僕だけのクレールよ 覚えておきたい歌がある。
相棒の声から生まれたそれは、ステージの上で歌ったことがない、客席から聴いたこともない、そもそもコードすら決まってなくて、当然ながら詞も付けられていない。ふと思いついたフレーズを口ずさむ、でたらめな鼻歌と言ってもいい。
だが、その歌の先には誰かが居た。直接尋ねた訳ではないし、名前も素性も知らない。けどそいつは、相棒にとって大事なやつで、大事にしたいやつなんだって分かる。まるでオレに向けられたものかと思わせて、バカみてえに浮かれてしまいそうになるのは、音楽に込められた想いを汲み取り、己の全てで表す感性に長けているからだろうか。
耳の奥にこびりついて離れない。一度思い出すと、うまく言葉にできない気持ちが引き出されて、心の臓を震わせる。息苦しいくらい胸の奥が熱くなって、今にも駆け出したくなるような。
何回も聴きたい。だが最後まで聴いたことはない。聴きたいのに聴けない。すぐそこにあるのに掴めない。――――欲しい。
だからずっと、手を伸ばしている。
夕暮れに覆われた学校の帰り道。オレが生まれた日にあの声で教えてもらった、未完成な音へ。
◇ ◇ ◇ 『僕だけのクレールよ』
視界が回り始めた脳みそを腕ん中に沈めたまんま、「もう一杯」と氷だけ置いてかれたグラスを掲げる。アメリカに渡ってから初めて迎えた誕生日。すぐさま隣で声を上げた酔っ払いとその相棒に呼ばれたバーで、オレは酒を飲んでいた。
「ちょっと彰人ぉ、そんなに飲んだら明日に響くよ~?」
「うるせーお前が誘ってきたんだろ」
「はー? それぜんぶ私に奢れってこと~!?」
「杏ちゃん、お誕生日に青柳くんが居なくてしょんぼりしてる東雲くんの為に、ひと肌脱いでやりますかって言ってたんだよ」
「しょんぼりなんかしてねえ」
「はい嘘~」
人に指を差してはいけませんって幼稚園で教わらなかったのか。すっかり出来上がった酔っ払いAは、「生もうにっぽーん!」と叫んでいる。ここはにっぽんじゃねーし、アメリカだし。つまんねえぞ。
こはねはこう見えて強いくせに、酔っ払いを制御するのは必要最低限って感じで、オレ達のやり取りをにこにこと眺めている。
「ふふ、たしかに初めてだよね。東雲くんのお誕生日に、青柳くんが居ないなんて」
「せっかくなら皆で行きたかったなあ。冬弥のお父さんのコンサート! お兄さん達も出るんでしょ? どんな人なのか見てみたかったのに~」
「お前の目的はそれだな」
「えっ? も、もちろんお父さんの生の演奏も聞きたいなーって思ってたよ?」
「招待席つったら普通、家族とその関係者だけだろ。一枚しか入ってなかったし」
「まあそーだよね~」
がっくりと首を落とした杏に呆れた視線を送る。その横で静かにグラスを置いたこはねは、首を傾げた。
「でも、誘われたとしても本当に行くとは思わなかったな」
「うんうん。だいぶ吹っ切れた感じがするよね」
「あー......まあ、初めはちょっと迷ってたけどな」
――――数日前。
金箔の紋様があしらわれた白い封筒を握り締めて、「招待状が届いた」と。そう話す冬弥は、サンタからプレゼントをもらった子どものように目を輝かせていながら、表情はどこか硬く、開けてもいいのか迷っているように見えた。
『今回のロサンゼルスって、初めて見たコンサートの場所なんだろ?』
『......ああ』
『ニューヨーク、シカゴときて、次はロサンゼルスか......すげえ。アメリカ一周できるな』
『高校生になってからは、こういったコンサートに一度も招待されたことはなかった。......俺がアメリカで活動していると知って、これを......』
『それだけじゃねえと思うぞ』
『え、』
震えるその手をとって、そっと開けた封筒から取り出した。オレにとってはただの紙切れ一枚。だが、冬弥にとってはキラキラ輝く宝の地図だ。
『RAD WEEKENDを超える時に作ったお前の曲、親父さんは聴いてくれたんだろ。そんでこれを渡してきた。お前の音楽を聴いて何も感じなかったとは思えねえ』
それに、これはオレにとってもチャンスだ。
とん、と人差し指で摘んだ宝の地図で、冬弥の心を押してやった。
