ブラ晶♂短編「最近、しけたツラしてやがんな。ずっと」
晶が中庭で賢者の書を読んでいると、頭上から、不思議に鋭さと甘さを併せ持つ、低い声が聞こえてきた。
「ブラッドリー。こんにちは、また飛ばされちゃってましたか」
声の持ち主は、元盗賊団のボスで囚人の賢者の魔法使いだ。晶は、彼の肩に担がれた肉の塊を不服な旅の土産物だろうと判断し、そう尋ねた。ブラッドリーは晶の問いには答えず、しかし思わぬ収穫には満足してるのか世間話を続けるつもりはあるようで、魔法で肩のそれをどこかへやると、ドカっとベンチの空いている方に腰を落とした。
「で?理由は」
「そんな、情けない顔してました?最近立て続けにいろんなことがあったから、少し疲れてるのかな、あはは」
頬を掻きながら晶が答えるが、ブラッドリーはその返答に納得しなかった。それは、彼の性格上、その態度にも顕著に表れる。晶を一瞥したあと背もたれにかかった両腕の一方を動かし、手の平に顎を乗せ、そっぽを向いて大きなため息をついた。それは晶の耳にもゆうに届くものだった。今度は晶が心情を態度に表す方だった。もっとも、晶のそれは自分でも抑えがきかないものだが。僅かに身体を強ばらせ、ブラッドリーの顔色を密かに確認しようと試みる。そんな晶の雰囲気をこの意外にも目敏い魔法使いは察し、晶が少し驚くほどの速さで身体の向きを変え向かい合うような体勢になると、その勢いのまま口を開く。
「それだよそれ!それが気に食わねえ!前はもっと肝っ玉座ってただろ、てめえはよ!俺様の厄災の傷を、小旅行みたいで楽しそうです〜、とかなんとか言ってたてめえはどこに行っちまったんだよ!」
あまりの剣幕に、晶は唖然とする。でも、傷ついたり腹が立ったりはしなかった。ブラッドリーの、怒っているのと変わらないような乱暴な言葉の端々に、在りし日の自分への好意的な感情や、現在の自分を心配する感情が、滲んでいるように感じたからだ。怒鳴られているのにほっとする、変な心地だった。そして、まるでブラッドリーに導かれるかのように、晶は、ぽつり、ぽつりと心を吐露しはじめた。
「俺、自分が言葉を、賢者の魔法使いの皆さんにかける言葉を、もし間違ったら、みんな、に、嫌わ…みんなから信頼を、失うかも、って、思って、それで、俺、そしたらひとり…」
途中、しゃくりあげるように話した後、最後は口の中に消えていった。晶はもう何も言えず、ぽろぽろと涙を流すことしかできなかった。ブラッドリーは晶を数秒見つめたあと、こう告げた。
「賢者、今のおまえは少し傲慢だ。誰からも信頼を失いたくねえ、誰からも嫌われたくねえってのは、相手を蔑んでんのと同じだ。お人好しのてめえにそんなつもりないことは知ってる。けどよ、心は自由だ。てめえを信頼するもしないも、相手の自由なんだよ。それを上手くコントロールしようなんざ、あまりにも身勝手だぜ。でもな、晶」
萎れた花に水をやるかのような、彼にしては珍しい声色で穏やかにここまで話すと、大きな手で晶の両頬を包み、少しかさついた親指でその涙を拭いながらこう続けた。
「晶、俺は、本来のおまえが人間には珍しく傲慢じゃないことも、俺たちを知りてえだのなんだのってあちこち走り回って毎日せかせかやってんのも知ってる。それでいいんだよてめえは。そこまでやって嫌われたんならそれでいいじゃねえか」
「でもブラッドリー、俺、もし、みんなに嫌われたら、俺、いる場所が…」
「だから。おまえは今まで俺の何を聞いてたんだよ。さんざん言っただろ、俺の子分にして、立派な盗賊にしてやるって。俺はてめえを気に入ってんだ。そんなもん、みすみす逃してたまるかよ」
晶が思わず見開いた目に、ブラッドリーの、ちょっと呆れたような、でも幼子を愛しむかのような表情が映る。普段は顰められているか不敵な笑みが浮かんでいることの多いその顔は、よくよく見ると大きな目が人懐っこく、童顔に見えることもある。そんな彼がつくった穏やかな微笑みから、晶は目が離せなかった。彼の言葉が、表情が、手が、涙を拭おうと頬をなでる親指が、宙に浮かんだ晶の足を引っ張って、地面を教えてくれているような心地だった。
ブラッドリーの言葉を全て実践できるわけではない。どうしたってこの世界に拠り所がここしかない晶はそのことを恐れて眠れない夜が今後もあるだろうし、できれば賢者の魔法使いみんなと信頼を築きたい。だけど、もし崩れ落ちてしまいそうなとき、今日の午後のこの出来事が支えになる気がすると思った。
「はい、ボス」
目や鼻を赤くしながらも、晶の顔にはいつものような控えめな笑顔が、ふんわりと咲いた。ブラッドリーも満足したように笑い、晶の髪をぐしゃぐしゃ、とかき混ぜた。