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    blueowlGrayeyes

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    ホワイトデーネタ。鍾ウェン。

    #鍾ウェン
    ZhongWen

    (※注意 蛍ちゃんは鍾離先生を常識ある大人だと思っていますけど、ウェンティ過激派となっております。)



    「……それで、先生。申し開きはある?」

    優雅に椅子に腰掛ける旅人の前には、沈痛な面持ちの鍾離が一片の崩れのない正座を維持し続けていた。
    少女のやわらかな陽だまり色の瞳は冷え切り、温度のない眼差しで青年を見遣る。
    そして、これまた温かさが微塵も感じられない声色で紡がれた彼女の問いかけに、鍾離は視線を右往左往させると、おずおずといったように言葉を選んで口にしていった。

    「……正直、自分でも大人げなかったと思っている」
    「それで?」
    「……バルバトスに、謝りたいと思っているのだが」
    「謝罪だけなら誰にもできるよ、先生。私は、ウェンティの気持ちを先生がちゃんと分かってあげて、なおかつ、先生がしでかしたことの深刻さを理解した上での謝罪をウェンティにしてほしいの。言葉だけの謝罪なんて要らないんだよ、先生」
    「ぐ……」

    実際のところ、鍾離は未だウェンティに対して行ったことの重大さを理解しきれていなかった。後悔は、ひと匙分くらいなら、あるけれども。
    しかし、そんなことをうっかり零せば彼女が般若の仮面を被ることが自ずと察知できたので、鍾離は余計なことは何も言わずに口をつぐんでいる。
    沈黙は金。言わぬが花。
    下手な言い訳は、目の前の少女が発する極寒の空気をさらに厳しく刺々しいものへと変えてしまうことを彼女の纏う圧から悟った鍾離は、自ずと口を噤むしかなかった。


    風神バルバトスとの衝撃的な邂逅から幾千年、ウェンティは突風と共に頻繁に璃月を訪れる時期があった。
    鍾離のところにやってきては、やれ暇だから構えと宣い、忙しいから後にしろと鍾離が言えば憂さ晴らしのように書類を風に舞わせ。はたまた七神の宴会では、苦労してかき集めた酒を水のように呑み、挙げ句の果てには酔っ払って頭に酒をかけたりと、鍾離は昔からこの手の悪戯をウェンティにされてきた。そんな鍾離からすれば、自分が起こした此度の騒動など風神絡みの悪戯の蓄積具合の十分の一以下に等しいと、そう思っている。
    しかし、どれだけ説教をしようとも、どれだけ制裁を下そうとも。ウェンティを泣かせたことは、今まで一度たりとも無かった。
    そのことに僅かばかりの申し訳なさを覚えるものの、ほとぼりが冷めればまたいつものように飄々としたウェンティがやって来るだろうと思ってもいた。一方で、今回は少しやり過ぎたかもしれないという考えが、鍾離の中で重石のように胸中に残り続けていたのだった。


    そんな時に、静かな怒りを内側で轟々と燃やしていることが明白な、青白い炎のような覇気を纏った旅人が鍾離の下を訪れた。

    「こんにちは胡桃。……鍾離先生、いるかな?」
    「ヒッ!……こ、んにちは…旅人……しょ、鍾離さんだよね?もちろんいるよぉ〜……呼んでこよっか?」
    「うん。お願いね」
    「ちょっと待っててねぇ〜…!」

    仙人顔負けの高速移動を駆使し、奥の部屋で作業をしていた鍾離を引きずって、再度胡桃は旅人のところへと舞い戻る。連れてきたよと胡桃が報告すれば、それを受けて旅人はニコリと微笑んだ。

    「ありがとう、胡桃。……こんにちは、鍾離先生」

    何気なく交わされる日常の言葉で、こんなにも圧のある挨拶があっただろうか。
    空気に何かしらの含みを持たせた言葉はどことなく重く、一欠片の穏やかささえ砕いてしまうほどには、その言葉の音は硬かった。
    それだけではない。冷たく鋭い暗い光をたたえた瞳をチラつかせた、不自然なぐらいに完璧に整った笑顔は、先程の言葉をより硬く、より無機質に変えてしまっている。
    笑みの形に整えられていても理解できてしまう。旅人の中で渦巻くのは、激しい怒りだ。
    その証拠に、いつも彼女の隣で快活な笑顔を見せる少女がいないのだ。おそらく、自分の中に燻る業火の片鱗を触れさせたくなくて、別行動を提案したのだろう。旅人の少女は、懐に入れた愛し子や友人に対しては酷く甘く、そして悲しませることを酷く嫌う。
    それは、ウェンティに対しても当てはまることであった。

