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    やきが氏

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    やきが氏

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    #エルランド
    #とんスキ
    greedyPerson

    エルフのお客さん仕事の日は毎晩色んな人の相手をする。
    店の部屋で相手をすることがほとんどだけど、信用のある大きな商店から頼まれれば、お客の元へ出向くこともある。
    男性の相手をするのは、
    もちろん時々嫌だと思うこともあるけれど、
    お店がおかしなお客を払ってくれるので、
    嫌だと思う理由は、単に自分の異性に対する好みの範囲だ。
    どんな行為を売り物にするかはその時の料金次第だけれど、全裸にならなければならないようなことはほぼない。
    とても高く料金が設定されているため、あまりそこまで望むお客がいないからだ。
    もちろん、こっそりそうして欲しいと言ってくる人はいるが、断るのは難しくない。
    ただ……この展開は初めてだった。

    「まさか寝室を共にする女性が用意されているなんて思いもしませんでしたよ。
    ……参ったなぁ。」

    部屋に入ってきた男は迷惑そうでも嬉しそうでもない、ただただ驚いた顔をして入口で立ち尽くした。
    フードを目の上まで被ったスラリとした男だ。

    今夜の宿は宿泊に使うには広い部屋だ。
    夕方から朝まで過ごすだけなのに2部屋もある。
    浴槽こそ無いものの、体を洗える魔石の浴室まで付いているのだ。
    一応軽く挨拶をすると、ようやく男は困ったように名乗った。

    「……ダンジョン都市ドランで冒険者ギルドのギルドマスターをしています、エルランドといいます。
    …ええと、もしかして店からは朝までここで私の相手をするように言いつけられてるんですかね。」

    彼には彼女のことは伝えられていなかったようだ。
    相手の意向に従いお相手を、と言われている。
    そう伝えると、エルランドは「やっぱりか」と笑った。

    「商業関係の方の接待は仕方ないですねぇ。
    なんだか含みのある言い方ででこちらの宿に送り出されたと思ったんですよね。
    言ってくれればそのような気遣い不要ですと言えたのになぁ。
    ……まぁ、いいか。」

    そう言いながら、緑色のクロークコートを脱ぎ、コート掛けにかけた。
    息を飲むほど見た目のいい男だ。
    真っ直ぐな長い金髪、頭身の高い整った体型、美しい肌で作られた清潔感のある顔、青みのある瞳がにっこり細められる。
    冒険者ギルドのマスターだと聞いていたから、もっととんでもない感じの人が来ると思っていた…
    もっと年上で、もしかしたらすごくおじいさんかもとも…
    「…」
    彼は部屋を見渡し、少し唸った。

    「今夜から明日までのあなたの仕事内容を、どなたかに報告するような義務がありますか?」

    どういう意味での質問が分からなかった。
    依頼主からはなにか聞かれるかもしれないが、何かをしろとは言われていないのでおそらく何も無いだろう。
    そもそも彼女はなんの権限も持ち合わせない店の女なのだ。

    「そう。
    よかった。
    こんなこと言うのもなんなのですが、何もしなくていいですよ。
    それに私、今日とても疲れていましてね。
    一刻も早く寝たくて…
    さっき部屋を見渡したのは、寝台が一つしかないから困ったなと思っていました。」

    彼は寝台の上に置いてあった夜着を取り、彼女が困惑顔で座っているテーブルに、部屋の壁に作りつけてある棚から出したお茶のセットと焼き菓子の缶を置いた。
    そして缶の中の小さな焼き菓子をひと欠片サクッと口に放り込み、「うん、上等な菓子ですね。美味しい。」と言って彼女の前に並べる。

    「こういう大きな宿での仕事は初めてですか?
    宿代は先様持ちなので好きにすごしてもらっていいですよ。
    私はしばらく失礼して着替えてきます。」
    そう言い置いて浴室へと入っていった。

    本当になんにもしなくていいんだろうか??
    歳若い彼女は不安になる。
    何もしなかったとして、あとから告げ口されたり、叱られたりはないんだろうか。
    なんにもしなくていいなら、何していたらいいんだろう…
    彼は浴室に入って行ったけれど、それはそのあとなにかするためではなく、ただ単に浴室が付いているから浴室を使っているだけなんだろうか。
    料金外のことをしてくれと言ってくる客はいても、料金を払ってなんにもしなくていいという客なんて聞いたことない。

    ……もっと他の女の人が好みとか??

