ホワイト・グロー・アタラクシス陽は白く照りつけている――俺の背中に沁みるように熱く、のしかかるように重く。
時間は光に切り裂かれるようにゆっくりと進んでいって、その実、空間は俺だけを置いてけぼりにしていく。
俺はたぶん焦っていたんだろうと思う。俺はいつも、いつか来るかもしれない終わりのことばかり考えていたし――今がその終わりなのかもしれないと思うと、気が急いた。
あの時からずっとずっと、同じ場所を巡っている気がする。俺の時は動かないままで、周囲の時間は止まらないままなんだと思うくらいには長い長い時間を過ごしている気がした。実際にはきっとそうじゃないと分かっていても。
砂が入ろうとしているから、目を閉じる。きらきらと急いて輝く砂漠の陽が、眩しいを通り越して痛いくらいだ。この眺めにも随分慣れた自覚はあるのに、それでもなお、こうやって涙が出るくらいには、痛い。
ただ、訳の分からないままに感傷に浸って。ああ眠いな、とか思ってみる。俺は何をそんなに悲しんでいるのか、今でもよく分からなかった。
考える事を止めたくなって、乾いた笑いをひとつ溢してから――ふと、あの人の声を聞こうとした。
「母さん」
小さく呟いてみるけど、俺の口から出た声はかすれていた。返事はない。当然だったし、俺にはその沈黙すらも心地良かった。それで良いと思えた。
「母さん」
もう一度、呼び掛けてみるけど――やはり声は返ってこなかった。音のない世界がただただそこにあるだけだった。俺は、それに安堵を覚えたと思う。これでいいと思ったのは噓ではないけれど、この、鬱陶しいくらいに優しいだけの静けさが、俺は好きだ。
それからはただ黙って目を閉じたまま、何度も母さんを呼ぶように口にする。
繰り返す度に胸の奥がくすぐられるような気分になったけれど、それもなんだか心地良かったと思う――俺の中では全てが曖昧だった。それでいいと思えた。
このまま眠りへと落ちて行く事すらも、今の俺には簡単だった。そうして瞼の裏の暗闇を見つめ続けていると、俺の内側に誰かが話しかけてくるような気がする――その声が俺の記憶にある母さんの声なのかは曖昧になる。
浅い眠りだ。ネコ科の猛獣のような身軽さですぐに飛び起きることが出来る程度の。ただ、夢見は良い。
その中で母さんの声だけは鮮明だった――俺はそれに曖昧に頷きながら彼女の背をさする、おさなごのように。そして彼女が微笑む度に、俺も同じような顔を作って返す。
痛みはもう遠くに置き去りにしてきたから、大丈夫だよ、って。俺が代わりになれば、全てが楽になる。大丈夫だよ、母さんが苦しむ必要もない。俺なら平気だから――繰り返す事にも、いつしか慣れていったように思う。
それに、これが俺の役割なんだと自覚していたし、母さんが泣き止んでくれる事が一番大事な事で――だから俺はただここに居る。それだけでいいはず。
そうだと信じていたいのに、どうしても胸に残るこの違和感のようなものは、見ないことにしたかった。心の底から思う。これは、本当に俺の中に燻っているものなのかな?
