さよならはいつもその日は酷い雨だった。安室さんもぼくも、傘なんて持っていない。二人でずぶ濡れになって、人気のない道を歩いていた。わかっていた。こんなことをしても何の解決にもならないし、必要のない行動だと二人とも分かっていた。だけど、あえてこうしたのは、それ以外に顔を隠す方法が見当たらなかったからだ。
「コナン君」
「なに、安室さん」
「寒くないかい?」
「んー冷たくはあるかなぁ」
「……足りないかもしれないけど、僕の手でよければ使って」
「使うってなんだよ」
その手だって、もう冷え切っているはずだ。それでも熱く感じるなら、明日は二人揃って風邪を引くだろう。ぼくはお言葉に甘えて、安室さんの手を握る。やっぱり冷えた体を守るように温かった。
「安室さん」
「なんだい、コナン君」
「帰ったら、一緒にお風呂はいろうね」
「一緒に入ってくれるなんて珍しいね。いつもなら頼んでも入ってくれないじゃないか」
「今日は特別」
それと、ひとりにはなりたくない。雨音に掻き消されて聞こえないんじゃないかと思うくらい小さな声で呟いた。けれど、繋いでいた安室さんの手に力がこもったから、聞こえていたに違いない。
何度も試薬を試してきたけど、結局効果は数時間から一日程度で完全に元の姿へ戻ることは出来ていない。体に馴染んでしまった毒薬はそれを完全に払拭することが難しいらしい。試薬を試すたびに、安室さんはぼくに付き合ってくれる。
一人きりの部屋で薬を飲む瞬間はいつも怖い。必要に迫られて自分が飲みたいと思っていた時はその後にくる痛みも耐えられた。でも、今は違う。一度目はよくても、すぐに二度目がきてしまうから本能的に体が震えあがってしまう。
だから、飲むために部屋へ入る前に安室さんがいつもおまじないをかけてくれる。椅子に座っているぼくの前にしゃがみ込んで、両手を包み込んで握ってくれる。言葉は何もない。ただ祈ってくれる。ぼくはそれだけで勇気がもらえた。
結果は失敗に終わるけど、帰り道はひとりじゃない。安室さんはいつも歩いてついて来てくれる。実は近くに車を停めてあることも知っていた。ぼくが歩いて帰れないことも想定してくれているんだろう。
さっきまで晴れていたのに、歩き出して少し経つと雨がぽつぽつと降ってきた。安室さんから声をかけられたけど、ぼくは傘も差さずに歩き続けた。今日は試薬を試すことが出る最後の日だった。失敗するとしばらくは体を休めなければならない。つまり、元に戻れない可能性が高くなるということだ。
ぼくは自分の目が霞んで、溢れてくる感情を抑えることができなかった。だから、この雨は好都合だったのだ。安室さんにはバレていると思うけど、拭う気にもなれなかった。雨に濡れていれば、上を向いても涙が流れていることを隠せる。
「コナ、」
「いつも、ありがとう」
「……僕は、何もしていないよ」
「ううん。安室さんはいつも、ぼくを助けてくれるよ」
「次も、ついて行っていいかい?」
「! もちろん」
次はいつ来るか分からない。それでも付き合うと言ってくれる安室さんの答えに、ぼくが笑顔で返せる日はくるのだろうか。諦めかけていた心に一本の添え木が寄り添って、ぼくは折れずに前を向いて歩いていけそうな気がした。
コナン君を仮住まいに送り届けて、雨の降る帰り道を歩く。コナン君から借りた傘は雨粒から濡れることを防いでくれるが、この冷たさまでは癒してくれない。
「次、か」
もしかすると僕は残酷なことを言ってしまったのかもしれない。次なんて確証のないことを口にしてしまった。それを期待するのは、忘れられないからだ。試薬が出来上がったと最初に報告してくれたあの日の笑顔を。
「ここで諦めては駄目だ。みんな、みんなが君の帰りを待っている」
それが僕たちにとって別れの時だと理解していても、願わずにはいられない。今まで諦めなかったコナン君が、泣いて、膝を折り、諦めそうになっているあの子の姿を見て立ち上がらずにはいられなかった。泣きたいなら、この腕を貸そう。立てないなら、僕の体に寄り掛かっていい。立ち止まって、歩けないなら抱き上げて一緒に進んでいこう。
「きっと、その先にはあの笑顔で笑っていられる明日があるさ」
止まない雨はない。僕は傘を閉じて、空を見上げた。ようやく晴れた夜空は瞬く星で溢れている。コナン君もこの空を見上げて、明日を信じてほしい。僕はいつまでも隣りにいよう。