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    1YU77

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    1YU77

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    元ブラック企業のやぎしずちゃん進捗⑤
    前回の少し後の話(とんでます)しずまくん出てきません
    かなやぎが飲み屋でうだうだしている。
    延々和さんに叱られる恋に悩む八木さんの場面
    もだもだしまくっています。

    元ブラック企業のやぎしずちゃん進捗⑤






    「うわぁ、来るのはやくね?」
     その目立つ長身の姿を確認し慌てて煙草を消す――が、こっちを見つけるなり大股で走ってきたやつには敵わない。橋内和。元同級生で、元同僚で、変な腐れ縁の偉丈夫。
    会社が同じだったのは本当にたまたまだった。八木のいた会社に橋内が中途でやってきたのだが、憎らしいほど優秀ですぐに昇進してきた。
    どうやったって互いの性格的に気が合わないはずなのに昔から妙に馬が合った。学生時はいつも一緒にいるグループに属していたわけではないが、二人で話せば妙に気を張らずに居られた。この「橋内和」に憧れの女子の心を何度奪われたことか。
     小学高学年から中学まで一緒で橋内はまた転校していき、会社に就職してきて久しぶりに再会した。
     それ以来、気が向けば時々ご飯を食べたり飲みに行ったり。そんな友人である。
     八木がこの男を信頼し好きな所以は真っ直ぐで時折、冷たいほど清々しくてあっけらかんとしていて、何よりひどく優しい男だからだ。普段は笑えるほど天真爛漫でいっそどこぞの姫のように天然で擦れてないのだが。八木はこの男が好きだった。
     そいつがあっという間に駆け寄ってくる。それはそれはお怒りの様子。
    「おい! 止めると言っただろう」
     ぶん、と携帯灰皿をぶんどられ「すまん」と苦笑いする。はぁ、と息を吐いて灰皿を返され改めて橋内に「久しぶりー」と呟いた。
    「ああ、久しぶり」
    「そんな感じもしねえけどな。お前見ると会社思い出すわ」
    橋内はちんまりした眉を上げて八木の顔を見るなり笑いやがる。
    「ぶはは、なんだその顔は。威勢がないな」
    「そらいつものことだろ」
    「それもそうか! 八木は辛気臭いからなぁ」
    「うるせえよ」
     ぱしんと肩を叩いて微笑む男と隣り合って歩きだす。逢うのは半年以上ぶりだが相変わらずにこやかでいて見るからに強そうな男だ。
    「和、今日何時まで?」
    「二十三時!」
    「きびし! 高校生かよ!」
    「ははは!」
     大した意味もない言葉を投げ合い、相談することもなく向かう方向は同じ。


     半個室のように囲われた席で二人向かい合って座りデカいジョッキを掴む。
    「で~? そっちはどうなん。うまくいってんのか」
    「そうだな、就業時間は減って、業績は上がっているし、退職者も減った。よくなってるよ」
     相槌をうちながら割りばしを咬んで上下に割り、刺身を取る。
    「へえ、和も部署異動あったんだって?」
    「そうそう、よく知っているな」
     橋内も手を合わせると綺麗に箸を割り刺身を取る。
     八木は手元の煙草を咥えた。ガジガジとかじって火は点けない。
    「未練がましいぞ、止めろ八木」
     ひょいと橋内が八木の唇から煙草を奪い取った。
    「まだ吸ってないだろ~、一人の時もちゃんと我慢してる。一か月は吸ってない!」
    「一か月前吸ったか! ばかもの!」
     叱られて口を尖らせる。橋内は取り上げた煙草をトントンさせながら眉を顰める。
    「そもそもだ。これを所持しているのが間違いだ」
    「返す言葉もねえわ」
     仕方なくつまみのたこわさを箸でとり口に含む。
    「捨てといてやろうか? まあ、また買えば同じことだがな」
     その通りである。今、橋内に預けてもコンビニに入って番号を言うだけで手に入る。
    「うーん……」
