あなたに残せるのは俺の誓い #1命の終わりが近い事はよく分かっていた。
もっと早くに失う筈の命を救われて俺は生きてきた。
花のように生きられたら、と思ってきた人生。
終わりのない闇の中にいた俺に差し込んだ、一筋の光。
それは俺を照らし、包み込んでくれた。
降り注ぐ光の中で俺は花を咲かせ続けられた。
だが、それも、間もなく終わる。
「月島さんはこちらです」
聞き馴れた看護婦の声。
病に冒された身体は動かせなくなり、目は見えなくなっていた。
しかし、その気配を、俺は感じたのだ。
愛しくて、いとおしくてたまらなかった、誰よりも愛していた人の気配を。
「月島、私だ」
鯉登閣下。
「あぁ……」
名前を呼びたいのに、それさえも叶わない。
「無理に話さなくて良い。それよりも長らくひとりにして済まなかったな、月島」
光が。
あたたかい光が。
この今際の際にも降り注ぐなんて。
鯉登閣下、あなたは忙しいのに俺が病に倒れてからも今までと変わらず俺を大切にしてくれましたよ。
済まない事など何もありませんよ。
そう伝えたいのに、言葉は出ず、代わりに咳が出て、血も出た。
「月島!!」
熱い。
流れる血が熱い。
俺がまだ生きている何よりの証だ。
だが、この血で俺の肩を抱いて傍にいてくれている閣下の衣服を汚してしまっただろう。
「もうし……わけ……」
力を振り絞って出した声は、ヒューヒューという息とともに出た。
「謝る事などない。病ゆえ仕方のない事だからな」
あぁ。
この人の傍にいられて本当に良かった。
幸せだった。
その幸せを壊したくなくて、俺はこの人への想いをずっとずっと自分の胸に秘めて生きてきた。
鯉登閣下。
最期にあなたのお顔を、俺を救ってくれたまっすぐなその目を見たい。
その姿を瞳に焼き付けて、逝きたい。
『月島ぁ!!!』
見えなくなったはずの目に、まだ少尉だった頃の閣下の姿が映る。
樺太、札幌、そして、函館。
共に戦って、互いに負傷しながらも生き残ったあの頃。
あなたが俺に光を与えてくれたあの頃。
あの頃から、俺は、俺の瞳にはあなたしか映らなくなった。
鯉登閣下、今まで大変お世話になりました。
あなたにこの想いを伝える事は出来ませんでしたが、あなたへの想いは決して消える事はありません。
もし、生まれ変わったとしても、俺はまたあなたと出逢い、あなたを愛し、あなたの傍で生きていきたいです。
「月島……」
愛する鯉登音之進中将の腕の中で、月島基はひとつの誓いを立てて最期を迎えた……。
気がつくと、俺はまた月島基として生を受けた。
今度は佐渡のごく普通の家庭に生まれ、きょうだいのいない一人息子として両親に育てられた。
年号は明治から昭和になっていて、俺が小学生の頃に平成になり、最近令和に変わった。
俺は鯉登閣下を探すため、高校を卒業すると転職を繰り返しながら全国を渡り歩いた。
最終的にたどり着いたのは、あの頃と同じ北海道だった。
「久しぶりだな、月島」
そこで、俺は、俺と同じように、過去の記憶を持ったまま生きている人たちに出会う事になる。
「鶴見中尉殿……」
まず、最後までどうなったのか分からなかった
、俺というつまらない命を最初に救ってくれた人に出会った。
「また会えるとはな」
到着したその日。
なんとなく入った喫茶店のカウンター。
鶴見中尉は怪我をする前の姿でコーヒーを飲んでいた。
「……はい……」
中尉は今、ホームセンターの店長をしていると話し、俺が仕事を探していると話すとうちで働けばいいと言って社員としてすぐ雇ってくれた。
そこには社員として宇佐美、尾形が働いていて、戦いのないこの世をそれなりに楽しく生きている様だった。
宇佐美は相変わらず鶴見中尉に熱烈な想いを寄せているらしかったが、今世での中尉は奥様とも再会出来た事で結婚し、お嬢様とも再会出来て家族3人幸せに暮らしているので自分の入り込む余地はないと話していた。
尾形は俺と同じく普通の家庭に生まれたらしく、人を探しているうちに鶴見中尉に出会ったと俺のような人生を送ってきた事を話してくれた。
「記憶を持って生まれたという事は今度はまちがいを犯すなという事だと思っている」
