今日は君を祝うために その日は、国民の休日で学校が休みだった。
数日前には猛威を振るっていた台風も通過し、実に爽やかな晴天に恵まれている。愛用のグローブを磨く手を止めて窓の外を見れば、コロマルが寮の前で実に気持ちよさそうに日向ぼっこをしていた。
コロマル以外にも寮の面々は皆思い思いの連休を過ごしているようで、つい一昨日までは運悪く風邪を引いて寝込んでいた結城も、友人との用事があるとかで出かけて行った。回復が早いのは良いことだが、なかなかにタフな奴だと思う。
「お前はどこも行かないのか?」
なんの気無しに近くにいた荒垣に声をかける。休学中の身である荒垣には休日も平日もあったものではないのだが、真田がそれに気付いたのはそう言った2秒後だった。
「ま、用もねえしな」
荒垣はなんでもないように答えた。てっきり突っ込まれるかと思ったが、随分と当たり障りのない返答である。
もしかしたら、ここ連日の復学を巡る悶着に負い目を感じているのかもしれない。荒垣が裏路地で見せた表情――「約束」の話を出した時の苦しそうな顔。人の気持ちに鈍いと言われがちな真田だが、荒垣がただならぬ懊悩を抱えていることははっきりと分かった。
あの時のことを思うとそれ以上何を言う気にもなれず、そうか、とだけ返しておいた。
「……つか、そう言うお前こそ、暇してて良いのかよ」
「……?」
やや間を置いてから、荒垣にぶっきらぼうな調子で尋ねられた。荒垣の意図が掴めず眉を顰める。今はボクシングの大会が近い訳でもないし、気合こそ高まっているものの大型シャドウとの戦いに向けて追い込みをかける時期でもない。今夜はタルタロスは無しだと掲示板にも書いてあった。
「今日、何かあったか?」
「いや……やっぱ何でもねぇ」
今度は何を隠しているのか、何とも煮え切らない態度だ。いつもならはっきり言えと問い詰めているところだが、どうもそんな気になれずもう一度そうか、と答える。荒垣もおう、とだけ返した。
「ちっと、出てくる」
微妙な空気のまま、荒垣は外へ出て行ってしまった。扉が開いた時に吹き込んだ風が思いの外冷たく、いつの間にかもう秋なのか、とぼんやり思った。
「ヒェー、重ってえ!!マジ、腕千切れるっつの!!」
荒垣と入れ違いになるタイミングで、勢い良く玄関の扉が開いた。それと同時になんとも喧しい大声が飛び込んでくる。
「どうした、伊織。その大荷物は何だ……?」
思わず振り返った先には、大き目のダンボール箱を3つも重ねて抱えている順平がいた。ちょうど玄関の近くにいた美鶴が近寄る。
「さっきそこで配達の人と出くわしたんスよ。したらちょうどこの寮の人宛だからって、俺にパスしてそのまま行っちまって……」
息を切らしながら美鶴に説明しているが、流石に限界が近いらしく腕が震えている。一旦置かせてください、と断って床に下ろすと、重さの反動で上半身のバランスを崩していた。
「あー……マジ、重かった……」
タルタロスで大剣を大袈裟に振り回している順平がこれほどまでにやられるとは、相当な難敵だったのだろう。帰宅部といえど、順平も実践経験を積んで以前よりも幾分かは力強くなった。果たしてそんな後輩をここまで追い詰めるとはどれほどのものなのか、試してやりたくなる。
「どれ、貸してみろ」
「明彦、腕試しじゃないんだぞ」
意図を読まれていたのか見事に美鶴に牽制された。鋭い視線に渋々手を引っ込める。少し拗ねた顔のまま荷物を見やると、送り状の見慣れた筆跡が目に留まった。
「これは……」
「あー、コレ真田サン宛だったんすね」
実家の養父母からだった。宛名は自分、中身は前回と同じく果物・菓子・飲料となっているが、それにしてはやたらと量が多い。いくら何でも3箱はやりすぎだろう。
「この量の荷物送れるって……もしかして真田サン家ってみんな筋トレマニア的な……?」
「そんな訳あるか」
