「エルロンさんの名前ってさくらって意味なんだね」
そんなマスターの声がビーマの耳に聞こえてきたのは昼飯時の食堂でのことだった。エルロン、というあまり聞き馴染みのない名前にマスターの交友関係が気になったというのもあり、ビーマが厨房から顔を出せばカウンターで定食を受け取ろうとしているマスターがと目が合った。
「よう、マスター」
「ビーマ!お疲れ様」
「そっちのお連れさんは珍しい顔だな」
ゆるく波打つ髪に片目を隠し、カルデア職員の制服を着た女性が上目遣いで困ったようにこちらを見上げてくる。
「セレシェイラ・エルロンさんだよ、カルデアの記録担当なんだ」
マスターの言葉に続いてそのエルロンという女性はビーマへ向かって軽く頭を下げた。
「そうか!マスターと仲が良いんだな!」
「うん!」
「ちょ、ちょっと…私なんかとあんたはそんなに…」
それまで黙っていたエルロンが慌てて否定する。が、少し照れたように頬は赤くなっていた。それに気がついているらしいマスターは柔らかく微笑んでいる。
「それで、いつもエルロンさんって呼んでたから知らなかったんだけどエルロンさんの名前、セレシェイラって桜って意味なんだって、素敵だよね」
注文していた定食を自分のトレーに取りながらマスターは嬉々としてビーマに向かってそう話す。そこ隣ではエルロンがさらに顔を赤らめていた。
「さくら、ってアレだろ?マスターの故郷によく咲いてる、ひとつの樹に薄い桃色の小さい花がたくさん咲く…」
「そうそう!ビーマ知ってるんだね」
「シュミレーターで見たことがあるぜ、何本かの樹が等間隔に並んでて花は盛りだったな、とても綺麗だった」
「うん」
そう頷くマスターはとても楽しそうだ。故郷を思い出しているのだろうか。
「満開の桜も、散り際の桜も良いんだ」
「散り際も?」
「風が吹くたびに花びらが舞って、花弁が小さいからきらきらしてて…」
ふと、マスターが紡ぐその風景を己も知っているような感覚に陥る。
カルデアのマスター、それと己は向き合って、マスターの隣には、あのカーマ神がいて、マスターは少女も共に、連れて、己の、己の隣には、セレシェイラ、が、いて、なぜ?、マスターと、対峙して、マスター、人類最後のマスター、その隣には、やはり、カーマ神と、少女、と、いやもっといた、共に、行動していたのは、ドゥリーヨダナ、と、その、ああ、記憶に、薄い、けれど、たしかその、妹、なぜ?なぜ自分はマスターと対峙している?なぜマスターの隣にはカーマ神にならんであの兄妹がいる?何故?なぜ、俺は、俺は、
───…カルデアのマスターを倒そうとし、倒されそうになっている
「ビーマ?」
いやにはっきりと聞こえたマスターの声に覚醒する。
「…っ、と、わりぃ」
「ううん、長く話しすぎたね、ごめん」
流石に邪魔になっちゃうね、と反省したように笑ってすぐに、じゃあ、とマスターはフロアの方へと向かう。一拍おいてエルロンと目があったが、彼女はすぐにビーマから目を逸らして会釈をしマスターのあとを追った。
「……なんだってんだよ…」
それは誰にでもない、己に向けた問いだった。
*****
天気は晴れ。暑くも寒くもない。空は青く、草木は輝き、鳥はさえずり、水は煌めく。ここはシュミレーターの中だった。
桜の花が、満開だった。時折ひらりと花弁が散る。試しに風を吹かせるともっと多くの花弁が散った。なにかを、思い出しそうなのに思い出せない。草の上に座り込みながらビーマは頭を掻いた。
「はーっ!辛気臭い顔をしおって!」
静寂を破るように空気を振動させたその声に反射的に振り返る。心底嫌そうな顔をしたドゥリーヨダナがこちらに向かって歩いてくるところだった。
「…何をしにきた」
眉間に皺がよるのが自分でもわかった。ふん、とドゥリーヨダナは鼻を鳴らすと不承不承、絶妙な距離をとってビーマと同じようにその場に座り込んだ。
「ご挨拶だな!貴様の様子をみてくれとマスターに頼まれたのだから仕方なかろう!」