    そして、今に至る。
    再度出迎えた堂主が顔を盛大に引きつらせる程に、圧のある空気と笑顔を振り撒く旅人は、鋭い棘をいくつもチラつかせたような声で、鍾離に用があるから連れて行っても良いかと堂主に問うた。
    休日であるのならともかく、今は平日の日中。つまりは絶賛仕事中である。それ故に労働の規則は曲げられないと鍾離が言うよりも先に、背中にびっしりと冷や汗をかきまくっていた胡桃は喜んで!!と良い笑顔で旅人に応えてしまった。

    「堂主。労働は契約の一つなのだが、勝手に変えてしまっては…」
    「いいから!!あんなに怒ってる旅人、今まで見たこと無いし何かやばいし……鍾離さん一体何したらあんなに旅人が怒るわけ?!」
    「いや、旅人が怒るというよりどちらかと言えば……」
    「とにかく!謝るなり何なりして旅人の怒りを鎮めてきてよね?!これは上司もとい堂主命令です!!」

    ちゃんと仲直りしてきてね?!としつこいぐらいに胡桃から言われてしまえば、後にも引けず。そして、仲直りという堂主の言葉で思い出すのは、先日罵倒を鍾離に浴びせてモンドへと帰っていった隣人とのことで。
    その一欠片の後悔に揺り動かされたのが最後、出荷される仔牛よろしく、鍾離は旅人に連行されていった。


    強制出荷もとい連行の末に、旅人が鍾離を連れてきたのは奥蔵山の頂上だった。
    品の良い紅色や橙色の葉の衣がしゃらりと靡く樹が腰を構える小島は、澄んだ水色をした湖に浮んでおり、清廉な空気と相まってそこで宴を開けば美しい景色を肴に、多いに盛り上がることだろう。
    そこに、魈を始め、理水畳山真君や削月築陽真君、そして閑雲にピン婆やなど璃月の名だたる仙人がずらりと並んでいた。皆一様に、旅人に連れてこられた鍾離に驚きの眼差しを向け、そして隣の旅人に目を遣って、その瞬間に青ざめ、理解する。
    経緯は分からぬが、何か旅人の逆鱗に触れるようなことが起こったのだと。そしてそれは、自分たちの主君が関係しているのだと。




    璃月の今の平和を形作った面々が円卓を前にして、ずらりと並ぶ。
    旅人から招集をかけられた茶会であるからと、自身が好む茶や摘むための菓子など、仙人たちは皆何かしらの手土産を持ち寄って、奥蔵山の円卓に集まり茶会の準備を進めていた。
    これだけ有名な仙人が揃っているのであれば、その面々で行われる茶会では、さぞ高尚で崇高な議題が挙げられていると常人ならば思うであろう。
    しかし、現実はそこまで美しいものではないのである。
    仙人衆が戦々恐々と見守る先には、冷たい怒りを体全体に燻らせている可憐な少女と、彼女の目の前で美しい正座を保ちながら沈黙を貫く美丈夫の姿があった。

    「事の発端は、先生が何も言わずにお菓子だけウェンティにあげてさっさと帰ってたことでしょ。ウェンティも結構困惑してたみたいだよ。……まぁ、そこは先生と付き合いの長いウェンティだからね。深く追求せずに、まぁいいかで流しちゃったウェンティも悪いんだけど」
    「……アイツなら、バレンタインについても知っていると思ってたのだが」
    「知らなかったからこんな結果になっちゃったんでしょ。相手が何でも分かってるとか、自分と同じ思考や気持ちを持ってるって決めつけるのは……違うよね?」
    「ゔ……だがな、」
    「腐れ縁だからお互いの考えがお互いに分かるってこと?分かってなかったからこうなったんじゃないの?先生……ウェンティと付き合いが長いからって、その立場に胡座をかき過ぎ。今回の件で、ウェンティとの関係と付き合いが長いから云々っていう理由は使えないからね」
    「……それは、」

    かの岩王帝君が手も足も出ず、さらには口でさえも目の前の少女に負けている。
    目を疑うような事実で、そして異様な光景である。

    「そもそも!自分宛じゃ無いウェンティの手作りお菓子をウェンティが持ってたからって、それを奪い取って全部食べちゃうなんて……嫉妬して暴挙に出るとか、好きな子の気を引きたいからって悪戯する子供と変わらないし、何ならそれよりも悪いし。それは自覚してる?」
    「……あぁ」
    「た…旅人……何も、鍾離様にそのように言わなくとも……」
    「魈は黙ってて。これは、先生とウェンティとの問題なんだから」