そうは言うものの、やはり真田でも養父母の考えは分からない。夏にも仕送りを送ってきてくれたが、その時は1箱でも持て余す量だった。あの時は結城の発案もあり仲間たちに配ることでなんとか片付いた。確かあの後両親に報告と礼を兼ねて電話したのだが……と、そこまで思い出したところで真田は一つの可能性に気がついた。
「まさか、この寮全員分か……?」
そうだ、確か仕送りを寮生全員に配ったことを電話で伝えたはずた。皆喜んでいたとも言ったのだが、恐らくはそれならば初めから全員分入れてしまおうとなったのだろう。何せ自分には過ぎるくらい人の良い両親のことだ、有り得ない話ではないと真田は思う。
「いやいやいや、いくら何でも太っ腹すぎるっしょ!?」
「それは……流石にこちらからも礼をすべきだろう。明彦、ご両親の好物は何だ?一級品を取り寄せよう」
「待て、まずは中身を確認するのが先だ。このまま置いておく訳にもいかん」
動揺する順平と美鶴は放置しつつ、荷物をテーブルの上に移動させる。一つ一つは大した重さではないが、それはあくまで真田基準の話である。例えば山岸なんかでは一箱でさえびくともしないだろう。短時間とは言えこれを3つ一気に抱えたとは。少し順平を見直した。
ガムテープを剥がし、一箱ずつ開封する。この間に順平には寮内にいる仲間を呼んでくるよう頼んだが、隙間無く詰め込まれた菓子や飲料を見ているとそれでも多過ぎやしないかと思えて仕方がない。
「何だ、その……思い切りが良いところはお前に似ているんだな」
流石の量に圧倒されたのか、美鶴も何だかよく分からないフォローをしてくる。いっそボクシング部の連中にも配ってしまおうか、などと考えたところで玄関の方からカリカリと音が聞こえた。
「コロマルだな。中に入りたくなったか」
美鶴も言う通り、コロマルが外から扉を引っ掻いている音だろう。元々外にいることが苦になる性格では無いが、寮の中に入りたい時はこうしてアピールしてくる。犬用の扉を用意してはどうかと山岸が提案したことがあったが、その隙間から何か"よからぬもの"が侵入してはならないと美鶴に却下されていた。つまりは害虫対策だ。
美鶴がコロマルを連れて戻ってきたのと、階段から後輩たちが降りてきたのはほぼ同時だった。順平を除くとアイギスと山岸、天田の3人だ。
「真田サーン!連れてきましたー!」
「ああ、済まんな。助かる」
「わあ、すごい量……!もしかして、またご両親からですか?」
山岸が察するのは真田が説明するよりも早かった。ああ、と頷けば、今度はアイギスが口を開く。
「これは、真田さんお一人での消費は難しいのでは?」
「だからお前達の出番だ。好きな分だけ持っていってくれ。他の奴らの分は後で取り分ける」
「好きな分だけって……本当にいいんですか?これ、ご両親が真田さんのために用意したんでしょ?」
天田は一人心配そうな顔をしている。こういう時ほど子供は遠慮などしなくていいものだが、このチームに関してはそういう役割は大抵順平が担っている。
「むしろ持っていってくれ。養父母もそのためにこれだけ送ってきたんだ」
「な、なら……いただきます。ありがとうございます」
天田が遠慮がちに焼き菓子に手を伸ばす。それ、前も頂いたけど美味しかったよ、と山岸が言う。どれもいい品だ、と美鶴が関心し、桐条先輩が言うなら間違いねぇと順平が目を輝かせる。アイギスはコロマルでも食べられそうなものを見繕っている。そんなものがあるかは知らんが。
この光景を見ていると、孤児院にいた頃のことを思い出す。稀にだが、大量の菓子を寄付してくれる人達がいた。尤も、その時の菓子はこんなに上等なものでは無かったし、子供達も半ば奪い合いのような勢いだったが。危うく妹の分が年上の男子に取られそうになったのをギリギリで取り返し、取っ組み合いの喧嘩になって先生に叱られた。懐かしい思い出だ。
「真田さん、ご自分の分は良いのですか?」