〝キョウオク〟なんて難しい言葉は分からなかったけれど、それが心だという意味だとすれば、それはあんまりに俺のものじゃない気がした。
それとも。もっと単純に俺の心に穴が開いているのだとしたら、きっともうどうにもならないんじゃないかな――と、ぼんやりと思う。
俺はもう一度だけそれを繰り返して、ゆっくりと意識を手放した。微睡みの中に溶けて行くような感覚が心地良いと思いながら、ゆっくりと息を吐く。そうすれば――ほら。通信機から流れるホワイトノイズを背にして、崩れた建物の中で丸まりながら、俺は目を閉じる――そしてそのまま。今度は夢さえ見ずに意識を飛ばすことが出来る。
これが俺の今の日常だった。でも、と――ふとした拍子にまた浮かんでくる思いには見ないふりをするように、深く深く眠ろうとしている。そうして、また夢を見ていた。母さんの夢を見るのにも、もうすっかり慣れてしまった。
いつも同じようなシーンばかりを繰り返すそれは、きっと、〝願望〟ってやつなのかもしれないと思うと笑えてしまって。
土埃の匂いを感じつつ、耳を澄ましながら浅く眠る。遠くで響くフルオートの銃声も、今じゃもう聴き慣れてしまった。
しばらく経ったあと、微かな声ともいえぬ音がする――大概の場合、それは俺の名前を呼んでいる。
そんな時は決まって夢の中でも覚醒していて、俺は静かにその声をただ聞いている。本当は起き上がって返事をしたいと思うのだけれども、そんな気力はまるで湧き出てこない。
タン、タン――比較的近い銃声。あるいは遠くの広場から聴こえるリゲティ、アダージェットのような風の旋律。あるいは、この――砂嵐の音。圧倒的な、遠くから聞こえるその音は、やがて消え去るように遠ざかって行くのが常だった。それでもたまに、微かに残る音はいつまでも俺の鼓膜で揺れている気がする。
――俺はいつも、同じような光景を見ている。夢の中の俺の身体はどうにも不自由なようで。
まだ幼いのだろうか、視界は定まらなかった。ただ時々ちらつく世界には、いつだって炎が立ちのぼっている気がしてならない。それを見ていると酷く胸が痛む。
その炎の中で誰かが倒れているような気もするし、あるいは俺に手を伸ばしてもがいてる気がする。ただ、炎しか見えないから、それが誰なのかはわからない。
俺が反応しないものだから、母さんはいつも一人で泣いている。大丈夫だよ、と俺は語りかける代わりに笑うのだけれども、それは上手くいかずに――俺の身体は宙に浮く。そしてまた場面が切り替わる。
次に見た光景の中でもやっぱり炎はあったし、母さんは泣いていて、俺は、どこかに閉じ込められているんだろうと思った。
それはまるで――棺のような場所でもあって、ああそうか、やっぱり俺はもうすぐで死ぬのだろうと思うと納得してしまった。
夢の中の俺の身体には、どうしようもない程の喪失感が残されていて。この感覚を知っているな、と既視感を覚えるが、それがいつの事だったかは思い出せない。
やがて、炎が消える。その風景の繰り返しを俺はずっと見ている――と思う。
そうしていると意識が覚醒していく――また同じ夢を見ていたのか、なんていうことは分かる。ただ、いつもぼんやりとしか夢の内容は覚えていない。少なくとも、母さんが泣いているか――もうひとつ、母さんが泣きもしないで世界を滅ぼしているかのどちらかで。
それにしたって、どうして俺は同じ夢ばかりを見るんだろうかと自問するが、やっぱり答えは出てこない。
もう何度か繰り返しているこの感覚には慣れきったものだけど――それでも不思議な気分にはなる。
タン、タタ――誰かのステップのように響くフルオートの音。
また、爆風に飛ばされた何かが俺の視界の端で転がっていく。
そういう時は大抵、俺は地面に横たわっている――仰向けに寝転がると空ばかりが見えるものだから、こうやって。うつ伏せになって目を閉じてしまうのはいつもの癖だった。そうして頬に感じる熱や手触りなんかが世界の全てだと思い込みながら。瞼の裏が陽の光と砂嵐の黄色になりながら熱を帯びて、その感覚すらどこか遠くに消えて行くのが常だった。
息苦しいと感じているけど、息をするのが辛いのか、それとも熱いだけなのかもよく分からない。それでも、どうでも良かったから、俺はそれを黙って受け入れて目を閉じ続ける。
〝いつも〟のように静かに意識が沈み始めているような錯覚がある――夢の中に落ちていく感覚に身を任せた。
そろそろ、時間切れか。意識が遠のくのを感じながら、俺の意識はまた――途切れるのだろう。
そのいつもと同じ予想に安堵しつつあった。そう感じる。
ただその時だけはいつもと違う声が遠くから聞こえているような気がしたから――少しだけ、ほんの少しだけの期待を抱く。
そうしてまた、同じ夢が再生されていく。渇水に飢えながら俺は眠る。死ぬまで眠り続けて、その最後に。ようやく、終わるのかもしれない。