『少しでもその気があるなら行ってこい。そんでお前が感じたこと、てめえの音楽で教えてくれよ』
「――――つったら、あいつ急に落ち込んでさ。オレの誕生日をお祝いしたかったとか、プレゼントを一緒に買いに行こうと思ってたーとか言って......行くの迷ってた理由がそれかよ」
「ふふっ青柳くんらしいな」
「も~結局のろけられただけじゃーん」
「ぁあ? のろけてねーよ」
蝶ネクタイと口髭の似合うバーテンダーが、 ひそかに片眉を下げた。サックスとピアノの踊るような二重奏に、こいつらの高らかな笑い声がモスキート音のように突き刺さり、眉間に皺が寄る。ったく、オレを祝うとか口だけで、せっかくだからちょっといいバーとかで飲んでみたいねーって話が弾んだんだろ。
溜め息混じりに「おい」と咎めようとしたところで、店内に流れる音楽の色が変わった。その場にいる全ての人間が口を閉じて、耳を傾ける。
そりゃそうだ。共に歌う仲間の心を燃やして、新しい伝説を観に来た聴衆の心に灯し、楽曲の動画に出会った人々の心も掴んだ冬弥の歌は、アメリカの中心に佇む店でも耳にするほど。とうとう世界も道ずれにしようと目論んでいるのだから。
「こういうところで改めて聴くと、ほんっといいよね、冬弥の歌!」
「うん。初めて聴いた時みたいにドキドキする」
「......、ああ」
「ね、この歌で世界に飛び込んでる私達、贅沢すぎない? もう誇りでしょ! ニッポンの誇り!」
「なんでお前がドヤってんだよ。頑張ったのは冬弥だろ」
「とか言っちゃって~、『こんな最っ高の音楽 作ってるやつ、オレの相棒なんだぜ』って顔してるくせにぃ」
「...…んな顔してねえ」
「はい嘘~」
からからと笑っている青い髪の女を睨みつける。「おー怖ぁ」と肩を竦めたのを鼻で笑って、火照る額をカウンターに伏せた。
アルコールと、砂糖と、爽やかな酸味が効いた感じ......柑橘系か? 最後のだけ明らかに違う味が不思議と舌に馴染んで、ちょっと気分が上がる。こういうとき頭ん中に流れてくるのは、高二の誕生日の帰り道に聴けた、あいつの歌だ。
「............―――♪」
誰に歌うでもなく、思いのままというか。浮かんだ想いを包み隠さず喉に届けたハミングが続く。低く耳ざわりのいいその音は、時にかすれ、わずかな震えを秘めて、目に見える絹糸のように空気を縫っていく。美しいってこういう声を言うんだな。そう思ったのが最初の感想だ。
冬弥の作る歌を聴くと、自分はこう歌いたいって気持ちがどんどん湧いてきて、すぐにでも歌いたい衝動に突き動かされる。それはチームのやつらも同じで、それぞれの歌声を重ねる日が待ち遠しくなる。チームの道しるべみたいだね、無垢な笑顔でそう語っていたセカイの住人を思い出して、笑みがこぼれた。
次の新曲か、なんて尋ねるのは勿体ねえ。どんなに時間がかかろうが、こいつはこの歌を最高なものに仕上げてくるに決まってる。
だから、今は。
夕が赤々と街を呑み込んで、烏がねぐらへ帰ろうと飛び急ぐ。それをさみしそうに見送る虫の声に混じって、優しく頬を撫でる男の歌声に、制服のポケットに手を突っ込んだまま耳を傾けていた。歩の運びをゆるめて、なるべく落ち葉を踏まないように。不意にその声が「すまない」と言葉を紡いだのは、ホームが見えてくる数歩前のところだった。
『は? なんだよ、急に』
『せっかくお前と帰っているのに、俺だけ勝手に鼻歌なんて......』
ふはっと笑い声が夕日に弾んだ。
『アンコールは?』
『え? あ、すまない......アンコールまで考えていなかった』
『ガチでへこむなって。ったく』
いきなり終わってしまったライブを寂しく思いながら、なんかいいことでもあったのかとさりげなく聞いてみた。そうしたら、オレが校舎から出てくるのを校門で待ってる間、草薙に呼ばれてクラスの人達と一緒にオレを祝った今朝の出来事を思い出して、つい歌いたくなってしまったんだと。
『まさか、クラスに乗り込んでまでショーをやるとはな......あいつらもすぐ悪ノリしやがって』
