ブラックは苦手だった(語り)ドラゴンボール超、自分はアニメから入ったほうで、実はザマスもブラックも、悟空への仕打ちが酷すぎて当時はどうしても好きになれなかった。
(今でも、ブラックが未来のチチと悟天にしたことを根に持っている)
推しはベジットだが、悟空は永遠に別格のお気に入りなので、公式による悟空の扱いには敏感になってしまう。GTのベビー編は悟空が不憫すぎて、リアルに胃袋と胸を痛めたものだ。悟空の悲しく寂しげな顔はなるべく見たくない。
それが、レジェンズでプレイヤーとして崩壊ザマスを操作しているうち愛着がわき、コミックスを揃えてブラックにハマッた。
自分としては、ブラックはとよたろう先生の漫画版が内面の複雑さを感じて好きな描写だ。ゆえに、ブラックのファンアートではとよたろう先生の作画に準拠したいと思っている。
(ザマスはアニメ版が好きなのでそちらに準拠する。合体ザマスはケースバイケース)
話を戻し…コミックスを揃え未来トランクス編のアニメを振り返り一気観したことで自分の脳はブラック♥️マイを受信した。
未来のトランクスとマイが、当初は別々にレジスタンス活動をしており、別個でブラックと対峙していた時期があるというのが良い。
ほどなく2人は合流するが、トランクスにはトランクスのマイにはマイの「対ブラック戦」があった??ことはアニメ~59話あたりで感じたことだ。
同じようにブラックにもまた、対トランクスと対マイでは異なる「対決の意義」があったと妄想している。
未来トランクス編の冒頭のブラック初登場時、ブラックはトランクスを過去に飛ばすため囮になったマイを気弾で弾き飛ばすも、これはマイを気絶させただけで致命傷とはならなかった。
この時のブラックの「相手」はトランクスであり、非力な人間の小娘などとるに足らなさすぎて生死などに拘る必要もない適当なあしらいで十分だった、と解釈するのも妥当だと思うが(というかこちらが正解か?)、
ブラックにも「対マイの意義」はあったと仮定した色眼鏡で見れば、ぐったりと息を引き取ったかのようなマイと怒りに燃えるトランクスを見下ろすブラックの「無表情」は色々意味深に思えて楽しいと思う。勝手にそう思う。