半年後離縁予定の旦那様の様子がなにやらおかしいです -2-◇◇◇パーシヴァル・ド・ゲール17歳の後悔◇◇◇
結婚して2年半が経過した。
王城がある王都での仕事が忙しく、問題ありやロバーツ家と連絡を取り合っているという報告がなかった為、一度とてあの海辺の屋敷に行きはしなかった。
心のどこかで、自分の妻から目を逸らしたかったのか、共にきた執事に任せておけばという気持ちがあったのか、それとも自領とはいえ、あの地にそれほど思い入れがないのが原因か。
あの屋敷はゲール家の別荘だ。
当主である父は違ったが、パーシヴァルは年に一度か二度、行く程度。十歳をこえた辺りからそれもなくなった。
バーソロミューと結婚するにあたり、彼にどこに住んでもらうのか、見張りやすいのはどこかを考えた結果、あの地に決定した。
2年半の間に、パーシヴァルは円卓の仲間と共にロバーツ家の不正を入手。
すでに当主や主要な貴族は牢の中。
数年がかりの捕物は大成功。国に寄生する膿を出す事ができただろう。
関係各所は大団円だと喜んだが、一役買いもっとも貢献したといえるパーシヴァル・ド・ゲールの顔は暗い。
ロバーツ家は取り潰し、一族郎党処罰されるという話が広まり、ある高位貴族が横槍を入れてきた。
ロバーツ家はどうでもいい。むしろ潰して欲しいが、長男のバーソロミューはこちらに引き渡してくれないか? と。
話を聞けば、その高位貴族の家のナニーの頼みだと言う。
高位貴族の次期当主も世話になり、子供達も懐いているそのナニーは、自分の立場に奢る事はなく、我儘も願わなかった。そんなナニーが、床に額を擦り付けん勢いで、頼み込んできたらしい。
『バーソロミュー坊ちゃんは、生まれてすぐに小屋に入れられて……私が暇をだされてからは、満足に食事さえ食べられなかったたはずです……どうか! どうかバーソロミュー坊ちゃんだけは!! 旦那様!! お願いします!! 助命嘆願を!!』
そのナニーは、元はバーソロミューの乳母としてロバーツ家につかえており、ずっとバーソロミューの事を悔やんでいたそうだ。
そしてバーソロミューの生い立ちが詳しく生い立ちが調べられた。
捕えられてあるロバーツ家の面々、仕えていた執事やメイドに詳しく聞きだし、調査は2年半前よりスムーズにそして詳細におこなわれた。
妾の子であるバーソロミューは、生まれてすぐ、ロバーツ家の小屋に乳母と共に入れられた。乳母が暇をだされると、それからほぼ一人で小屋に閉じ込められ生活していた。ろくに食事を与えられず、教育もほどこされずにだ。
なぜそんな状態で悪評が流れたかといえば、彼の妹の仕業だった。
悲劇のヒロインぶり、同情を集める為。お茶会やパーティーで奇行や妹を殴ろうとしたのは、妹が雇った役者なのだそうだ。妹は兄と顔を合わせた事すらないという。母屋と離れとはいえ、同じ敷地内に暮らしているというのに。
それだけバーソロミューが小屋に閉じ込められたという事で、バーソロミューはパーシヴァルに嫁ぐでの25年、屋敷から出た事がなかっただろうと。
パーシヴァルはそんな報告書を読み、自分がバーソロミューに対しおこなった言動を思いだす。
知らなかったから仕方がない。もしくは表向きは謝罪をしてさっさとこの話を終わらせる。それが賢いやり方というものだろう。
だがパーシヴァルは本心から罪悪感を抱いてしまった。
2年半前のあの日、あの人の話を聞いていれば。
あの人は乳母がいなくなってから、誰からも手を差し伸べられず、小屋に押し込められ、そんな生活を20数年続けていた。20年だ。パーシヴァルが生きてきた年月よりも長い。どんな生活をおくり、絶望を味わい、諦めてきたのだろう。パーシヴァルには想像すらできない。
それがある日、引きずり出され、知らぬ地に連れて行かれ、結婚させられ、夫からは3年後、生家を潰してお前は平民になると告げられ、どんなに恐ろしかっただろうか。2年半、執事に身の回りを任せ、離れから出てこないのは、何もかもを絶望してしまったのではないだろうか。その執事は毎日のように町に出て、働いているらしい。家を買う予定という話もある。ひょっとしたら執事とバーソロミューは恋仲で半年後に共に暮らすのではという意見もあるが、推測でしかなく、執事にも怪しいところがあった。
だからパーシヴァルは考えてしまうのだ。
あの日あの時、彼と話し合い、手を差し伸べていれば、彼は外に出ていたのではないだろうか。
自分は、自分だけが彼を助けられたのでは。
そんな罪悪感にさいなまれてしまう。
彼を愛する気はないが、情は生まれた。