    彼女は自分の体を見下ろす。
    自慢じゃないが、この仕事を始めてから不満を貰ったことなどない。
    お金のために決めた仕事ではあるけど


    今夜のお客はおじいさんかもと思っていたので、あからさまな服ではなく、体の形をあまり強調しない服を選んだのがいけなかったんだろうか?
    …もしかして、目の前に触ってもいい女がいても、別に触らなくてもいい男って本当に居るって事だろうか。
    ……女の人に触りたい男の人が来る店で働いているものだから、そんな男居たとしてもそういう清廉なつもりの見栄はりだと思っていたのに…。

    それとも、もっと華奢で、胸もおしりも小さいような、ほっそり少女然としたひとが好みとか…??

    それなら自分は真逆だ。

    困った…どれが本当なんだろう。
    どうするのが正解なんだろう。

    ぐるぐると頭を回転させていると、パタン、と控えめな音がして彼が浴室からでてきた。
    ちょっとだけ、「やっぱり気が変わったから抱かせてくれ」と言われるのを期待した。
    その方がいくらか気持ちが楽だ。
    だが、そちらに目をやると、彼はしっかりと夜着の合わせ布を首もとまで止めて、露出の少ない格好で、洗い髪だけ少し濡れた姿で出てきていたのだ。
    完全に〈これから就寝する人〉の姿だ。

    「濡れ髪で失礼、ひとに見せる姿では無いですね。」

    濡れ髪どころか
    毎日色んな男の裸を見てるのだが…?
    これは本当に、
    何もしなくていいんだろう…か?
    でもどうして?
    彼は隣の部屋にある身支度用の鏡台の前で髪をササッと梳き、前髪を上げてテーブルの方へやってきた。
    彼女が手をつけていなかったお茶のセットの中から、伏せておいてあったカップを一客取り上げたので、彼女は慌ててその手を止めた。
    何もしないのであればお茶の用意くらいは自分がしなければ。
    そう思い彼の手からカップを受け取り、ポットにお茶を用意する。
    魔石を使った加熱ポットだ。
    ……使ったことがある道具でよかった。
    これらはこの仕事をしてでもいなければなかなか庶民が使える様な道具では無いのだ。
    沸いた湯でお茶を注ぐと、彼は笑って礼を言い、それを受け取り口をつけた。
    「こういったものには全く詳しくありませんが、いい香りのお茶ですね!
    …お茶…かな?
    ともかく、甘い香りが美味しい。」
    ニコッと笑って熱いお茶を少しづつ口に入れる姿がやけに楽しそうで気が抜けてしまう。
    自分でもカップに半分だけ注いで口をつけてみる。
    果実の香りがする優しい果実茶だ。
    「あちらに女性用の夜着の用意もありましたよ。
    夜を過ごせとの依頼でしたら化粧道具や髪結の道具も持ってきていますよね。
    寝支度をするのに化粧等落とすのであれば、
    質の良さそうな精油も置いてあるようでしたので、浴室を使うのもいいと思います。
    ………あ、私が先に使ってしまった後で申し訳ありませんが…」
    二杯目のお茶を自分で注ぎ、ふぅふぅと呼気でそれを冷ましながら彼は笑う。
    「もうしばらくしたら私は寝ます。
    あなたの身支度や浴室帰りの姿を見るのは忍びないので、私が寝台に入ったらどうぞこの高い宿を堪能してください。
    ………大変申し訳ないんですが、寝台はひとつなので、それだけは一緒に使いましょう。
    なるだけ壁側で寝ますね。」
    申し訳なさげに笑って彼はまた一口お茶を口に含む。
    「あっ」
    不意に何かを思いついたように彼は声を上げ、カチャンと音を立ててカップを置いた。
    「あの、完全に歓楽街の方だと思って話していましたが………間違いないですよね?
    なにかの理由で脅されて無理やりこの部屋に押し込められた誰かの娘さんだとか、そういうのではありませんね?」
    何を言い出すかと思えば。
    彼女は彼の想像力に少し吹き出して自分の務める店の名前を告げた。
    彼はほっとした様子でカップを持ち直し、安心したように中身をグッと一気にあおった。
    「よかった。
    そういう犯罪がどの街でも年間数件は起きますからね。」
    ふぅ、と息をついて少し天井を見て、首をかしげ、彼は彼女の顔をじっと見つめた。
    じっと見られる理由がわからず少しソワソワしてしまったし、彼の表情が何かを探すような顔だったので疑問も覚えた。

