Holic「さーねみチャン♡チョコちょーだい?」
待ち合わせた誰もいない教室にやってきたかと思ったらオレのことをふざけた名で呼び、ふざけたことを抜かすこの男は宇髄天元。2つ学年が上の、自他共に認める校内一のモテ男だ。この男とは中学も同じで、なぜか気に入られて毎日絡まれるようになった。そしてこいつが中学を卒業する日、「うんって言ってくれるまで離さねぇ!」という言葉と共に告白されて、仕方なく付き合うことになった。もう3年近く経つのかと思うと時の流れは早いものだ。
「男に集ってんじゃねェよ。もう随分もらってんじゃねェか色男ォ」
今日は2月14日。所謂バレンタインデーというやつだ。毎年持ちきれないほどのチョコをもらうらしく、家から持参したという紙袋が既に6つもパンパンになっていた。そんだけもらえばもう十分だろう。
「まぁねー。でもさねみチャンから欲しいのよ俺は」
「持ってねェよチョコなんてェ。今までンなこと言わなかったじゃねェか」
「えー!欲しい欲しい欲しい〜‼︎」
駄々っ子のようにブーブーと口を尖らせ、チョコを寄越せとうるさい男に辟易する。溜息をついてポケットに突っ込んだ手が、何やら固いものに触れた。自分で食おうと思って朝コンビニで買ったやつ。忘れてたな。ちょうどいい。
「あぁもううるせェなァ!ほらよォ」
手の平に乗せて差し出してやれば、宇髄がキョトンと特徴的な紅い瞳を丸める。安価でお馴染みの四角い一粒チョコ。遠足の時によくお世話になったあれだ。ちょっと甘いものを食いてェ時に重宝する。袋はもらわなかったためにコンビニのシールが雑に貼られていた。色気もクソもないチョコにてっきりまたブーブー言われるかと思いきや、目の前の男は意外にもうれしそうに顔を綻ばせる。
「くれんの⁉︎ありがと!」
ニコニコと満面の笑みでそう言うと、大事そうに俺のやったチョコが手の中に収められて思わずたじろぐ。なんで死ぬほどチョコもらってんのにそんなんで喜ぶんだよ。こいつのことだから地味!とか言ってくるかと思ったのに、なんだか逆に申し訳なくなってきた。
「…いいのかよそんなんでェ」
「うん。重要なのは中身じゃなくて、さねみチャンが俺にくれたっていうことだから」
まぁ手作りだったら最高なんだけど。そう続けられた言葉は聞こえなかったフリをした。なんで、そんなに。
「そんだけもらってんだから、いらねェだろ?オレからのチョコなんざァ」
「んなことねぇよ。さねみチャンは俺の特別。お前以外からのチョコなんて、何個もらおうが俺には何の価値もねぇよ」
「……そうかよォ」
3年近く付き合っていればさすがに情も湧くというものだ。こいつのストレートな物言いがうれしいと思うくらいには、オレもこいつのことを好ましいと思っていた。絶対口には出してやらねェけど。
「お返し、期待してて」
「いらねェよ。ンな安物のチョコでお返しもらおうと思ってねェ」
「俺があげてぇの。ホワイトデー予定…あ、やべぇ引越しの日だったわ」
宇髄は推薦で既に大学が決まっていた。高校を卒業したら家を出て一人暮らしをするらしい。ずっと早く家を出たいと言っていたから、念願の一人暮らしだとうれしそうだった。オレんちから電車で一時間くらいの所。大して遠くねェじゃねェかと言われればそれまでだが、生活リズムも変わるしオレはバイトを詰め込んでいるから会う回数も減るだろう。いや、あるいはもう…。
「……引越しの準備もしねェとなんだろォ?卒業式の日でいい」
「そ?じゃあちょっとフライングだけどそうするわ」
にっこりと笑い、ポンポンとオレの頭を撫でるでかい手。ガキ扱いすんなとその手を払えば、「照れちまってかーわい♡」とまたふざけたことを言いながら更に撫でくり回され髪がぐちゃぐちゃになった。それを見て一頻り笑った後、今度は長い指でゆっくりと髪を梳かれる。こんなやり取りももうじき無くなるのかと思ったら少し寂しくて、大人しく受け入れることにした。
