甘いのは君今日は2月14日。世間ではバレンタインだ。恋人や好きな人にチョコレートやらお菓子やらを贈ったり、一緒に過ごしたりする日。
俺だって華の、とまでは言えないけど、高校生だから、それなりにイベントは好きだし楽しみにもする。ちゃんと(?)、恋人だっているし。
それなのに、
「……おかか、」
(こんな日に、なんで寝込んでんだろ、俺)
俺は自室のベッドに沈みこんでいた。
今日の午前中に入っていた任務で少し怪我を負った。脚に20cmほどの裂傷。普通なら縫うような傷だけど、止血だけして、帰ってきてから家入さんの反転術式で治療してもらった。だから脚には傷跡なんて1ミリも残ってない。そこまでは良かった。
自室に戻ってきて、着替えて、一息つこうとベッドに転がったら、疲れていたのかそのまま眠ってしまった。
そしてついさっき目が覚めたわけだけれど。
(……熱、あるよな多分)
身体が重くて、思うように動かない。その上、寒いのになんだか熱っぽい。風邪を引いた時に近いような、あの不快な感覚が、俺を襲っていた。
朝、任務に行く前は何ともなかったから、恐らくあの裂傷だ。大方、傷口から菌でも入って、それが体内を回ったんだろう。
(夜、恵と会う約束してたのに)
口から吐き出される息はやたらと熱くて、頭がクラクラする。枕の横に置いてあったスマホを手に取るとモタモタとメッセージアプリを開いた。
(ご、め、ん、ちょっと具合、わる、い、から、会え、そうに、ない)
回らない頭で文字を打ち込んでいく。やっとの事で送信ボタンを押すと、すぐに既読がついた。そして、彼らしい几帳面な文章が表示される。
『今部屋ですか?何か持っていきましょうか』
「……、」
普段なら断ってたと思う。もしこれが風邪なら、伝染すと悪いし、心配もかけてしまう。でも、今日はバレンタインで、会う約束をしていた日で、熱のせいかなんだか寂しくて。
会いに、来て欲しいと、思ってしまった。
(……会いたい、めぐみ)
気がついたら指が勝手に動いていて、返答になっていない心の声が、具現化されて、送信されていた。
顔が熱いのは多分熱のせいだ。心臓がドキドキするのも熱のせい。多分、きっとそうだ。
少し間が空いて、ピコン、と通知音が鳴った。
『わかりました。適当に見繕ってから、部屋に向かいますね。』
(……ありがと)
恵が部屋に訪れたのは、それから30分後の事だった。
ガサガサと、レジ袋が擦れる音で目が覚めた。眠ってしまっていたらしい。
「体調どうですか」
ベッドのすぐ横には、恵がいた。部屋着にアウターを羽織っただけの、簡単な格好だ。手には白い袋が2つ下げられていて、何やら色々買ってきてくれたらしい。
のそのそとベッドから起き上がると、クラリとして視界が歪んだ。
「っ大丈夫ですか、寝たままで良いですよ」
「……おか、か、高菜……」
「……、先輩すげぇ熱いですよ、もしかして熱あるんじゃ」
倒れ込みそうになった俺の肩を掴んだ恵が驚いた顔をしている。どさ、と床に袋を置くと、その手はゆっくりと俺の額に当てられた。外で冷えたのであろうその手のひらが、やけに心地良い。
「うわ、熱……風邪ですか?」
「おかか、……いくら、明太子……」
「任務の怪我で?傷は治してもらったんですよね」
「しゃけ、」
「家入さんとこ行きます?背負いましょうか?それか担架、」
「おかか……」
「でも」
「おかか」
心配そうな恵をよそに、俺は恵がいてくれる事に酷く安心していた。あわよくば、もう少しだけ触れていて欲しい、なんて。
強情な俺を見てため息をつくと、恵は袋の中を漁り出した。
「どんな体調不良かわかんなかったんで、色々買ってきたんですけど、これ」
「ツナマヨ……」
「貼ります?気持ちいいかも」
恵が取り出したのは、所謂冷えピタ。キョトンとする俺の前髪を上げて、器用にセロファンを剥がすと、おでこにペン!と冷えピタが貼られる。さっき触れてた恵の手よりも、さらに冷たい。
「食欲あります?パックご飯とか買ってきたんで、雑炊とか作りましょうか」
「しゃけ、いくら?」
「今日ぐらい世話焼かせてください、特に伝染りそうな病気でもなさそうだし」
恵は、キッチン借りますね、と食材を手に持つと部屋から出ていった。かと思ったら、俺がぽかんとしている間に、恵がすぐに戻ってきた。
「冷蔵庫の卵、使っていいですか?あと調味料も……、使った調理器具は後で洗っとくんで」
「しゃけ」
「それと、俺もここで食べていっていいですか?晩飯まだで」
「しゃけしゃけ」
「ありがとうございます、出来るまで寝ててください」
俺が快諾すると、ほっとしたように少し笑って、またキッチンへと消えていった。……普通にバレンタインを過ごすよりも、恵が構ってくれてる、かも。そんなことをうっかり口に出したら、あのシャイな後輩のことだ、照れて帰ってしまうかもしれないから、絶対に言わないけど。
せっかく作ってもらえるので、お言葉に甘えて布団の上に寝転んだ。
いつもの自分の部屋から、心地よい人の気配と、調理音が聞こえてくるのが不思議だ。
(卵を溶いてる音がする……)
カシャカシャと箸と器が当たる音がする。キッチンに立つ恋人の、見えない姿を想像しながら目を閉じた。
――いい匂いが、する。
また、いつの間にか眠っていたみたいだ。頭を傾けると、恵が器ふたつに盛った玉子雑炊をこちらに運んでくるのが見えた。
「起きましたか」
「……ツナ」
美味しそう、と目の前の食事を目にした途端、キュウ、と腹が鳴った。フワフワの玉子と、細かく刻まれた細ネギ。トロトロになった米がキラキラと光っている。
「食器棚から勝手に出しました、すいません」
「しゃけぇ」
「レンゲとかあんの、やっぱり、先輩料理するんだなぁって思いました」
恵がそう言いながら渡してきた木製のレンゲは、一時期グルメブームが訪れた時に買ったやつ。スプーンよりもひと口が大きく掬えるから、食べやすくて好きだ。
――食べていい?
