貴方と 昔、貴方に言われた言葉を今でも覚えている。
その言葉が全てを変えたと言っても過言では無いかもしれない。
それは、今の自分を作った言葉。
決して忘れはしない、その言葉から全てが始まった。
1章
私は生まれた瞬間から、既に両親から嫌われていた。
正確に言うと、生まれ落ち、目を開いた瞬間。その時、両親の目に映ったのは、私の醜い青色。
そんなことなど、生まれて間もない赤子に解るはずもなく、私は穏やかに眠っていた。
物心ついた時には既に両親と話すことは一切無く、良い関係とは言えなかった。十歳離れた兄も同様で、私よりも険悪な間柄だった。
それもそのはず、兄は魔力を引き出すこと、つまり魔法を扱うことが出来なかった。だからと言って、魔力がない訳ではなく、寧ろこの家で一番と言っていい程だった。
それに反して、見かけは望まれていた黒い髪と赤い目をしていた。だが幾ら外見が良くても、魔法が扱えないのなら家にとって必要などない。
青い目の私、魔法が使えない兄、これだけでも両親からすれば、除け者扱いをする理由となっていた。幼い私は完全に理解していた訳ではないが、親からの態度と兄の反応からある程度察していた。
数年もすると、兄は成人目前となった。それを知っても両親からは祝いの言葉すらなく、いつものように知らぬ振りを続けていた。
兄は、もう縁を切る日が近いのだからと言い、髪を染め、ピアスを開けて帰って来た。
私はそれを見た時、羨ましさと、美しいと言う感情を抱いた。
両親はと言うと、このことで兄を酷く叱った。今まで沈黙を貫いて来た癖して、自分達にとって都合の悪い時は口を出す。幼いながら私は、それに対して理不尽を覚えた。それは兄も同じで、今までの不満と共に両親に全てをぶつけた。
「アンタの頭は随分都合良く出来ているんだな。オレはアンタの子じゃないんだろ? まさかもう忘れたのか? というか、そんなに評判が下がるのが怖いならさっさとこの家潰すべきだな。そうすればなにも怖いもんなんかなくなる」
そう言い放ち、私の手を引いてその場を後にする。振り返ってみれば、顔を赤くした父がその場に立ち尽くしていた。
そしてついに兄が家から出て行く日になった。見送りには私だけがいて、寂しく思っているのも私だけ。
「ネグ、お前も自分のしたいことを貫き通せ。もう会えないかもしれない。でもオレはネグのことずっと応援してるから」
頭を撫でながら私にそう言い残し、兄は家を出て行った。
その日の夜、私は一晩中泣き尽くしていたのを今でも覚えている。
兄の一言に励まされ、気がつけば、当時の兄と同じくらいの歳になっていた。
その頃、私は父に呼び出された。今まで除け者扱いしていた癖に今更なんの用かと、面倒に感じ重い足取りで父のいる部屋へと向かった。
父はいつも通り、堂々と座り珈琲を飲んでいた。それに気分を害されたが、それが顔に出ないように必死になって抑える。
「なんの用ですか」
「あぁ、お前もうすぐ成人になるだろう? どうだ、当主にならんか」
一気に色々な言葉は生まれたが、それらは憤りのせいで声にならず消えた。落ち着くために息を吐き出し吸う。
「……何故今更?」
珈琲を一口飲んでカップを置く。その音に苛立ちが込められている気がして、肩が震えた。
「アレは最早私の子ではない。家の名を傷付けるような輩などな。しかし、お前は目の色を除けばこの家にふさわしいだろう?」
当主にならないかと言うのは嘘だと、私はそれにすぐ気がついた。本当は、私を自分の都合のいい駒にしたいだけであって、私を認めた訳では決して無い。人形劇のように、私を表に出してそれを後ろから動かす。
「ならない、誰がなるものか! あなたは手駒が欲しいだけでしょ。そもそも私のこと無能だの役立たずだの散々罵ってきた癖して、今更『家にふさわしい』? 巫山戯るのも大概にして! もう、うんざりなのよあなたのその勝手は!」
不満だけを言い終えると、目の前にあった珈琲をカップごと床に叩き付けた。物に当たるのは良くないと分かっていたが、どうしても苛立ちを抑えられなかった。そしてそのまま自室に閉じこもった。
以降、私に話しかけてくることはなく、態度もさらに悪くなっていたと思う。
家を出る日の朝、もう一度当主にならないかと問いかけられ、しないと答えれば、