    「いいのか、八木! 男に二言はないと聞いたのに」
    「そうなんだよなぁ~、そうなんだよ!」
     刺身を三切れいっぺんに掬い取り口へ抛り込む。
    「「なさけねえ」」
     二人の声が被って見合い二人でゲラゲラ笑いだす。
    「言うと思った! ははは!」
     橋内が元気にビールを呷る。八木は煙草の箱をそのまま橋内の方へ滑らせた。
     橋内は「よろしい」と頷きすぐさま箱をぐしゃりと握り潰して自分のポケットにしまい込んだ。没収である。さようなら残り十二本。
    「だってよおー…‥、止めようとはおもってんだけど」
     ちびちびとビールを啜っている間に橋内は手を上げ店員を呼び丁寧に朗らかにおぞましい量の食い物を注文している。
    「八木は昔からハマるとしつこいからな」
    「ええ~? そうかぁ。飽きっぽいと思うんだけど」
    「いや、八木は集中力がすごい。一つに専念するというか、強情というか。わははは」
     八木は運ばれて来た日本酒を橋内の盃へ注いでやる。橋内は勢いよく呷り「うまい」と無邪気な笑顔を見せる。こん、と盃を置いて八木を見やる。
    「まあ、八木の煙草は嗜むという域を越えている。それは依存だ」
     呟く橋内に胸を突かれたようになる。思わず声に出た。
    「うわ……」
    「んー?」
     固まる八木を橋内は不思議そうに見ながらつまみをもぐもぐしている。
    「俺ぁ、今まちがいなく依存している」
     ジョッキを掴んだまま呟く。橋内は乗り出して諭す。
    「だから止めよう! どういう風の吹き回しか知らんが急に止めると聞いた時は嬉しかったのに。もういっそ中毒者みたいだからな八木は!」
     トン!と、テーブルを軽快に打って励ます橋内に首を振る。
    「違うんだ、かなう。本当に煙草は止める気だ。俺はすげえ依存してる、煙草じゃなくて……」
     橋内のちいさな眉がきゅっと寄る。首を傾げじっとこっちを窺う。
    「あの、その……んー、」
     言おうと思ったのになんだか引っ掛かってしまう。橋内ほどすっきりはっきり背を押してくれそうな人はいない。けれど無為に橋内に変な心配をかけさせるのも。
     それになにより。なんだかてれくさい。こんな、誰か特定の人に執着する八木のことを橋内も知るはずがない。八木だってこれは初めてだ。
    「ええ~、なんだよ怖いな。悩みか、珍しい!」
    「あのー……、そうなんだが、うー……」
    「もうなんだハッキリしろ!」
     橋内のどっしりした尋問に八木は口ごもる。言いたいような、言いたくないような。
     昔からの自分を知っている相手だからこそ、猶更そのどちらの感情もある。
    「俺、今……その、」
     淀んでいると何やら考えていた橋内は急に目を剥いた。
    「あ!! まさか、八木、!」
    「ええっ」
     バッと橋内が立ち上がる。瞬き驚いていたがみるみる目を輝かせて。
    「八木、すきな人が、できたか!?」
    言い当てられ呆然としている八木をみて確信したのか橋内は「うんうん」と頷きまたすとんと腰かける。
    「あの八木がついについに! 依存するほど好きな人がおるのか!」
     橋内はニヤニヤと何やら嬉しそうである。八木は苦笑いで小首を傾げる。
    「そうかも……いや、間違いなく依存してる。お前が思うような感じじゃないかもしれねえけど」
     しゃくしゃくとサラダの新鮮キャベツを食べながら橋内はしみじみと腕を組む。
    「ふむ。八木がなぁ……。もう、交際しているのか?」
     生々しく「付き合っているのか」と聞かれるとやはり照れくさい。そういうのでもないような、けど間違いなくただならぬ関係である。「交際」をすっ飛ばしているくらいの感覚だ。
    「こうさい、っ……、……うん。そう、付き合って、いる」
     ぼそぼそ告白する八木に橋内はキラキラの目を片手で覆い仰ぐ。「はぁ~~!」と何やら楽しそうな声を上げてまた八木の方へ向き直る。
    「俺にも言わず水臭いなぁ!」
     ニコニコしている橋内には悪いが色々あったりもする。それに橋内のよく知っている人なのだ。それはよく。志津摩は橋内の後輩でもあるのだから。
    「あ~~~っ! まさか! だから煙草止めるとか言い出したのか!?」