二年の教室に続く階段まで響いてきたセンパイの声に嫌な予感がして、HRが始まる直前まで教室から逃げ回った。ただ走るだけじゃすぐに捕まってしまうから、階段と渡り廊下、死角となる壁を上手く使って、先生とすれ違うときだけは忍び足を装う。しかし、相手は元から根強い執念深さを備え、更に国内で超高難易度のアスレチックバトルに参戦すべく自分と同じように体を鍛え、恐ろしく持久力が上がってしまったあの司センパイだ。おかげで一限目の授業が眠くて眠くて、船を漕いでいた頭がうっかり机に落ちて派手に筆箱の中身をぶちまけちまって、クラスのやつらに笑われて無駄に恥かいたの、未だに許してねえからな。
それに。
『まさか、みんなで歌うとはな......』
『お祝いの席に思いのこもった歌は必要不可欠だろう?』
『まぁそうかもしれねえけど』
あんな知り合いばっかのド真ん中で、小さい子どもに向けたようなハッピーバースデーの歌を聴かされたオレはどうしろっつーんだよ。
『ただ、学校で歌ったのは初めてだったから、やはり少し緊張したな』
堪らなくなって視線を逸らす。さっきまで風が冷たくて寒いくらいだったのに。
『それでも、お前に直接おめでとうと伝えたかったんだ』
ガリガリ掻きすぎた後ろ髪がぐちゃぐちゃだ。これから電車乗るのに。
『あんなに照れてる彰人は新鮮だったな。あんな必死に皆を撒きながら、俺を教室から引っ張り出すとは』
『......なに笑ってんだよ』
『ふふ。あのとき掴まれた手は、とても熱かったな』
「............あのクソ真面目バカの口を塞ぐ方法」
「そんなのキス一択でしょ」
「杏ちゃん?」
「その手があったか」
「東雲くん??」
どうやら相当酔いが回ってきたらしい。思った事ぜんぶ口から出ていってしまうのも、いけるって思ってしまったのも。
あの日、あの歌を聴いてからの怒涛な言葉の応酬は受けとめきれなくて、電車に乗ってから帰路が別れるまでずっと目を合わせられなかった。だが、あれから冬弥はふとした時にあの歌を口ずさむようになった。同時に、ちょっとでも耳が拾っただけで、オレの身体は変にぎくしゃくするようになっちまった。肩が大袈裟に跳ねて、呼吸が浅くなって、芯から爪先まで熱くなって、脳みそが煮えたぎったようにぐらぐらして、心臓もバカみてえに暴れ出してしまう。
「あーー............」
やっちまった。オレの誕生日に直接祝えないことが理由で親父のコンサートに行くか渋っていたあいつに、感じたこと全部てめえの音楽で教えろって。......オレ、青柳冬弥という人間に音楽で殴られるんじゃねーの。
「......殴られてーなあ......」
「よーし、そこに立ってみようか!」
「ちょっ杏ちゃん! さすがに駄目だよ〜!」
「え〜? だって彰人、さっきからおかしいんだもん。こんなに酔っ払ってるのも初めてみたし、いきなり鼻歌うたうし殴られたいとか言ってさー、いっそのこと一発殴ったら元に戻るかなーって!」
「うーん......たぶん、相手が違うと思うな......」
「こはね正解」
「ふーん。やっぱり冬弥がいなくてさみしいんじゃん」
「まあな」
「へっ?」
「ふっなあに彰人。そんなに冬弥に殴られたいの?」
「つーか、殴ってこいって言った」
「な、なんか雲行きが怪しくなってきたよ杏ちゃん」
「だいじょぶだいじょぶ」
「だって、ずっとぬいぐるみ殴ってんだぜ」
「え?」
「ネネちゃんじゃん」
「ええっ草薙さん、そんなことするんだ......」
「あははっ違う違う!」
それは、アパートの隣部屋の借り暮らしが始まった頃の話だ。音楽活動をする為にアメリカに渡ったオレ達は、飯 食って風呂に入って寝る以外ほとんど四六時中、共に行動していた。だから、日に日に疲れも溜まればお互いそれを補うように、隣部屋を行き来するようになっていた。オレの部屋には冬弥のパジャマが畳んで置いてあるし、冬弥の部屋にもオレが使ってるシャンプーや髪のワックスが置いてある。
その日はオレだけ帰りが遅くなっちまって、冬弥の部屋に泊まらせてもらっていた。ジャンクフードだけでは体を壊してしまうと、少しづつ料理も練習している冬弥の少し焦げたカレーを鍋の底まで味わった。あったかい風呂にもゆっくり浸かって、うとうと船を漕ぎながら、作業中かもしれねーけどひと声かけてえなって。ドアをノックしようとした手がピタ、と止まった。