「やはり貴様らは何時まで経っても無能だ。やはり私の子ではない」
そう言われた。
私はそれを気にもとめず、家を出た。その時は、家を出られる喜びで満ちていたため、煩い鳥の鳴き声を聞き流すことくらい訳無かったのだ。
* * *
家を出て数カ月、一人での暮らしにもとっくに慣れていた。
家にいる時から一度も家事をして貰ったことはなく、全て自分でやっていた。
今後一人で暮らすことを見越して、兄は私に家事を仕込んだのだろう。それのお陰で困ることは殆どなかった。
私は昔から得意だった占いを生業として暮らしていた。家のこともあったのでひっそりと経営していたが、思いの他人気となり、客は増える一方で、なんだか嬉しかった。数カ月、毎日のように占いをし続けると、何もなしに占いをすることを会得し、成人しても成長するものなのかと驚きもした。
そして冬となり、一面が雪景色になっていた。
その日は雪が降り積もりいつもより寒い日だった。そんな日に私は街を歩いていた。意味なんてなく、ただ暇で、寂しさに耐えられなかったから。
寂しさを紛らわすため、ライトアップされた街中を歩いていた。
足元から目線を前へとやると、親子が手を繋ぎながら歩いていた。
「今年はどんなケーキなの?」
興奮気味な子供が母親に尋ねる。
「ふふ、内緒よ。お家についてからのお楽しみ!」
そんな親子の声が聞こえた。そういえば今日はクリスマスだ。
きっとこの子は家に帰り、家族と共にケーキやご馳走を食べ、幸せな時間を過ごすのだろう。
周りを見渡せば、恋人と手を繋ぎ微笑みながら歩む者、母親と娘と父親で楽しそうに会話をしながら一緒に歩む者、皆幸せそうに映った。
そう思うと急に街灯や店の光が眩しく感じられ、いつもの海風も芯まで凍てつくような冷たさに感じた。私は輝く街中を侘しさとともに歩き続けた。
そんな中、私は奇妙な感覚を覚えた。鼓動は早まり、体の奥から温まるような感覚。
立ち止まり、目を瞑って占う。浮かび上がるものは太陽のような、温かな存在。足は自ずとそちらへと向かっていた。
いつもの私ならきっと行かないはず。今日は特別寂しいから、理由はただそれだけ。
路地裏へと歩幅を早めた。この温かい気配もこちらに向かっている。
足を止め、その場で待つこと数秒。温かな気配は目の前に現れた。それは十歳にも満たないような少年だった。
少年は私を見るや否や、力無く崩れ落ちた。
慌てて少年に駆け寄り、自分の着ていたコートを掛けた。手を取ってみると、雪のように冷たく、少しだけ震えていた。
少年は私をジッと見つめていた。少年は、優しく笑う。
「目、青くて綺麗だね。でも寂しそう……僕と同じだね」
少年はそう呟いた。
今まで、この目を見れば誰もが罵り、厭悪を抱いていた。けれども、目の前の少年は綺麗と言った。
その言葉で、心の中がじんわりと温かくなる感覚があった。夜だったのが、徐々に朝になるように、ゆっくり、少しずつ。
私は運命の出会いというのを信じていなかったが、きっとこれが運命の出会いなのだろうと思った。
「お父さんとお母さんは」
少年は首を横に降る。
「居ない。僕は一人だよ」
胸はドクンと鳴る。
「貴方は……どうしたい?」
「僕は……もう一人はやだよ。置いて行かないで……」
か細く、今にも泣き出しそうな声でそう言った。
その返事を聞いた私は少年を抱えた。少年は私の服を握り、涙を流していた。グスッという鼻をすする音が聞こえてきた。
私は駆けた。不思議と寒くはない。きっと胸の中にいる太陽が、体温をくれているから。
夜なのに明るく感じる。ライトアップなんかよりも温かみがあり、優しい光だった。
今まで夢を見ていたのではないかと錯覚するほど、目の前は鮮やかで、美しいものだった。
急いで家へと帰ると、暖炉の前のソファに少年を寝かせた。
帰るまでの間に眠ってしまっていたので、毛布を掛け、少年が目覚めるのを待った。
待っている時間、私は冷静を取り戻し、もう一度よく考えていた。兄は私に「したいことを貫け」と言い残した。私のしたいこと……。
目の前の少年の手を握り、一緒に歩んでもいいのだろうか。
もしここで彼の手を取り歩き出したら、この子は私のせいで不幸になるかもしれない。手を振り解けば、手をこの子は一体どうなる──?
