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    hashi22202

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    hashi22202

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    バーハラ直前、クロ一ド神父がモブ騎士を治療する話。あとで修正するかも

     虫の声がする。
     夜は冷え込むと言っても、フィノーラの砂地を過ごしたあとの、バーハラの平原である。上掛け一枚を羽織れば、どれほどのこともなかった。ただ、夜露が僧衣の裾を濡らすので、そればかりは少し閉口した。
     松明の灯りと煙に遮られながらも、月は高く、鋭い光でもって夜空に鎮座していた。明日も晴れる。そんな天候の見方も、こう従軍していれば、いつしか覚えるものである。そうして、おのれが知らぬうちに培っていた知識を意外に思いながらも、いっそ土砂降りになってくれないかと、クロードはふと思いもした。──それで、何かが変わるわけでもあるまいが。
    「これは、神父様」
     天幕を潜ると、なじみの騎士が頭を下げた。エッダ公爵であるクロードがその呼称で呼ばれるのはあまりにも気やすすぎたが、しかしクロードは、それを気にも留めなかった。ひとつにはフリージの公女があまりにも神父様神父様と連呼していたものだから、みなそれに釣られてしまったところもあるのだが、しかしまわりから見た彼は、あまりにも「そう」でありすぎた。もっともそれが彼の公爵であることを損なうものではなかったが、しかしやはり彼は「そう」であった。彼の本質は、結局はそちらであったのだ。
     そうして、「そう」であるからクロードは、いまもレプトールとの争いで深手を負った戦士たちを、こうやって癒してまわっていた。公爵としてはやはり気軽に過ぎるのだが、クロードとしても傷ついた人間を放って置けるようなものではなかったし、それにアグスティを出て以来、兵の補充もままならなかったシグルドとしては、猫の手でも借り倒したいところだったのである。ましてそれがブラギ直系の司祭となれば、シグルドにその申し出を断る余裕はなかった。
     そんな苦しい戦いも、宿敵であるランゴバルトとレプトールを倒し、逆賊の濡れ衣が晴れて凱旋が叶うとなれば、ようやく報われるものである。アルヴィス様は全てご存知で。ただ、今までは両公爵の勢力も強く、アルヴィス様も手が出せなかったのです。援軍に来たアイーダにそう伝えられ、頷いたシグルドの目には、わずかに涙が滲んでいた。彼の苦難、彼がここまで来るために喪われたものたちのことを考えれば、いろいろと極まるものもあるだろう。アイーダが明日の凱旋の段取りを伝え終えて彼のもとを離れたのち、これで皆にも報いることができる、とつぶやいて、とうとうひとつぶの涙を流したシグルドの肩をクロードはそっと叩いたが、しかしシグルドの正面に立ち、おのれの顔を見せようとはしなかった。そうして、これでゆっくりと治療もできますねと笑って、そっとその場を去ったのである。事実、負傷者はまだまだ多く、公爵の立ち会いを必要とするような案件が済んでしまえば、シグルドとしても早々にそちらに向かってほしかった。だからよろしくお願いしますと照れ臭そうにはにかんで、シグルドは快くエッダ公を送り出した。
     クロードは、一人の男の病床へと辿り着いた。男はシアルフィの騎士であり、この度は隣の同輩がトールハンマーの直撃を喰らって消し飛んだ余波で、甚大な熱傷を受けていた。到底助かるものではない、と誰もが首をふりかけたものだが──薄情というわけでもない、助からないものに尽力して助かるものを取りこぼしてしまうことを避けなくてはならないからで、こうした選択は悲しいことに戦場では、あるいは戦場の外でもまま必要となる──しかしクロードはあきらめなかった。と言うよりは、クロードにはその「力」があった。だから彼はリカバーの杖を手に取り、男のために祈った。男は無事、黄泉路を引き返した。
     男は回復のために消費される体力や生じる熱、投与される痛み止め、そうしておそらくは失った同輩のことなどを考えてぼんやりとしていたが、クロードの姿を見て、慌てて姿勢を正そうとした。シアルフィの騎士である男からすれば、こうした貴顕の訪いも、公女エスリンで慣れたものであり、エーディンやラケシス──もっともノディオン王女であるはずのラケシスの居場所は、もう少し剣戟の音のやかましい場所が主だったが──に馴染まされたものでもある。しかしやはり、公爵、バルキリーの継承者となるとさすがにそうはいかなかった。ましてこの補給も厳しい状態で、高価な杖が使われたとなれば、なおさらである。騎士は驚懼して拝跪しようとしたが、クロードは苦笑してそれを差し止めた。