    魈が鍾離を擁護しようとしたが、その提案を旅人はピシャリと撥ねつける。
    普段、その愛らしい顔に優しく微笑みを浮かべて自分へと話しかけてくれる彼女のあまりの変わりように、告げようとしていた言葉が一気に霧散していく。

    「本当ならもっとキツく言っても良かったんだけど……流石にそれだと、仙人衆の皆相手に先生の面目が立たないからね。これくらいにしてるんだから」
    「これよりもキツく……?」

    これ以上厳しく説教するとなると、一体何をする気だったのだろうか。
    旅人怖い、と少し離れた場所で削月と理水が震えている。今の状態の旅人の姿には、彼らに同意しかないと魈は思った。
    そんな仙人たちの姿を一瞥し、旅人の少女の気迫に怯える男衆は使えないと判断を下したのか、小さなため息を吐いた閑雲は改めて旅人に問いかけたのだった。

    「旅人……帝君も十分反省しておるようだが……何がお前をそこまで激怒させるのだ?」
    「……じゃあ、閑雲。貴女に聞くけどね。仮に、甘雨とか申鶴……それから漱玉に好きな人ができたとしてね」
    「……ほう?」

    仮定の話、と前もって言ったはずだが、あからさまに顔をしかめる閑雲の様子を見た蛍は、誤解を解くため彼女にすかさず訂正を入れた。

    「仮にだよ、仮に!彼女たちに好きな人ができて、その人に贈り物をしようって考えて、自分でその人を思いながら選んだり、作り方を閑雲に聞いたりして、丹精込めて作ったお菓子や作品を用意したの」
    「妾が協力するかは分からんが……まぁ、弟子たちがそれをやったと仮定しよう」
    「でも、彼女たちが好きな人は、その贈り物を彼女たちから取り上げて、目の前で壊しちゃったの」
    「!!」
    「……ねぇ、閑雲。どんな気持ちがした?」

    ぎり、と眉根を寄せて、架空の敵に怒りを露わにする閑雲。
    そんな彼女に対して、悲しそうに眉を下げた旅人は彼女の気持ちを問いかけた。
    その問いかけに一瞬言葉を詰まらせた閑雲であったが、やがて自分の中に生じた感情をゆっくりと口にしていった。

    「妾は……甘雨や申鶴、漱玉が選んだ想い人ならば、彼女たちの心を大切にする者であろうと思っている。しかし……妾の愛弟子たちに対してそのような仕打ちを行う者だったとしたら……妾は、其奴の息の根を止めておったかもしれぬ……!」
    「そういうことなの」
    「!」
    「先生がウェンティにしたのって、それと同じことなんだよ。今閑雲が思っていることと同じくらい、私は先生に怒ってるの。……私は、ウェンティの友達で、ウェンティが大好きだから」

    旅人の悲しそうな言葉に閑雲がハッと気付かされた瞬間、勝敗は決した。
    旅人の機嫌を良くさせるための頼みの綱であった閑雲もとい留雲借風真君までもが、旅人側へと移ってしまったことを理解した男体の仙人衆は青ざめた。旅人に物申せて、なおかつ帝君の味方になれそうな存在が、今旅人側に移ってしまったのだと。
    旅人の言い分を十分に理解した閑雲は、暫し視線を彷徨わせると意を決してかつての主君に忠言を呈した。

    「帝君……」
    「何だ」
    「妾は、帝君がご自身の思想や決断を見誤ったことは一度も無いと思っておりました」
    「……あぁ」
    「しかし……我が子のような存在を持つ身として考えるのならば……此度の風神に対する行為について、妾は帝君と同じ立場にはいられませぬ」
    「そうだろうな」
    「下手をすれば国同士の問題になりかねません。何卒、帝君には迅速な行動をとっていただく必要があります」
    「実際問題、そうだからね?最近、ウェンティの姿をモンドで全然見なくなっちゃったし。……あと。ディルックさんが大層怒りを露わにしながら仕事をしてたから、今回の件、風神を守護するモンドの代表格の人たちにはバレてるって思っておいてね。冗談抜きで、今回のことは国際問題に発展する可能性もあるよ?」