尾形の言葉に、俺は尾形が誰を探しているか想像がついた。
尾形も、俺も人を探していてここにたどり着いたという話をしたら、俺が探している相手が誰なのか分かったようだった。
「どんなまちがいを犯したんだか……」
と、揶揄うように言った尾形。
相変わらず得体の知れない男だと思った。
職場は全道で展開している店舗で異動はつきものという環境が本来の形態なのだが、地域密着を訴える鶴見中尉……鶴見店長の力で俺たちは異動もなく、部下として働き続けていた。
全道トップの売上を誇る店舗としてテレビでも紹介され、鶴見店長の手腕は高く評価されていて、その下で働ける事に俺はかつてとは違うやりがいを感じていた。
俺の仕事は主にサービスカウンターでのお客様対応で、他に事務の仕事も兼務していた。
宇佐美はインテリア担当、尾形は資材担当のトップとして鶴見店長を支え、俺と同様に主任という役職に就いていた。
閣下を探す事を諦めた訳ではなかったが、見知った顔が、同じように過去の記憶を持った存在がいるこの環境が心地良くて、気がついたら10年が過ぎようとしていた。
そんな時、突然それは起こった。
「月島、悪いがこの日、アルバイトの面接をやって欲しい。急に本社で店長会議をする事になってな……」
そう言って、鶴見店長が俺にプリントアウトされた2枚の履歴書を渡してきた。
「頼むぞ、月島」
「…………承知致しました」
目に飛び込んできた名前と顔写真に、俺は釘付けになった。
『花沢勇作』
『鯉登音之進』
今までも何度か鶴見店長の代わりにパートやアルバイトの面接を担当した事はあったが、今回ばかりはあえて俺に頼んできたとしか思えなかった。
あなたも。
あなたもこの世界に生まれていたのですね、鯉登閣下。
俺は高ぶる気持ちを抑えつつ履歴書を見つめていた。
少尉の頃と同じ顔。
特徴的な眉と、傷のない端正な顔立ちと、美しい小麦色の肌。
やっと、出会える。
嬉しさで涙が出そうになった。
そうだ、尾形にも報告してやろう。
俺は誰もいない事務所に尾形をインカムで呼び出していた。
「今度、このふたりが面接に来る事になった」
「へぇ、それは良かったですね、月島軍曹殿」
「お前もな」
尾形が手に取ったのは、花沢少尉の履歴書だった。
ふたりとも同じ大学の法学部に在学しているらしく、誕生日を見ると同級生の様だった。
「鶴見中尉は相変わらず夢を見せるのがお上手だ」
そう言いながらも、尾形は面接の日、休日だったシフトを出勤の宇佐美と交代した。
その後履歴書を見た宇佐美はあぁそういうことねと俺たちをいやらしい目で見て笑った。
当日、ふたりは店内が閑散とし始める夕方の面接の予定で、先に花沢少尉、続いて鯉登閣下だった。
「月島主任、アルバイト希望の学生さんたちが来ました」
サービスカウンター担当の女性パートが事務所にいた俺を呼ぶ。
彼女に礼を言うと、はやる気持ちを抑えながらサービスカウンターに向かった。
「お待たせ致しました。本日面接を担当させて頂きます、月島です」
「よろしくお願いいたします!!」
その顔を、直視出来なかった。
泣いてしまいそうだったからだ。
だが、ふたりは俺の顔を見ても、名前を聞いても、驚くような素振りを一切見せなかった。
花沢少尉と声を揃えて挨拶してくれた姿は服装は違えど俺の傍にいた鯉登少尉殿そのままだったのに。
「おひとりずつ面接致しますので、鯉登さんは店内でお待ちください」
「はいっ」
緊張した面持ちの顔は、かつて鶴見中尉に向けていたものと似ているような気がした。
あの人なら、俺を見た瞬間に月島ぁ!と大声で呼んでくれる筈なのに。
過去の記憶がない状態で生まれてきたのだろうか。
俺は花沢少尉を従業員休憩室までご案内し、面接を始めた。
「この度はご応募頂きありがとうございます。花沢勇作さん、でお間違いないですか?」
「はい!間違いありません!!」
鯉登閣下に負けないくらいの大きな声。
尾形とは似ても似つかない顔立ちの花沢少尉も記憶がない状態で生まれてきたのだろうか。
「では、今回アルバイトに応募した動機をお聞かせください」
「はいっ、御社の地域密着型の店作りに興味があり、働いてみたいと思ったからです」