     指摘されると八木は面映ゆげに目を逸らす。橋内はくう~、と唸る。
    「あいつは、吸わねえし。ずっと前、煙吸うと喉痛くなるって言ってて。でも秘密にしてる。自分のせいで止めるとか思わせたくねえし。たぶん、あいつ俺が煙草吸うの見るの好きなんだ、そういう気がしてて。禁煙してるって言ってない」
     八木の様子に橋内は「おや?」と片眉を上げる。いつもの八木じゃない。
    「それで、その恋人と何か問題でもあるのか?」
    「こいび、と……、まぁ、そうか。あー……、遠いから、あまり逢えねえし、最近は前よりもっと逢えてなくて、煙草減らしてるのも気付かれとらんな」
     ふんふんと橋内の大きな目が八木を見定めている。
    「それで、まあ、その……泊まることも滅多になくて、」
    「ふむふむ」
     食い気味の相槌を打つ橋内は楽しそうだ。
    「知っとるだろうが俺は連絡無精で怒られたりする、けど、まあ仲良くはしてるんだ」
    「ほうほう!」
    「でも……その、なんか。――――大事すぎて時々、こわくなる」
     八木はなんとか言い切って橋内を見遣ると両手で顔を覆っている。何かを噛み締める様な。ふぅーと長く息を吐いて橋内はまた八木に話す。
    「八木、なにをこわがる、らしくないぞ! 相手も八木が好きで付き合っているのだろう」
     八木はこくりと頷く。
    「そう、そこは信じられる。あいつは俺のことを凄く大事にしてくれてる」
     橋内が今度は顔を覆い俯いている。はぁ~、とまた息を吹いて顔を上げる。
    「何の問題があるというのだ、のろけなら聞かんぞ」
     水を飲むかのように日本酒を呷る橋内に八木はおずおずと呟く。
    「だから、その……まだ、なんだ」
    「なにがぁ?」
     橋内は両手で頬杖ついてこっちを睨む。
    「いや……やっぱこんなこと、言わんほうがいい、な」
     まごつく八木に橋内はトン、とテーブルを打つ。
    「許さん、はけ! ここまで言っておいて今更だぞ!」
     そうだよな。と八木はこくりと息を飲む。引き下がる橋内じゃないし、橋内しか聞いてくれる人も居そうにない。そもそも八木が橋内くらいにしか話せそうもない。
     橋内は八木が腹を割って話せる貴重な友人だ。だから、思い切る。
    「まだ、その……してない」
    「んんん?」
     橋内が両麿眉の間に皺を寄せる。
    「もう結構付き合っているのに、一度も、してない」
     橋内は瞬く。大きな目を丸くして「ん?」と、また視線を上に向け考えて。
    「ああ! そういうことか。焦らなくてもいいんじゃないか? お前にしては珍しいな!それは相手の人に合わせるべきだし、そう深刻に思わなくても」
     なんだと橋内は大きな問題でもなさそうに話した。
     しかし、八木は懺悔するように消えそうな声で白状するのだ。
    「そのまま。もう――……ちょっとで、二年くる」
    「はえええッ!!?」
     橋内がでかい声で仰天した。
    「しっ、! おい、居酒屋とはいえ声でけえわ!」
     橋内は口を覆ってすぐ謝った。
    「すまんすまん、いや、そりゃ、声もでる。子供じゃあるまいし、泊ったこともあると…………それで、ん、にねん。へあ……? 二年……、二ねん……ッ!?」
    「うう~~、噛み締めるのやめろ、勘弁してくれよ~~」
     八木は頭を抱える。言葉にされると確かに重い。八木はそこそこ交際経験もある二十七の立派な大人である。橋内はこれまでの八木の歴代ふられ話を知っているからこそ動揺が大きいのだ。そもそも奥手の人や慣れてない人の話ならそこまで驚かない。
    「まてまて、それは全然? まったく? 相手の方が元々そういうことはしないような方なのか?」
     困惑している橋内に八木は叱られたような気になる。橋内はまたハッと青褪める。
    「あ! おい、八木……犯罪はダメだぞ!」
     その指摘に八木もびくりと青褪める。
    「、いや、一応、十八以上だ、成人成人! 十九歳の、会社員」
    「わっか~~! まぁ、八木が本気だというなら俺は信じるが……」
    「うん。それはそう、ホントに。依存していると自覚するくらい、」