最初は歌いながら作業してるのかと思った。が、思わず耳をしばらくドアに押し付けてしまっていた。
『これからも、あなたのために歌い続けます。だからどうか――俺の手を取ってください......いや、何か違うな』
それは、いつだか結婚式のサプライズショー的なやつにキャストとして巻き込まれた時に、冬弥が口にしていた台詞だ。いわゆる、プロポーズってやつ。今まで、そういったジャンルの音楽には触れてなかったのに。
(ラブソング作ってんのか、こいつ)
どく、どく、鼓動が高鳴っていく。世界中に響く音楽を作る冬弥が、どんな思いを込めるのか。どんな音で表すのか。どんな風に、愛するのか。単純に興味が湧いて、バレないようにそーっとドアを開けて、隙間から覗いてみた。
『は?』
『え? っあ、彰人!?』
『あっ、悪ぃばれた......』
『それはこちらの台詞だ......』
『悪い......』
『だが、俺もずっと部屋に篭っていたから、彰人が帰ってきていたことに全く気が付かなかった。すまない』
『や、オレも邪魔して悪かった。まぁ、頑張れよ』
それだけ言って部屋を出た。ドアの隙間から見えたのは、音楽と真剣に向き合ってる時の顔だった。そのまま何も無かったようにそっとドアを閉めていくつもりだった。そうだったんだよ。
「いや気になるだろ!! おばけニンジン3本分の犬にずっと告ってんだぞ!?」
「あはっ、あははははっ! 何それ面白すぎるんだけど!」
「ふふっどうしよう。なんか想像できちゃった」
「だよね! それがまた面白いっていうか、フフフっやっぱ冬弥だなあ〜」
「......な」
なんか頭がぼーっとする。本格的に酔いが回ってきたようだ。特に最後のカクテル、美味かったけど結構アルコール強めっぽかったし。
オレが女子トークに火をつけちまったのか、未だに花は咲きっぱなしだ。愛だの恋だの好きだよな、女子っていう生き物は。
「にしても、冬弥もやるねえ〜」
「ふふ、青柳くんらしいよね」
「ねー。どんな風に伝えるんだろ」
「聴いてみたいなあ」
「ね〜」
心の中で頷きながら、なんとなくバーテンダーに気になってることを問いかけてみた。
「これ、最初に飲んでたやつと違いますよね」
「......?」
あ、そうだ。ここアメリカだった。
「んーと...... What kind of cocktail is this?」
「It's a caipirinha.」
「かいぴー......にゃ?」
聞いたことねえ酒だな。この辺じゃ有名な酒なんだろうか。
「A traditional Brazilian alcoholic drink with sugar and lime. 」
「......へえ。この柑橘系っぽい感じ、ライムだったのか」
「I heard that today is your birthday, so this is a celebration. Cocktail words are for people with eyes that shine like jewels.」
............やべ。ぜんぜん頭に入ってこねえ。あいつだったら、なんて言ってるのか分かんのかな。
「彰人〜電話鳴ってるよ〜」
「んー......」
「も〜仕方ないから出ちゃお! もしもし〜? ............、」
「......んだよ」
調子よく人の電話に勝手に出たくせに、何が聞こえたのか、無言でスマホを耳に押し付けてきやがった。ったく、誰だ
『彰人』
「......、とーや?」
『月が綺麗だな』
「は......?」
『冷え込んでいるから、ちゃんと上着を羽織るんだぞ』
「......へーい」
ったく、そんな誘いにオレがのる前提かよ。そう思った時点でバーの外に出てるけど。
(さむ、)
言われた通りジャケットを羽織って、手をポケットに突っ込んだまま、眠らないネオン街の端っこをとぼとぼ歩く。あいにく月は見えねえが、低く耳ざわりのいい声だけがクリアに聴こえた。
