雨の日の迎えに傘はいらない ザアザアと降り続ける雨は全く止む気配がない。雨が降るとわかっていたなら傘くらい持ってきたのにと、公園の駐輪スペースで雨宿りをしているクロエは空を見上げていた。
「…どうしよう」
どうにか傘を手に入れるにしても、ここから一番近い雑貨屋までは少し距離がある。走って向かったところでびしょびしょになるのが目に見えているのだから、それなら雨がや止むでここでやり過ごした方がいいと結論づけたのだが、悲しいことに一向に止む気配がない。むしろ雨脚は強くなる一方だ。この後どうすればいいのかわからず困り果てたクロエは、泣きそうな顔をしながら手元のスマートフォンに目を落とした。
「……」
KnockOutと表示された画面は、タップ一つでもうすぐに電話がかけられる状態になっている。だがクロエが電話をかけられないのには訳があった。
どこかに出かけるときは必ず連絡を入れなさい。でないとメガトロン様や私が心配します。いいですか、必ず、ですからね。そう念を押されていたのにもかかわらず、今回の散歩のことは何の連絡も入れていない。すぐ帰れると思っていたから、そのくらいなら大丈夫だろうと高を括っていたのだ。後ろめたさと心配をかけたくない一心で、クロエの指は最後のタップができずにいた。
「…うん、決めた」
考えに考えたクロエは、スマートホンをブラックアウトさせた。止むまで待とう。軍医さん達だってお仕事があるから迷惑かけちゃいけない。よし、と意気込んだ表情は真剣そのものだ。
「1時間は頑張る!」
止まなければ最悪濡れて帰ればいい。少しの心細さはあるが、決意を表すかのように握りこぶしを作った。しかしそう思った矢先、雨音の間をすり抜けるような短いクラクションがクロエの耳に届く。
「……」
作られた握りこぶしは力なく下がり、それと同時にスマートフォンに目を落とす。迷惑をかけないようにと決意を固めたが、やはり心細いことに変わりはない。揺らぐ心を振り払うかのように、頭を振った。
「せめて30分…!」
独り言を零すクロエの背中に、もう一度クラクションが鳴らされた。今度は先ほどより大きく、雨音の中でもはっきり聞こえる。不思議に思ったクロエは振り返り、そして飛び込んで来た光景に目を疑った。
「?!」
なんと鮮やかな赤が目を引くスポーツカーが柵越しに止まっているではないか。それもとても見覚えのある、むしろ見間違えることは絶対にない赤いスポーツカーだ。驚きのあまりそのまま固まっていると、痺れを切らしようにスポーツカーから声がかかる。
『迎えに来ましたよ』
「えっ、あっ、はい!」
弾かれたように雨の中を走り出せば、当たり前のように開いた助手席。このまま自分が乗り込めばシートが濡れてしまう。そんなことを考えながらクロエが車内に体を滑り込ませた。瞬間、完璧なタイミングで扉が閉まる。
『さて、まず言うことがありますね』
息を整える間も無く、スピーカーから声が響く。心当たりのありすぎるクロエはしゅんと眉を下げ、座席で身を小さくしながら心底申し訳なさそうに声を絞り出した。
「…黙って出かけてごめんなさい」
『それもありますが、その前にもう一つあるでしょう?』
「え?」
もう一つ。そう言われたクロエはハッと息を飲み、再度申し訳なさそうに眉を下げた。
「座席を濡らしてごめんなさい…」
『クロエが風邪さえ引かなければ座席なんて濡れても構いません…そうじゃなくて言うことがあるでしょう?』
「いうこと…!、」
―― 迎えに来ましたよ。
ふと、走り出す前に言われた一言を思い出した。それと同時に自分が何を言うべきかを理解したクロエは、はにかみながら言葉を紡いだ。
「迎えに来てくれて、ありがとうございます」
『ふふ、どういたしまして』
響いた声はとても嬉しそうだ。きっとロボットモードならとても柔らかい表情をしていたに違いない。欲しかった言葉がもらえたノックアウトは機嫌良さそうにエンジンを唸らせた。
「軍医さんが来てくれてなかったらあのまま雨が止むまで待ってるとこでした」
『そんなことだろうと思ってましたよ、全く…もう少し私たちを頼ってくれていいんですからね』
相変わらず申し訳なさそうにしているクロエにシートベルトを伸ばす。かちゃりと金属音が響けば、大きくエンジンが轟く。
『では帰りますよ』
「はい、よろしくお願いします」
『帰ったらしっかりメガトロン様に怒られてくださいね』
「…!」
途端に絶望的な表情を浮かべたクロエに、少しくらいならフォローしてやるかと、ノックアウトはザアザア降りの雨の中滑るようにタイヤを進めた。
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