まず目を引いたのは、アネモネの青だった。
この男の色だ、と思ってしまったのは、アルヴィスの不覚である。よくある色だ。そんな認識を紐付けられては、たまったものではない。だからアルヴィスは、いささか不愉快な顔をして、扉を少し引いた。
「いちいち不要なものを持ってくるな、とは言っていたはずだが」
「失礼、あまりにもきれいだったものですから」
その一輪を差し出したまま、シグルドがはにかんだ。アルヴィスは呆れたが、しかしこんなところで問答しているのを他人に見られるのもうれしくない。だからひとつため息をついて、男を招き入れた。
だいたいこの男、他人の基準でものが考えられんのだ。そう思えば頭が痛かった。この部屋は、おのれの好みに合わせた、褐色に臙脂を基調とした調度で揃えてある。それにこんなつよい青を入れれば、差し色としても浮くだろう。とは言え、このままにしておくには花が不憫で、アルヴィスは陶の一輪挿しに水を入れて、それを刺した。まるでこの男の訪いを許容しているようで、少し不愉快だった。
もっとも、今夜お伺いしてもというシグルドの誘いを断らなかったのは、アルヴィス自身である。と言うよりも、アルヴィスは基本、シグルドの申し出は、なんであろうと受け入れることに決めていた。それは生前この男に対してしでかしたことによる贖罪のひとつであり、この男に対して芽生えかけているなんらかの感情への言い訳でもあった。──当人にはけして、口にしないにしても。
しかし、とアルヴィスは思った。こうして意中の女にでもするように、花を持ち込むシグルドに対し、腹の中を清めてガウンで迎えるおのれの即物的な有様はどうであろう。そう思えば、居た堪れないことこの上なかった。しかしその有様は──尻の用意はともかく──アルヴィスの側の合意をわかりやすく示していたものだから、シグルドはかすかに破顔した。
それでも、
「よろしいか」
と聞くのは、まあ彼なりの誠意であろう。だから葡萄酒もそこそこに視線を合わせ、手に触れてきた性急さに対しても、アルヴィスは何も言わなかった。別に、話をしたいなどというものもない。話せることもないし、そもそもいまだに、この男に対してなにを話していいかわからない。まして、話したいことなど。そう思えば、不愉快そうに目を伏せてうなずくのが、せいぜいのことである。だからアルヴィスはそうしたし、そのある種高慢な反応にめげることもなく、気恥ずかしそうに微笑むシグルドからいたたまれずに、目を逸らした。
あれ、と小さくつぶやいて、召喚師がふと顔をあげた。次の視察のことなんですけど、と訪ねてきたはずのこの男は、内容を説明し終えてなお、そのまま世間話を続けていた。そもそも口数が多すぎて、真面目な話をしていてもすぐ横道に逸れるのだ。だから散らかしながら主題を終えたはずの軍師の口は、引き続いて鳴っていた。話をしたいと能動的に思っているのではなく、勝手に言葉が出るのだろう。相変わらずのことである。
アルヴィスはその内容にそれほど興味を持たなかったが、追い返すのも面倒で、粗雑に相打ちを打ってやっていた。この軽佻な男が、これで策を立てさせれば呆れるほど優秀なのだから、ひとというものはわからない。いっそ無能であれば、追い返してやるのだが。いつものようにそんなことを思いながら、呆れて眺めていた矢先のことである。だからなにかと思って、アルヴィスは片眉をかすかに上げた。
「めずらしいですね、アルヴィスさんが青って」
妙なところで目敏いものだ、と、アルヴィスは胸中で舌打ちをした。僕、花の名前とかわからないからなあ。なんて花でしたっけ。そんなふうに首を傾げる召喚師に、アネモネだ、とアルヴィスは名前を教えてやった。それでもじっと召喚師が花を見つめていたので、何か、と、アルヴィスはやや不機嫌そうに問いかけた。召喚師は慌てて首を振った。
「ただ、アルヴィスさん、意外と青も似合うんだろうなって」
まあ僕なんかも、すっかりこの白フードで覚えられちゃってるので、たまに私服だと認識してもらえなくって。と言っても私服らしい私服なんて、持ってないんですけどね。でもアルヴィスさんみたいに元の素材がいいと、なんでも似合うだろうな。ああいけない、次もあるんだった。それじゃあまた、よろしくお願いしますね。そう言いたいことを片っ端から言うと、召喚師は部屋を後にした。いい歳をして呆れるほどに賑やかで、浮ついて、軽々しくて。こんな男に頼らざるを得ないアスクという国に、アルヴィスはほんの少し同情した。
ようやくしんとした部屋で、アルヴィスはしばらく苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、やがて窓から風が吹き込むに至って、長々と息をついた。めずらしく、妙に息をつめていたようだった。それに気づいて、アルヴィスは小さく舌打ちをした。
目は自然と、例の青に向いた。嫌な色だ。そんな、強い色を入れるから。勝手に目が向くだけなのだ。それだけのことなのだ。ただ、悪目立ちしているだけなのだ。部屋にそぐわないものだから。見慣れないものだから。違和感があるだけなのだから。
「──似合ってたまるか」
部屋の中に、一輪。あの男の色がある。