準備をしてコートへ向かう。
一瞬相棒の代わりのこを連れていくかどうするか悩んだが、きっとキバナでさえ、気付かないだろう……そう考え、かわりの子が入ったボールを握りしめた。
いつものようにバトルをする。
嵐のような強風も、肺を刺す砂嵐も、叫ぶように指示を飛ばすお互いの声も、衝撃も、いつもと変わらない。
チャンピオンを降りるまでの10年、そしてチャンピオンを降りてからの20年、何も変わらないキバナとのバトル。
魂をぶつけ合い、削り合う戦いの最後
キバナはやはり彼を出してきた。
天を貫く白銀、誇り高い彼の唯一無二の相棒。
それに立ち向かうのはやはりあいつしかいない。
ずっとずっと変わることのなかったお互いのエース
天を貫く白銀の対に灼熱の赤
俺の背中を預けた唯一の相棒
それが今日は違う。
見た目は同じだけど同じじゃない。
でも、誰も気付かなかった。気付いてくれなかった。
どうか、どうか君は、君にだけは
「きづいて……」
ほしいと言ったか、ほしくないと言ったのか自分自身でさえ分からないほど小さな声をかき消すようにキョダイマックスをする。
地を焼く炎を、父から引き継いだ炎をあげ雄叫びをあげたそれをみてキバナが目を見開いた。
そして、それは彼の相棒も同じで戸惑ったように瞳を揺らしてこちらをみていた。
そしてそのままキョダイマックスを解いてしまう。
「?」
どうしたキバナそう声を発そうとしてダンデも目を見開く。
まさか、まさか、まさか……まさか
「……………………きづいたのか?」
その声は自分でもびっくりするほど震えていた。
同じ様にキョダイマックスを解き若い竜をボールに納める。
駆け寄ってきたキバナはダンデの目の前にきて
「…………おまえ、リザードンは?」
「……」
「さっきの若いやつじゃない、お前の、お前の相棒は?」
そういってキバナがダンデの肩をつかみすがるように聞いてくる。
「なぁ……答えてくれよ」
「……………………君は分かってしまうんだな……気付いてしまうんだな」
そういって首にかかっているチェーンに指をかけトップの小さな遺骨入れを見せれば、みるみるうちにキバナの瞳に涙が溜まり滑り落ちた。
しゃくりあげながら子供のようにキバナがなく。
ダンデはそれをただ黙って眺めている。
悲しくて悲しくて堪らないのに未だにダンデは泣けない。
泣かない。
キバナが泣き止むのをダンデはただ黙って見つめるだけだった。
惜別の碑
風が吹き、草木を揺らす。
ハロンのダンデの実家近く小さな丘の上に小さな小さな石碑がある。
この石碑の下にまさかあのダンデの相棒であるリザードンが眠ってるだなんて誰が思うのだろうか。
あの日から二週間後の今日ダンデはキバナと共にハロンにきていた。
「毎日母さんが花を供えてくれてるんだ」
そういってダンデが石碑を優しく撫でる。
供えられたオレンジの花が強くも優しいあの竜を思わせて、キバナの瞳にまた涙が浮かんだ。
「君は歳を取って涙脆くなったな」
「……お前が泣かないからだろ」
「…………そっか」
ありがとう
そんな事をいいながらダンデはまだ石碑を撫でている。
「沢山、沢山……無理をさせたから眠った後くらいは穏やかに過ごして欲しくて此処に連れてきたんだ。でもやっぱり寂しくて、わけてもらったんだ。あいつの魂を」
石碑を撫でている手を止めネックレスのトップを握りしめる。
「泣かなければ、涙を流さなければあいつの事を、あいつを失った悲しみを忘れないですむと思ったが……なかなかしんどいな」
「泣かなきゃ感情の整理がつかないときもあるんだぜダンデ」
「…………感情の整理がついたらあいつの事を忘れないか、この悲しみが消えてしまわないか怖いんだ。それに俺が泣いていたらあいつが心配する」
そういってダンデは俯く。
怖い、怖い、この悲しみが消えるのが、あいつへの感情が薄れてしまうのが。
泣いてしまって、感情が整理されてしまって、そしていつかあいつの事を忘れて笑って生きて生けてしまったら?