    「ほーう、さぞかわいいのだろうな」
     橋内がため息交じりに言うと、いっそ目を疑う。八木はほろりと綻んで優しく笑んだ。
    「うん、可愛い。……かわいいんだ、」
     橋内はまた顔を覆い項垂れる。のろけを聞かされ続けている気がする。
    「しかし、そんな若い子だ、そういうことにも興味あるんじゃないか。二年近く真面目に付き合っていて、相手は八木だろう。何もおこらんとは思えないが」
    「おい、俺をどんな獣だと思ってんだ。んー……生々しい話になるんだが、」
    「いまさらだ!」
    「その、べたべたはする、……よ? さわったり、する」
     橋内が噴き出すから八木はもっと気恥ずかしくなる。
    「おいおい、なんだ八木、かわいくなって! らしくないぞ!」
     そう言われても仕方がない。なんといってもこれまでそれなりに人とお付き合いをして何となく流れに任せて当たり前にごく自然に身体を重ねてきた。
    「そういう雰囲気になっても、怖気づくというか。怖がってないかとか、きずつけたくない、とか。痛いかなとか……なんか、色々考えちまって」
    「お、おまえ……これだから繊細は。二年だぞ、そういうことも話し合うとかあるだろ……まぁ、相手が十九歳か。うーん」
     動揺しつつ真面目な思案顔の橋内に八木は目を泳がせる。
    「だって、あいつは、過去に色々あって……」
    「んん? それはすまん。話が変わってくるな」
     橋内は慄くように引いていたが、八木の表情を捉えまたも「うーん」と腕を組んで真剣な顔で考え込む。
    八木だって困惑している。こんなに怖気づいて踏み込めない相手なんていなかった。
    八木だってそのまま自然に抱けるものと思っていた。それなのに、志津摩がびくりと震えると手が引っ込んでしまう。もしも、志津摩が嫌なら。志津摩が怖いなら。したくない。
    これまでは当たり前のようにそういう雰囲気になれば素直に流れるように事に及ぶことができた。緊張する相手の強張りを解して出来るだけ傷つけないように抱いた。ありふれた平凡な交際をしてきた。
    そんな関係の終わりは「ろくでもない男」だと評され振られることが殆どだったが。多くは愛情が感じられない、寂しいと別れを切り出される。そこまで冷たくした覚えもないがどうにも素っ気なく相手の気持ちに応えきれてないようだった。それでも「たのしかった」と言ってくれる人も多かった。
     八木はこれまでその中の誰一人「別れたくない」と引き留めたことはない。
     そんな八木に、恋人たちは寂しそうに笑って手を振った。
     たしかに、思い返すと今の志津摩に抱いている感情とこれまでの恋人に感じていたものはやはり恐ろしいほど別物だと時を重ね増々骨身に沁みている。
     これまでだって相手を傷つけないようにしようとは思っていた。悲しませないようにしようとも思っていた。できるだけ大事にしようとは思っていた。心がけてはいた。
     けれど、こんなにも怖いと思ったことは一度もなかった。
     今、志津摩を傷つけることが怖い。志津摩を悲しませるのが辛い。
     志津摩が苦しいと自分も苦しい。
    もしも志津摩がいなくなってしまったらと、想像するだけで恐ろしくてならない。
    もしも、志津摩が自分に愛想を尽かしてしまったら。
     いやでいやで、怖くて堪らなくなる。
     志津摩がもし、居なくなったら。考えただけで、八木は身震いする。
     それまでの恋人には、「俺が及ばないならしょうがないな」と気持ちの整理はすぐについた。でも、――――志津摩は。志津摩だけは。
     浮かべるだけで心の整理がつくどころか、増々膨大な感情が湧き上がってめちゃくちゃになる。想えば想うほど深くなる。想えば想うほど離れたくなくなる。
    「八木」
     顔を上げると橋内が神妙な顔をしている。
    「……その人のことが本当にすきなんだな」
     ふわりと笑いで橋内は「ふう」と一つ息をつく。
    「俺は相手の方を知らないから、的確なことは言えんが。話をしたほうが良いと思う」
     八木は肯定するだけだ。橋内は殆どの場合正しいし八木にとって最善だろう答えを出す。
    「でも俺は、あいつが、そういうこと望んでないなら……無理してるなら、せんでもいい」
