過ぎ去りし日々よ外は今日も凍てつく様な寒さだった。冬になるといつもこうだ。絶え間なく天から降り注ぐ雪は溶ける間もなく積もり、時間の経過とともにその高さを増していく。見慣れた光景から目を逸らせば、外界の見るからに寒々しい景色とは真逆にも思えるほど、暖かな空間が広がっている。壁や硝子を隔てただけでこうも違いが生まれるのだから、生活の為に人類が築き上げた知恵の結晶というのには畏怖と敬意を表さざるを得ない。
ふわりと香った匂いに数度鼻を鳴らす。肉の焼ける香ばしい匂いに、スパイス、それからトマト特有の酸味。耳をすませばコトコトと煮立てる音が聞こえたことから、推測するに今夜はボルシチだろうかと胸が弾む。料理下手な──が唯一作れる料理で、丁度いい酸味と心まで暖まるような温度が大好きだった。この国の必需品とも言えるサワークリームを加えるのもまた良いだろうと思いを馳せていれば、耳馴染みのいい声が名前を呼んだ。
「フェイ」
「なぁに?──」
「また絵を描いていたのか。好きだなぁほんと」
体勢はそのままにぐるりと上を向く。首を痛めないようにと気を使っての事だろう。しゃがみこんで目線を合わせてくれた。だが一向に目が合う事は無かった。顔に靄がかかったようにぼやけている。思わず小首を傾げると、先程まで利口に被写体の役を担っていたリーヴェニも同じように首を傾げた。その姿に頬が緩み、ようやく言葉が紡がれる。
「だって、世界に同じものなんて無いんだよ。一瞬はその1つ限りなんだとしたら、これにも価値があると思わない?」
「ははっ!それもそうかもな。でも程々にしてやってくれよ、リーヴェニが困ってしまう。」
くぅん、と差し出した手に擦り寄るリーヴェニ。真白いふわふわとした毛は手のかたちに抗うことなく沈み、また逆立っていく。サモエドと呼ばれる犬種だ。名はливень、豪雨を意味するらしい。
見た目とはあまり関連性のないネーミングセンスに、何故そんな名前にしたのかと問うたことがある。何でも、雨の中の散歩がいっとう好きで、手を焼いていた飼い主から引き取ったそうだ。
「ね、ね。そんなことないよねぇ、リーヴェニ」
大きく真白い毛の塊を抱き締める。動物特有のヒトより高い体温が心地好くて頬を擦り寄せた。
「ほら、フェイ、そのくらいにして。お片付けの時間だよ」
「うん」
そう言ってまた離れていく背を眺めていた。
「ご飯にしよう。」
はて、この人は一体誰だったろうか?