おふたりさんの関係性都内ではそこそこラグジュアリーなホテルのそのまたプレミアムな客室に、かれこれ二週間近く連泊しているお客様がいる。
丁度私は今月そのフロアの客室当番で、ルームクリーンを希望されているその部屋にも毎日、掃除、アメニティの補充、リネンの取り替えとベッドメイキング、ゴミの片付けのため出入りをしていた。
坂ノ上様、三十五歳、会社経営
プレミアムツイン、お連れ様一名有り
最初の日に目を通したお客様の情報を頭の中で反芻する。
会社経営…一泊だけでもそれなりの料金の部屋に、何連泊も出来るだけ羽振りが良いということなのだろう。三十五歳。新卒入社したてで研修中の私からすれば随分歳上、一体、どんな方なのだろう?
私は悶々とその姿を想像した。髪型はきちんと整えて、身なりも上等なスーツに時計などの小物類もどれも高価で…背がスラッと高く、もちろん顔も端正で…
いやだ、私ったら…いくら駆け出しでもお客様から見れば私だってホテルマンのひとり…お客様のことをあれこれ詮索したり勝手に想像したり、そんなことしてたらいけないよね…
マスターキーで鍵を開け、誰も居ないのは分かっているけれど「失礼致します」と一声かけて進んでいく。プレミアムルームはリビングと寝室の二部屋からなるため、まずは奥の寝室へと向かった。
私の予想が正しければおそらく今日は…
ベッドルームの扉を開けると、真っ先に目に飛び込んで来たのは、寝具がくしゃくしゃに乱れたベッド。しかしツインベッドのもう一方は昨日整えたまま寸分の乱れもない…こちらはおそらく使われていないのだろう。
更にゴミ箱には丸められたティッシュが溢れんばかりに捨てられ、サイドテーブルの箱を覗いてみるとやはり使いきっている。
これまでにも、こんな風にいかにもな朝のベッド周りの状態が約二日に一回の頻度であった。昨晩何があったのかはお察しの通りだろう。別に構わない、備品を壊したり、部屋の内装に影響を及ぼすものでなければお客様がここで何を致そうと。我々はプロとして粛々と、まるで何事もなかったかのようにもとの状態に戻すだけ……しかし、しかし私にはどうしても気になることがあった。
宿泊者情報によると、坂ノ上様にはお連れ様がいる。勿論それでツインを利用しているのだろうが、その連れ…として利用者欄に明記されていた名前には「伴勇人」様とあった。どう見ても女性の名前には見えない……とすると、方や一晩中使われなかったベッド、方やシーツの乱れたベッド…その意味するところとは…このふたりが片方のベッドに寄り集まり、ティッシュを大量消費する何かをしていたのではないかと、察するに難くないではないか!
盛大に使われた方も、全く使われなかった方も、二台分のシーツをベッドから引き剥がしカートに突っ込む。ゴミ箱の中身は全てゴミ袋に移し替え、新しい箱ティッシュをおろしてケースに入れる。それからサイドボード、ヘッドボード、ありとあらゆる部分にアルコールスプレーを吹き掛けて丹念に清めた。
最後は、クリーニング済みのシーツをベッドに被せ、きちんと整えたら寝室は完了!次はリビング…その場を離れる。
頭に思い浮かぶ余計な考えをかき消すように、無心で作業を進めたのだった。
ほら、見てあれ!あれがプレミアムツインにお泊まりの坂ノ上様よ!
廊下の脇で荷物運搬用のエレベーターを待っていたところに、同僚がヒソヒソと耳元で囁いた。
私はハッとして、目玉だけを動かすとそれと分からないよう、彼女の目線の方向を辿る。
こちらからは真反対の廊下の奥に、ひとりの男性の姿が見えた。その様子たるや、いつか私が思い描いたそのまま…いやそれ以上で、まるでモデルか俳優かと見紛うくらい格好が良い。思わず息を飲んだ。同僚はあちらから見えるのも構わず、うっとりとした表情で目が釘付けになっている。
坂ノ上様はそんな私たちに気付くと一直線にこちらへ近づいてきた。長い足のストライドのせいか、予想より早く目の前までやって来る。
間近で見るとなおのこと、その輝くような見目の良さに目眩を覚えた。
「君たち…いつもありがとう、助かっているよ…」
「は、ははは、はい、こちら、こそ、ご利用、ありがとう、ございます」
同僚は緊張のあまり噛み噛みで返事をし、思い切り腰を折って頭を下げた。私もつられてお辞儀をする。
見えた足元は、折り目のついた白いスラックス、裸足に高級ブランドの革靴。
と、もう二本。足首までの黒いスキニーパンツに有名スポーツブランドの派手なスニーカーの足が見える。
頭をあげると、坂ノ上様の身体にすっぽり隠れるようにもうひとり、男性が立っているのに気付いた。
靴と同じブランドのキャップを目深にかぶり、口には棒付キャンディーを加えている。
そうか、この人が…ば…
「伴、行こうか…」
私が思い返すより先に、坂ノ上様は少し振り返ってそう声をかけた。伴様をともない、もとの廊下を引き返そうと一歩進みかける、しかし何かを思い出したように
「あ、そうだ、コレ…」
坂ノ上様はスラックスの尻ポケットからマネークリップでとめただけの札束を取り出すと、私と同僚、それぞれに一枚ずつ差し出した。少し皺になった福沢諭吉と目が合う。
「少しばかりだけど、とっておいて!」
「い、いけません、お客様!こういったものは受け取れません…」
「いいじゃない、そのままポケットに入れちゃえばバレないよ」
「いえ、決まりなので……お気持ちだけ、いただいておきます」
「でも一度出したものは引っ込められないよ…」