離縁を延期して、彼が一人で生きていけるように手をかそう。
そんな決意と共に、2年半ぶりに妻がいる海辺の町に帰った。
◆◆◆バーソロミュー・ロバーツ4歳、とりあえず草を食べてみた◆◆◆
——あ、これ死ぬな。
生まれてから唯一笑顔を向けてくれていた大人がこなくなって、腹が減って身体も痒くなって、動けなくなって、小屋の床に倒れて天井を呆と眺めていた。外から聞こえる雨音がなんか楽しいな、なんて考えながら。
指先一つ動かすのが億劫になって、少しずつ瞼が閉じていく。上と下のまつ毛がくっつきかけた時、急に思考が冴え渡った。
今まではどこかふわふわしていて、何もかも考えないようにしていたように思う。
それがいよいよ死の縁に立ったからだろうか、生きるための生存本能だろうか、色んなものがクリアになる。
今まで考えた事のなかった自分を取り巻く環境について考察。父や母、あの優しかった人、時折向けられる大人達の蔑む視線、この家と、離れた所にあるもっと大きな家。
それらをパズルようのピースのように当てはめていき、もしくは積み木のように組み立て、正確に現状を把握した。
妾腹、蔑む父や本妻、馬鹿にしきったメイドや執事。自分の人生のハードモードに「うぁお」と呻き声をあげた。あ、しまった。声を発するだけで喉が痛い。腹が減る。
今、自分は空腹で死にかけている。
メイドが定期的にこの家の中や前に食料を投げ捨てていっていた。あのメイド、元より職務放棄ぎみだったというのに、この一週間、一度も職務をまっとうしていない。
このままでは間違いなく死ぬ。
死ぬのは怖い。それは原初的な恐怖で覆せない。とはいえ、生き残ってどうする? そんな言葉を理性が囁く。
産みの母がどうなったかは知らない。記憶の箱をひっくり返しても温もり一つ思いだせはしないのだから、生まれてすぐ何かあったのだろう。つまり母は頼れない。
あの大きな家で暮らす父は論外だ。この小屋に入れたのはあの男だろうから。
つまり生き残ったとしても、これからも食糧は供給されず、ずっと一人、この小屋の中、というわけだ。
いっそこのまま死んだ方が楽では?
それはそう。
そんな理性の囁きに自分が相槌を打つ。
だけれども——
バーソロミューは渾身の力を振り絞り、寝返りを打った。それだけで息が上がる。腕や足、腹が辛い。
あぁクソッ。
声に出すとさらに腹が減るから心の中で世界に悪態をついて、寝返りを打ってやりきった感じになっている身体に力を入れる。
腕を前にだして、足で床を擦って、身体のバランスをとって、ずりずりとドアに向かう。
遠い。
諦めたい。
目が霞んできた。
それでも生きる為に前へと這いずり、鍵なんてかかってないドアを押す。
ギギギと音を立てて開いたドア。
雨が腕や頭、背を打つ。
濡れる、冷たい。身体を冷やすのは不味いのではと思うが、それよりもこの空腹をどうにかしなければと、ドアから腕を伸ば、掴める範囲の草を掴んだ。
笑えるぐらいに手に力が入らない。引き抜けない。
あぁもうと、ドアの隙間から上半身を這い出させて、口で草を噛んだ。
不味い、苦い、冷たい、砂利が不快だ。
舌にピリリとした痛みが走る。
毒、そんな言葉が浮かんだが、どのみち空腹で死ぬ。食べないという選択肢はない。
覚悟はとっくに決まっているというのに、噛むのが辛い、飲み込むのも辛い。嚥下とはこんなにも筋力や体力を使うものだったか。
これは腹に草をいれる作業だ。辛いという思考を切り捨てろ。
口を開けて草を口の中にい入れて、噛んで、飲み込んで、また口を開く。
食べられる範囲の草を腹に入れ、正直、そこで意識を失いたかったが、雨に打たれては本末転倒だ。死ぬ。
なんとか部屋の中まで身体を戻すと、今度こそ意識を手放した。
今思うと、よく生き延びたなと思う。
草には幸い毒はなかったようだが、そこら辺に生えた草だ。加熱もせず弱りきった胃に入れれば、嘔吐や腹を下す可能性があった。
それだけであの時の身体は耐えられなかっただろう。
次に目を覚ました時、ふかふかのベッドで起きて、なんて事はもちろんなかった。
土まみれの顔や腕、口の中は草や砂利が残っており、寝起きは最悪だった。
しかも雨に打たれたせいで体温が下がり、冬なら死んでいたはずだ。
そんな状態でも、腹に何か入れたのがよかったのだろう。バーソロミューは少なくとも死にかけから死にかけ数歩手前となれた。
最優先は安定した食の確保。
あのメイドの機嫌で決まる食料供給など、あてにはならない。
「……」
夜、あの大きな家の住人は寝て、人気がなくなる。