    「…失礼ですが、私にどこかで会った事ありますか?
    私の方には全く覚えがないのですが、なぜかあなたの顔には見覚えがある気がしています。
    もしくは近しいお身内に冒険者が居ますか?」

    全く会った記憶が無い。
    エルフ自体、この小さな町ではほぼ見かけたことがなく、ましてやこんなに容姿整っていたら忘れないと思う。
    そして身内に冒険者業をしている人もいないはずだ。

    「……うーん…どこかで会った誰かの空似かなぁ…。
    まぁ、いいか…」

    冒険者ギルドのマスターは、元々冒険者でなければなるのがとても難しいと聞いたことがあるが、目の前のエルフも冒険者なのだろうか?

    容姿で冒険する訳では無いだろうし、攻撃する役ではなく、回復だとか、魔法を主に使うだとか、そういう役割もあると色々なお客からの話で知ってはいる。
    目の前のスラリとしたエルフはどんな冒険者だったのだろう。

    「私ですか?
    現役時代は主に剣を使っていましたよ。
    エルフなもので、魔法なんかも割と使いますけれど、基本的に前線に走っていって接近戦する役目でしたね。
    私一番乗り好きなんですよね。」

    意外な答えが帰ってきた。
    子供の頃聞いた昔話や、種族のイメージからエルフというものは遠くからの弓矢や魔法で戦うものだとばかり思っていたからだ。
    それに、一番乗りが好きだなんて、子供のような理由までも。

    「ああ、弓矢ですか。
    一応嗜んでいますよ。
    身内に教えてくれる方がいましたのでひと通りは。
    ただ、私の性格的に剣の方が良かったんでそうしました。
    それに、……例えば1人で夕飯用の肉を狩りに行ったとしますよね。
    遠くから鳥を射て、拾いに行くまでにほかの魔獣に獲物を取られたりしちゃうこともあったので腹が立ってしまって。
    それなら四つ足で突進してくる肉を剣で捌いた方が確実ですもんね。
    夕飯にありつけない理由が武器の性質なんて笑えないですし。」

    突進してくる肉がなんの動物のことかは分からなかったが一理ある気がした。
    ただし突進してくる肉に怪我をさせられる可能性も大いにあるのだろう。

    彼女のお客の半分は冒険者だ。
    彼らの話を聞くのも仕事なのでよく分からないながらも耳を傾けている。
    冒険者は自分の仕事のことをよく喋る人と、全く仕事の話をしない人にキッパリ別れる。
    そしてもうひと種類、自分以外の冒険者の話を聞きたがる人が一定数いる。
    そんな時は話していいかどうか迷う。
    そんな人たちの中にはほかの冒険者の具体的な容姿だとか行先だとかを知りたがる人もいるのでそういうのは少し怖い。