「ああ、そうだな」
思い出に浸っていたところをアイギスに引き戻される。箱を覗き込むと、高級品の菓子や飲料に紛れたファミリーパックの駄菓子が目に付いた。
「これは……」
「あ、それ、俺も気になってたんスよ。確かに美味いけど、こん中だと浮くなーって」
順平の言う通り、明らかにこれだけ異色のチョイスである。何となく引っかかるものがあり、両親の意図を探るべく記憶を辿ってみる。
「それ、ちょうどこの前ゆかりちゃんが食べてました。子供の頃からお気に入りのお菓子だって」
「子供の頃……。そうか、思い出した。グッジョブだ、山岸!」
「ええっ!?ど、どういたしまして……?」
山岸の話で思い出した。この駄菓子は昔、荒垣が真田の家に来た時によく母親が出してくれたものだ。他の菓子があってもこれだけは2人であっという間に食べ尽くしてしまうからと、いつの間にか家にストックされるようになったのだ。これまた何とも懐かしく、つい童心に返ったような心地がする。
「こいつは、俺とシンジの思い出の菓子でな。といっても、大した話じゃないが」
「ならば、これは荒垣の分として取っておこう」
美鶴が段ボール箱から少し離れた位置に駄菓子を置く。美鶴と駄菓子という組み合わせが何だかミスマッチで面白いが、本人に知られたら何をされるか分かったもんじゃない。面白がっているのがバレないよう顔を逸らすと、駄菓子が入っていた位置に手紙があるのを見つけた。
他人に見られて困るようなことは書いていないだろうとその場で開けてみると、やはり思った通り、寮の皆さんで食べてくださいとの一文が添えられていた。それ以外の部分は後から自室で読むことにする。
「どうだ、大体取り終えたか?」
「はい!ありがとうございます、こんなにたくさん」
「ご両親にもよろしく伝えておいてくれ」
「マジ遠慮ナシで貰っちまいましたけど、そんでもこんな残るんスね……」
「ありがとうございます。コロちゃんも、フルーツ分けてもらえて良かったねー?」
「ワン!」
「コロマルさんも大喜びであります」
アイギスやコロマルは特例にしても、皆両手に抱えるくらいの量を持っているが、それでもなお相当の量がまだ残っている。天田も初めは遠慮がちだったが、恐らく周りにもっと持って行けと言われたのだろう。両手にギリギリ収まるくらいの菓子を落とさないよう格闘している。
「喜んでくれて良かった。両親にも伝えておこう」
あとは寮にいない3人の分を取り分けてこの場はお開きだ。各々が自室へ戻って行くのを何となく見届けていると、背後から急に声をかけられた。
「真田さん」
「ッ!?」
「背後を取りましたが敵ではありません。ご安心を」
「なんだ、アイギスか」
やはり戦闘に特化した兵器だからだろうか、アイギスは気配とでも言うべきものが他の人間とは違う。不意に意識の外から話しかけられると思わず敵かと身構えてしまう。自分もまだ鍛錬が足りないと真田は反省した。
「真田さん、今日はお誕生日なのでは?」
「……そうか、そういえば今日は22日だったな。すっかり忘れていた」
皆さんのデータは完璧に保存されています、と淡々と言うアイギスはどこか誇らしげにも見える。大型シャドウとの戦いも終わりが見えてきた中で、自分自身にまつわるイベントはつい忘れがちになっていたが、まさかアイギスに教えられるとは。成る程、だから両親は仕送りを送ってきたのかとひとり納得する。
「誕生日の祝い方は先日教わりました。今から実践します。……ハッピーバースデー、トゥーユー。ハッピーバースデー、トゥーユー」
礼でも言おうかと思ったところで、アイギスは急に歌い出してしまった。実に機械らしいというか、歌声に抑揚がない。その癖やたらハキハキした声で歌うせいでとにかく響く。誰が祝い方を教えたのかは知らないが、恥の概念も同時に教えてやってほしかった。
「ハッピーバースデー、ディア、真田さーん」