ダメだ。考えれば考えるほど、深い沼に落ちていくようだった。
暫く考えていたが答えは出なかった。
そこで彼の言葉を思い出す。彼は小難しいことを考えず、私に「一人にしないで」と言った。ならば、それに答えるべきだろう。私も彼と居たいと思ったのは事実。
覚悟を決めて改めて彼の手を取った。
「私に、貴方の手を握らせて」
空が明るくなり始め、赤と青の混じった空を窓から眺めていた。
明るくなってきたことで少年は目を覚まし、キョロキョロと辺りを見回した。私が少年の視界に入ったことで、不安が気持ちが和らいだのか、表情は柔らかくなった。
「貴方、名前は?」
少年は頭を横に振った。
「覚えてない。ずっと名前呼ばれてなかったから」
少年はそう答えると、涙を流した。幼い頃から名前を呼ばれなければ、覚えていないのも無理はないだろう。
「そう……。なら、私からの最初のプレゼントとして、名を受け取るのはどうかしら」
私は窓の前に立ち、外の景色を見た。その景色から真っ先に頭に浮かんだ名前。
夜明けのような目、太陽のような存在という意味を込めて。
「Alba……どうかしら」
振り返ると、その名を聞いた少年は優しく微笑み、その名をそっと口にした。
私に光と温かさをくれた貴方へのプレゼントよ。
本当は、私の夜を明けさせる太陽という意味が込められているの。
貴方は、私の太陽だから。
──本当にごめんなさい。
2章
僕はもう両親の顔と名前を思い出すことが出来ない。
愛する両親は二歳の時に亡くなった。
まだ幼かった僕にはそれが分からずただ、何故か居ない、そうとしか思っていなかった。
葬式の際、親戚には同情され、皆「可哀想」と僕に言い放つ。それすらも、理解は出来ていなかった。
葬式が終われば、僕の住む場所、誰が僕の世話をするのかという話となった。
「俺のとこには娘がいるからダメだ」
「私たちにそんな余裕はない」
「そもそも、あの子って……ねぇ?」
親戚一同は言い訳ばかりで、僕を引き取ろうとする者は誰一人としていなかった。最終的には、大して知らない親戚の女性に引き取られることとなった。
彼女は僕に微塵も関心がなく、嫌々引き取ったようだった。一切僕の世話もしなければ、家にいることも殆どなく、家にいる時は常に知らない男を連れていた。
そして、僕の名を呼ぶことは一度もなかった。次第に自分の名前が分からなくなり、自分が誰なのか分からなくなっていた。
ある日、彼女は鍋を火にかけていた。僕はそれに気が付かず、鍋にぶつかり中のお湯をこぼしてしまった。
そのせいで腕に大きな火傷を作ってしまった。
彼女はそれを見て、駆け寄って来た。もしかしたら初めて、親らしいことをしてくれるかもしれないと、微かに期待を持っていた。
しかし、飛んで来たのは平手打ちと怒声だった。
「なんてことをしたのよ! これ勿論アンタが片付けなさいよ! ほんとアンタって鈍臭いわね。これだから子供なんて預かりたくなかったのよ!」
目頭が熱くなり、涙はポタポタと床に落ちた。
彼女は呆然とする僕を置いてさっさと家を出て行った。
頗る痛かった。傷も頬も酷く痛んで、涙は止まらなかった。けれども、それ以上に心が痛かった。なぜ僕は期待をしてしまったのだろう。そんな僕に心底、嫌気が差した。
数分間その場に座り込み、涙が止まった後に水で火傷を冷やす。
痛みが引いてきたので、いつも通り彼女が家へ帰るまで、ソファで眠ることにした。毛布を頭から被り、横になる。