    「お加減は?」
    「おかげさまで、すっかり。少し痛む程度で。あと、少し視界がぼやけるというか」
    「ご無理は禁物ですよ」
     クロードは優しく笑い、男のひたいに手を伸ばした。もろく引き攣ってはいるものの、そこには確かに皮膚が張っていた。だからクロードは、おのれのわざの効果に満足した。実際、彼としてもむずかしいことだったのだ。
    「そうですね。もう、慌てて前線に戻る必要もないのですし」
     騎士は、未だ火傷の癒きらない頬を、不器用に綻ばせた。彼としてもそれは、だいぶ心の休まることだったのだろう。クロードは頷いて、世間話を交えながら、いくつか男に問診をした。そうして、治療が順調に進んでいることに満足した。そうして会話を続けながらも、クロードはふと、男が何かを言い淀んでいることに気づいた。やはり、遠慮して言えないこともあるのか。なにか、重要な見落としでもあるのか。そう思ってクロードは優しく男を促した。
    「あの」
     騎士はずいぶんと躊躇っていたが、クロードが促すと、小さく頷いた。それでも、やはり言いあぐねるのか、何度か口を開閉した。ゆっくりで構いませんよ。溜め込んでいるのも、回復にはよくありませんから。遠慮は入りません、存分にしゃべっておしまいなさいとクロードが言うので、騎士はようやく、光を見たのです、と、消え入るような声でつぶやいた。
    「光、ですか」
    「はい」
     騎士は、こくりと頷いた。視線が何度か泳ぎ、瞬きが繰り返された。一生懸命にしゃべることをまとめようとしている、と言うよりも、やはり何か、言いにくいことがあるのだろう。だからクロードは相槌がわりに、それは、レプトール卿の魔法かと聞いた。騎士は案の定否定した。
    「違います。そんなんじゃ──そんなものじゃあないんです」
     あんな、おそろしいものじゃ。騎士はそう言って首を振ると、ようやくとつとつと言葉を継ぎ始めた。
    「確かにはじまりは、レプトールの雷が、間近に落ちたことでした。しまったって思った時には、全身が一気にびりびりと来て。痛いとか、もうそう言うんじゃなくて。引き裂かれるって感じで。あ、死ぬなって思いました。あともう少しなのにって。そうこうしているうちに気が遠くなって、なんの音も聞こえなくて。なんの感覚もなくて。ああ、おれ、このまま「消えちゃう」んだなって、そんなことを思いました。
     そうしたら、ふわっと体が浮かぶ感じがして。なんというか、解き放たれたって感じがしました。なにからなのかは、分からないんですが。それで、ふと周りを見たら、そんな光がいっぱいあるんです。それが震えたかって思ったら、ひゅうっと飛んでいって。そうしたら目のまえに、すごく大きな光の玉があるんです。そいつに、みんな吸い込まれていって。ああ、おれもあれとひとつになるんだなって思ったら、びっくりするほど幸せな気分になって、ぼろぼろと泣けてきて。そうしたら、ぐんって襟首をつかまされたような気がして、それで目が覚めたら、神父様がいたんです」
     途切れ途切れ、不器用に言葉を続け、騎士はようやく語り終わった。
    「おれには、よくわからないんですが。あれが、神と言うものなのでしょうか」
     クロードは、曖昧に笑った。男の言葉に、答えかねたからだった。そう言ったことは、司祭たちの間で、いくつか報告されていた。重傷を杖で治療されたものの中に、「神を見た」と言うものがいることは。
     その正体がなんなのかについては、エッダ教会でも、意見の分かれるところである。しかし結局は、施術に伴う「酔い」であるという説に落ち着いていた。命に関わる危機に陥ったり、杖を介してエーギルを流し込まれたり、痛み止めのための薬剤を処方されたりなどをする過程で、酩酊してしまうのだと。神が、そうやって「只人」に語りかけるなどと言うことは、そう簡単に、ありはしない。奇蹟は、然るべき人、然るべき場所、然るべき時に、起こるものなのだから。
     ──酔っ払いとて都合のいい夢ぐらいは見るものだ。それをたまたまおのれが死にかけたものから、意味があると思っているだけだろう。
     誰だっておのれの身に起きたことだけは、特別だと思うのだ。そんなふうにつめたく言い捨てるものもいたが、しかし概ねそう言ったものだった。夢と、神託と。なにが違うのかと言われれば、誰にも答えはなかった。だからこそブラギの修行の中にも、そうやっておのれを追い込み、神とおのれの境を、もっと言ってしまえば、おのれの矮小さ、卑小さを思い知るための行程がある。おのれなど、たいしたものではないのだと。真理とは、そう簡単に得られるものではないのだと。──一方でそれが一部の僧侶にとって、「只人」を見下す無意識の傲慢さにつながることも、また頭の痛いことだったのだが。
