好き嫌い「…ホーキィ、お肉嫌いなの?」
「嫌いだ」
カチャカチャと、皿にフォークが当たる音をBGMにホーキンスは即答した。実際に今彼が食べているのも白身魚のフライである。しかしホーキンス以外のクルーは、みんな一様にシャリオット達が大鍋で作ったビーフシチューをかきこんでいる。もちろんルーナの前にもビーフシチューが置かれている。しかしその量は、周りの三分の一程度しか盛られていない。
「美味しいよ?」
「……」
小首をかしげながらじっとこちらを見ているその姿に、料理を食べていたホーキンスの手が止まった。眉間に皺を寄せながら、何が言いたいとでも言うかのように相手をじっと見下ろす。そんな視線を気にすることもなく、むしろにこりと笑ったルーナはスプーンでシチューをすくった。
「はい、あーん」
「……」
銀のスプーンに乗せられた肉の塊に、ホーキンスの眉間にはますます皺が寄った。大嫌いな肉が目の前に差し出されている。しかしそれを差し出しているのは可愛いルーナで、おまけに自分に食べさせようとしてくれている。食べるべきか、断るべきか。
何の反応も示さないまま動かなくなってしまったホーキンスに、その様子を見守っていたクルー達も時が止まったかのように緊張していた。
「…ごめんね…嫌い、なんだもんね…ルーナも嫌いなものは食べたくないもん」
しゅんとしながらも無理に笑おうとする姿に、ホーキンスの眉間から皺が消えた。直前まで自分に向けられていたスプーンは、今まさにルーナの口に入ろうとしている。
考えるより先に体が動いた。
「待て」
ガシッと音がしそうな勢いでルーナの右手首を掴み、そして自分の口へと無理矢理スプーンを突っ込んだ。いきなりのことにルーナは目を瞬かせているが、それ以上に驚いたのは見守っていた船員達だった。
「せ、船長が肉を食った?!」
「明日は雪が降るぞ!」
「いや槍だろ!?」
ひそひそと、一瞬でざわめき始めた室内に、だんだんと眉間に皺を寄せていくホーキンス。その顔色は少しずつ悪くなっているようにも見える。咀嚼し続けているが、なかなか飲み込もうとしない。最終的に表情を歪ませたホーキンスはルーナの腕を掴んだままワインの入ったグラスを煽った。
「…やはり肉は好かん」
ようやく腕が解放されたが、ルーナの頭はそれどころではなかった。自分だったら、嫌いなものは絶対に食べたくない。もしお皿に乗っていたとしても、内緒でレングスやフェデリーニに食べてもらう。残すのはシャリオットが悲しそうな顔をするから、だから誰かに食べてもらう。食べたくないから、嫌いなものなのだから。
それなのに、今目の前にいるホーキンスは嫌いなものを食べた。ルーナが差し出したスプーンに乗った肉を、考え込みながらも食べた。それはきっととっても頑張らなければできない。
「んもう、船長ったら…そんな風に流し込むくらいなら食べなければよかったのに」
「同じことをされたら、お前は断れるのか?」
「無理ね、食べるわ」
呆れたようにため息をつきながらやってきたシャリオットは、空になったグラスにワインを注ぎながらホーキンスの質問に即答した。その後も言葉を交わしているが、やはりルーナの頭はそれどころではなかった。
え、じゃあ自分が差し出したから嫌いなものも食べてくれたの? そんなのずるい! ずるいけど…。
「うれしい」
ぽつりと零れたルーナの言葉は、二人の耳のも確かに届いていた。ピタリと会話をやめて声の発信源に顔を向ける。頬を赤く染めた可愛らしい表情のルーナは何を思ったのか、おもむろにテーブルに手をついて身を乗り出した。
普段ならそんな行儀の悪いことをすればコック長であるシャリオットが黙っていない。しかし続けて行われたルーナの行動に、流石のシャリオットも目を瞑るしかなかった。
「ちゅ」
「……」
「まあ!」
小さなリップ音を立て、ルーナの唇はホーキンスの唇から離れた。急なことにキスされた相手は目を開いたまま瞬きもしない。その様子を見ていたシャリオットは嬉しそうに声を上げた。
「へへ」
自分からキスをした張本人は、小さく笑った後にまるで何事もなかったかのようにシチューの残りを食べ始める。にまにまと笑うシャリオットは動かないままのホーキンスにそっと耳打ちした。
「愛の力はすごいわねぇ、せーんちょ」
「…!」
指先で口元を隠すようにはしているが、にんまりと上がった口角を隠しきれてない。やっと瞬きをしたホーキンスに小言を言われる前にと、シャリオットはさっさと厨房へと去っていってしまった。
「……」
茶化されたホーキンスだが、嫌いなものを食べただけでルーナからキスをしてもらえるなら、この先も肉を食べてもいいかもしれないと思ってしまったことは事実である。
目の前で幸せそうにシチューを頬張っている姿を見下ろしながら、ホーキンスもナイフとフォークを持ち直した。
~後日談~
「うう、本当に食べなきゃダメ?」
「ああ」
「…う~」
頬杖をつきながらフォークを差し出すホーキンスに、ルーナは恨めしそうな声を上げた。その先には大嫌いなニンジンが刺さっている。しかも火の通されていない、サラダに乗っていた生のニンジン。できることなら絶対に食べたくない。
「さあ、口を開けろ」
「う~…あむ!」
しかしホーキンスが自分に食べさせようとしてくれているのに断れるわけがない。嫌で嫌でしょうがないニンジンだったが、勇気をもってフォークに齧り付いた。
「~っ、やっぱり美味しくない!」
涙目になりながらも必死に咀嚼し、最終的には水で無理矢理流し込んだあとの第一声は不満げな声だった。
ぶすっと頬を膨らましている姿が可愛らしくてしょうがない。ついこの間自分も同じように嫌いなものを食べたのだから、今のルーナの気持ちはよくわかる。
「頑張ったな」
「ホーキィ、」
自分がされた時と同じように、こちらから身を乗り出して顔を近づける。違いと言えば、可愛らしかったルーナのキスに比べ、ホーキンスのキスが深いものだと言うことだ。
逃げられないようにと右手でしっかりと後頭部を押さえている。リップ音の後に少しだけ唇を浮かせ、ホーキンスが口を開いた。
「これでもか?」
「…ずるいっ!!」
顔を真っ赤にしたルーナが抗議の声を上げたが、それはあっという間にホーキンスによって黙らされてしまった。
「…船長ったら…あれで味を占めたわね」
キッチンから様子を見守っていたコック長が、お代わりの水を持っていくタイミングを逃して一人深い溜息を吐いていたのはホーキンスしか知らない。
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