「で、ですが…」
すると伴様がすっと手を出し、食い下がる坂ノ上様を制して
「あんま無理言って困らせるのやめましょーよ」
とぴしゃりと言い放った。
すると坂ノ上様は「残念だな…」と呟き出した手を引っ込める。
「じゃあ、俺たちもうしばらくここに居る予定だから、これからも頼むよ」
そう言って、廊下の中程まで戻ると自室へと入っていった。
同僚の方へ目を遣ると、興奮した様子で胸を押さえ、格好いい~ドキドキしちゃった~と大はしゃぎである。
私もにわかに高揚した心を必死で沈めようと深呼吸をした。
坂ノ上様に伴様…つまりあのふたりがそういう関係ってことよね?…二日にいっぺん……前回は一昨日の晩のものを昨日片付けたから……今夜!丁度今夜だ!この後…きっと…
それから更に10日ほどが過ぎた。相変わらず、定められたように決まったスパンで行われる密やかな情事…その痕跡を綺麗さっぱり消し去る業務に、私は勤しんでいた。
ある日のこと。中番の同僚が急な体調不良で休んでしまい、他に交代可能な従業員も居なかったため、私が数時間、残業で対応することとなった。深夜帯の交代者が来るまで…しかし平日であるためかそこまで忙しくはなく、時間は淡々と過ぎてゆく。手持ち無沙汰にふと、あのおふたりのことが頭をよぎった。
結局、実際に会ったのはあの一回だけで、私がルームクリーンに入る頃にはもう出掛けているし、お戻りもいつも、私が勤務を終えて帰った後なのでどうしてもすれ違ってしまう。
あれは本当に、まぐれ偶然一回限りだったんだなぁ……
退勤し、家路をとぼとぼと行く。仕事を終えてもまだ、私はふたりのことを考えていた。
本当に、あのふたりがそんなことをしているのだろうか?
そんな疑問が沸いてくる。
二日に一度、どちらかが不在になった隙に、そういう商売の女の人を呼んでいるのかも?
あるいは奥さん?彼女?…いや、なんとなくそれは違う気がする…
その時丁度、いつもの公園の入り口に差し掛かった。この中を抜けていくと、公園の外周に沿って行くよりも、かなりショートカットができるのだ。でも今日は残業のせいでいつもよりだいぶ遅く、周囲はすっかり夜闇が帳を下ろしている。
公園の遊具が、暗く沈んだ中にシルエットだけを浮かび上がらせていて少し気味が悪い。街灯が多くて明るい外周道路を行った方が良いか…いや、それだとあのドラマの時間に間に合わない、あれだけは、どうしてもリアルタイムで見たいんだ!
私は意を決して暗闇の公園内へと歩を進めた。入ってしまえばたいしたことはなく、そこはただの夜の公園。
誰もいない夜の…
ほぼ中ほどまでやって来たところで私ははたと歩みを止めた。何故なら10mくらい先、タコ型滑り台の下り口付近に人の影を認めたからだ。
目を凝らすとその人影は、ふたりの人物がぴたりと身体を密着させて…つまり抱き合っているのだと判った。
それだけでない。幾度も角度を変えながら顔と顔とを重ね合わせ、熱烈なキスをしている。
耳をそばだてればくぐもった吐息の息遣いが聞こえてきて、なんとも言えない気持ちになってくる。
私は棒立ちになってその様子を見つめていた。
知らない人ではなかったから。そのせいで食い入るように見入ってしまったのだ。
同時に私の疑問もさっぱりと解消した。
やはりふたりは、そういう仲なのだと。
こちら側に背を向けて立つ伴様は、坂ノ上様の首に手を回すと、ぐっとその頭を引き寄せた。
坂ノ上様も伴様の腰に遣った手を下の方へ伸ばすと、タイトなパンツが丸いラインを形作る美尻を激しくまさぐる。
口付けも呼吸も、更に激しさを増してゆく。
見ている私も、自然とそのリズムに合わせて息が荒くなってくる。
しかしふたりが夢中になっているのを良いことに、私は油断してしまった。
坂ノ上様が不意に持ち上げた顔。見開かれた瞳は真っ直ぐにこちらを射抜いて、おそらく、目が合った。
瞬間、私は我に返り脇目も振らず走って、もと来た道を引き返した。
顔を見られた!
いや、あんな暗がりで分かるはずは…でもこちらからもあちらが判別できたように、向こうにもこちらが見えていたかもしれない…
どうしよう、どうしよう、どうしよう…
家についても生きた心地がせず、暫くの間玄関に立ち尽くした。
見たかったドラマはとっくに始まっていたけれど、そんなことはもうどうでも良かった。
都合よく、その後ふたりに遭遇することはなかった。先方からのアクションも特に無く、二日に一度のベッドの乱れに心動かされることもなくなったある日。
いつものようにクリーンに入り、粛々と作業を進めているとベッドのサイドテーブルに見慣れた人物の肖像を認めた。
福沢諭吉…が5人…と、白いメモが一緒に、散らばらないようペーパーウエイトで留められている。
手を触れないように気を付けつつ、メモ書きに目を落とす。
そこには走り書きの文字で次のように綴られていた。
「いつもありがとう、先日は驚かせてしまったようですまない これは調べればすぐに分かることだから言ってしまうが、私には妻子もあるし、社会的な立場もある つまりこれは心付けではない、口止め料だ、だから受け取ってもらわなければ困る このメモごとポケットにねじ込んでくれて構わない」
背筋にピリッと電流が走り、冷や汗がジワリと額に滲むのが分かった。
これは受け取らない方が不味そうだ……
私はお札とメモを一緒くたに、ぐしゃりと掴むと制服の胸ポケットに突っ込んだ。
これで私も不倫擁護の共犯者になったという訳だ。