    「情報収集能力の低い人なんかは女性に聞く場合も多いですもんね。
    それにしたってその聞き方は不信ですし下手ですね。
    ふふ。
    単にほかの冒険者が何をしてるのか知りたい人もいるでしょうけれどねぇ。
    こんな言い方はあなたに失礼かもしれませんが、閨ごとの相手に話す内容はおそらく何割増しかになっている場合が多いのであまり正確とは言えないと思うのですがね。
    お店に来る冒険者のお客の中には名乗らない人も多いでしょう?
    あったことも無い人に因縁つけられる可能性を可能な限り減らしたいんでしょうね。
    そちらは賢いやり方だとは思います。
    ただ、お店の人もそう簡単にペラペラ喋ったりはしないでしょうにね。
    あ、私のことは事細かに話していただいて結構ですよ。
    ドラン冒険者ギルドのギルドマスターエルランド、
    わざわざ一晩分の代金をよそ様に支払っていただいているのに普通に就寝して帰りましたって。」

    可笑しそうにあははと笑い、エルフは器用にもそのままあくびをした。

    「そう言えば……私疲れてるんでした。
    あなたに失礼のないように今夜のお仕事を断るにはどうしたらいいか考えてちょっと緊張してしまってましたね。
    年甲斐もなく。」

    年甲斐もなく、などという言い方が適切だとは思えない容姿をしているような気もするのだが、エルフは長命だ。
    容貌どおりの歳ではないのだろう。
    ……もしかしたら、今夜なんにもしなくていいのはそういう理由もあるのかも。

    眠たいと口にし、本当にすぐにでも眠り込んでしまうのではないかというくらいの大あくびを数回して、エルフは椅子から立ち上がった。
    下唇を噛みながら手のひらで目を擦る姿は随分無防備な様子に見えた。
    元冒険者…なのは本当なのだろうけれど…


    「では先程告げました通り、私は寝台の端に小さくなって寝てますので、浴室等楽しまれましたら空いてるところ使って休んでくださいね。
    それではおやすみなさい。」

    止まらない欠伸を少し噛みつつ、彼は広い寝台に靴を脱いでよじ登り、本当に本当に壁際に這いずって行き、パタッと横になった。
    もそっと少し動き、体の上に布団を引き上げると、そこからピクリとも動かない。

    そんな寝入り方ってあるだろうか??
    子供でもあるまいし。

    彼女は音を立てないように気をつけながらそっと寝台に近寄り、1番奥で壁を向いて横になってい彼をうかがった。
    呼吸に合わせて肩が上下しているので本当に寝に入ったようだった。

    まぁなんというか、失礼というか、自由と言うか。
    料金が発生しているので彼女としてはラッキーなお客ではあるのだけど。
    身体の線がでにくい服を選んだとはいえ、地位のある人の相手だと思ったからこそ化粧だって髪型だって、彼女の歳からしたら少し背伸びをしたようなものにしたというのに。
    なんにも褒めずに一人で眠るなんて。
    こんな人もいるのか…。

    ちらっと隣の部屋の方を見る。
    女性用の夜着もあると言っていたし、これだけ大きなお宿だったらもしかしたら流行りの石鹸も置いてあるかもしれない。
    お客が寝たのであれば、彼に言われた通りこの高い宿の中を楽しんでみてもいいのかも。



    夜着の生地の肌触りがとてもサラサラしていて感激してしまった。
    お店の姉さんがお金に余裕が出来たら寝巻きは高いの買ってみなと言っていた理由がこれか!
    これは素敵だ。
    こんな高い宿と違い、自分の住む狭い部屋の中なんかでこんなに上等の寝巻を着て寝るのは滑稽な気もしたが、それでも欲しいと思ってしまうほどには着心地が良い。