少し緊張した様子を見せながらも、こちらの質問にひとつひとつ丁寧に答えていく花沢少尉。
記憶のあるなしに関わらず、採用すべき人材だと思った。
「ありがとうございました。それでは鯉登さんと交代しますので店内でお待ちください」
「はいっ、ありがとうございました、失礼致します」
花沢少尉を連れて休憩室から店内に出てくると、ドアの先には尾形がいた。
「尾形主任、どうされました?」
「田島さんを呼んでいるのですが応答がないのでバックルームかと思いまして」
嘘だった。
学生アルバイトで尾形の下で働いている田島は今日は休みでシフトに入っていない。
尾形は花沢少尉が見たくて売り場を整えるふりでもしながら待ち伏せていたのだろう。
「こちらには来ていませんよ。他の売り場で接客中なのかもしれません」
チラチラと少尉の方を見ている尾形の嘘に乗ってやった。
「そうですか。あぁ、月島主任、もうひとりの面接の方は家電コーナーにいましたよ」
「承知しました、ありがとうございます」
「あのっ、すみません、鯉登君が終わるまで、どのようなお仕事をされておられるのか聞いてもよろしいでしょうか?」
立ち去ろうとする俺が見たのは、尾形に話しかける花沢少尉の姿だった。
尾形の言葉を信じて家電コーナーに行くと、照明器具を眺めている鯉登閣下がいた。
「お待たせ致しました」
「い、いえ」
ベージュのパンツを履いたスラリとした長い脚。
黒のジャケットの下に白のボタンシャツを着た鯉登閣下に、近くを通ったアルバイトの女子高生たちがあの人めっちゃかっこいいと騒いでいるのが聞こえた。
この人は今も昔も変わらず美しいのだと改めて思った。
花沢少尉の時と同じように休憩室で面接をしたが、自分がいつも通り問題なく出来ていた自信はあまりない。
休憩室に来てから鯉登閣下からいい香りがするような気がして、それに心が乱されて、抑えつけるのに必死だったからだ。
「動機は、父の会社で働く前に違う会社で働いてみたかったからです」
こちらの世界での鯉登家は俺の職場とはライバルにあたるインテリア店の系列店を経営している事、閣下は大学を卒業したらそこで働くつもりでいる事が分かった。
そして、恐らく、過去の記憶がなさそうだった。
「ありがとうございました」
夢のような時間はあっという間に終わった。
閣下は緊張してはいたが、受け答えに問題もなく、採用してもいいのではないかと思ったが、親がライバル店の経営者という事が気がかりだ。
また、会えるだろうか。
叶うなら会いたいが、最終的に採用を決めるのは鶴見店長なので俺は閣下が採用されるのを祈る事しか出来ない。
花沢少尉と一緒だと思われる尾形をインカムで呼び出すと、すっかり少尉に懐かれている姿が目に入った。
「僕、採用されたら尾形さんの下で働きたいです!!」
と少尉に笑顔で言われ、尾形は照れくさそうに髪を掻きあげていた。
その日の閉店後は尾形と定食屋で飯を食べた。
尾形は花沢少尉に記憶があるかどうかはまだ分からないと話し、それ以上は何も語らなかった。
それから、1週間。
ふたりは採用され、一緒に働く事になった。
「実は鯉登君の父上とはバイク仲間でね、息子を頼みたいと言われていたんだよ」
ふたりの初回出勤日、鶴見店長はニコニコしながら俺にこう言った。
元々パートとアルバイトの初回出勤時のオリエンテーションや書類の記入など諸々の手続きを担当していた俺は、ふたりにも同じように初回のオリエンテーションを行う事になった。
「ロッカーはこちらです」
たまたま空いていたとはいえ、花沢少尉の隣は尾形、そして鯉登閣下の隣は俺という出来すぎた偶然がそこにあった。
「わぁ、尾形さんの隣だ。嬉しいなぁ。月島さん、今日は尾形さんとお話出来ますか?」
「そうですね、オリエンテーションが終われば可能かと思います」
「やったぁ、尾形さんとまたお話出来るんですね!!」
出勤してきた時から花沢少尉はずっと嬉しそうで、鯉登閣下はそれを怪訝そうな顔で見ていた。
やはり、記憶がないのだろうか。
いや、記憶はあるがこんなにも喜びを全面に押し出している花沢少尉に驚いているだけの可能性もない訳ではない。