「アイギス、もういい。止まれ。十分伝わった」
「確かに、この後お誕生日の人がケーキのロウソクの火を吹き消す段取りですが、ケーキとロウソクがありません。これでは遂行不可能であります」
「そうだな……」
何とか止めさせることに成功した。犬でも食べられるフルーツを切り分けて貰ったらしいコロマルが、食べるのも放棄してこちらをもの凄い顔で見ている。例えるなら、美鶴の常識を知らな過ぎる発言を聞いた時の荒垣のような顔だ。犬もそんな顔をするのか。ともかく、このままアイギスを放置しても何をしでかすか分かったもんじゃないという懸念から、適当な仕事を頼むことにした。
「アイギス。残った仕送りから結城と岳羽の分を取り分けてくれるか」
「承知しました。これが本日の主役権限でありますね」
「一つ教えてやる。誕生日は権力を振りかざす日じゃない」
「なるほどなー」
本当にアイギスを学校に通わせて良かったのか、今更ながら猛烈に不安になってきた。元々不安ではあったが。ともかく、適当に会話しながら残りの仕送りを取り分ける。結城と岳羽の分をアイギスに任せつつ、真田は荒垣の分を選別していく。
「真田さん。緊急事態です」
「どうした」
「冷蔵庫に空きがありません。常温保存が向かない食品も多く含まれますが、どうされますか?」
「……参ったな」
完全に盲点だったが、寮生が増えた分、共有で使っている冷蔵庫の使用量も大幅に増えている。何とか空きができる冷蔵庫整理日はまだ少し先だ。かといってわざわざこのために3人を呼び戻して自室備え付けの冷蔵庫に仕舞わせる訳にもいかない。
「仕方ない、俺が入れているものを部屋の冷蔵庫に移す。その分で少しは入るだろ」
「確かに、冷蔵庫の内訳を見るに真田さんの食材の占有率は高いです。これを移動させればかなり余裕ができますね」
「……そうか」
アイギスに他意はないのだろうが、何故か美鶴に怒られているような気分になる。荒垣が寮を出てから随分長い間、このキッチンはほとんど真田しか使っていなかった。その癖が抜けないせいでつい色々と放り込んでしまい、美鶴どころか先日とうとう岳羽に苦言を呈されたのだった。苦い顔をしながら冷蔵庫から茹でたササミやブロッコリーなどを取り出していく。そうしてできた隙間にアイギスが要冷蔵の菓子や飲料を詰め込んでいった。なんとか仕送りを傷ませることなく済みそうだ。
「手間をかけたな。助かった、アイギス」
「どういたしまして、であります」
言いながらアイギスは敬礼をし、どこかへと去って行った。真田も自分の仕送りとたった今取り出した食材、そして両親からの手紙を抱えて自室へと向かう。
「ハァ……」
アイギスの相手というのはああも大変なものなのか。自室の小ぶりな冷蔵庫に食材を仕舞いつつ、思わず溜息が出た。結城達はあれを毎日やっているのかと思うと、最早頭が下がる思いさえしてくる。
「いや、それだけじゃないな」
思えば、リーダーたる結城には随分と面倒をかけている気がする。特に最近は荒垣の復学を巡って、真田が知るよりも前から随分と駆け回っているらしい。本来は自分達の学年で交わした約束が元なのだから、上級生3人の中だけで蹴りをつけるのが筋だと真田は思う。だが、それでは限界があった。
真田と荒垣――明彦と真次郎はお互いのことを何でも知っている。だが、だからこそ知られたくないことがある。踏み込まれたくない領域がある。ずっと昔のままではいられない、いつまでも二人一緒だと無垢に信じ合えた子供のままではいられないのだと、荒垣から暗に拒絶されているようにさえ思える時があるのもまた事実だ。それでも、タルタロスに出撃し荒垣と共に戦う時、真田はやはり他の誰と組むよりも伸び伸びと戦えるのだ。一緒ではいられないなどあり得ないと、荒垣に目配せをして攻撃を交代する時にも、荒垣が弱らせた敵に思い切り拳を叩き込みフィニッシュを決める時にも、絶対の確信を持ってそう思う。だから、勝手に先を行った気になるなと言いたくなる。誕生日がほんの1ヶ月早いだけで勝手に兄貴ぶるなと、ずっと昔から思っている。
