木の間隠れの夜 生前は夜空といえば、地平線まで続く海と星だった。
今、バーソロミューが見上げる夜空は、木や葉によって遮られ、隙間から月や星がのぞいていた。
「バーソロミュー?」
ふいに名前を呼ばれ、空から前に視線を戻せば、焚き火を挟んで向こうの丸太に座るパーシヴァルが少し怪訝そうな顔をしていた。
「なにかありましたか?」
「あぁ、いや——」
——しまった。彼と話していた。そちらにも意識をさき、会話はスムーズだったが、目線などで気づかれるか。ましてやパーシヴァルは——
「——すまないね。恋人の君を蔑ろにしたつもりはないんだ」
話の内容は覚えている。私がどのような話題をふり、彼がどのように返したのかも。
私は、イギリスは世界一幽霊がでる国らしく、ホラースポットも多いんだよと。
彼はマスターの国でも怪談話は人気だね、と返した。
そこから彼と私の生まれた時代の心霊話にうつり、次にウェールズに実在する幽霊屋敷や超常現象が多発する農場の話をしていたのだ。私が。
なんでもないよと言って、他の心霊話で誤魔化してもよかったのだが、ここは少し素直になる事にした。
「遮るもののない夜空も懐かしいものだが、木の葉の隙間から見える空もいいものだな、と……」
こういうのを感傷的とでもいうのかな?
そう言って、また夜空を見上げる。
バーソロミューが野営をする場所は少し木々がひらけ、木の葉の隙間から空が見える。
焚き火の煙がそこから夜空に吸い込まれ、真上から少し西に傾いた月に向かい登っていく。
「蔑ろにされたとは思っていないよ」
パーシヴァルの優しい声に目線だけそちらに向ければ、彼も空を見ていた。
「私は生前、野営が多かったのでこうして木の間から見える空も馴染み深いのだ。どちらかといえば懐かしいものだけれど……そうだな、今度は貴方の船で夜空を観せていただいても?」
「あぁもちろん。遮るものがない星と月も良いものだと感じてくれたまえ」
「楽しみにしています」
微笑んでいたパーシヴァルは、その顔に苦笑をのせる。
「それで先ほどなんだが、貴方の様子にまた何かでたのでは、と」
「……なるほど確かに。勘違いさせるものだったね。何も出ていないさ、焚き火だって消えてないだろう?」
そう告げて、バーソロミューは焚き火に足元にあった枯れ枝を放り込んだ。
◆◆◆
人類史の流れを変えるほどはないが、数人の、ひょっとしたら数十人の行く末を変化させる微小特異点。
放置しても歴史の流れに飲まれて消えていくと演算結果は出ていたが、最近多忙を極めたマスターである少年の慰安も込めてレイシフトした。
というのもこの特異点、怪談、ホラー、幽霊、怖い話、心霊、そういう現象が一般人にも見えて触れられ、エンターテイメントとして確立している世界だった。
時代としては中世のイギリスなのだが、幽霊が出るという家や城が観光地となり、実際に幽霊が出てきたり、呪われたパブが人気だったり、博物館には呪われる椅子だとかネックレスだとかが展示され、行列ができてたり。
マスターはその手の話が好きで、レイシフトしてからというもの遊園地のようにはしゃいでいた。
『日本じゃ廃墟の心霊スポットって普通に不法侵入になっちゃうけど、ここだとお金さえ払えば入り放題!! しかも幽霊本人から話をきける!!』
もちろん特異点の修正も忘れてはいない。町に宿をとっているのに、この森の中で野営をしているのもそのせいだ。
森で暴れる悪霊が特異点に関係していると倒したのはいいが、日が暮れてしまった。
町に帰るより野営を選び、適当な長い枝を用意して大きな布で簡易テントを作った。
マスターとマシュはその中で眠り、バーソロミューとパーシヴァルは見張りと火を絶やさように枯れ木を入れ続ける役目をかってでて、こうしてお喋りをしながら時間を過ぎるのを待っていた。
「この特異点の性質か、野良幽霊が出る時は火が消え、周囲の気温が下がる。火は消えていないし、気温も——」
「へくちゅ」
「……かじかむ程ではないが、日が落ち、太陽の恩恵がないので下がってはきたね」
バーソロミューは焚き火に木を足すかと立ち上がると、パーシヴァルの横にある枯れ木の山まで歩く。
戦闘によりそれなりに魔力を消費したので、少しでも省エネになればと帽子は消し、ストラと外套も身につけてはいなかった。
だがパーシヴァルの背後に回った時に外套を編み、出現させると、彼の肩にかけた。
生前の強奪品のそれは実はバーソロミューの身体より大きい。だからパーシヴァルでもと思ったのだが、外套の肩幅があきらかに足りていない。