制服のエプロンに着替えてもらい、休憩室でオリエンテーションを始めると、夕方までのパートの主婦たちが退勤して着替える為に休憩室に来て、鯉登閣下と花沢少尉を見るやこんなきらきらした子たちが入って来たなんて……と喜んで帰っていった。
2時間ほどの内容を終え、一区切りがついたので15分の休憩をしていると、尾形が水分補給をしに来たのか顔を出す。
「尾形さん!」
嬉しそうに尾形の方に歩いていく花沢少尉。
「尾形さん、これからよろしくお願いいたします!!」
「あぁ……よろしく……」
そう言って髪を掻きあげる尾形も嬉しそうに見えた。
休憩後、ふたりに店内の地図をコピーしたものを渡してだいたいの場所を少しずつで構わないから覚えるよう伝え、次回からのシフトを組む為の日程調整をしてその日は終わった。
「ありがとうございました」
軽い足取りで尾形の元に向かった花沢少尉に対し、鯉登閣下はずっと緊張している様子だった。
「疲れましたか?」
エプロンを脱いで出てきた閣下に声をかける。
「はい、全てが初めての事なので……」
「困った事がありましたらいつでも遠慮せず私に言ってください」
「ありがとうございます、月島さん……」
呼ばれ慣れない呼び方に、俺は内心戸惑っていた。
「……では、また金曜日に」
花沢少尉が尾形を休憩室で待ちたいというので俺は事務所に戻る事もあり、ついでに正面玄関まで鯉登閣下を見送った。
「はい、月島さん、ありがとうございました」
「お疲れ様です」
外まで出ていったところを宇佐美に見つかり、からかわれたのは言うまでもない事だった。
金曜日。
この日のふたりは学校が創立記念日で休日、という事で朝から出勤していた。
朝礼で紹介されたふたりに、パートの主婦たちはかわいい、かっこいい、今の若い子はスタイルがいいなどと盛り上がっていた。
「はいはい皆さんお静かに。花沢君は資材担当、鯉登君はレジ担当として働いてもらう事になりましたのでお知りおきください」
鶴見店長の一言に、俺は内心、ひどく動揺した。
確かに学生のレジ担当は少なく、募集もしていたが、女子学生という暗黙の条件があるものだと思っていたから、鯉登閣下は宇佐美か尾形の下で働くものだと思っていた。
それなのに。
レジ担当という事は、俺が教育係という事じゃないか。
これからはいつも以上に常に気を張って仕事をしなければならなくなると思いながら朝礼を終えると、早速教育係の仕事が俺を待っていた。
レジ担当に関してはまずはマニュアルを読み、それから売場に立つという流れになっていた為、俺はマニュアルを印刷すると鯉登閣下を連れて休憩室に向かった。
先日は退勤者や水分補給をするのに出入りする人間がいた休憩室。
今は俺と鯉登閣下しかいない、静かな空間になっていた。
「覚えるまで大変ですが、慣れてしまえば難しい事はありません。マニュアルはさっと読んで、後は実践しながら分からないところをメモしてすぐに見られる状態にしてもらえたら、と思います」
分厚いマニュアルを不安そうな顔で見ている鯉登閣下に俺は言った。
「はい……」
どこまでも従順で、素直で。
俺の知っている天真爛漫で子供っぽい所があった閣下の姿は見受けられない。
閣下に会えるのは嬉しいが、拍子抜けしている、というか、寂しい気持ちになった。
相変わらず器用な鯉登閣下は初めてだというのに1度教えただけでほぼ完璧にレジ操作が出来るようになっていた。
そこでベテランのパートについてもらい、早速レジ打ちだけをしてもらったのだが、ついていた人も感動するくらい覚えが早かった。
加えて、入口から一番近いレジに立っている閣下を見かけた客がその美貌見たさに閣下のいるレジに並び、そこだけが混雑しているという事態も起こった。
「すごかったねぇ、鯉登君がいたレジ」
閣下の退勤後、俺は宇佐美と休憩時間が被り、近所のファミレスで飯を食べようと誘われた。
「売場もさ、花沢君のせいですごかったよ。百之助の不機嫌そうな顔が最高に面白かった」
ケラケラ笑う宇佐美に、お前は無関係だから笑えるんだと思った。