    円卓に用意された茶を飲みながら言い放った、旅人のその容赦の無い一言で、鍾離の頭の上に乗っているであろう悔恨の岩の重さが急激に増した。
    ずぅん…と可視化出来るほどに重たい暗雲を背負った鍾離は、その麗しい顔いっぱいに渋い色を乗せて、表情も空気をも暗くしていた。心なしか、天候すら陰ってきている始末である。そのあまりの落胆ぶりは、仙人衆が励ましの言葉さえ喉の奥へ逆戻りさせてしまうほどであって、しかし、実際に何と言葉をかけたら良いかと悩んでしまう状況でもあった。

    此度のことは、風神バルバトスもといウェンティに長年並々ならぬ想いを寄せていた岩神モラクス……それ以前に一介の男である元主君が、好きな相手に対して取るべき対応を間違えて盛大にやらかした故の結果である。かける言葉も気を遣わねば、気落ちした主君をさらに追い詰めてしまう。しかし、恋愛経験が0に等しい仙人にとっては、無理難題であった。

    そんな、仙人たちも躊躇してしまうほど、どんよりとした空気を放ちながら意気消沈している鍾離に対し、話を振ったのはピン婆やその人であった。

    「本当に……貴方は昔から風神に対して遠慮がないのじゃな」
    「……」
    「帝君にも気の置けない心安らげる存在がいること……そのことを、私たちは昔から嬉しく思っておったが……今回は流石にやり過ぎですな」
    「……反省はしている」
    「ならば、やるべきことは分かるでしょう?」

    にっこりと笑うピン婆やに、塵の魔神と歌を競い合った才女であり苛烈な一面を持った仙人の、かつての歌塵浪市真君の面影を見た他の仙人衆は背筋がゾッと冷えていった。
    閑雲然り、ピン婆や然り、旅人然り。普段穏やかな女人を怒らせると恐ろしく怖い目に遭うのだな、と。
    魈や他の仙人衆は、女性たちの圧を今も受けているかつての主君に、憐れみの視線を向けるのだった。







    「ふぁ……あ〜……ちょっと寝過ぎたかも」

    バレンタインの騒動からぴったり3週間後に、寝ぼけ眼を緩慢に瞬かせながらウェンティは目を覚ました。

    風の流れから大まかな日時を読み解けば、どうやら、短いにしても今回はかなり寝てしまったらしいと、ぼやけた思考の中で感じる。
    ショックを受けて不貞寝をすることなんて滅多になくなったはずなのになぁ、と思うも、心が鉛のように重たくて、自分があの件を予想外に引き摺っていることにため息を吐いた。幾千年を生きる中で酸いも甘いも噛み分けており、感情のコントロールも折り合いの付け方も身に付けてきた筈なのだが、結果は散々である。隣国の岩のような御仁からの仕打ちにショックを受けて、逃げ帰った上に泣き疲れて眠るなど、まるで子供のようだとウェンティは苦く笑った。

    神なのに、期待したバチが当たったんだな、やら。神の位なんてこんな時ほど役に立たないな、などとぼやいてみる。好きだからこそ、鍾離の行動と言動に勝手に一喜一憂して、勝手に期待をしてしまって、結果としては最悪のものを引き当てた。
    神であろうと人であろうと、恋する者は皆等しく道化であると、今回の件でウェンティはそのことを嫌というほど理解した。鍾離からすれば、ウェンティの姿はさぞ滑稽に見えたことだろう。最後に見た彼の顰めっ面が、その予想を確固たるものにしていた気がする。
    まぁこれで、自分は旧友だと思っていた存在から酷く嫌われていたことが分かって良かったじゃないか、なんて強がりな考えを浮かべて。しかし、胸がチクチク痛むのは……きっと気のせいじゃないんだろうと自分を嘲笑うウェンティは、手のひらに触れた物にようやっと意識を向けたのだった。

    「……何これ」

    ウェンティが眠っていた小さな丘の傍らに置かれていたのは、花束が2つ3つできそうな量の花々と、何通かの手紙であった。
    眠る前にはこんな物は無かったはずだ。では、これは何だろうか。
    自分が眠ることを誰かに伝えたわけでもない……だが、泣きながらモンドに帰ってきた後にエンジェルズシェアでやけ酒はしたような。その時、赤髪の美青年の背後に不穏な色の焔を見たような。まぁそれは気のせいだろうと結論付けて、ウェンティは改めて考え始めた。

    眠っている時の自分は存在がギリギリまで元素に近づいているから、凡人もそうだが、人ならざる者でさえウェンティの存在を察知するのは困難なはずだ。それを感知出来るとすれば、よほど元素の扱いに長けた者に限られる。それこそ元素生命体か、はたまた高位の魔神かと考えを巡らせていた矢先、覚えのある元素の気配を感じた。
    その馴染み深い元素の属性を理解したウェンティは、慌てて自身の存在を希釈させ、己の身を元素精霊に近しい状態にして少し遠くの樹の裏から覗き見る。