今までチョコが欲しいなどと言わなかった男が急に言い出した意味。きっと最後だから記念に、ということなのだろう。ズキリと痛んだ心臓に気付かないフリをして、咲き始めた梅の花に目をやった。
◇◇
3年はこの時期自由登校というやつらしく、学校に来るやつはまばらだ。でも宇髄は毎日学校に来て、オレの前に現れる。昼飯を一緒に食い、放課後に待ち合わせてバイトまでの短い時間を共に過ごした。
刻一刻と宇髄の卒業が近付いてくる。いつの間にか陽射しや風が温かくなり、街では早咲きの桜が見頃を迎えた。ソメイヨシノの植えられた校庭がピンク一色に染まる頃には、もうオレの隣にこの男はいない。ちらと横目で見上げ、春の足音に複雑な気持ちを抱きながら残り少ない日々を過ごした。
「いやー参った参った。ボタンくれって揉みくちゃにされちまって」
卒業式の後、待ち合わせをした校舎裏にもはや追い剥ぎだよな。と薄い眉を下げながら随分と遅れてやってきた男は制服どころかカーディガンのボタンも全て無くなっていて、熾烈な争奪戦が目に浮かぶようだった。
「……おっせェぞ色男ォ」
「ゴメンゴメン。怒んないでよさねみチャン。あ、これバレンタインのお返し」
そう言って持ち手を肩に通して背負っていたスクールバッグを下ろし、ゴソゴソと中から紙袋が取り出される。差し出されたそれに書かれた企業名はオレでも知っているようなチョコレートの有名ブランドのものだった。
「…高ェんじゃねェのこれェ?」
「期待しててって言っただろ?お返しは3倍返しが基本なんだぜ」
「いや、あれ3倍にしたところで100円にも満たねェだろォが」
値段の検討はつかねェが、下手したら100倍くらいになってんじゃねェのか。おずおずと受け取り、中を覗くと赤いリボンの掛かった白い箱が入っていた。取り出してリボンを外し、蓋を開けると目に飛び込んできたのは誰かさんの目に似た真っ赤なハート型のチョコ。8個入りの白を基調としたチョコの中で、その2つだけがやけに存在を主張していた。
「ほら、食ってみ」
数も相まって、まるでその赤いチョコに見つめられているような気分になる。思わずじっと眺めていると徐に赤と緑で彩られた指先がその一つを摘み、オレの口の中に放り込んだ。ラズベリーだろうか。やや強めの酸味が広がり、噛んだ瞬間甘みが追いかけてきて絶妙な甘酸っぱさを生み出す。
「…美味ェ」
「だろ?もう一個食う?」
「いや、もったいねェからあとは家でゆっくり食う。ありがとなァ」
全部食ったらそれこそ終わっちまう気がして、元通りにして紙袋にしまい込んだ。しかし「なぁさねみチャン」と声を掛けられ、その硬さを含んだ声にいよいよその時が来たかと身構える。大丈夫だ。覚悟はしてきただろう。微かに震える手を、ぎゅっと握り込むことでごまかした。
「俺のこと捨てないでね」
「………は?」
思ってもみなかった言葉に思わず素っ頓狂な声が出る。混乱するオレを置き去りにして、宇髄がずいっと顔を近付けて続けた。
「お前1年のマドンナからチョコもらってただろ」
「…マド…ンナ?」
回らない頭で必死に記憶を掘り起こすと、バレンタインにそれらしき記憶があった。たしかにあの日クラスメイトからチョコをもらった。周りのやつらがそんな風な呼び方をしていた気もするが、他のやつにもやっていたから義理だろうと特に気にも留めていなかった。
「あの女がお前にチョコ渡すとこ見てなんかすげぇムカついてさ。お前は俺のなのにって。…それで急にチョコ欲しくなった。だからお前がチョコくれたのメチャクチャうれしくて」
「………ッ」
拗ねていたかと思ったらうれしそうに変わった顔で紡がれる宇髄の言葉を聞いて、自分の意思とは関係なくボロボロと涙が溢れ出してくる。てっきり別れ話だとばかり思っていたのに。何が覚悟はしてきただよ。笑わせる。認めたくなかっただけで、本当はとっくの昔にこいつ無しじゃ生きていけなくなってた。まるで中毒のように、俺の心に巣食う男。