そんなの最低な裏切りじゃないか。あいつの献身に報いて生きることが残された俺にできる唯一なのに。
そんな事を考えるダンデの頭をキバナの大きな手が撫でた。
「ダンデ」
「…………」
「ダンデ」
「……なんだ?」
「絵の描き方教えてやるよ」
「は?」
絵の描き方なんて別に知りたくない。
そんな事もとめてない。
そう言おうと顔を上げれば、悲しみを含みながらも優しいキバナの目と視線があった。
「絵を描きながらさ、教えてよ。お前しか知らないあいつの事。俺様も、あいつの事忘れたくない」
そのキバナの言葉にダンデは静かに頷いたのだった。
その日からダンデはキバナに教えてもらいながら絵を描いた。
仕事の休みの日にダンデの家の使っていなかった部屋、かつてキバナと恋人のような関係だった時共に過ごしたその部屋はキバナと友人に戻ってからは一度も使うことはなかった。
その部屋を二人で掃除して絵を描く。
リザードンの事を話ながら、たまに昔の話をしながら。少しずつ、少しずつ。
消して修正したり、キバナがダンデの手に大きな手を重ね共に描いたり。
半年もの時間を描けて完成したその絵を二人で眺める。
「…………あいつが笑ってる」
絵の中で優しく微笑むリザードン。
空を飛ぶ姿も、バトルの時の姿も何故かしっくり来なかった。
一番みていたのは苛烈な姿だった筈なのに、何故か描いたのは、ダンデと共に穏やかな休日を過ごすときの二人の時にしか見せない安心しきった、優しく、優しい微笑みを浮かべたあいつの姿だった。
「……リザードンは、あいつは臆病な性格だったんだ。本当はバトルが好きじゃなかった。でも、俺と戦う事を選んでくれたんだ」
そういってダンデが絵を指先でなぞる。
「俺が一人で暗闇にいた時あいつの炎が道を照らしてくれた、優しい……優しいやつだったんだ」
筆を走らせているときキバナに話していたのはバトルの時のリザードンの話だった。
強くて誇り高いあいつの姿を覚えていて欲しいと思っていたから。
キバナの知らないあいつの姿を教えて欲しいと言われていたのに、穏やかなあいつの話しはしなかった。きっとそれを思い出してしまえば口に出して語ってしまえば涙がこらえられなくなるから。
「弟であり、兄であり、戦友で、かわいくて、かっこよくて、美しくて……俺と穏やかな時間を過ごす事が大好きな…………優しい……唯一無二の……」
この先は言葉にならなかった。
絵にすがり付くように、嗚咽を漏らしながらしゃがみこむ。
「さみしぃ……さみしい……っう、ぁあ…………」
さみしい、さみしい、ごめん、ごめん……きっとこんなに泣いていたらあいつは心配する、沢山無理をさせたから、沢山辛いことをさせたから、せめて、せめて、こんな姿は見せたくなかった。
床に踞って、額を床に押し付けて泣くダンデの背をキバナが優しく撫でる。
少し高いキバナの体温がまるで俺に甘えるあいつの体温みたいで、余計に涙は止まらない。
優しい、優しい、大好きなあいつの事が後から後から思い出されて、二度と触れられないのが寂しくて……いつまでもいつまでもダンデは泣き続けた。
それからどれだけ時間が過ぎたのかわからない。
すっかり暗くなった部屋でダンデは目を覚ました。
泣いているうちに眠ってしまったのか?
