ブラ晶♂短編2ミスラが気まぐれに寝かしつけを断り、書類仕事もひと段落ついていて、彼がくしゃみによる理不尽な旅を強いられていない、小さな小さな奇跡が重なった夜に、晶は、彼の部屋の扉を控えめに3回ノックする。すると、「おー」という、入室許可なのか挨拶なのか分からない返事が聞こえる。晶は最近この曖昧な返答に気安さの他に照れ隠しを感じ、若干口元が緩んでしまう。
女に困ったことはなかったと豪語する彼が、今までに比べるとあまりにもささやかで清らかな恋愛にたまに戸惑いや小恥ずかしさを抱いているらしいことに気づいたのは、恋人になって何か月も経ってからだった。大雑把で単純に見えて実は頭脳明晰で冷静な彼は、晶よりもずっとずっと器用で、それに、結構カッコつけたがりだ。高価な星海珠はあんなにスマートに寄越すくせに、「ホワイトデーのお返しとやらだ」と歪なクッキーをくれるときや、雨が打ち付ける窓から中庭を見つめる晶に「あー、あの子猫なら呪い屋がしまってたぜ」と教えてくれるときは、どことなく気まずそうなうえに欠けた耳の先端がほんのり染まっているのが、なんとも愛おしいのだった。
そんなことを考え胸の内を甘くざわつかせていた晶に痺れを切らしたのか、ドアが向こうから開かれた。「何やってんだよ」とでも言いたげに片眉を上げて口元が歪んだ表情すらハリウッド映画の俳優のようにさまになっており、参ってしまう。あなたのことを考えていましたなんてキザなことが言えるはずもなく、肩をすくめて「こんばんは」と言うにとどめると、顔に疑問を浮かべたまま半身をずらして部屋に招いてくれた。
酒が飲めないのに晩酌の時間を共にしていいのかと、最初の頃は肩身が狭いような気持ちがして落ち着かなかったが、どこから仕入れてくるのやら、毎度美味しい茶やジュース、軽食だったり菓子を用意してくれているのに、彼も楽しみにしてくれているんだと気づいてからは、晶も心からこの時間を待ちわびることができるようになった。革張りのソファベッドに腰を落ち着けると、今日のメニューがテーブルに並ぶ。珍しく、山盛りの果物だった。
「わ!美味しそう……こんなにたくさんどうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもねえよ。昼間飛ばされた先がジジババがやってる農園だったから、かっぱらってきた」
かっぱらってきた、なんて宣っているが、不機嫌に尖った下唇から察するに収穫を手伝わされでもしたのだろう。この大量の果実はそのお礼にちがいない。彼は年寄りに優しいところがあるから。そんな憶測を胸にちら、と彼に顔を向けると、指先で頬をそっと押され前に戻されてしまった。親しい友人のようなやりとりが楽しくてくすくすと笑い声が漏れる一方、心臓はかすかに高鳴る。右の頬に彼の指先が触れただけなのに、脳がその感触を何度もリピートする。ああ、これが恋なのかもしれない、なんて舞い上がった心が月並みの詩を紡ぐ。自分にこんな乙女チックな一面があるなんて晶は知らなかった。
「じゃあ、これいただきます」
甘い雰囲気もやぶさかではないがもう少しこの軽やかな時間を楽しみたい晶は、何でもない風を装いつつ果実の山から一つ選んで手に取った。晶の世界でいう桃に似ている。しかし、桃よりも赤みが強く幾分か平べったいし一回りほど大きい。何よりうぶ毛がなくつるりとしている。どちらかというと、大きなプラムという感じなのかもしれない。齧り付くでもなく果物を見つめている晶に、ブラッドリーは
「どうした」
と尋ねた。正直なところ、ここに来る前にいた世界に似ているものでもあって、面影を重ねでもしているのだろうと検討はついていた。しかし、晶はあまり積極的に元の世界のことを話そうとしない。こちらの世界のことや魔法使いのことを知ろうとするばかりで。だから、懐かしんでいるときくらいはと思い出話のきっかけを与えたのだ。
「俺のいた世界にも似たフルーツがあったんです。でも少しちがっていて。ほら、つるっとしているでしょう?俺のところのはもっと柔らかいかんじで、うぶ毛が生えているんです」
思惑通りというと聞こえが悪いかもしれないが、ブラッドリーの知らない遠い世界の話を聞くことに成功した。
「うぶ毛っていってもちょっと硬くて。撫でるとほんの少しだけチクチクするんですよ」
「へえ、そりゃ残念だな。うぶ毛っていうから期待したってのに」
「期待?」
「悪くねえぜ、うぶ毛」
そう言ってブラッドリーは晶の頬をする、とひと撫でした。実は晶が来る一時間ほど前から既に呑み始めていたのだ。酔っていたのかもしれない。気分が良いままに口が回るのを脳の隅に追いやられた冷静な自分も止めようとしなかった。
「いつだったか夕日見たろ。そんときのてめえのはきらきら光ってて可愛かったぜ。柔らかそうで撫でたくなる」
ああ、と思った。これは誰にも、もちろん本人にも言わず俺様だけのもんにしようと思ってたんだがな、と。こんなに甘ったれた性分じゃなかったはずなのにどうも晶に絆されつつあると、ブラッドリーは自分に呆れた。そんな彼の方を向いたまま固まった晶の顔は、いっそ滑稽なくらい真っ赤だ。馬鹿みたいに初心で、愛おしい。
晶は衝撃と混乱とその他もろもろで文字通り沸騰しそうなのを誤魔化すように震える手で桃(仮)を口元に運び、同じく震える唇を開き齧り付いた。溢れる果汁をちゅ、と吸う。ふいにブラッドリーの腕がこちらに伸びてくるのが視界の端に映った。それにつられるように彼の方を向くと、無骨な手は晶の首筋を辿ってあっという間に後ろに回り込み、その大きさを遺憾無く発揮し晶の後頭部ごとうなじを包み込み、引き寄せた。果汁に甘く濡れた唇に、ブラッドリーは噛み付くようにキスをした。