何とも言い難い、澱んだもやのようなものが心を覆い始めた。こんな時、真田は決まってトレーニングをする。己と向き合い、弱さを克服するのだ。早速トレーニングウェアに着替え、軽いストレッチを済ませる。準備が整ったところで、サンドバッグに思い切り拳を打ちつけた。……やはり、勢いが弱い。迷いがある証拠だ。息をひとつ吐くと、改めて拳を打ち込んだ。
気が済むまでトレーニングに励むと、少しは心が晴れた気がした。ふと窓を見るとすっかり夕方になっている。秋になって陽が落ちるのが早くなった。体を冷やさない内にシャワーで汗を流し、服を着替える。部屋を出て階段を降りると、ちょうど荒垣が帰ってきたところだったらしい。他の扉よりも一際大きいガチャリという開閉音が聞こえてきた。
「シンジ、帰ってきたか」
「おう、アキか」
まるで普段通りかのような口ぶりだが、その手には何やら大きな箱を抱えている。デジャヴというやつだろうか。
「お前、その箱どうしたんだ」
「ああ、これな……。商店街で迷子のガキがいたから交番に届けたらよ、そいつが魚屋の息子だった。そんで、礼だって貰った」
「随分デカいな」
「ああ。しかも中でガサガサ言ってやがる。生きてるぜ、コレ」
妙に磯臭いと思ったらそういうことかと納得した。ともかく、生魚ならすぐに冷蔵庫に入れる必要があるだろう。荒垣も同じことを考えていたらしく、まっすぐにキッチンの方へ向かっていく。冷蔵庫にこの量が入るだけの空きはあっただろうかと心配したが、すぐに何でもない顔で荒垣がキッチンから出てきたのを見るに、どうやら杞憂だったらしい。
「シンジ、菓子は持って行ったか?お前の分が冷蔵庫にあったはずだが」
「いや、見てねえ」
「仕方ない奴だ」
取り分けた分の仕送りは、それぞれの名前を書いた付箋を貼って冷蔵庫に入れておいたのだ。それを見落とすとは荒垣も抜けたところがある。真田は少し得意になり、自分もキッチンへ向かった。
「ほら、コイツだ。うちの両親からの差し入れでな。全員分あるから持ってけ」
荒垣と書かれた付箋のついた大きなビニール袋を渡す。付箋に名前を書く時、何と書くか少し迷った。誰が見ても分かるよう荒垣と書いたが、自分の中のどこかで違和感があった。
「お前んとこの……親、元気にしてんのか」
「まあ、な。長いこと帰ってないが元気そうだ」
真田の養父母と荒垣は顔見知りで、荒垣も昔はおじさん、おばさんと呼んでいた。だが、言い淀んだ末に言い直したのは今になって気恥ずかしくなったのだろう。多分、これが歳をとったということだ。
養父母の方も、何かと荒垣のことを気にかけているようで、同封されていた手紙も少し見ただけで何度か「真次郎君」との単語が登場しているのが分かった。部屋ではトレーニングに熱中してしまったせいで内容はまだ読めていないが。
「まあ、それよりシンジ。中見てみろ」
「あ?なんつーか、どれもいかにもお前んちらしいっつーか……」
例の駄菓子を見せてやろうと思ったが、他のものが多すぎて埋もれるらしい。高級品ばかりの品揃えに言葉を選ぶ荒垣が可笑しかった。
「そっちじゃない。もっとよく見ろ」
「はっきり言いやがれってんだ……って、オイ、こいつぁ……」
「驚いたか?」
どうやら見つけたらしい。あまりに分かりやすく表情が変わるせいで少し笑ってしまった。
「懐かしいだろ?子供の頃、そればっかり食ってたよな」
「ったく、相変わらずお節介な人だな」
「その割には嬉しそうじゃないか」
「うるせえ」
話しながら、菓子を入れる皿を用意する。菓子盆のような素朴なものはこの寮には置いていない。そのせいで不釣り合いな高価な皿に開ける羽目になった。見ていると昼間の駄菓子を持つ美鶴が思い浮かんだ。
「こんな味だったか?」