    サラッとした薄い生地は触るとひんやりしているのに身につけているところは優しく暖かい。
    首元も胸元も全くきつくなくて、それなのにだらしなくない。
    浴室の石鹸も香り付きのものが置いてあったし、湯上りに使う化粧用精油が置いてあるのが気が効いていてよかった。

    今夜仕事をしなくていいと言われた時は戸惑ったけれど、ただの幸運な夜だったな、と彼女は鏡の前で髪の手入れをしながら少し笑った。
    広くて清潔な高い宿で
    石鹸も精油も用意してあって、
    高い夜着も初めて着た。
    彼女の感覚ではそんなに遅い時間でもないのに、今は鏡台の前で髪の手入れをしている。

    しかも、同じ部屋にいるのは脂ぎったおじさんでもシワシワのおじいさんでも乱暴な言葉遣いの嫌な男でもなく、熱いお茶をフーフーして飲むような見た目の良いエルフの男性。

    こんな幸運な夜、きっとこの仕事を辞める日までもう来ないような気がする。
    しかもいちばん高い料金を貰っているはずなので彼女の懐はいつもより少し潤う。
    ……こんな幸運下手にお店で口にしたら嫉妬されて軽い嫌がらせ受けてしまうかも。

    そのくらいには安息の夜だ。

    髪の手入れだって眠さに目を擦りながらじゃなくてちゃんと終わらせられたし、お客さんと同じ寝台ではあるけど、ふんわりした布団と枕で眠れる。
    それも、洗いたての匂いのするまっさらな敷布の上で。
    これから眠るというのに、なんだか浮き足立ったような楽しい気持ちになってしまう。

    寝台の端で寝ている彼を起こさないように足音を殺して歩き、そろっと布団の上に登る。
    ちらっと見ると、先程寝始めた時と全く変わらない姿のまま寝ている。

    彼女はこういう仕事をしているのだし、何もしないにしてもそこまで気を使ってくれる必要は正直なかったのだが…。
    もしかしてだけど彼の方が知らない女性と急に同じ部屋で過ごすのか嫌だったのかもしれない。
    それとももしかして、彼女がまだ若い娘なので逆に食指が動かなかったのかも。
    もしそうなのであれば、店に依頼してきた依頼主のリサーチ不足のせいだから彼女には本当にどうしようもない。
    もちろん、こんなにすんなり眠ってしまっているので、服を脱いでどうこうするようなこと、とてもじゃないけどやっていられない程に本当に疲れていたのかもしれないけども。

    眠るために自分の方に枕をひとつ引き寄せた時に、彼の金髪が少し枕に引っかかってついてきた。
    部屋の明かりの消し方がよく分からなかったので、魔石の優しいあかりがつきっぱなしの部屋でエルフの真っ直ぐな金髪が光って見える。

    子供の頃、家の近くの大きなお屋敷に、こういうお人形が飾ってある窓があったな。
    時々髪のリボンや服が着せ替えられていて、お使いでそこの前を通る度に、可愛くて思わず長い時間見つめていた。
    自分の赤茶色のくせ毛も、褒めてくれる人が沢山いるので別に真っ直ぐな金髪が羨ましいだとかは思わないけれど、それでも綺麗だとは思う。
    手で梳くと、サラサラと指の間を冷たくすり抜けて行く。
    「…」
    起きたら申し訳ないと思いつつ、彼女は彼の髪をひと房手に取りふわっとした三つ編みを作った。
    長い金の三つ編みはかわいい。
    彼に似合うかどうかはともかく、可愛い。
    起きないようだったので、横向きで寝ている彼の髪を三つ編みにしていった。
    くりんくりんの自分のくせっ毛は、こんなにすんなりした三つ編みにはならない。

    「んん…」

    後ろ髪を編んでしまったところで彼が小さく呻いて目を開けた。

    「…ん?」

    しまったと思った。

    「ああ…なんだ…
    すみません、…私ズボラで…」

    ?????