「……」
縮んだか私のコート。と、自分で着てみるが、うんやはり、大きい。
再度パーシヴァルの肩にかける。やはり小さい。
「…………」
無言でパーシヴァルを立たせ、外套の裾を見た。
裾はバーソロミューの場合、膝裏まであるのだが、パーシヴァルは足の付け根ぐらいまで。身長差もだが、筋肉によって色々と布が盛り上がってるせいだろう。
バーソロミューはパーシヴァルの前にまわり、試しに前を閉めようとする。
だが胸板によって阻まれ前を合わせる事すらできない。
「く」
耐えられず、ふふっと笑いだしてしまう。
「ふふっ、君、やっぱり大きいなぁ!」
知ってはいたが実感すると、なぜか笑いが止まらなくなる。
ツボに入ってしまった。
くすくすと笑いが止まらなくなる。
「貴方が細いだけです!」
あぁこれはいけない。パーシヴァルが不服そうだ。だが頬こそ膨らませてないが子供のように全身で不服を表現するパーシヴァルに、また笑ってしまう。
「ハハハハッ、すまない、ふふ、君を侮辱するつもりは、アハハッないの、だが」
笑いが抑えきれず、目尻に涙まで溜まってくれば、目を細めて眉を寄せていたパーシヴァルの表情が少しずつ和らいでくる。
「フフッ、もうすぐ、笑いやむから、ハハハ、パーシ、」
気がつけば顔はパーシヴァルの肩口に押し付けられ、胸や腹は彼の上半身と密着し、足の裏は強引に移動させられた為、つま先以外地面から離れている。
抱きしめられたのだ。
あのパーシヴァルが。許可を取らず、強引に。
笑いは引っ込み、固まってしまう。
「これなら二人とも暖かいでしょう?」
耳元で聞こえる声は不機嫌さも含まれており、いつもと違う声色にぞくぞくと身が震える。
いつもと違う彼の様子に、
「ひゃ、ひゃい」
としか言えない。
おずおずと自分が彼の肩にかけた外套ごと抱き返せば、密着する部分から与えられる温もり以上に、体温が上がっていくのがわかる。
どのくらいそうしていたのか。
月が目視で分かる程度には傾いた時、バチッと木が割れた音が響く。
きっかけを探していたバーソロミューは、今の音で我に返ったと、パーシヴァルから手を離す。
「も、もう、温まっただろう。私も君も」
「……そ、うですね」
この声は照れている。
しかも動きがぎごちなくなっており、自分で抱きしめたくせに恥ずかしくなったというところか。
まったく、もう両手では数えきれないぐらい夜を共にしているというのに。初心は大事だが、こうもウブが過ぎると、押し倒せとは言わないが、と密着していた身体を少し離して見たパーシヴァルの顔。
その顔は焚き火に照らされて赤く染まっていたが、欲にも染まっていた。
「ぁ」
きっと私も同じような顔をしているのだろう。焚き火では隠せないほどの情欲を浮かべて相手の熱を欲している。
動いたのはどちらが先だったか。
吸い寄せられるように唇を重ねた。
触れるだけの軽いキスだ。
だがその口付けだけでも身体の芯に熱が灯っていく。
これ以上は色んな意味で歯止めが効かなくなりそうでマズいな。
そう思うものの、思うだけだ。
口付けをやめられない。
もっと深くと舌を、
ごそり
と、簡易テントから音がして、バーソロミューは猫のように跳び上がって元いた場所に座る。パーシヴァルも元いた場所に座っており、バーソロミューは早鐘を打つ心臓をポーカーフェイスで抑え込むと、簡易テントの方を向いた。
「トイレぇ……」
と、マスターがハイハイで出てくる。
目は半分以上開いていないし、呂律もじゃっかん回っていない。
「はにゃこさんいるかな……あきゃい紙、あぉい紙でも……」
これは寝ぼけているなと判断し、バーソロミューは安堵か、それとも落胆かでため息をつく。
立ち上がれば、わざと遠回りして未だ半分夢の中のマスターの所に向かう。
遠回りによって通る事となったパーシヴァルの後ろ。
通過する時、座る彼の耳元に顔を寄せ、ある言葉を吐息と共に吹き込む。
「続きは帰ってからといこうか、騎士様」
途端真っ赤になったパーシヴァルに、してやったりと笑うバーソロミュー。
「レディもいるので、少し離れた場所まで行ってくるよ」
と、バーソロミューはいまだに目覚めきっていないマスターを横抱きで抱えると、森の中へ消えていく。
パーシヴァルはその背中を見送ると、サイズの合わない外套を肩にかけながら、その大きな身体を縮め、顔は真っ赤に震える声で絞りだした。
「……それは反則でしょう」
了