     とにかくクロードは、そんな神秘と真理、そうして公爵という世俗──もっとも、僧院とて実際人の関わる限りは大なり小なり”俗”ではあるが──の極みにいる。クロードという男の人格は、その難しい要素をふしぎな均衡の上に成り立たせていたものだから、そう言った訴えを、無下に否定もしなかった。だから、
    「あなたの信心に、神がお応えになられたのでしょう」
     と、やはり曖昧に微笑んだ。が、クロードは知っていた。祈りに神は応えない。
     ──この戦いは、自軍の敗北で終わる。
     クロードだけが、それを知っていた。二年前、クロードはブラギの塔で神託を受けた。イザークの反乱とそれに伴うグランベルの遠征、ヴェルダンの襲来とアグストリアの内乱。そのどれもにクロードは心を痛め、平穏のために必死に祈っていたのだが、しかしそれも空しく、とうとう世継ぎの王子が暗殺されるに至った。ましてや、バイロンがその下手人として名指しされたとなれば。浅くもないつきあいである。バイロンの人格がそんな下劣なものであるとは思えず、まして王子の信任厚いバイロンがそんな事をする理由もない。むろんなにか、おのれの知り得ないことがあったということはあるだろう。しかし、それを信じるにはバイロンの性格はあまりにも素朴で、そうしてそれを公表したレプトールとランゴバルトについては、逆にいろいろときな臭いことが多すぎた。
     ──ブラギの塔へ行こう。
     だからクロードは、そう行動した。ブラギの末裔であるおのれが祈れば、神はなにか教えてくれるかもしれない。それが、事態の収束の一助になるならば。この不穏な時期の宮廷を公爵が、しかもエッダ教団の長が離れるのは不安も大きかったが、しかしおのれ以外ではだめなのだから仕方がない。そう言った判断で、クロードは国を出た。ティルテュがついてきてしまったことばかりは予想外だが、それでなんとかなったところも否めない。とにかくクロードは塔についた。不平を鳴らすティルテュを置き捨てて古びた石段を登り、そして祈った。
     ──馬鹿な。
     クロードは絶句した。クロードの疑ったとおり、イザーク遠征については、全てランゴバルトとレプトールの仕組んだものだった。クロードは得心し、あとはシグルドにそれを伝え、連名で奏上し、アズムールの裁可を賜れば良いと思った。そこまではよかった。アルヴィスの炎のような姿が、黒霧の向こうにちらつくまでは。そうして、燃え上がるシアルフィの軍旗と、バーハラの野に累々と横たわる、見知った顔を見るまでは。
     ──なんだ、今のは。
     我にかえったクロードの全身は、びっしょりと汗で濡れていた。なぜ。どうして。そもそも、今のはなんだったのか。なにがあって、どうしてそのようなことになるのか。──本当に、神託だったのか。それとも。クロードはおのが見たものに惑っていたが、しかし眼前に見知らぬ杖が現れていることで、とうとう認めるしかなくなった。それが、建国以来失われていたバルキリーの聖杖であることを、クロードの体に流れる血の方が知っていた。だからこれは、紛れもなく「奇蹟」だったのだ。
     ようようのことで階段を降り、ティルテュの前では平静を装いながらも、クロードの心は乱れていた。あれが神託であるのなら、一体神はなにを伝えたかったのか。おのれに、どうしろというのか。この杖で、なにをしろというのか。この、死者を生き返らせる杖で。
     ──ともかくも、まずは事態を収集することだ。
     そう判断してクロードは、まずはシグルドにレプトールとランゴバルトの謀であることを告げた。彼の父親が、無実であることを。しかし例のあのバーハラの平原に転がる屍のこと、その中で見えたこの男自身のことは伝えかねた。だからクロードは、「まだ見通せないものがある」とだけ言った。実際、あれがなんだったのかについて、クロードは理解しかねていた。どうして、そんなことになるのかも。しかしそれを、悠長に解析している暇もなかった。とにかくもとクロードはアズムールに報告しようとしたのであるが、しかしレプトールたちの方が速かった。だから彼らは、追いやられるようにしてシレジアへと逃れたのである。忠誠を誓った国家から逆賊と名指しされることはクロードにとってもつらかったが、しかし、世界を取り囲んでいるであろう何某かの悪意のほうが恐ろしかった。だからクロードは、雪深い異邦の地で何度も祈った。しかしブラギの塔ではないからか、それとももう語ることはないとでもいうのか、神は二度とクロードには応えなかった。
     クロードもシグルドも、並行して王都に陳情書を出し、ラーナ王妃にも協力を依頼したが、しかし王からの返事はなかった。レプトールに握りつぶされているのか、王自身が疑っているのかはわからないが、ともかくも八方塞がりになってしまったということだった。いずれこのラーナ王妃のドレスの裾に、隠れてばかりいるわけにもいかないだろう。いっそこのまま王都まで向かうかと頭を抱えているうちに、今度はシレジアで内乱となった。