    待つこと数十秒、ウェンティが寝ていた場所に現れたのは、予想通り鍾離であった。
    モンドの僻地にあたるこの場所まで一体何の用だろうかと、小さな体で身構えるウェンティであったが、鍾離はウェンティが寝ていた場所の前で立ち止まると、その場に置いて跪いた。


    「……バルバトス。その……すまなかった」

    突然の謝罪である。
    ウェンティはあまり怒りが長続きしない方であったことから、一体何に対しての謝罪かと首を傾げるが、続く鍾離の言葉に、バレンタインの一件についてだと理解した。

    「あの日の俺の仕打ちは褒められるべきものではなかった。しかし、決して……お前のことが疎ましくてやったわけではない。お前が好ましいからこそ、嫉妬した」

    この時点でウェンティの目が点になった。
    ウェンティのことが好ましいと鍾離は言った。“好ましい”。つまりは好意を持っているということで、『Like』の気持ちの可能性もあるが、それでは嫉妬の理由にならない。では、ここで鍾離の言う好意とはどの程度のものなのかと、鍾離の爆弾発言に悶々と考え始めたウェンティに追い打ちをかけるように、彼の語りは続いていく。

    「お前が菓子を作って渡そうとしていた人物に嫉妬した。蒲公英酒もそうだが、お前が手ずから作ったものを渡したくなかった。昔から、お前が心を向けるものは俺だけなのだと勝手に思っていた。……その勘違いの結果が、このザマだ。散々振り回されて、お前も怒りたくなるだろうな」

    また来る、と言い置いて、鍾離は手に抱えていたものを丘の上に置いて去っていった。
    それからしばらく経ってから、鍾離が去ったことを確認したウェンティは樹の影からそろりそろりと抜け出す。脅威は去ったが、また新たな問題が発生してしまったようだ。
    頭を占めるのは鍾離の言葉の一つ一つで、言語として理解出来ても、そこに込められた感情は理解し難いものだである。呆然とする思考はいつまで経っても戻らず、存在の希釈を解いて人型に戻ったウェンティは、思わず言葉をこぼしたのだった。

    「……何あれ」

    ついさっきまで起きていた珍事に理解が追いつかず、呆然としたままそう呟く。信じられないことが目の前で生じた時、こうも何も考えられなくなるものなのだと一つ学ぶことができた。
    先程この場にいた鍾離が、とても素直な鍾離だった。今まで見たこともないくらい悲しげで、しおらしくて、彼の過去を知ってる者からしたら一体何があったのかと問いたいくらいには、覇気のないモラクスであった。かつての岩の元素龍たる彼が先程の光景を見たのなら、笑いと涙が止まらないことだろう。
    それに加えて、先程言っていたことが本当なら鍾離は……と結論を出す前にウェンティはその思考を止める。

    そもそも、簡単に信じられるか!というのが正直な感想であった。
    散々訳の分からない行為に振り回されたと思えば、暴君爆発の態度で接せられて、どうして鍾離がウェンティのことが好きだと思えるのか。無理である。それに、こちらが勇気を出して贈ろうとした物を蔑ろにされたのは、居るかも分からない他者への嫉妬から来た行為だったなど察せられるわけがない。言葉と態度で示してくれねば、分からないのに。
    等々、ウェンティは彼からの仕打ちを思い返していたが、思い返せば思い返すほど鍾離がした仕打ちに対して段々腹が立ってきた。振り回された分、こちらも振り回してやると鼻息荒く宣言して、それはさておき花に罪は無いよなと思い、ウェンティは鍾離が置いていった花たちに手を伸ばした。

    瑞々しい夕焼け色の風車アスターを一つ取り、その薫香をゆっくりと吸い込む。
    夕暮れの実のような、まったりと広がる重めの香りが広がったと思えば、それらは次の瞬間には渦巻く風に巻き上げられて、花の香り独特の爽やかな甘さが鼻をくすぐる。時折、その芳醇な香りの中に混ざる青い匂いも、生命そのものを感じられる。
    自分が好む匂いに幾分か気持ちが浮上し、改めて置かれた花々を見れば、多種多様、色とりどりの花が風に揺れていた。レインボーローズ、清心、薔薇、チューリップにカーネーション。摘みたてであろう、朝露を身に纏ったセシリアの花まであった。