     きっぱり言うと橋内がまた目を見開く。
    「けど、あいつも気にする方だから、俺がしたいと言えば無理すると思う。俺がしたそうな素振り見せたら、無茶してでも身体を開くと思う。それは、いやなんだ」
     真面目な顔をした八木の吐露に橋内は苦笑いになる。
    「うーん。拗らせてるなぁ。……よし、とにかく話せ。ほら、電話しろ」
    「えぇっ、今ぁ!?」
     唐突な提案に飛び上がる。橋内はどうしてと小首を傾げる。
    「じゃあ、いつ。遠距離なんだろ?」
    「そうだけど、いきなりなんておかしくねえ?」
    「そうじゃない。いきなりそんな話をしろとは言ってないだろ」
    「じゃあどういうことだ」
     八木が困惑している間に橋内はテーブルに置いたままの八木のスマホを手繰り寄せた。
    「八木が恋しそうな顔をしているから、一旦声でも聴け。全く、何を不安がるんだ。八木を大切に想ってくれる相手なのだろう?」
    「うん……。俺は恋しそうなのか。そうかなぁ。うーん」
     八木は素直に腕を組み、目を閉じ仰いだ。志津摩を恋しく想っているのはいつものような気がするけど。ちゃんと我慢できる。だから遠距離を覚悟の上で転職した。
    橋内はまた苦笑い。考えすぎの八木がまた頭を悩ませている。
    「…………あいつには、辛い記憶があるから。それを思い出させたくないんだ、」
    「うんうん」
    「俺がそういうことすることによって色々蘇るんじゃないかって、」
    「難しい問題だな」
     八木のスマホを持ったまま橋内は相槌を打ちしっかりと八木の声を聴いた。
    「あいつは、嘘つきなんだ。こういうことは嘘をつく。大丈夫じゃなくても平気な顔をする。そういうやつだから、心配で……」
     橋内は八木の話の途切れでグッと酒を飲む。いくら飲んでも平気そうだ。
     八木もサラダのレタスをしゃきしゃきかじって俯いて。
    「……それは、八木の問題でもあるんじゃないか」
    「うん、そうだ」
     八木は素直に頷いた。
    「お前が怖がっていると相手に伝わったらよけい不安になるじゃないか」
    「……だから、この前、そういう雰囲気になったけど、ちょっと気まずくなって」
    「まさか」
     橋内がさぁと青褪めて苦笑いしか出ない。けれど事実を告白するほかない。
    「途中でやめた」
    「うっわあぁああ、悲惨!」
     橋内はまともに引いた。このどうしようもない男はと愕然とする。
    「……それで、謝った」
     ダメ押しのとどめに橋内は絶句した。恐ろしいものを見た後のような顔をしている。
    「うわぁ、うわぁあ……お相手の気持ちを考えると俺は可哀想でならん!」
     断言されると八木も心が痛む。
    「はっきり言うが、傷ついたと思うぞ」
     こんな不器用な八木のことを好きなまだ十九の顔も知らぬその恋人を想うと橋内はただ不憫で嘆く。八木は拳を握りしめ深刻な顔になった。
    「――……また傷つけちまったのか」
    「また?」
    「俺は、あいつを傷つけてばかりなんだ、一番大事なのに。うまくできない」
     悲しむ八木に橋内も心痛い。八木は昔から不器用な男だ。心の根はやわらかなのに、その柔らかな部分を守るためか、威勢と元からの度胸でやわらかい芯を囲っている。
    「…………八木、それは伝わっているのだろうか」
    「それは、わかってくれてるとは思う。俺はあいつがいないともうだめだ。そう話してもいる、逢いたいと言われたらすぐに行く。連絡は、相変わらず遅くて怒られるけど、」
     橋内は弾かれたように顔を上げる。八木はしょんぼりと俯いているが確かにその言葉を聞いた。聞き間違いではない。あの八木が。
    「八木が!? この八木が! ちゃんと伝えてるのか! 逢いたいと言われてすぐ行くのか!」
     まともに驚かれて八木は素直に笑う。
    「ふはは! そう、俺が。ちゃんと言ってる、すきだともよく言う。あいつが逢いたいならどうにかして行く。少しでも不安にさせたくない」
     開き直って言えば橋内も大溜息を吐いて笑った。
    「はぁ~~~、八木。ふはは!」
    「なんだよ」