あそこから盗めないだろうかと考え、実行にうつし、呆気ないほど簡単に盗む事ができた。
◇◇◇パーシヴァル・ド・ゲール、見惚れるほど美しい人と出会う◇◇◇
急いでいたので馬車でなく早馬で王都から駆けてきた。途中、途中で宿をとったものの、従者をつれての日程より、数日は早く港町に到着する事ができた。
屋敷に向かうには、港町を通る必要があり、人通りがあるその道を馬で駆けるわけにはいかず、歩調をゆるめる。
屋台が並ぶ通りを抜けようとした時、喧騒の中に男の怒鳴り声が耳に届いた。
あきらかに誰かをなじる声、それに返す声も穏やかではない。
喧嘩か、放置はできないと、馬から降りてそちらに向かえば、人集りはもう解散しようとしていた。
こんな短時間で解決を? そもそも喧嘩ではなかったのか。
よかったとパーシヴァルは馬のところに向かおうとして、人集りの中心にいた男性が視界に入る。
世界から音が消えた。私と彼の二人っきりになった。私の目は彼を映す為にあり、私の耳は彼の声を聞く為にあり、私の腕は彼に伸ばされる為だけにある。
そんな感覚を味わう。
実際は音は消えていない。野次馬達や行き交う人も消えてはいない。
そんな事は分かっている。だから背を叩かないで欲しい。正気に戻った。
彼が喧嘩を? 話しかけ事情を聞いた方がいいだろうか。
黒髪は波のようにゆるやかに揺れ、その毛先は波の先のように白い。肌は太陽に愛された小麦色、彼を構成するすべての要素が美しいとしか表現できないような人にどう話しかけろと?
戸惑っていれば、彼の海のように青い瞳がパーシヴァルを映した。
目が、目が合った!?
彼は私達を見ると、目を瞬かせ、困ったように苦笑した。
そしてこちらに歩いてくる。
「ぇ? え? こちらに?」
私に? 勘違いではとキョロキョロと周りを見渡せば、ドンッとまた肩を叩かれる。後ろから。
「……パーシヴァル、浮気ですか?」
「なっ!? ちが、違うっ!」
この前の意趣返しだと気づきつつも、上手い言い返しはできずにただ否定して後ろを向く。
今回の件で、共に事件を解決した騎士達が罪悪感にさいなまれすぎて、過剰な要求をのみそうだと心配をしてくれた。その中の1人、貴族で領地を持つ円卓の騎士、トリスタンが、ちょうど手が空いているとついてきてくれたのだ。
パーシヴァルが何か言い返さねばと必死に考えていれば、「あの、そこの騎士様……貴族様かな? ここらじゃ見ない顔だけど、この町になんかようかい?」と、よく通る声が耳に届く。
話しかけてくれたのか! あの美しい人が!
「パーシヴァルです!」
「うん?」
彼の方を勢いよく振り返って、自分の胸に手を当てる。
「パーシヴァルと言います! どうかパーシィと!」
「…………えぇーと」
形の良い眉がひそめられ、どこか困ったようにトリスタンを見てから、なんだなんだと集まってきた人達に手を振る。
「その、パーシィ様?」
「呼び捨てで」
「パーシィくんは、」
「待ってください。“くん”は審議させてください。10秒ですみます」
「よしパーシィ。パーシィは、なぜここに?」
「それは……」
「その前に」
答えようとしたパーシヴァルを遮り、トリスタンが質問する。
「なぜ私達が騎士だと?」
「格好と立ち振る舞いとあと馬」
彼は指を立て、一つ一つ説明する。
「鎧もそうだが、そんな立派な剣を帯刀してるのは、騎士かなぁと。で、所作が綺麗なんだ荒っぽくない。あと馬、馬自体もいい馬だが、手綱から鞍からお金持ってるのが分かる。それで声をかけたのは、私はこの港町が好きでね。阿呆な奴らが騎士様やお貴族様に手を出して問題になるのは困るので、牽制というわけだ」
「そうなのですね! 洞察力と観察力に感服しました!」
パーシヴァルはニコニコと、美しい人の手を取る。
「それで貴方はサラザールでよろしいかでしょうか?」
確信があったわけではない。報告書にあった2年半前に港町で働きだしたというバーソロミューの執事。その外見に酷似していたから、かまをかけただけだ。
トリスタンの「あ、よかった気づいてた」という声が聞こえたが無視をした。
「貴方については、本当に我が妻の執事か疑惑が出ています。とらえたゲール家の者が誰も貴方を知らなかったからです。貴方の2年半の献身を疑うわけではありません。今から屋敷に移動し、話をきかせていただきたい」
サラザールと呼ばれた男は手を振り払おうとはせず、「私のことが知られていてよかった。野放しだったらちょっと脇が甘すぎないかと心配してたんだ。だがお父様が納める地でパーシヴァルという名を正直に名乗るのはどうなんだ?」とダメ出しをしてきた。