「でさ、僕の予想では花沢君は過去の記憶があると思うんだよね、最初から百之助にグイグイ話しかけてるし」
「それは……確かに」
退勤後の花沢少尉が尾形に連絡先を聞き、今度一緒にご飯行きたいですと話しているのを俺は休憩室に向かう途中で見かけていた。
「鯉登君は絶対覚えてないだろうね。鶴見さんも言ってたよ。鯉登家は過去の記憶がないまま今を生きてるって」
「…………」
やはり、そうか。
鶴見店長が言っているのなら、間違いないだろう。
「良かったんじゃない?鯉登君とまた一から始められる訳だし。それに今の方が大人しくて扱いやすいと思うよ?」
常に上から目線の宇佐美に苛立ちを覚えたが、
「僕は絶対に振り向いてもらえないから。今は鶴見さんと少しでも一緒にいられて、幸せそうな鶴見さんを見ているだけで満足してる。僕以外を褒めてる鶴見さんを見るのは物凄く嫌だけど」
と、恨み言を混じえてはいたが少し寂しそうな目をして話されたから何も返せなかった。
花沢少尉と鯉登閣下は週に4回、4時間の勤務というシフトで働く契約で、土日祝は希望休以外は必ずシフトに入れるという状況だった。
普段でも混雑しているというのに、ふたりが入社した事でふたり目当ての客が増え、余計に忙しくなった。
「ねぇ、どっちがタイプ?」
「わたしは鯉登くんかな。クールでかっこよくない?」
「私は花沢くん。イケメンで優しくていつもニコニコしてて可愛いから」
ふたりがいない日はパートの主婦たちもアルバイトの女子学生たちもこぞってふたりの話をして盛り上がっていた。
「あのふたりが友達なのもすごくない?ふたり並んで歩いてたら背も高いしイケメンだしでめっちゃ目立つよね」
「わかるわかる!!それにふたりがいるとお店空気もいい感じになってる気がする」
圧倒的な存在感はSNSでも話題になっている、と宇佐美が教えてくれた。
「早くしないと他の誰かに取られちゃうんじゃない?」
そう言われたが、俺は踏み出せずにいた。
記憶のない鯉登閣下は閣下であって閣下ではないと思っていたからだ。
ところが、そんな俺に思わぬ出来事が起こった。
閉店までのシフトに入っていた花沢少尉が尾形と俺、そして鯉登閣下と食事をしたい、と誘ってきた。
ふたりが夏休み中の平日で、俺の翌日のシフトが休み、尾形が午後からの勤務になっている日の事だった。
車通勤の尾形と俺に対し、ふたりはバス通勤。
二手に別れて市街地にある飲食店へ移動する事になった。
「どうぞ」
「失礼します」
俺の車には、鯉登閣下。
いきなり訪れた、仕事以外で初めてのふたりきりの時間。
「今日も忙しかったですね」
「そうですね。セール初日から予算以上の数字を取れたのは良かったです」
働きはじめて数ヶ月。
鯉登閣下とは多少の雑談が出来る間柄になっていた。
「月島さん」
「はい」
「こんな風にアルバイトとご飯食べたりするのってよくある事ですか?」
「そうですね、男子学生のアルバイトに限りますが今までも何度かありました。飲みに行く事もありましたよ。あと、うちは忘年会があって参加は任意ですが毎年8割くらいの人が参加していると思います」
「そうなんですね。じゃあ、今度あたいも月島さんと飲みに……」
言いかけて、閣下は話すのを止めてしまう。
「すみません、薩摩弁が出てしまって。私はもともと鹿児島の出身で、父の仕事の都合で高校から北海道に来たので……」
「……そうでしたか」
以前と同じなんですね。
言いそうになった言葉を、俺は飲み込んだ。
車で10分ほどの個室になっている飲食店で俺たちは落ち合った。
和の落ち着いた雰囲気のお店は、昔の飲食店を思い出させた。
「前からこのお店に来てみたかったんです」
店を選んだのは花沢少尉だった。
「花沢はいい店を探すのが上手だな」
席には尾形と花沢少尉、俺と鯉登閣下に分かれて座った。
「鯉登君はお洒落な服屋さんを沢山知ってるじゃない。僕はファッションの事がよく分からないから、教えてもらって助かってるよ」
白いTシャツに黒のパンツ姿の花沢少尉は、この服も閣下が選んでくれたと話した。
「兄様の私服は黒で統一されていらっしゃいましたが、とてもお似合いで素敵でした」
兄様……!?