背中には暖かい体温が寄り添っている。
後ろをみればキバナがいた。
お腹にはキバナの手がまわっていて、ずっと抱き締めていてくれていたのだと気付いた。
「キバナ」
そういった声はがさついていた。
「キバナありがとう」
そういって身体を起こす。
眠るキバナをひょいと抱き上げ自分のベッドへ運ぶ。
キバナをベッドに運んだ後ダンデはまた絵の前に戻りその前に座り込み話しかける。
絵が答えてくれることはなかったが、何故か絵の中のあいつがきちんと聞いてくれている。
そんな気がした。
次の日起きてきたキバナがダンデの横に来るまでダンデはずっと絵に話しかけていた。
横にきたキバナがダンデの肩を抱く。
キバナの温もりが少しずつダンデへ移り、血が巡る。
「なぁ、ダンデ」
「なんだ?」
「俺様、ダンデを一人にしたくない。ダンデが泣いてるときこうやって、隣にいたい。だめ?」
それにダンデは答えない。
「なぁ、ダンデ」
もう一度名前を呼べばようやくダンデが答える。
「……キバナ、俺はあいつがいなくなったからって、その寂しさを埋めるために君と一緒になるのは嫌だ。」
「そっか……」
「ごめんな」
「いいよ、いつかダンデがまた俺様を好きだって思ってくれたらさ、そのときは恋人にしてよ」
「君は物好きだな」
「まあね」
そんな話をして二人は絵を眺め続けた。
惜別の秘
それから先ダンデとキバナは恋人になることは無かったが、二人は共にあり続けた。
バトルができなくなって、トレーナーを引退した後も、キバナが半ば強引にダンデの家へ転がり込みあの部屋に居座った。
ダンデは初めは追い出そうとしといたが、キバナがの粘り勝ちだった。
そしてダンデは、トレーナー引退後見送ったパートナー達を絵に残すようになった。
絵を描いて、描きながらキバナに思い出を話し、完成したら二人で泣いた。
二人で寄り添い過ごした日々はとても優しく、幸せだった。
ダンデが体調をくずし入退院を繰り返すようになってもキバナはダンデと共にいた。
ダンデが、最後は家にいたい。
そうダンデが言えばダンデが家で過ごせる準備をして、最期まで傍にいた。
最期の最期まで共にいたがダンデがキバナを恋人にすることはなかった。
ただ最期に
「ありがとう……俺の部屋にある絵は全部君の好きにしていい」
そういって眠りについた。
二度と目覚めないダンデを、キバナはだきしめる。
「リザードンが死んだときのお前は、きっとこんな気持ちだったんだな」
そういってダンデの遺言通りに式を上げダンデを弔った。
ダンデの身体を焼く炎が上げた煙が天に上るその光景をキバナはきっと忘れないだろう。
ダンデを弔い主が一人になった部屋でキバナはダンデの部屋を片付ける。
ダンデの描いた絵を一つ一つ大事に布に包む。
この絵は俺様しか見れないだなんて勿体ないできだから。みんなにもみてもらおうな……
そう呟き、大事に大事に布に包む。
そしてこれが最期の一枚となったその時……キバナの動きがぴたりと止まった。
「…………これ」
絵の中でキバナが笑っている。
穏やかに、愛しいものを見つめるように優しく、優しく笑っている。
「何で……俺様が?」
なんで?なんで?
なんで俺様が?
ダンデが描いたのはダンデが愛したもの達だけだった筈。そのどれもがバトルの時の姿ではなく、ダンデが一等いとおしいと思う穏やかな姿を描いていた。
ダンデの大事な……
もう一度キバナは絵をみる。
絵の中の自分はバトルをしている姿ではない、ただただ穏やかな表情で笑っている姿で絵の中にいた。
「……ははっ、俺様こんな風にダンデから見えてたんだ」
こんな風にキバナを描けるほどにダンデは自分をみていたのか。
それをはじめて知った。
ダンデの思いを知った。
「ダンデ俺様の事大好きだったんじゃん」
早く言えよ…………もっと早く知りたかった。
秘密にすることはないじゃないか。
思いが通じあってしまったら別れが寂しくなるそう思ったダンデの気遣いなのだろう。
それが分かってしまうほどにキバナもダンデを愛していた。
惜別の日、惜別の火をみて、惜別の秘を知った。
されど今キバナの手に、胸に残るのはダンデからキバナへの思慕、キバナからダンデへの恋慕だった。
「俺様も、ダンデが好き、ずっと好き。愛してる」
そんなキバナの言葉をいない筈のダンデが笑って聞いてる、そんな気がしてダンデからの愛を抱き、キバナも淡い笑みを浮かべたのだった。
ナックルシティの美術館、もとはスタジアムだった此処には歴代ジムリーダー達が残した貴重品が展示されている。
その美術館の奥の突き当たりには今から120年ほど前のジムリーダーだった、歴代最強といわれたジムリーダーであるキバナの私物が飾られている。
多才だった彼らしく展示されているものは他のジムリーダー達よりも多い。
その中でも一番目を引く大きな絵画。
二人の人間によってかかれたらしいこの絵は優しく笑っている姿のキバナと、彼がずっと寄り添っていたという元チャンピオンだった男が描かれている。
一つの絵画のなか、並んだ男達の表情はバトルの世界に生きていたとは思えないほど、ただただ穏やかに優しく、優しく微笑んでいた。