西の果てより あれはいつの頃だったか。幼かった時分。母へ好きな花を尋ねたことがある。
いつか時がきたら林檎の花を。
幼心にそう誓ったものの、次の季節の催しは遠い。そこで初めて聞いたのが「母の日」なる記念日だった。
その日は少し遠出をし件の花を摘んで帰った。
包装紙もリボンもない。汚れた手で花を差し出すと、たいそう喜んでくれたのを覚えている。
そしてそれが、最初で最後だったかもしれない。
人類への脅威が日に日に増していき、次第に人々は花を贈る日も心も忘れていった。
◆ ◆ ◆
夜が白む前にパオズの山へ向かい、一軒家の前に立つ。
寿の文字が鮮やかに描かれた玄関を最後に潜ったのは、もう何年前のことだろう。
手折った枝を丁寧に活ける花瓶の色形さえ既に思い出せない。
それでもこの枝を見ればきっと……きっと瑞々しい花のように顔を綻ばせてくれるだろう。
そう思いながら窓の縁へと枝を置き、深く頭を下げた。
東の果てのパオズといえど朝はまだ遠い。そっと身体を浮かせると、朝日から逃げるよう静かに西へと飛び去った。
朝日が昇ると同時に寝室のカーテンを開き、朝日を浴びる。
空の寝台へ呼びかけそうになって、開きかけた唇をつぐむ。
代わりに写真立ての中へ話しかけるようになり、もう何年経つだろうか。それですら、とうに心安らぐものではない。
チチの起床の気配で目覚め始める孫家の日々は、いつからか世界から切り離されたようにすっかり動かなくなってしまった。
台所の窓を開け、井戸から水を汲み――その帰り道で、ふと気付く。
枝だった。窓辺に置かれた根元に、湿らせた布を巻いた林檎の枝。
燦燦と降る朝日の中で膨らんだ蕾が芳しい香りを漂わせている。
「……いい匂い。今年も来たんだな……」
そっと窓から下ろし、顔を寄せるといっそう香りは濃くなった。
じきに白い花が咲き、甘酸っぱい香りが家中を満たすだろう……けれどこれは違う。
あの日、息子に教えた花とは違うものが咲く。
「あぁ、また手で切ってきただな……しょうがねぇ。これじゃせっかくの枝が腐っちまうべ」
ある年を境に毎年夜半に届けられるようになった枝の切口は鋏とも鋸とも違う、鋭い何かで断ち切られていた。そんな芸当ができる人間は――
「――きちんと鋏いれてやらねぇと……こういうのはデリケートなんだから……なぁ、悟飯」