「言っとくけど俺、離してなんかやらねぇよ?誰にも渡さねぇ」
太い腕に捕らわれ、ぎゅうぎゅうと抱きしめられる。耳元で囁かれた言葉にまた新たな涙が零れ落ちた。
「大好き。毎日電話するし、俺さ、バイク買ったんだ。たとえ5分しか会えなくても、お前が一言『会いたい』って、そう言ってくれたらいつでも会いに来る。だから絶対、浮気すんなよ」
「……オレはしねェよ浮気なんてェ」
「『オレは』って何よ。俺だってしねぇし!」
オレの言葉にバッと身体を離し、せっかくの端正な顔をガキのように膨らませる。素直にオレも好きだと言えない己の天邪鬼さを今日ほど呪った日は無い。なんでお前はオレみたいなかわいげの無い野郎なんか好きなんだ。趣味悪ィな。
「………やるゥ」
「え、マジ?うれしい…大事にする」
不意に過去の記憶が呼び起こされ、制服の2つ目のボタンを外して宇髄に差し出す。するとさっきまでむくれていた男が、手の平に乗せたそれを宝物でも見るような顔で受け取った。
制服の第二ボタンは心臓に一番近いため、それを渡すことは心をあげる…つまりは好きという意味なのだと、3年前にこの男から教わった。
「じゃあ交換」
ゴソゴソとポケットを探り、突き出された握りこぶし。何だと手の平を下に差し出せば、その上に乗せられたのはパッと見オレが渡したのと同じボタンだった。訳がわからず首を捻る。
「さすがにコレはさねみチャン以外のヤツに渡すわけにはいかねぇから隠してたんだ」
得意げに言うと手の平を呆然と眺めるオレからボタンを奪い、パチンと音を立てて空いていたボタンホールに取り付けられる。
「これでずっと一緒だな」
にっこりと微笑まれ、そこでようやくこれが宇髄の第二ボタンだと気が付いた。何だよ…てっきりそこら辺の女にでもやっちまったのかと思ってたのに。せっかく止まっていた涙がまた溢れ出し、泣き虫。と眉を下げて笑いながら目元を撫でられる。
オレの手を取って歩き出した宇髄に慌てるが、こいつはもう卒業だし別にいいかと好きにさせることにした。残っている生徒も少ないし、元々スキンシップの激しいやつだから見られたところで周りもさほど気にしないだろう。
それに気を良くしたのか「来年は手作りチョコ欲しいな?」と小首を傾げて強請ってくる、年上なのに甘え上手な男。甘えるのも甘やかすのも変幻自在。…馬鹿だなオレは。この男から離れることなんて、到底できやしなかったのに。
「…覚えてたらなァ」
「やったー楽しみ♡あ、なぁバイク。うち寄ってちょっと見てかない?」
きっと見せたくて仕方がないのだろう。ウキウキと放たれたその言葉にぴたりと足を止める。急に立ち止まったオレに、不思議そうに振り向いた宇髄を見上げ口を開いた。
「……オレ以外のやつ乗せたら…ぶっ殺すゥ」
「へ?…おーおーおっかねぇな。何よ俺愛されてんじゃん」
紅い瞳が一瞬転がり落ちそうなほど丸まった後、フッと柔らかく細められる。その顔が好きだった。この瞳に見つめられると落ち着かない気持ちにさせられるが、その反面ずっと見ていたいような気もする。
校門を出てしばらく歩くと少し離れた所に散りかけの桜の木を見つけた。誘われるように近付けば風が河津桜の枝を揺らし、やや色の濃い花びらがはらはらと舞い落ちる。桜吹雪の舞う中を並んで歩き、この男の隣にいられることに幸せを噛み締めた。繋がれた手に力を込めると更に強く握り返される。
「…痛ェんだよ馬鹿力ァ」
「そっちこそ」
クスクスと笑う隣の男に釣られて笑い返す。ここ最近の悩みの種が無くなり、ひどく晴れやかな気分だった。雲一つ無い晴天。春を告げる鳥の歌声。涙の跡を乾かす穏やかな風。その全てが心地好くて、まるで春の祝福を受けているかのようだった。お前が離さねェって言うなら、オレも離してなんかやらねェよ。
来年も共に桜を見れますように。願わくばその先も、ずっと。心の中でそう願えば、くるくると散った花びらを舞い上げて風が笑った。