僕はその日、夢を見た。靄がかっていて顔はハッキリと見えないが、この温かさは間違いなく両親のものだと分かった。二人は何かを言いながら優しく笑っている。
目を覚ますともう朝となっていて、朝焼けが眩しかった。目を擦ると、目元にはまだ涙が残っていて、それがソファに落ちた。
二人は僕に、何かを言っていた気がするが、忘れてしまった。
所詮、起きてしまえばその温かな夢さえ忘れてしまう。ならば、僕はそんな夢を見たくなどなかった。虚しくなるだけだから。
* * *
女性は僕が少しずつ大きくなるに連れて、関心はさらに薄れている気がした。僕が何をしようと何も言うことはなく、生きることは辛うじて出来た。
しかし、失敗や彼女の物が汚れることなどをすれば、容赦のない平手打ちが飛んでくることが多くなった。
雪の降る寒い日、僕は彼女のグラスを壊してしまった。勿論わざとではなく、手が当たって落ちて壊れた。それを見た彼女は、ゆっくりこちらに寄り、僕は容赦のない平手打ちを食らい、ソファが動く程の力で突き飛ばされた。
「アンタ、何度言えば分かるの ほんと、録なことしないわね、これだから……。ソレ、アンタが片付けときなさい!」
そう言い残し、出て行った。外からは彼女が男と話をしている声が聞こえ、次第にその声が遠のいていった。
カチ、カチと音を鳴らしながら、ガラスの破片を片付ける。その時に手を切って床に血が垂れた。その血を見て思った。ここにいては、本当に身が危険なのではないかと。
そう思うとすぐ、家を飛び出した。幸い、防犯意識の低い彼女は鍵をかけていなかったので、簡単に家を出られた。
きっと彼女は帰って来て、僕が居なくても驚かない。寧ろ、邪魔な存在が消えてラッキーとしか思わない。
僕は兎に角走った。
暫く走ると、よく知らない暗い道、路地裏へと辿り着いた。
息が切れ、ゆっくりそこを歩き始めた刹那、青白く輝く何かを見た。月が夜道を照らすような、そんな光。
僕はその光を目掛けて走った。その光が僕を呼んでいるような気がしたから。
駆け抜けた先に、その光はあった。そこには黒髪の女性が立っていた。
その瞳は澄んだ青色で、生まれて初めて綺麗という感情を持った。それと同時に疲れ果て、膝から崩れ落ちた。
それを心配して駆け寄って来た彼女に、僕は恐怖心を抱いた。もしあの時のように、希望を持った途端に裏切られたら、そう思うと手は震えた。
彼女が隣まで来た時感じたのは、何かを肩に掛けられた感覚。それは彼女の着ていたコートだと分かり、恐怖心は薄れていくのを感じた。
手を取られて、震えていた掌は彼女の温かさを感じ、治まっていった。
顔を上げて彼女の顔を見ると、酷く寂しそうな表情で、僕と同じような人なのではないかと、直感がそう告げる。
「目、青くて綺麗だね。でも寂しそう……僕と同じだね」
そう言うと、彼女は目を見張った。
「お父さんとお母さんは」
そう聞かれ、父と母を思い出した。もうこの世に居ない。あの家の家主も親なんかでは無い。
「居ない。僕は一人だよ」
僕は彼女の手を握り返した。この人は何故だか安心出来る、そう思ったから。
「貴方は……どうしたい?」
父と母に置いていかれ、家主に除け者扱いで家の中でも一人。僕はもう一人になりたくなかった。
「僕は……もう一人はやだよ。置いて行かないで……」
僕はそう答えた。彼女は幼い僕を 抱き抱えた。その温もりに、自ずから涙は溢れた。
人の温もりはこんなにも温かく、満たされるものなのだと知った。安心しきった僕は、そのまま意識を手放した。
眩しさを感じ、目を覚ますと見慣れない家具が並んでいた。