    「らくちんだなぁ…」

    少し笑いまじりの声で彼はごろんと寝返りをうち、彼女の方を向いた。
    そしてまたスゥ、と寝息を立て始める。
    ……おそらく、就寝時に長髪を括ることもしないズボラな彼にお節介で編んであげてるというふうに思われたのだろう。
    そういう訳では無かったのだが、こちら側も編んであげないと不自然になってしまう。

    引き続き彼の髪をふわっと緩く編む。

    そして髪を編むことで顕になった彼のとがった耳を見つめる。
    触ってみたかったが、耳など触ってしまっては髪を触る以上に起こしてしまうだろうから触りはしないが、…初めて間近で見るエルフの耳。

    ツンと先が尖っていて耳たぶがあまりない。
    こんなに長い耳なら、飾りをつけ放題だろうに何の飾り跡もついていない。
    自分なら耳の端に小さな石飾りを2~3個並べてつけるだろうな。と想像する。
    冒険者の中には、奥さんとの結婚の証を指ではなくて、首元や耳につけている人も多いのだ。
    物騒な話だが、指は、探索中に〈落っことしてしまう〉可能性が高い場所なのだそうだ。
    初めて聞いた時には心底ゾッとした。

    そしてそこまで考えてようやく、もしかして彼は妻帯者なのかもしれないと思い至る。

    もちろん、既婚者のお客だって沢山やってくる。
    ただお店に来る既婚者もいるというだけで、そうでない人だって沢山いるはずだ。

    この人がもしそうで、奥様意外の女と同じ部屋に寝泊まりするのは心苦しいと感じているのであれば……髪とはいえあまりベタベタ触ってしまったことは申し訳ない気がした。

    彼女はそろりと彼の肩に布団を掛け直し、なるだけ離れた寝台の端で横になった。
    ふわふわの枕と優しい香りの布団は眠ってしまうのがもったいないくらいだ。
    頬を枕に擦り付けたところまでは意識があったが、彼女はすぐに眠りに落ちていった。



    するんとした薄い布地の向こうから暖かな肌の香りがする。
    鼻と目の奥にある頭の真ん中が温められているような優しい心地に意識が浮上する。
    指にまとわりつく薄い夜着越しの柔らかな肌を感じながら、腕の重みだけでその優しい柔らかさを抱きしめた。
    力を入れたら可哀想だ。
    「………?」
    エルランドは状況が飲み込めず眉間に皺を寄せて目を開いた。
    目を開いても状況は飲み込めなかった。
    だが自分がどういった体制をとっているかは理解出来た。
    鼻と目の奥が暖かいのは肌の匂いのせいではなく、昨日あてがわれていた女性の胸の間に顔面を押し付けているからだ。

    いつからこの状態なんだろう。

    自分の呼気で彼女の夜着の胸が少ししっとりしてしまっている。

    気持ちいい抱き心地ではあるけど、触れるつもりのなかったものに触れてしまった後ろめたさが多少あった。

    女性のやわらかさに身を預けるのは本当に久しぶりだ。
    長命故にあまり繁殖する必要のないエルフも、やはり種としての、本能による心地良さは、雄に対しては雌からもたらされるものなのだなと確信する。
    ……女性と見れば交配相手としてすぐに認識してしまうほど刹那的な人種でもなく、ましてや意中でもない相手に即座に臨戦態勢を敷いてしまうような年齢でもない。
    とはいえ…、どうせ布団入れるなら女性の方がうきうきの夢が見られそうな気がする。
    さらに選んでいいなら、そういう意味では胸より尻の方が好きですけどね…。

    力を入れずに回しただけの腕がちょうど彼女のくびれた腰に当たっている。
    柔らかいなぁ…
    手のひらを背中にぽふ、と当てれば指が肌に沈む感触。
    「やわい…ふふ」