「どうぞ、熱いんで気をつけて」
「明太子〜」
両手を合わせると、玉子雑炊をたっぷりとレンゲに掬い上げる。半熟具合が絶妙で、とても美味しそうだ。
まずは一口。熱々で、出汁が染みてて、美味しい。猫舌ではないけれど、口の中を火傷しそうになって、ハフハフと空気を取り入れて口内を冷ます。ゴクリと飲み込んで、もう一口。口の中いっぱい、美味しい味で満たされていく。体調が悪いことを忘れるくらい、夢中になって食べていると、恵にクスクスと笑われた。
「?」
「いや、美味そうに食うなと思って」
「ツナマヨ」
「そりゃ良かったです、……あぁ、それと、」
ハムスターみたいな頬になっている俺に、恵がニヤリと笑った。
「デザート、って言ったらアレなんですけど、甘いものもあります」
そこで思い出した、そうだ、今日バレンタインなんだった。玉子雑炊の最後の一口を食べ終えると、俺はベッドから降りた。
「ちょ、大丈夫ですか立ち上がって」
「しゃけ!」
クラクラしていたのは空腹もあったんだろう、体調はさっきよりも幾分かマシになっていた。机の上に準備していた紙袋を手に取って恵に渡す。
「準備してくれてたんですか……」
「しゃけ」
「ありがとうございます、……開けてもいいですか?」
「ン」
長い指が、シックな箱に掛けられた洒落たリボンを解いていく。中には綺麗に象られた一口サイズのチョコレートが6つ。
「ツナツナ、すじこ」
「コーヒーリキュール?へぇ、あんまり甘くないんですね」
「しゃけ、こんぶ」
「こっちの白いのは甘いんですか?じゃあコーヒーと一緒に食います」
俺の説明を聞きながら、恵は端の丸いチョコレートをひとつ食べた。
「ん、うまい」
「しゃけ」
「ありがとうございます、じゃあこれは俺から」
両手に乗るくらいのサイズの、青い箱。
「具合悪いって言ってたので今日渡すか迷ったんですけど……食欲はあるみたいだし」
「高菜?」
「どうぞ」
そっと箱の蓋を開けると、……猫。
猫の形をした、様々な模様のチョコレートが並んでいる。
「ツナマヨ…」
「可愛いでしょ、特にコイツが、先輩に似てて」
伸びをしたポーズの白い猫を指さして恵が笑った。動物のチョコレートを選ぶところが、彼らしい。中にはナッツだとか、ドライフルーツなどが入っているようだった。
「賞味期限は長めなんで、元気になったらゆっくり食べてください」
「しゃけ」
箱を仕舞うと、食器を片付けた恵がこっちに来た。ベッドの縁に座る俺の前に立って、それから。
「……体、まだ熱いですね」
「た、かな、」
「先輩は、すぐに無理するんで、これを機によく休んでください」
ぎゅう、と抱き締められた。触れて欲しかった気持ちが満たされていく。先程食べた、コーヒーリキュールのチョコの香りが混じった、恵の匂いが、ふわりと香った。
無理させると良くないと、洗い物を済ませると恵はすぐに帰ってしまった。急に一人に戻ってしまい、どうにも寂しい。
体調不良の時は、なんだか人恋しくていけない。恵にもっと触れたい、もっと、いつもみたいに、内側まで、なんて。
堪えきれなくて、誰にも聞こえない声量で、そっと吐き出す。
「……すき、だ、めぐみ、」
どうしよう。甘くて熱くて、溶けてしまいそうだ。