私服……!?
少尉の口から飛びだした呼び名に、思わず俺は尾形たちの方を見てしまう。
「勇作さん、その呼び方はふたりだけの時にして欲しいと……」
「申し訳ありません、兄様。こうして兄様とお出かけ出来るのが嬉しくて……」
少尉に続いて尾形まで。
このふたりの間には何かがあったに違いない、と俺は思った。
「花沢、尾形さんと兄弟だったのか?」
「は、いや、兄弟じゃないんだけど、僕はひとりっ子でずっと尾形さんみたいな兄が欲しかったから尾形さんにお願いして兄様と呼ばせて頂いていて……」
「そうだったのか。確かにひとりは寂しいかもしれないな。私も歳は離れているが兄さぁがいてくれて良かったと思っている」
少尉は上手く誤魔化し、不思議そうな顔をしていた閣下は表情を変えて兄上の話を嬉しそうに話し出す。
「おふたりのご兄弟は?」
「俺はひとりです。でも別に寂しいと思った事はなかったですね」
「俺も……」
会話は、少尉と閣下が主に話して、たまに話を振られた尾形と俺が話す、という状態だった。
それでも場は盛り上がり、せっかくだからお酒も……という流れになり、俺たちは酒を飲み始めた。
2時間後、全員がそれなりの量を飲み、学生ふたりはかなり酔ってしまっていた。
「あにさまぁ、まだ帰りたくありません」
「勇作さん、そんなに大声を出さないでください」
代行車が来るまで店内で待っていると、少尉は尾形に抱きついていた。
「わいは飲みすぎじゃ、花沢」
そんな少尉を見て、笑いながら薩摩弁を話す閣下。
「あー、楽しゅうて飲みすぎてしもた。あははは……」
笑顔の閣下に、あの頃の姿が重なる。
部下たちを守る為、行きたくもない上官たちとの酒の席に参加して、歩けなくなるまでお酒を飲んだ日の姿と。
『つきしまぁ、あたいはきばったでほめたもんせ』
『はいはい、あなたの頑張りはよく分かっております』
迎えに行って、宿舎まで閣下をおぶって帰ったあの日。
『わいがそばにおってくれて幸せじゃ』
そう言って、俺の背中で寝てしまった閣下。
『……俺もです』
寝息を確認してから呟いたあの夜。
俺も相当酔っているな、と思いながら、花沢少尉は尾形に任せて閣下と共に俺の車に乗り込んだ。
「鯉登さん、住所を……」
ご自宅まで送り届ける為に住所を教えて欲しい、と話しかけようとすると、閣下は寝てしまっていた。
「鯉登さん…………」
身体を強く揺さぶっても起きない閣下。
仕方がないのでそのまま自宅に連れて帰る事にした。
閣下のスマホから御家族に連絡する事も考えたが、ロックがかかっている為叶わず、鶴見店長経由での連絡も考えたが間もなく日付が変わりそうな時間に連絡するのは失礼だと思い、閣下をおぶってエレベーターに乗った。
「ふう……」
7階の角部屋。
一人暮らしには少し広かったが、来て間もなくの時に鶴見店長が俺の為に見つけてくれた部屋だったから、ここから見える眺めが好きだったから、ずっとここに住み続けていた。
俺は玄関でなんとか閣下のスニーカーを脱がせ、寝室に運び込む。
「んん……」
俺の気も知らず、閣下はぐっすりと眠っているように見えた。
おぶっている間も閣下の良い香りに何度も理性を失いそうになったが、寝込みを襲うなど最低過ぎる、と自分を戒めた。
会う度に積年の想いが強くなるのを自覚してい
たが、俺は過去の記憶のない閣下にこの想いを伝える勇気を出せずにいた。
「つきしまさあ……」
汗だくになったのでシャワーを浴びてからソファで寝ようと支度を始めた時だった。
閣下が寝言とは思えないくらいのかなり大きな声で俺を呼んだ。
「どうしました?鯉登さん」
「わっぜすき」