    思わず声が出てしまったが、エルランドは顔面を始めとするあらゆる場所に当たるやわらかさにもう一度うとうととし始めた。



    一旦目を開けたようだったがまた眠り始めたエルフの髪についっと指の腹で触れて彼女はため息をついた。

    真夜中に、ふかふかの布団で眠りについてどれだけ時間が経った後だったか、寝台が揺れるのを感じて目が覚めた。
    目を擦ると、彼は寝台をおりて水差しのの所へ歩き水を飲んでいた。
    壁際に縮こまって寝ていたのにどうやって自分を乗り越えたんだろう…
    そうぼんやり考えていると、口元を拭いながら彼が戻ってきた。
    そしてごく自然な仕草で彼女の隣に潜り込み、
    仰向けに寝ていた彼女を横から抱き寄せたのだ。
    瞬間的に覚醒し、仕事開始かな???
    と思ったが、どうやらそうではなく、彼はごそごそと腕の位置と肩の位置を調整し、すぅ、と、再び寝始めた。

    ……ああこれは、もしかして奥様と間違えてるのかな?
    こんなにさも当たり前のように人の横に潜り込んでくっついて来るのは、やはり何も身につけてないけれど既婚者なのだろう。
    起きた時にこの状況に気がついたら彼が嫌かなと思い、身を離そうとしてみたが、思いのほかしっかり抱きしめられていて抜け出せなかった。


    魔石のあかりがつきっぱなしなので、間近にきた彼の顔や手が細部まで見える。
    綺麗な作りの顔に比べて、自分の胴に回された指先はとても固く、お茶のカップを両手で持っていた指先と同じとはなかなか思えない。
    クシャクシャに乱れた不揃いな三つ編みが額や首に絡みついていて、これではわざわざ髪を編んで寝る意味がない気がした。
    そもそも、自分ならそんなに髪が顔付近に散らかったら痒くて寝づらいけれどな…と思う。
    起こさないようにそっと額の髪だけでも、と指で払うと、その感触に少し意識が浮上したのか彼は目を閉じたまま少し笑ってぐりっと額を胸に押し付けてきた。

    そして今の今までそのままの体制で寝ている。
    時々もぞもぞ動くが細身なのでそんなにかさばらず、胸元に入り込まれても無理な体制は取らずに済んでいる。
    それにおそらく誰と間違えてこうしてきているにしても、たぶん、暖かめの布団くらいの認識で抱きつかれている感じはしている。
    しかし………自分まで眠ってしまう訳にはいかない気がして、彼女は大人しく彼の布団役をし続けた。
    彼が起きた時、どんな顔をしていればいいかよく分からない。


    結局数刻後、空が白み切った頃にふがっ、と言いながら飛び起きた彼が
    しばらく沈黙したあとに
    「胸元にヨダレ垂らして寝たりはしてませんでしたね…良かった!」
    と言ってあからさまにホッと胸を撫で下ろしたので、気が抜けてしまって取り繕えずに笑ってしまった。



    女性の身支度を見るのは忍びないと慌ただしく髪を括り服を着替えた彼が(私の前でそんな格好で着替えるのは構わないのか…)ドタバタと階下へ降りて行き、木製の深皿に入った小ぶりのパンと酢蜜漬けの野菜、切った果物を持って帰ってきた。

    「朝食だそうですよ。
    お腹空いているでしょう?
    私は隣の部屋の上司と食べますのでゆっくり身支度して食べて下さい。」

    朝食まで出してくれる宿だったのか…本当に初めてだらけの一晩だった…。
    礼を述べ受け取ると、彼はニコッと笑い、そのまま隣の部屋の扉をコツコツと叩いた。

    よく見れば器用に片手でもうふた皿朝食の器を持っている。
    「モイラ様〜、エルランドです。
    朝食お持ちしましたよ。
    空腹ですー。
    開けてください。おはようございますー」

    上司は女性なのか…
    あまり仕事関係のことを見てはいけない気がして彼女は扉を閉めた。
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