「コンサート、終わったのか」
『ああ。とても素晴らしいステージだった』
「そうか」
『......本当に、彰人の言う通りだったな』
「なにが?」
『俺は、バカみたいに音楽が好きだったんだ』
「フ、今さらかよ」
『ああ。分かっているつもりだったが、父さんのピアノを聴いて、改めて思ったんだ』
「......そうか。よかったよ」
気付いたら軽くステップを踏んでいた。寒かった体もぽかぽかしてる。酒も入ってるからか、気分がいい。まるであの日の帰り道みたいだ。
「............―――♪」
『彰人、それは』
「へへ、知ってるか? 高二ん時に聴いたお前の鼻歌、ずっと覚えてんの」
『............』
「コードも決まってねえし、歌詞もねえし、ここのフレーズしか聴いたことねえけど......こーいう時に歌いたくなるんだよな」
『............そうか』
「んだよ、笑ってんじゃねーよ」
なんか、やけに楽しそうだな。いい音楽にあてられてテンション上がってるのか? ......まあ、オレも人のこと言えねえけど。こうやって懐かしい思い出を語り合う時間は、人生の中で小さな楽しみだったりする。
『いつか、彰人と合作したいと話した時のことを思い出したんだ』
「あー、そんなこともあったな。お前が初めて曲作った時か」
『ああ。彰人がこの歌に詞をつけるとしたら、どんな言葉が浮かぶだろうか』
「え、オレ? あー......夕暮れ、とか」
『夕暮れか』
「初めて聴いた時の、夕暮れの空が印象に残ってる」
『......なるほど』
「あとは......“冬弥”だな」
『え?』
「だめだ。酔っ払った頭じゃロクなの浮かばねーわ」
『ふはっ』
「なんだよ」
『いや、俺も“彰人”と入れようとして○チャッコに叱られたから、同じだと思ってな』
「はははっなんだよそれ」
からからと笑い声が宙に浮かぶ。やっぱりあの時、あの歌を作ってたのか。腑に落ちた刹那、歩みが止まった。
(............いま、すげーこと言われたような)
道に迷ったような感覚の最中、ワントーン下りた夜風のような声で、囁かれる。
『彰人、誕生日おめでとう』
「......おう」
『今から、あの歌の続きをお前に贈る』
「え?」
『他の誰でもない、大好きな彰人に聴いてほしい』
ぽろん、と。
生涯忘れられないような、美しい音がした。
静かに輝く夕日のような、枯れ葉が踊る風のような。
(冬弥、)
耳から離れた液晶の先で、ピアノが歌っている。ずっと耳の奥にこびりついて離れなかった音が、ひとつ、ひとつ、魔法にかけられていく。
(冬弥、とうや、)
うまく言葉にできない気持ちが引き出されて、息苦しいくらい胸の奥が熱くなって、気付いたら駆け出していた。
(――――っ冬弥、冬弥、とうやっ......!!」
吸い込まれたそこは、街の中心にある広場だった。駅が近く、洒落た店が多く立ち並ぶ人波の中心に、古びたストリートピアノが一台だけ佇んでいる。トンネルの出口にかかる梯子みたいな白光を頭から浴びて、はしゃいだように汗を流しながら、
「............、弾いてる」
熱風に湧いて揺れる世界が、静まり返る。それまで周りに溢れかえっていた声も無い。ドク、ドク、とオレの心臓だけが、絶えず打っている。
不思議だ。ネイビーのスーツに身を包み、伸びた髪を後ろで留めている背中は、あの日の彼とは全くの別人なのに。
歩みは決まっていた。道は開けていった。オレの心臓が、信じていた。
誰に何と言われようと、オレの光はそこに“居る”。
「......!」
ぎし、と木の椅子が揺れた。ピアノの椅子って横幅あるの多いけど、この為だったりしてな。
「やっと会えたな、彰人」
「おう」
「あき、......っ」
バカみてえに音楽が好きな冬弥から、一瞬だけ音を奪った。この向きで座ったから顔は見えねえけど、息遣いまでちゃんと聴こえるし、思いが鳴り止まない口をちょっとでも塞げた。
最高だ。
「............―――♪」
合わせた背が、さらに熱い。
この歌も、声も、もう一生 鳴り止まない。