「……!!!」
慌てて駆け寄ると、鯉登閣下は目を閉じたまま、俺に抱きついてくる。
「ないでかわからんどん、わいん事がわっぜ好いちょっど」
「鯉登さん、止めてください」
爆発寸前の理性と俺は戦っていた。
「ないごてじゃ?あたいん事、好かんのか?あたいははいめっいっきょた時からずっとわいが気になって気になってどうしようもなかったんじゃぞ?」
辛うじて聞き取れる俺への愛の言葉。
「あたいが男じゃっでやっせんのか?」
瞬間、目が開いてまっすぐに俺を見つめてくる。
「酒ん力を借ってゆなんて情けなか事じゃち思うちょっが、こうすっ方法しか浮かばんやった」
潤んだ瞳が閉じたと思ったら、唇に何かが触れた。
それが閣下の唇だと気づくのに、そんなに時間はかからなかった。
「鯉登さん……」
離れた唇を捕まえるように口付け、何度も啄んだ。
抑えてきた想いが溢れて、溢れて、止まらなくて、その勢いのまま、閣下の身体をベッドに倒していた。
「月島……さん……」
閣下が真っ赤な顔をして俺を見る。
「ごめんなせ……」
酔った勢いで告白した事を、閣下は詫びてきた。
「それがあなたの本当のお気持ちなら、わたしはとても嬉しいですよ?鯉登さん」
嬉しかったから、キスしたんです。
泣きそうになっている閣下に言葉を返す。
「嘘でこげん事言ゆっわけがなか」
「そうですか」
いとしげら。
そう呟いて、俺はまた閣下に接吻した。
「俺も、あなたが好きです。あなたを、あなただけを想って、あなたに出会う為に生きてきたんです」
愛しています、誰よりも。
閣下を抱きしめながら言うと、
「あたいも……」
と、恥ずかしそうに返してくれた。
その夜は別々にシャワーに入り、俺は閣下にベッドを譲り、ソファで眠った。
閣下は一緒に寝たいと駄々をこねたが、俺は男ふたりが寝られる広さじゃないでしょうと言って渋々納得してもらった。
翌朝は昼近くにはなっていたがすぐにご自宅に連絡してもらい、職場の人たちとお酒を飲んだが酔いつぶれてしまって職場の人の家にお世話になった、夕方までには帰る旨を伝えてもらった。
「もう子供じゃないんですけど……」
「そういう訳にはいきません。帰りも送りますので」
俺は閣下が電話している間に家にあるもので簡単な食事を作っていた。
冷凍していた白米をレンジで温め、冷蔵庫にあった鮭を焼き、一緒にあったネギと油揚げを使って味噌汁を用意した。
閣下は美味しいと言って残さず食べてくれた。
「月島さん、ずっと一人暮らし?」
「そうですが」
「恋人いなかったんですか?」
「はい。ずっと心に決めた方がいましたので」
あなたの事ですよ。
と、俺は閣下の目を見て言った。
「ずっと?どういう事かさっぱり分からないです」
「でしょうね」
「……月島さんの事で知らない事があるの、嫌です」
食べ終えた食器を片付けようとすると、閣下が不貞腐れた顔をして俺の腕を掴む。
可愛すぎる、としか言いようがなかった。
「信じられないような話ですよ?」
現金な話だが、閣下と想いが通じあえた事で俺の中で過去の記憶に関する事は差程重要な事ではなくなった。
「そうだったとしても、聞きたいです。月島さんの事、もっと知りたいです」
それなのに、この人ときたら……。
「分かりました」
俺は息を吐いた後、昔の記憶を、俺の身に起こった事を掻い摘んで話した。
閣下は信じられない、という顔をして聞いていたが、途中で表情が変わった。
「どうかしましたか?」
話もほぼ終わっていたので尋ねてみると、
「確かに信じられないような話ですけど、腑に落ちる事があって……」