「マスターに?」
「そうだ、貴様がここのところ暇さえあればずっとシュミレーターで桜ばかりを眺めておるのが心配らしい」
「…そりゃあ、心配かけて悪かったな…でもなんでよりにもよってお前を寄越したんだ?」
「知らん!あのシオンとかいう魔術師のアドバイスらしいが?同郷のサーヴァントとか?例えばドゥリーヨダナさんなんてどうでしょう?なーんて言われたらしい」
「はあ?なんだその発想…つうか、マスターの頼みってだけで来るなんて、おまえそんな柄じゃないだろ」
「ふふん、向こう一ヶ月周回メンバーからわし様を外す約束となっておる」
「得意げな顔すんな」
「まあ、流石にそれだけでは足りんとごねたが」
「なんなんだよ」
「マスターとその同郷のサーヴァントが集まって真剣に話しておってなー、桜は幻覚を見せるって言うし、とか、桜は人を攫うって言うし、とか真面目に話しとるからこちらが騙されてるのかと思ったぞ…蘆屋やキアラとかいう女が言っているうちは嘘だろと思っておったが、比較的常識的なやつらも口を揃えて言ってきたからな…しかし…ぶっははははははっ!貴様が攫われる柄かー?!ないないないない!はははははは!!」
「ほんっと何しにきたんだお前…」
ビーマはげんなりした。マスターやその他のサーヴァントたちにそこまで心配と迷惑をかけていたのは正直に申し訳ないと思う。戻ったら謝っておこう。だが、よりにもよってこいつを寄越すとは。言い出したというシオンという魔術師は勘がいいのか。
あの日、食堂で見た記憶。記憶というしかないのだが、どうにもビーマには覚えがない。どこかの特異点での記憶かとも思ったがカルデアの記録にはそれらしきものは残っていなかった。創作物で読んだ記憶と混ざっているのかと図書館を訪ねて司書に聞いてみると、その司書はいくつかの本を持ってきてくれたがやはりどれもしっくりこなかった。
「……何か違和感を感じたことはないか?」
笑い転げていたドゥリーヨダナにビーマは問う。ぴたりと笑うのをやめてドゥリーヨダナは怪訝そうな顔をした。
「は?違和感?」
「おう、自分の記憶と違うっつーか、違うことに納得出来ねぇことがあるっつーか…」
「はぁ?…ああ、蘭陵王だな、あやつの事をずっとライダーだと思っていたのだが実際はセイバークラスだった。理解したつもりではいるが時々そうだったか?と思うことがあるな」
「あー…俺の違和感とはちがうな…」
「聞いておいて失望するな馬鹿者。なんだ、その違和感とやらが貴様がこの花を見続けている理由か?」
ビーマはちらりと横目でドゥリーヨダナを見た。突如、浮上した己の記憶にはドゥリーヨダナがいた。けれど同じ記憶を有していなければ、あのドゥリーヨダナはこのドゥリーヨダナではない。
「お前と俺、周回以外で共闘したことがあった気がしてな」
「わし様とおまえがー!?特異点の話か?はあ?誰を相手に?」
「カーリー女神」
「……………死にたいのか?というかそれが本当なら死んどるだろ、わし様たち」
「だよなぁ」
ビーマは項垂れた。対峙するカーリー女神の顔も見た気がするのだ。隣では、いや、本当は共闘などと言えないが自分と同じにカーリー女神に向かっていったドゥリーヨダナがいた気がしたのだ。
「夢でも見てるのではないかぁ?」
「サーヴァントは夢を見ないだろ」
「ふん、わかっておるわ。だが、この桜を見ていたらそんな気もしてきた」
ドゥリーヨダナが桜の樹を、花を、見上げる。
「貴様が呆けたように見惚れるのもわかる」
ビーマは目を見開いてドゥリーヨダナの顔を見る。ドゥリーヨダナの横顔は笑っていた。穏やかに、愛おしいものを見るかのように。そんな顔を見ていると、思い出せない記憶も無理に思い出さなくて良いように思えてきた。確かに自分は桜を見過ぎていたようだ。現実味というものを忘れかけていたのかもしれない。桜は幻覚を見せる、というのも言い得て妙だ。それに、
「攫われんなよ」
本当にそんな気がしてくるのだから、どうしようもない。