「味は変わってないだろ。でも小さくなったな」
「俺らが昔よりデカくなっただけだろ」
カウンターの椅子に腰掛け、適当なことを言いつつ2人で菓子をつまむ。小学生の頃、放課後に互いの家に遊びに行った時のようで懐かしい。
「……アキ、ちょっと手出せ」
「ツラ貸せの間違いじゃなくてか?」
「テメェは俺を何だと思ってんだよ……。今日はそういうのはいい。良いから出せ」
言いながら、荒垣は懐から何かを取り出そうとしている。その意図するところはすぐに分かった。誕生日プレゼントを用意してくれたのだろう。昼間のやり取りですっかり真田が自分の誕生日を忘れていると思っているようだが、残念ながらアイギスのお陰でとっくに思い出した。だから荒垣が真田の誕生日を覚えていてくれたことは瞬時に察され、そして嬉しかった。嬉しいのと同じくらい照れ臭く、わざとらしくしらばっくれた。荒垣もそれを知ってか知らずか、呆れ顔で真田に小さな包みを手渡す。
「ほらよ。……今日、誕生日だろ。テメェで覚えてねえでどうする」
「俺が忘れてても、シンジは覚えていてくれただろ?ならそれでいい」
「良くねえよ」
「……ありがとな」
「……おう」
この年になると、おめでとうもありがとうも素直に言うのは抵抗がある。故に真田は、荒垣のおめでとうよりも先に自分のありがとうを言うことで勝った気になった。何にかは知らない。お互い照れ臭くて顔を見ないままだったのは、引き分けということで良いだろう。勝負は来年の荒垣の誕生日に持ち越すことにした。
「やや、それは真田さんへのお誕生日プレゼントというやつでありますか」
「うおっ!?」
「アイギス……!」
またしても気付かぬ間に背後を取られた。完全に油断していた悔しさに思わず唇を噛む。
「お前、いつからそこにいやがった!?」
「つい先程です。それより荒垣さん、真田さんのお誕生日をお祝いすると見えました。ぜひ、お手本が見たいであります」
アイギスの「お祝い」と言うと、さっきも食らったあの歌唱のことだろう。羞恥心に耐える修行だと思えばこれも鍛錬だが、まさか荒垣まで巻き込まれると思わなかった。余計な精神ダメージを避けるためにこの場を去っても良かったのだが、それ以上に荒垣がこの場をどう切り抜けるのか気になった。好奇心というか、怖いもの見たさだが。
「誕生日に手本も何も無ェだろ」
「それではご一緒に。ハッピーバースデー、トゥーユー」
「聞けよ!」
なんとも一方的である。アイギスの猛攻は手を緩めることなく、荒垣に歌唱と手拍子を要求している。頭を抱える荒垣には悪いがつい吹き出してしまった。恨めしそうに荒垣が睨みつけてくるが、そんな様子も厭わずアイギスはただ歌い続ける。
「ハッピーバースデー、ディア、真田さーん。……ハッピーバースデー、トゥーユー」
ケーキとロウソクが無いのは諦めたのだろう、歌い切ることを優先し、アイギスは無事任務を完了した。戦いの場では限られた条件の中で立ち回ることも求められる。そういう意味では実に合理的で正しい判断だ。
「……やっと終わったか」
荒垣もようやく解放されたことで溜息交じりに安堵の声を漏らす。しかし、真田は聞き逃さなかった。アイギスが絶妙な音程で発した「真田さん」と共に、こっそり「アキ」と声が聞こえたことを。指摘すると誤魔化すか否定するか、とにかく祝う気持ちを素直に認めようとはしないだろう。だから、代わりにプレゼントの中身を確認した後にもう一度ありがとうを言ってやろうと思った。これで真田の2勝は決まりだ。
リベンジマッチの場は来年の荒垣の誕生日に設けてやる。それまでに荒垣に素直におめでとうを言ってやるための訓練と、アイギスの「お祝い」の矯正が急務だろう。その時に自分達がどうなっているかは、今だけは考えないことにする。真田はどこか疲れた顔の荒垣を見つつ、本人に聞こえないように、これからもよろしくな、と言ってやるのだった。