    本当はお酒が良かったと思わなくもないが、仮にお酒が置かれた場合、ウェンティがその酒を飲まずに放置することなど微塵も考えられなかったので、鍾離を観察するこの期間においてはちょうど良かったのかもしれない。
    “彼を知り己を知れば百戦殆うからず”と璃月の諺にもあるし、鍾離の言葉や想いが本物かどうか、とことん確認してやるとウェンティは決意を新たに気合いを入れたのだった。








    「ウェンティ。今日は奥蔵山の庭で鳥が戯れるのを見たんだ。小鳥たちが囀る姿は見ていて微笑ましいが、彼女たちの歌を聞いてしまうと、やはりお前の美しい歌声が恋しくなっていかん。テイワット一愛される吟遊詩人という肩書きは伊達ではないということを、今になって思う」
    『………』

    それから毎日、鍾離はウェンティが寝ていた場所に訪れては花と手紙を置き、誰もいないところに話しかけた。
    最初は、以前やっていたことと同じじゃないかと最初は思っていたが、今度はどうやらそれだけではないらしい。鍾離は贈り物を丘の上に乗せると、最低でも1時間は姿の見えないウェンティに向かって話しかけた。語りが長いのは彼の特徴のようなものだと割り切ることが出来たが、問題はそこではなかった。ウェンティが盛大に頭を抱えているのは、鍾離の話の内容であった。

    「昔、七神の宴の後、二人で酒を飲んだことがあったが……その際に、お前は俺一人を観客として流麗な歌声と美しい調べを披露してくれたな。今にして思えば、俺にとってその一時は何にも勝る宝のようであり……得難いものであったのだな」
    『……!』

    それから一言二言語った鍾離は、また来ると言い残して去っていった。
    少しばかりの要件だけ済ませて去っていく彼の行動はバレンタインの時の行動とあまり変わらなかったが、問題は彼の話の内容である。

    「あぁ〜〜〜!!もう、何なの?!口説きまくり!!君そんな柄じゃなかったじゃん!!」

    ウェンティを悩ませているのは、鍾離の語りの八割がウェンティに対する賞賛や口説きであったことである。
    容姿、歌声、笑顔への賞賛は勿論のこと、芸術への理解の深さや風神バルバトスの自由と慈愛の精神、そしてその意思を継ぐモンドの民の素晴らしさなど、ウェンティに関することを片っ端から取り上げ、それに対する見解と賞賛を鍾離は語った。
    ウェンティが眠っていた場所に腰掛け、鍾離が見聞きしたり体験したことを語るも、最終的にはウェンティへの賞賛と口説きに帰着する。冗談抜きで、羞恥で死にそうであった。
    今日も今日とてウェンティへの想いを吐露する男を樹の影から見守り、全てを聴き終えて鍾離を見送ったウェンティは、小さくない叫びを口から漏らして、体を浮かせたままゴロゴロと宙を転がる。鍾離が帰った後はこうして羞恥が襲い掛かってきて仕方がないため、周囲に被害を出さないようにウェンティは小さいながらも感情を吐き出していた。
    本音を言えば白旗を振りたいところだが、岩神モラクスの悪友として培われた負けん気と諦めの悪さが降伏の意思に待ったをかけてくる。しかしウェンティのキャパシティを考えれば、ここらが限界でもあって、悩みどころでもあった。どうしたものかと再度悩むウェンティであったが、鍾離が置いていったものの中に、花以外のものがあったことをふと思い出した。

    「……あ、手紙」

    今の今まで忘れていたが、鍾離から貰った手紙があることにウェンティは気付いた。
    存外筆マメで、なおかつ昔から紙の上では結構雄弁であった鍾離のことだから手紙の方が破壊力が強そうだと、意図的に放置したままの手紙の数々をウェンティはポケットから取り出す。一通、二通と数えていけば、未開封のままにした手紙は今日の分も含めれば三十ニ通あった。その数は、ウェンティが眠りについてからの日数と変わらず、その事実に顔がカッと熱くなっていく。
    もう陥落寸前であるが、万が一こちらで説教や苦情などが書いてあれば鍾離への想いにも諦めが着くだろうと、はじめの一通目の手紙の封を切り、体の火照りをそよ風で散らしながらウェンティは手紙を読み進めていった。







    麗らかな木漏れ日が照る森の中、鍾離は花と手紙を抱えて目的の場所を今日も訪れていた。
    長閑な雰囲気の明るい森は、立ち止まってその瑞々しい垂香の樹の葉がもたらす薫香を吸い込みたくなるほど心地よく、彼の者の心根のように優しさに満ちている。自身へと吹き込む風に、思わず笑みがこぼれていく。
    もうそろそろ春が本格的に感じられる季節であろうか。それならば、今度は茶器を持参して森の中で茶を楽しむにも良いかもしれないと思いながら歩みを進める。隣が静かなことに少し物悲しさを感じながらも、鍾離は歩いていく。
    そして、目的地の丘を目の前にして、ふと鍾離の足が止まった。