辺りを見回すと、先程の黒髪の女性が隣に座っていた。僕に気が付き、こちらを向いてくれた事で彼女の顔が見えて、僕は安心感を覚えた。
「貴方、名前は?」
そう聞かれ、僕は頭を横に振った。
「覚えてない。ずっと名前呼ばれてなかったから」
両親から貰った名をもう思い出せない。唯一、繋がりを感じられるものなのに。そう考えると、目の前が歪み、手の甲に涙が落ちた。
「そう……。なら、私からの最初のプレゼントとして、名を受け取るのはどうかしら」
その言葉に、僕は顔を上げた。彼女は外を見つめてから、口にした。
「Alba……どうかしら」
再び、心が満ちる感覚があった。
両親との繋がりはいよいよなくなってしまう。それでも、僕はその名を受け取りたかった。彼女には、言葉に出来ない何かを感じていたのだ。
「アールバ……」
そう呟く。外を見てみれば、夜明けの瞬間だった。
忘れていた誕生日をこの日にすると決めた。アールバとしての僕の生まれた日は、この日なのだから。
僕は、もうこの瞬間からアールバとしての僕、貴方の太陽としての僕なのだ。
きっとこの時には既に、僕の人生は変わっていたのだと思う。
間章
アールバと出会ってから数日が経過した。
彼は自分に関することの大部分を忘れてしまい、全てを確認することは骨が折れていた。
けれどもフェリチアの協力もあり、数日間で彼の身元が分かり、漸く手続きが進んだ。
ネグルが書類を書いている間に、フェリチアは尋ねる。
「この子、ネグが育てる気?」
その顔は真剣で、どこか不安も混じったようなものだった。
「そのつもり。私が拾った以上、私がする」
フェリチアに言わせると、ネグルのこういう所が頑固だと言う。
「本気なら止めないけど、本当にいいの?」
「……何が」
「何がって、自分自身のことを分かってない訳ないわよね」
沈黙が続き、ペンの走る音と周りのざわめきだけが聞こえる。先にそれを破ったのはフェリチアだった。
「ごめん、ダメだって言いたい訳じゃないの。ただ、ネグにとって単純なことじゃないと思う」
「分かってる。でも、私しかいないのよ。あの子を守ってあげられるのは」
その真剣な眼差しに、フェリチアは呆れとも諦めとも取れる息を吐いた。この状態の彼女を説得することなど不可能であると、親友である彼女は嫌という程よく分かっていた。
「じゃあ、いいのね?」
「ええ」
手続きを全て終わらせ、ネグルはフェリチアに頭を下げ、出ていこうとした。それをフェリチアは止めた。
「ネグ! ミオの方にも私から言っておく。えっと……何か困ったことがあったら言ってよ。手伝えることあったらやるから。お願いだから、もう一人で抱え込まないで」
最初から、フェリチアはネグルが心配であのような反応を見せていたのだ。彼女に災難が降りかかることを危惧していた。
親友からの気持ちを身に染みて感じた。
「ありがとう、フェリ」
ネグルはそう言い、その場を後にした。
* * *
「分かった。とりあえずなんとかしておく」
休憩時間、フェリチアはミオルスに事の経緯を伝えた。彼にしか出来ない仕事もあるので、いち早く伝えるべきと思ったからだ。
不安そうなフェリチアを見て、ミオルスは言う。
「俺からしたら、あいつがそう思える人が出来たことは喜ばしい限りだ」
「それはそうだけど、全ての人が私達みたいな人ではないし、あの子がいることでネグがまたなにか揉めたらって思うと……」