    「そんなに好きか。八木がなぁ」
     もはや親目線のようなしみじみとした呟きに八木も気恥ずかしい。
    「うー……。そう、俺ぁ、あいつに惚れてんだ」
     照れくさく頭を掻くけれどはっきりと言う八木は何やら嬉しそうで。
     橋内もそんな八木を見て笑みが零れる。
    「初めてだな。こんな八木は」
    「うん。たぶん、最初で最後」
     だから、傷つけてしまいそうでこわい。
     八木が呟くと橋内はやわらかく微笑んだまま。うんうん、と頷いて八木を見る。
     スマホをスッと八木の前に置く。
    「……うん、よし、話せ。やっぱり話せ」
    「何を……」
     難しい顔をする八木を橋内は笑い飛ばす。
    「伝えるのが難しかったら、何も話さなくてもいいじゃないか」
     八木は「そうだよな」と頷いてはいるがスマホを睨んで動きはしない。
    「傷つけたくなくても、互いに傷つくことはあるさ。本気なんだから。怖がることはない」
    「和……、」
     とんとんスマホを指さされ八木はごくりと嚥下する。だって、何となく気まずいのだ。
    「ほら、はやく電話しろ。俺が居て話しにくいなら席を外すぞ」
    「いや、急すぎるし、何を言えばいいのか……」
    「用がないと電話できないのか?」
    「そうじゃねえけど」
     煮え切らない八木に橋内は溜息しか出ない。本当にこの男は。普段おそろしく肝が据わっているのに。大事なことには怖気づく。粗暴で怖がられることも多かったから、本当に大事な相手に踏み込むことが不安なのかもしれない。
    「ふう、その様子じゃ顔を合わせて逢った方がよさそうだ。でも離れてるんだよな?」
    「…‥……うん。まぁ、彼奴はこの近くに住んでるんだが」
    「はあ!?」
     橋内はでかい声を出して立ち上がった。今日何度目かの信じられないものを見る目で八木を見下ろす。橋内はまたべしりと平手でテーブルを打つ。
    「八木っ、俺となんぞ逢わずさっさとその人の元へいけ!」
    「いや、最近ちょっとぎこちなくて、」
    「へあっ!!?? ぎこちない!? ますます行け、馬鹿か! 今すぐ行け!」
     べしんと肩をしばかれる。怪力の橋内の応援はびりびり痛い。
    「ええ……、けど、そんないきなり行ってなに話していいか、」
     橋内はまだまだ愕然としている。信じられないという顔だ。
    「いいんだよ、そんなのは後で! そもそもおかしいだろう、話題を考えなければならない間柄か?」
     順調に仲良しかと思われたがこれは意外と深刻なのではと橋内は思い直す。八木も薄々それを自覚しているから打ち明けたのかもしれない。八木は普段、悩みを相談するような男ではないのだ。
    「うー……確かに。何も考えずに逢ってたわ、どうしたんだろうな、俺は、俺たちは……」
    「そうだそうだ。話すことなぞ逢ってから考えろ。いっそ話さなくてもいいじゃないか」
     八木はそうだな、と頷いている。どうにも八木らしくない。思い立てば割とすぐに動く男なのだが、その例の相手にだけはそうもいかないというのは本当らしい。八木はそれだけその人を拠り所に、その人を大事に想っているのだろうと橋内はすぐにわかる。
     これまで女性と付き合っていても「なんとなく」という受け身の上、交際中にさほど悩んでいた様子も見えなかった。その結果問題にすら気づかずフラれるくせ大して凹んでいる姿も見たことがない。けろりと「しょうがねえ」と言いやがる。
    「貴様、腑抜けになって! 大切にしてくれて、八木を想って嘘をつくような子なんだろう。だったら迷う必要もない、逢いにいけ! さっさと出るぞ!」
     そうとなれば橋内に迷いもない。八木がやっと好きな人を見つけたのだ。
    バッと伝票を掴んで立ち上がった橋内の腕を八木は慌てて掴む。
    「ま、待て、和……」
    「しっかりしろ! せっかく出逢えた人じゃないか。八木が誰かにここまで惚れ込んでいるのを俺は初めてみた。大事にしろ。ちゃんと話せ。わかってくれる子に違いない。お前がそこまで好きな人なのだから、お前がこうしてうじうじしていることこそ悲しむぞ!?」
     捲し立てられると八木は呑気に感心して。