    「まあ、後顧の憂いはなくなったってことさ」
     自国の美しい、真白い大地を地に染めた後で、レヴィンはほろ苦い笑みを浮かべた。彼としても国家がこの状況になっていることは心安らかならぬことではあったが、しかしグランベルが落ち着いていない限り、いずれ巻き込まれることだろう。実際に今回も、バイゲリッターを差し向けてきたのだし。だからいっそ、討って出るかという結論になった。いくら君側の奸を討つと言おうとも、リューベックへと兵を進めることは、祖国に弓を向けるということである。気の進むことではなかったが、ことここに至っては、そんなことを云々している時間もない。彼らはザクソンを立った。そうして、クロードの心も、ようやく固まってきた。
     ──神がどうあれ、進むのは人だ。
     だからクロードは、あの日見た光景を、丁重におのれの裡にしまうことにした。悲しむことはない。死で、全てが終わるわけではないのだ。生あるものが死に、形あるものが失われることは、仕方のないことだ。しかし無になるわけではない。死を恐れてはいけない。失うことを恐れてはいけない。たとえここでおのれが死ぬと言われても、それまでのことなのだ。誰が生き、誰が死ぬとしても、そうやって、人々は歩き続けていくのだ。力の限り、精一杯に。それが、生きものが生きるということなのだ。
    「シグルド様が報われてよかった」
     男の言葉に、クロードは思索の淵から引き戻された。男は、少々朦朧としたまま、安らかな笑みを浮かべていた。
    「不安で仕方がなかったんです。俺たち、どうなるのかなって。レプトールやランゴバルトを敵に回して、陛下からも逆賊だって言われて。故郷はどうなったのかな、大変な目にあってはいないのかなって。それが、ようやく報われた。故郷の母さんにも、ようやく顔を見せてあげることができる。手紙も出せなくなったけど、母さん、元気にしているかな。許嫁も、待たせているんです。三年も待ちぼうけを食わせてしまった。これじゃあ新婚早々、尻に敷かれるのが確定ですね」
    「きっと奥様も、わかってくださいますよ。これまで頑張ってきたのですから」
     クロードは苦笑して、騎士の額の汗を、そっと拭ってやった。それから、体液の滲む包帯ごしに、もう一度、そっと治癒の魔法をかけてやった。ふたたびの体力の消費に、男はうとうととしはじめた。無邪気な顔だった。
     きっと、この男も明日を生き延びることはないだろう。それでも、クロードは男を治癒した。それが、クロードがクロードであるということだった。生きる。最後の一瞬まで。そうして、誰のことも、最後の一瞬まで生かしてやるのだ。
    「さ、長話も体の毒ですので、私はこの辺りで切り上げましょう。治療の経過も良好ですしね。まず今はよく眠り、きちんと体をおいといなさい。──あなたに、神のご加護がありますよう」
     クロードは優しく言い、毛布を騎士の首元まで引き上げてやった。踵を返した神父の背を、明日死ぬ男の拝謝の声が、何度も叩いていた。



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    DOODLEバーハラ直前、クロ一ド神父がモブ騎士を治療する話。あとで修正するかも
     虫の声がする。
     夜は冷え込むと言っても、フィノーラの砂地を過ごしたあとの、バーハラの平原である。上掛け一枚を羽織れば、どれほどのこともなかった。ただ、夜露が僧衣の裾を濡らすので、そればかりは少し閉口した。
     松明の灯りと煙に遮られながらも、月は高く、鋭い光でもって夜空に鎮座していた。明日も晴れる。そんな天候の見方も、こう従軍していれば、いつしか覚えるものである。そうして、おのれが知らぬうちに培っていた知識を意外に思いながらも、いっそ土砂降りになってくれないかと、クロードはふと思いもした。──それで、何かが変わるわけでもあるまいが。
    「これは、神父様」
     天幕を潜ると、なじみの騎士が頭を下げた。エッダ公爵であるクロードがその呼称で呼ばれるのはあまりにも気やすすぎたが、しかしクロードは、それを気にも留めなかった。ひとつにはフリージの公女があまりにも神父様神父様と連呼していたものだから、みなそれに釣られてしまったところもあるのだが、しかしまわりから見た彼は、あまりにも「そう」でありすぎた。もっともそれが彼の公爵であることを損なうものではなかったが、しかしやはり彼は「そう」であった。彼の本質は、結局はそちらであったのだ。
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