子供の頃からネグルを知るフェリチアは、皆がネグルに優しくする訳では無いこと、家絡みの面倒事に巻き込まれ、また傷つくのではないかと懸念していた。ネグルの前では言えなかったことをミオルスに話す。
「お前はネグルが大切なんだろ。なら信頼してやれ。もしそんなことがあったら支えてやれ」
この言葉はフェリチアに向けて言っていたが、自分に向けてもいた。
ミオルスもフェリチアと同じく、ネグルが面倒なことに巻き込まれることや今まで以上に辛い思いをするかもしれないと考えた。しかしそれ以上に、ネグルを応援したいと言う気持ちがあった。
「そん時は俺がお前の仕事くらいどうにかしてやるさ」
「ミオ……うん、ありがとう」
「フェリチア、なんかあったら何時でも俺に言えよ。俺はお前らの先生でもあるんだからな」
3章
多くの出来事があったが、僕は十七歳となり、明日には十八歳、成人を迎える。
その日も変わらず、学校終わりに図書館へと足を運んでいた。
本を広げて読み始めたが、数ページ読んだ所で集中力が切れてしまった。
気分転換として外を眺めてみると、夕日が出ていて、見入ってしまっていた。その夕日を見たことで、昔のことを思い出してしまった。
* * *
十五歳の頃に僕は占いができるようになった。
初めて占ったのは、両親のことだった。両親は何を思っていたのか、僕をどう思っていたのか、それが知りたかった。
占ってみると、写ったのは家族らしい温かな記憶だった。一つ一つ、この記憶を焼けつけていた。落とした物を拾うように。
次いでもう一つ、傍らにいてくれる人の気持ちも見ることにした。
それを知ると同時に、涙が流れた。
僕はまだ彼女のことを知らなかったのだ。
彼女が、どれほど僕を大切にしているのか。そしてこの名前にどのような意味が込められているのか。
その時、いきなり部屋は眩しくなった。それは窓から差し込む夕日で、まるで彼女が僕を包むかのようだった。
* * *
そんな、昔のことを思い出した。
彼女の思いを知ったのはこの時が初めてだった。彼女は僕に自分の思いを打ち明けることはなかった。だからこそ、知りたいと思っていた。
彼女は僕のことを大切な人だと思っている。今思うと、その中には仄暗い感情が混じっていたと思う。それを咎めるかのように、今すぐにでも手を離せと言う強い思いも存在していた。
このことを考えていると時間がいくらあっても足りない。息を吐いてから、もう一度本へ目線を落とした。
いつの間にか本に夢中になって、時間は既に十九時を回っていた。鐘の音も気が付かないくらい集中していたのかと驚いていると、向かいに座る影が見えた。
「随分と難しい本を読んでいるのね」
件の彼女が目の前にいた。何故か彼女はいつもよりも、悲しげな表情をしていた。
「どうしてここに?」
その問いに、彼女は先程よりも悲しげな顔をして微笑んだ。
「話したいことがあったの」
だからここに迎えに来た、そう言う彼女。荷物を纏め、さっさと図書館を出て行ってしまった。それを追いかけ僕も図書館を後にした。
図書館を出て、セアラは公園に寄りたいと言った。冷え込むこの季節に、増して雪がチラつく今公園に行くのかと、思ったが仕方がなく了承した。
公園に着くと、真っ先にブランコの前へ歩んだ。そこは昔、僕がよく本を読んでいた所だ。
「懐かしいわね」
「そうですね」
彼女が、ただ懐かしむためにここに来た訳ではないだろう。なかなか本題に入らず、公園を見て回る彼女に痺れを切らしてしまった。
「話ってなんですか」
彼女は動きが止まり、黙りこくった。数十秒もすると、漸く振り返る。その表情は酷く切なそうで、憂いを帯びていた。