    「和、すげえ。なんでそんなに彼奴のことわかるの。たしかに俺が悩んでると心配するだろうし、もしかすると自分を責めてしまうかもしれん……」
    「お前に聞きたいよ……何故そんなに鈍い! 雑なくせしていちいち繊細なのに!」
     もはや悪口を吐かれても呑気な八木に橋内は嘆き笑いである。八木の腕を橋内からひっ掴んで出口へと引きずるように向かう。支払いのトレーにそれぞれ適当な枚数のお札を差し出し会計を済ませると馴染みの店を出る。ほら電話して約束しろと促すが八木はすっきりしない。
    「んー……だって俺ぁ、そんなに好かれるような男じゃねえし。そもそも彼奴は俺のせいでそうなってしまったのかも、怖がるようになっちまったのかもしれない。そんな俺から依存されても、重くねえかな……」
    「もう~~~、ばか!」
    「おわぁッ、! いってェ!!」
     ぺちん!と平手打ちされた。橋内はぷるぷるしてお怒りだ。
    「見損なったぞ、腰抜け! もう、手のかかる!」
    「和ぅ~~」
     怒られる道理も全く理解しているからこそ八木はしょぼくれる。わかってはいるが一歩踏み出せない。また「だめです」と言われたら、などと恐ろしい声も蘇ってくるのだ。
     けれど、もう今は違う。わかっているのに後ろ暗い。それを打ち壊そうと橋内が背中を押す。殴る勢いで。ぶっとばす勢いで。八木はこれだから橋内がすきなのだ。
    「ほら、うじうじしない! もう、よこせ!」
    「うー……」
     手を出されて大人しく橋内の手に八木のスマホを提出する。
    「そのままめそめそしていても、無意識に傷つけてしまうだけだ。知らぬ間にその違和感の溝がどんどん深まってしまうかもしれん。早いうちに手を打て。ただでさえもう……二年、……二年っ、曖昧な線引きだ。ちゃんと話しもせず、中途半端に手を出して!」
     何もかもお見通しの橋内に頭も上がらずただうんうんと肯定する。
    「うう、その通りだ、」
    「はい、だれ!どうせ名前など知らん、電話かけるぞ。逢う約束をつけろ」
     頷くけれどその名をすぐに言えなかった。そう、今更なのに。隠したって仕方ないし、言いたくないわけじゃないのだけれど。当然ながらちょっと気まずい。これまで話したその恋人という人物は橋内の後輩でもあるよく知っているあの田中志津摩なのだ。これまでに白状した生々しい話が具体的に志津摩の顔で浮かんでしまうだろう。
    「うー……」
    「往生際が悪いぞ、八木。心配しなくても名前で詮索するようなことはしない」
    「わかってるよ、和がそんなことしねえの」
    「じゃあ、なに。ほら、誰」
     電話帳を開かれ八木はしょぼくれる。言ってしまいたい気持ちは強い、聞いて欲しい気持ちもある。その相手に一番適しているだろう橋内にさえ言えないでいる自分は弱い。
     橋内は辛気臭くしない。清々しいほどさっぱりと遠慮なく橋内がいいと思うことを八木に提案してくれるだろう。だから、八木は橋内に隠す気も誤魔化す気も嘘で取り繕うつもりもない。だから、でも。自分からその名を伝えるのができなくて。
    「――……すぐわかるよ、通話履歴みたら」
    「ええ?」
     橋内は首を傾げながら通話履歴を見る。すると。橋内は目を欹てる。
    画面に『志津摩』という名がずらりと並んでいるのだ。
    「おい。退職してからも田中とこんなに頻繁に電話してどういうことだ。仲はよかったらしいが、これじゃ、その恋人はどこ――……、へ?」
     橋内は停止して。じりじりとこっちへ顔を向け大きな目で八木を見た。八木は首をかしげて苦笑いだ。白状するしかない。元よりいっそぶちまけたいのだから。
    「そう、志津摩だよ。俺の……一番、だいじなひと」
     橋内は瞠目しぴたりと固まった。が、すぐに会得したらしく何やらあきれ顔になった。
    「なるほどな。よくわかった。田中ならそうだな、納得だ。あいつはよくない気持ちは隠すし、表には出さん。健気に強がるだろう。八木の悩みもわからんでもないな」
     橋内は話の早い賢い男だ。大まかな状況も関係性もあっという間に把握したようだ。
     八木が恥ずかしがる隙もなく橋内は腕を組み「なるほどな」とまた頷いている。