    「目覚めたか。……おはよう」
    「ん。おはよう……鍾離」

    陽光が溶けた新緑の光が降り注ぐその場所に、少年は───ウェンティは腰掛けていた。
    寝起きというわけでもなく、ただ静かに鍾離を見つめる瞳は、澄み渡った天蓋のように深く美しいあおい翠色をしていた。風色の光を煌めかせるその瞳は力強く、こちらの心さえ暴いてしまいそうなほど深い。まさしく風神バルバトスの瞳であった。
    そんな神様然とした少年を見遣り、鍾離は彼の下へと足を運ぶ。そして、ウェンティに言葉をかけようと口を開こうとした瞬間、ウェンティから待ったが掛かった。

    「……何故だ」
    「いいからちょっと黙ってて。ボクの質問に答えてよ」
    「承知した」

    まだ迷いがあったのか、そろりと視線を軽く彷徨わせるウェンティであったが、その時間も長くなかった。大きな瞳を一度閉じて、そしてそれらが再び開かれた際、意を決したように眉と瞳をキュッと吊り上げて、ウェンティは鍾離に疑問をぶつけていった。

    「君が前に此処で言ってたことって、君の本心なの?」
    「……あぁ、そうだ」
    「君がくれた花は何のためのもの?」
    「旅人が教えてくれた花言葉を参考に、お前に捧げるためのものだ。風神に捧げるものなのだから、一等美しいものを選んだ」
    「じゃ、じゃあ……あの手紙は……」
    「全て俺の本心だ。嘘偽りもなく、全てお前への想いだ」
    「う、うぅ……」
    「吟遊詩人は言葉を大切にするというからな。改めて、言葉にするとしよう」

    そう言うや否や、鍾離はその場に跪き、ウェンティに手を差し伸べながら許しを乞う。
    不安が滲む色をその黄金の中に揺らがせながら、鍾離は自身の生涯の中で一、二を争うほどの緊張と、かじかむ勇気で己を奮い立たせ、ウェンティへ言葉と想いを向けたのだった。



    「玻璃のように清らかな歌声は天上の調べであり、風のような慈悲深さは珊瑚のように軽やかでありながら、民を救い導いていた。その優しさがお前の美徳でもあったな。瑠璃の如く深き慈愛と、瑪瑙のように鮮やかな自由の精神は、俺の心に安らぎを与えてくれた。硨磲のように真白い純真さは、穢れなき神とはかくも清らかで耽美なものなのだと、畏怖に近しい感情を抱いた。そして、玉よりも得難いその翡翠の瞳に、幾度となく俺は魅入られている。どんな金銀よりも美しい風神バルバトス……いや、ウェンティ。───愛している」


    最後の吐息が文字を形作った後に、鍾離は目の前の吟遊詩人の様子を伺い見た。
    鍾離にとっても一世一代の告白であり、プロポーズのようなものであったから、反応が気になるのも当然である。そのため、鍾離はウェンティの顔を覗き見ようと彼に視線を向けて、そして固まった。

    「……はは。その顔は、了承ということで良いだろうか」

    そこに広がっていた光景は、鍾離にとって予想外のものであって、そして嬉しい誤算でもあった。
    真っ赤に熟れた頬と潤みきった翡翠は、酷く美しく、そして鍾離を喜ばせる。
    それが理解できるからこそ、鍾離が笑みを深め楽しそうにしているのが手に取るように分かるからこそ、ウェンティは八つ当たりのように自分の想いを口にするのだった。












    「100日続いてたら、さすがに私もウェンティを起こしにいったかなぁ」

    今日も今日とて賑わいの絶えないモンド一の酒場であるエンジェルズシェアのカウンターに、少女と少年が腰掛けている。
    酒も飲めないような幼い見目の二人ではあったが、どちらももれなく成人を軽く10倍は経験出来るほど長い時を生きている存在である。
    だが、実年齢が超えているからもれなく酒好きというわけでもなく、少女の方はアップルサイダーを飲んでいた。かたや少年の方は、既に酒瓶を三本ほど空にしていた。
    機嫌良くお酒を飲み進めている少年───ウェンティの様子にひと安心したのか、旅人の少女は、ウェンティが寝ている間は大変だったんだと前置きながら、語り始めるのだった。