「明日、貴方は成人を迎える」
「……それで」
「だから、選びなさい。家に帰るか、それとも……それとももう二度と帰らないか」
彼女の手は震え、俯き、掠れた声でそう告げた。いつか、このような時が来るだろうと思っていた。
もし、彼女の前から僕が消えたら、彼女はどうなってしまうだろう。そして僕も、どうなるか。答えなど、疾うに決まっている。
「僕は……貴方がいる家に帰ります」
その言葉に、顔を上げ、目を見開いていた。驚きを隠せない顔をしている。
「なんで……なんで貴方はいつもそうなの! いつも私を一番に考えて、自分のことを後に考えてる。私は貴方のそういう所が気に入らない! なんで自分を一番に考えてやらないの。私は……」
「いつもはそうかもしれないけど、今回は自分のことを一番に考えました。その結果、家に帰りたいと思ったんです。これは僕の意志ですよ」
セアラは大粒の涙を流しながら、尋ねる。
「なんで、帰ろうと思うの」
何故、理由らしい理由などなかった。
でも、僕に温かい居場所、温かい気持ちを与えたのは他でもない、彼女だった。暗闇を彷徨う僕に、光を与え、導いてくれたのは彼女だ。そんな、貴方のいる場所へ僕は帰りたい。
「貴方がいるからです」
「ふっ……何その理由」
涙を拭き、鼻声の彼女は話を続けた。
「本当は、もうここで手を放したかった。何度もこの手を放してしまいたいとも思ってた。成長していく貴方を見る度に辛かった。もし、私じゃない誰かを選んでいたら、もっと幸せだったんじゃないか、って。私は貴方を、私に縛り付けているのではないかと……」
「貴方が僕を拾ったから、今の僕がいる。僕は、貴方に拾われたこと感謝してるんです」
「……心の中で何度も何度も、貴方の手を放す為の台詞を口にした。でも、その度苦しくなって、その度に手を放さなくてもいい理由を探してた」
「僕は……出来れば、手を離して欲しくない」
「なんで貴方はそう言うの。これだと、ますます離れられないじゃない……。私は……もうその手を握り続けることは出来ない。私はもう、疲れたよ」
「なら次は僕がその手を握ります」
彼女はこの数十年、こんな思いを抱えて生きていたのか、そう考えると心が締め付けられた。
僕に出来ることは一つ。
「僕は今幸せです。それは、貴方がいたから、セアラだったから幸せなんです」
彼女はしゃがみこみ、声を上げて泣いた。僕も向かい側にしゃがみ、手を差し出す。
「だから、家に帰ろうセアラ」
差し出したその手をセアラは握った。セアラは唸るような声で返事をして、家に向かって二人で歩き出した。
4章
貴方は、確かに幸せだと言った。
でも、私ではなかったら、きっとこれ以上の幸せを手に入れることが出来たはず。
──幸せ。
彼にとっての幸せとは一体何か。
私のせいで学校で問題を起こした。弁明の余地すらなく、彼は酷く叱られ、涙を堪えて家に帰ってきた。
私のせいで周りからは浮いていた。友達は疎か、彼に話しかける人も居ない。
私のせいで貴方は私といることを選んだ。これが一番、貴方の幸せからは程遠い。
でもそれを拒むことが私には出来なかった。それは、私も同じことを考えているからだろう。
それが私の一番の罪だ。
??
全てが何年も前の話。
幸せだと思う時は沢山あった。貴方がいたからそう思えた。
どうか、いつか貴方が全てから解放されて、幸せに生きられるようと願う。
そして、もう二度と出会いませんように。
そして、またいつか出会えますように。