建物の前につないでいた馬に乗ると体中が悲鳴をあげた。
それでもライオネルは力強く馬を走らせた。一刻も早くここから去りたい。
こんなはずではなかったのに、これが罰なのかもしれない。自分本位で男に相手をさせていた罪に違いない。
ニ時間かけて屋敷へ戻ると、もう十一時になっていた。みんな寝ているようだ。
馬を厩舎へつなぎ、とぼとぼと裏口から入る。
髪は乱れているし、何度も殴られたからひどい顔になっているだろう。早く水で冷やさなければ、と厨房へ行くとヒューがいた
ライオネルを待っていたようだ。
扉を開けて、ヒューの姿を目にすると、一瞬迷ったが、すぐに何事もないように「まだ起きていたのかい」とそばをすり抜けようとした。
しかしヒューは当然ライオネルの腕をつかんで引き寄せてきた。
「お前、その顔はどうしたんだよ!」
「騒がないでくれ。大した事はないんだ。喧嘩に巻き込まれただけだから」
あらかじめ考えていた言い訳をヒューは信じないだろうと思ったが、ライオネルは小さく言った。
「俺がそれを信じると思うのかよ。どこのどいつにやられた」
「……なぜ君が怒るんだ」
「お前にそんなことされる覚えはねえだろ!?」
「あるとしたら?」
静かに聞き返されヒューは目を見張った。
「なんだよそれ…、どういうことだよ」
「すまない。言いたくない」
ライオネルは表情を消してヒューを見た。
「ライオネル……」
「もう、行っていいかな。手当てをしたいんだ」
奥へ行こうとするライオネルを繋ぎ止めようとヒューは更に続けた。
「それからお前……、子供の頃に引き取ってくれたとかいう神父はよ、お前にひどいことをしてたんじゃねえのか」
今度はライオネルが目を見張る番だった。
「その時のことがお前の心に何か傷を残して、お前の性格を歪めたんじゃねぇかって」
「……なぜそれを言わなくてはならない?誰にでも話したくない過去のひとつやふたつはあるんじゃないのかな」
ライオネルは心が沸々と煮えてくるのを感じた。
「俺たちは心配してるんだよ!もし何かずっと心に溜まっていることがあって、それがお前を捕らえてるんなら、話したほうが楽になるんじゃないかって思ってんだよ」
「……話して楽になるならとっくに話している」
ライオネルは低く言った。
ヒューはライオネルの胸元をつかんだ。
「一人で悩んでなよ!お前がそうやって一人で悩んでるのが、俺たちは辛いんだよ」
ライオネルは頭のどこかで何かが切れる音がした。
彼はヒューの胸ぐらを取り返すと目を赤くしてつめよった。
「俺が!……俺があの時のことを、今につながることをお前たちに話せば、返ってくるのは軽蔑と嫌悪感しかないとわかっているから言わないだけだ!俺が自分の汚い部分を話した時は、俺がここを辞める時だ。それでも話せと言うのか」
ライオネルの見たことのない剣幕にヒューは目を見開いて何も言えなかった。
ライオネルは肩で息をした。胃がキリキリと痛む。鼻の奥がツンとする。
「まぁまぁ、二人ともどうしたの」
そこへエレナが声を聞きつけてやってきた。
手を下ろしたライオネルの顔を見てエレナは「たいへん」と言うと、奥へ行き救急箱を持ってきた。
「何があったかは知らないけど、まずは手当てよ」
エレナはライオネルを座らせるとヒューの方を向いた。
「ここはもういいから、ヒューさんは休んで」
ヒューはまだ口をつぐんだまま、こくりと頷いた。
出て行こうとするヒューの背中へライオネルは「ヒュー……」と呼びかけた。
ヒューが振り向いた。ライオネルは悔恨の色をにじませた目でヒューを見ると、目を伏せて「すまなかった……」とだけ言った。
ヒューも「いや……」とだけ返して、何か続けようとしたが、ぐったりと目を閉じたライオネルを見て、エレナに頷くとそこを出ていった。
エレナは何も聞かずテキパキと顔の傷を手当てした。ライオネルはずっと俯いたまま無言で手当てを受けている。
手当てが終わって、初めてエレナが心配そうにライオネルを見た。
「ライオネルさん、辛い時はいつでも頼ってね」
ライオネルはその優しく穏やかな声に思わず涙をこぼした。顔を上げるとエレナの深いルビー色の目が心配そうに自分を見つめていた。
「エレナ、ありがとうございます」
「ヒューさんもニコレッタも言い方はきつかったかもしれないけど、二人とも心配しているのよ。もちろん私もね」
ライオネルはまた俯いて目をぎゅっと閉じた。
エレナは優しくライオネルを抱きしめると「よく休んでね」と小さく言い、そっと出て行った。
ライオネルはひとしきり子供のように涙をぬぐうと部屋に戻った。
暗い部屋の隅で服を脱ぎ、持ってきたお湯で体を拭く。三人の男にかわるがわる陵辱された体はひどく痛んだ。
体を拭いながら吐きそうになる。
皆が心配してくれているのはよくわかっている。
だが、理由を話した時、皆の顔が心配から軽蔑に変わるのではないか、心配するに値しないと思われるのではないかという不安、そしてそんな自分を受け入れて欲しいというどこまでも利己的な考えにライオネルは自分で嫌気がさした。