「ここまでする必要あんのかよ」
やたら上品ぶったアクセに、普段なら絶対に選ばない繊細なつくりのシャツ。タイトだが、体のあちこちを測られてつくられただけあって肩が突っ張ることはない。
時空院が用意した服を言われるまま身につけて、言われるまま鏡の前に座り、髪を弄られている。
同じようにめかし込んだ時空院が、有馬の髪をいつもより丁寧に編み込みながら、鏡越しに目を合わせて言った。
「割れ窓理論を知っていますか?」
「ハァ? 知ってるけどよ、」
例えば窓が壊れたまま放置された建物は、誰も注意を払っていない場所だと、ゴミが投げ込まれ意味不明の落書きが増え、良くないものが棲みついた果てに他の窓も割られてしまうという話だ。
話の筋が読めない。背後の時空印を振り返りそうになって、「まだ途中です動かない」と馬鹿力で頭部を固定される。
人に強制されることが何より嫌いだった。それがどうだ。言われるまま服を着替えて、ヘアメだなんだと背後を取らせ、急所を晒している。
「つまりね、」
時空院の手がくるりとひねられ、頭皮が引っ張られるわずかな痛みの後、離れていく。その手は次に有馬の顎にそっと添えられ、左右に傾けられる。
「晴れの場に汚れた格好のままで登場しては、その程度の小物と舐められて、潰されてしまう、という話です」
丁寧に染め直され、服と同じようにタイトにまとめられた髪は、時空院のお気に召す出来だったらしい。大きな目を細めてウンウンと頷く。
「美しさは強さです」
なるほど。
時空院の視線がちらりと向けられた先に、先に準備を済ませた谷ヶ崎が突っ立っている。いつもより背筋がピンと伸びて、いつもよりデカく見えた。有馬と同じように碌な家庭環境に無かった割にスクスク育った体躯に、その黒い衣装はよく似合っていた。
「服や化粧は武装だっていってたな」
侮られないために。
あるいは自分を奮い立たせるための。
有馬を守って死んだ女の顔が浮かんで、何年経とうと消えない怒りがふつふつと湧いてくる。
「いいですね。伊吹も君も、とてもいい顔をしている」
腰掛けていた椅子をくるりと回されて、視界が半回転。向かい合うなり、握りしめていた手を時空院に取られる。
「なに、」
「仕上げです」
時空院の指から抜き取られた指輪が、有馬の人差し指にはめられる。
引き金にかかる指だ。
「まぁ悪くはねえな」
素直で無い口からこぼれた賛辞に時空院が「フフ」と笑う。
認めるのは癪だが、時空院のセンスは変態の割に悪く無いのだ。
椅子から立ち上がったと同時に、控え室の扉が開き、先に準備を済ませ会場を覗きに行っていた燐童が顔を出した。
有馬以上に皮肉屋で素直で無い燐童のその頬が、興奮のためにわずかに紅潮している。
「会場、満員でしたよ」
時計を見ればもう少しでパーティーの始まる時間。
「政治家にヤクザに…大物も沢山いました。僕たちを見に来たんですかね?」
「それは素晴らしい。うっかり殺さないよう気をつけなくては」
「小物は片付けて構わねえだろ。俺らを侮るクソもな」
集まっていつものように言い合っていると「無駄な騒ぎは起こすんじゃねえ」低く声が割って入る。
3人の口がぴたりと止まり、6つの瞳が谷ヶ崎へ向けられる。
谷ヶ崎もまた3人の仲間達を見つめていた。
その瞳がふ、と緩められる。それは本当に微かなものだったが、谷ヶ崎が笑ったのだと有馬達にははっきりと分かった。
「時間だ。行くぞ」
先を行く谷ヶ崎の背に、有馬、時空院、燐童の順に続く。
照明の絞られた薄暗い廊下に積み上げられた機材に、所狭しと並べられた衣装や小道具、その間を縫うようにして働く大勢の人間たち。
その先に光が見えた。
眩しいったらねえ。
「さっさと終わらせて、帰りにラーメン食おうぜ。塩」
「とんこつ」
「醤油の気分です」
「そこデザートあります?」
全くまとまらない。迷った時は多数決と決めているが、綺麗にバラけたときは揉めて長くなる。仕方ない。話は終わってからだ。
視線が絡む。合図はそれだけ。
揃いの黒い衣装とパールを身につけた4人は、光と歓声へ同時に駆け出した。