と言って、閣下は兄上の影響で幼い頃から剣道を習っている事、試合の前に必ず夢を見る事を話してくれた。
「夢の中で私は何かと戦ってて、怖いはずなのに恐怖感は少しもなくて、お前がいるから何の心配もないって思っているんです。お前って誰なんだろうって思ってたんですが、今の話を聞いて月島さんなんじゃないかなって思って……」
それは、俺とは違う思いだったと思う。
それでも、俺にとっては最高の言葉だった。
彼の、鯉登さんの中に、俺が愛した閣下はいる。
そう思ったら、身体の奥から込み上げてくる熱で視界が霞んでいった。
「月島さん、あたいん事をずっと想うちょってくれてあいがとさげもす、わっぜ嬉しか」
俯いた俺を、閣下……鯉登さんが抱き締めてくれた。
「俺もです。鯉登さん、俺は決してあなたを離しません。必ず幸せにします」
「……よろしゅうたのみあげもす……」
泣きながら抱き締め返した俺に、鯉登さんは頬を寄せて応えてくれた……。
「あ、ここ右」
「はい」
俺と鯉登……音さんは御付き合いをするという事で、ふたりの約束を決めた。
仕事以外では下の名前で呼び合う事。
音さんはふたりの時は俺に敬語で話さない事。
隠し事をしない事。
気恥ずかしさがかなりあるが、音さんと特別な関係になれたという証なのだと思うと嬉しかった。
「車、空いてるところに止めていいと思う」
「……分かりました」
予想はしていたが、それ以上に立派な家だった。
音さんがインターホンを鳴らすと、
「おと〜!!!こげん遅うまで帰ってこじないやっちょったんじゃ!!心配したんじゃぞ!!!」
と大声で話しながら音さんと同じ眉の形をした色白で背の高い男が玄関からこちらに向かってきて音さんを抱き締める。
「兄さぁ、ごめんなせ。バイト先の人たちと飲んじょったら楽しゅうて時間を忘れてしもてた」
「やっせんじゃらせんか!わいはこげんむぜどで気をつけちょらんと……」
音さんしか見ていないその男……恐らく兄上だと思われるが、俺の存在に気づくと睨みつけてきた。
「こんきっさなか男は誰じゃ」
「きっさなっなんかなかど、こん人はあたいん大事な人なんじゃっで」
「なんちな!?おい以外に大事な人なんておっはずなかじゃろ!?」
周りに鯉登家しかないとはいえ、外で大声で早口の薩摩弁を話し恐らく揉めている兄弟。
兄上は俺を敵と見なし、悪口も言っている様だが音さんは俺の事を大事な人だと言ってくれたみたいでとても嬉しかった。
「おい、音をたぶらかしたんじゃろ、許さんぞ!!!」
と、喜んでいたら突然兄上に頬を殴られる。
「基さぁ!!」
軽く吹っ飛んだ俺に、音さんが駆け寄ってくる。
「基さぁにないて事すっど、兄さぁなんてもう知らん!!!」
「そんな……音……おいはわいん為に、わいん事を思うて……」
「思うちょんならないであたいん大切な人をうったくったと?あたいは兄さぁと基さぁに仲良うなって欲しか」
痛かったが、音さんが可愛すぎるので殴られた事などどうでもよくなっていた。
兄上はしばらく黙り込んで下を向いていたが、やがて近づいてきて俺に言った。
「突然殴ったりして済まなかった。俺の可愛い可愛い弟の音が連絡もなく泊まりで遊びに行った事など今までなかったからついカッとなってしまった」
「いえ、仰る通り連絡をしない状況にしてしまったのには私にも責任があります。今後はこのような事がないようにしますので……」
「はぁ!?今後だと?今後などあってたまるか!!!お前がどこの誰か知らないし興味もないが俺は認めんぞ」
謝ったつもりだったが、火に油を注ぐ結果になってしまった。
その後もしばらく兄弟による大声早口の薩摩弁の言い合いは続き、話は平行線のままだった……。