    「そう、そうなんだ、彼奴は強がるから……内心どう思ってるのか、どう感じて、何が嫌なのか、そういうのがわからん時がある、今も、少しわからなくなってる、あいつはとにかく俺に合わせようとしてくれる、それが辛い」
     ぐずぐずしている八木に橋内は即刻否定する。
    「それは心配ないだろ。田中は真っ直ぐな男だ、ますます俺は憂いなど消え失せたぞ。あいつは文句なしに優しくて強いやつだ。いっそ八木よりもいい男だ」
    「てめえ、和~~、けど、言い返せねえっ……」
     そうなんだけど。だからこそ、八木のことばかり考えて自分を蔑ろにするようなところがあって、心配してしまう。気遣って八木に思い切り甘えられていなかったらどうしようとも。八木の憂いをよそに橋内はまた「そうかそうか」と何やら一人で腑に落ちている。
    「ああ、本当だな。貴様にはもう田中しかおらん。確かにこれほど八木を大事にしてくれそうな子はおらんな。ちゃんと向き合って大事にしろ」
     ばんばん、と痛いほど背を叩かれ八木は急激にめそめそしてしまう。
    「田中に捨てられたら貴様はおしまいだ」
     わははと笑って背を叩く橋内の言葉の全部が八木の心の古傷に染み込んで痛い。志津摩にしてきたことが遥か昔の記憶も含めて蘇ってきてしまう。俺には志津摩しかいない。そう信じたい、けれど実際はそうでもないのかもしれない。志津摩だって、八木じゃなくてもいいのかもしれないと過ぎる。むしろ八木でないほうが、いつも自分の前で緊張して遠慮していた志津摩は思い切り幸せになって笑えるのではないかとすら。
    事実、あの「八木」は、哀しみを背負ったまま、時折恐ろしい寂しさに隠れて涙したとて、平穏な一生をやり遂げた。愛する家族と生き切った。
     志津摩が心の中からいなくなることは生涯なかったけれど、それでも八木は歩いて行けた。それなのに、橋内は迷いなく「貴様には田中しかいない」と笑って断言する。
     それがどれほど八木の脆い心の支えになり有難い言葉か。橋内はきっと永遠にわからない。教えて感謝してやるようなこともしない。だって橋内は笑い飛ばすとわかっているから。
    「……………和、」
    「ん?」
     八木のスマホで『志津摩』の画面を表示させた橋内が顔を上げる。
    「……笑わないでほしいんだが」
    「話題による。くだらんことなら笑うぞ」
     橋内は既に微笑んでいる。だから八木も弱ったように笑う。
    「…………前世ってあると思う? あるって言ったら信じられるか?」
     橋内が大きな目を瞬かせる。なにやら感じ取ったかしっかりと八木の目を見た。
    「――――…………八木、」
     八木は誤魔化して笑った。首を振って橋内の手からスマホをするりと抜き取る。
    「笑うよな、なんでもな――、」
    「信じるよ」
     橋内は深く頷いて答えた。
    「はし、うち……」
     そう呼んでいた。この美しい男の記憶も、八木は遠く淡いながらも切れ切れに取り戻している。鮮明には思い出せないが、彼とは今と同じように、苛酷な世に同等の戦友で。時々弱る八木の背を叩くように押していた。今と同じくさっぱりとして配慮もないが、強くて温かかった。橋内は昔も今も、炎のようだ。
     その橋内は八木の気も知らず朗らかに「なんだ急に」と笑っている。
    「死んだ後のことは、誰も知らん。そういうこともあるかもしれん。八木が言うのならあるのだろう。俺はその言葉を信じてもいい」
     八木は橋内から目を背けて仰ぎ顔を隠して笑った。
     だから、これは奇跡なのだと思う。記憶を甦らせて、焦がれた人と想いが通じ共に歩む。
     この奇跡を、取り落とすわけにはいかない。
     あれほど絶望し後悔したのだから。繰り返すわけにはいかない。
     あの遠い秋、志津摩にしたかったのに、できなかったことを、八木は今生で全てしたい。
     志津摩がしたかったことを。志津摩が八木に求めていたことを。すべてしたい。
    そして志津摩に幸せだと笑ってほしい。
     ただそれだけが、八木の願いだ。志津摩が記憶を取り戻したと知った瞬間から、ずっと。
     八木が志津摩を幸せにするのだと、心に決めたはずだ。



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