    「それは、どうしてだい?」
    「稲妻ではさ、お嫁さんにしたい人に求婚するために、相手の人が100日間その女性のところを訪れる文化があるんだって」
    「……ん?」
    「私からそのことを聞いた時、鍾離先生、それやる気満々だったんだよね〜」
    「……つまりは?」
    「え、番になったんだよね?恋人っていうか、番になったって浮かれた先生から聞いてるけど」
    「ううん。番とか、そんなことは言われてないよ?」
    「……私、ちょっと先生ふんじばってくる」
    「ストップストップ旅人!!君がそんなことしなくて良いんだよ?!」
    「ウェンティを悲しませる奴は私が許さない!!ちゃんとウェンティと話しなよって先生に言ったのに!!」

    一瞬で般若の顔をした旅人は猛然と立ち上がった。
    旅人は激怒した。彼女には恋人の道理が分からぬ。しかし、人として意思疎通を疎かにすることの愚かさには、人一倍敏感であった。特に、大切な友人の恋路に関しては必ずや友の恋を成就させてみせると意気込んでいた。彼の支えとなるべく恋に臆病になっていた少年を励まし、またある時は嫉妬で暴走して友人を傷付けた客卿の、その情けなくウジウジしている心を蹴り飛ばして発破をかけるなど、夜叉の少年や仙人たちに恐れられるくらいには色々やったのである。
    そのため、また自分と少年の努力を無に帰す気かと、旅人は怒っていた。
    こうなった以上、かの言葉足らずで鈍感野郎で説明不足もはなはだしい元神をどのように再度分からせるべきかと怒りを露わに、いざ駆け出さんとした少女を、ウェンティは必死になって止めた。

    「うん、ありがとう!!その気持ちだけで嬉しいから!だからお願い旅人待って!?ボク、十分幸せなんだって!!」
    「……その言葉に嘘はない?」
    「うん。その……毎日、鍾離から……ちゅ…ちゅー……してくれるし……」

    ウェンティのまろい滑らかな頬がぽぽっと赤く火照るのを見た旅人は、ようやっと落ち着きを取り戻したのか大人しく席に着いた。完全に納得は出来ていないのか、その可憐な顔の中心に若干眉と皺を寄せながらではあるが、一旦は怒りを引っ込めることにしたらしい。
    じっとりと疑うような視線をウェンティに突き刺すものの、ウェンティに問い詰めないことから結果は御の字であろう。
    しかし、自分から鍾離との進展について暴露したことが思いの外恥ずかしかったのか、思考と赤い顔を誤魔化すように、ウェンティは頼んであったボトルの酒を一気に飲み干した。

    「君の暴走具合には肝が冷えるよ……」
    「ウェンティは、私の大切な友達なんだもん。友達を蔑ろにされたら誰だって怒るでしょ?」
    「……ありがと、旅人」

    ふん、と鼻息荒く宣言する旅人の陽だまり色の瞳にはウェンティへの信頼と、ひと匙分の心配が垣間見える。心優しい彼女の気持ちが嬉しくて、くすぐったくもあった。
    “持つべきものは友である”というが事実そうらしいと、ウェンティは自分の隣で我が事のように親身にくれる友に微笑んだ。

    「それに!ウェンティはモンドで一番愛されてる吟遊詩人何だから。ね、ディルックさん?」
    「正直に言えば、此度の件を受けて、璃月向けの酒類全てを通常の三倍の値段にしてしまおうかと考えた」
    「やめてよね?!」
    「冗談だ。……だが、それくらいは考えたということだ。君は、僕達にとって大切な存在なのだから。そんな大切な存在が悲しみに暮れていては、報復を考えてしまうのは道理だろう?」
    「ゔぁっ……」
    「わぁ〜お……ディルックさん、イケメンだね。ウェンティ、ちょっと揺らいじゃったんじゃない?」
    「白状すると、クラっと来たね」
    「止めてくれ。僕は、君のパートナーの嫉妬で殺されるのは御免被りたい」
    「え〜……鍾離が?そこまでするかなぁ〜?」

    ケラケラと笑い、酒が回り出したのかうたた寝をし始める吟遊詩人に拳骨を入れたい気持ちをディルックはグッと堪えた。
    分かっていたことだが、これ以上は言っても無駄だろうと諦念を抱きながら引き続きグラスを磨く。

    目の前の神は、分かっていない。
    とんでもない量の岩元素のマーキングを小さな体に仕込んでおきながら、バレないように巧妙に隠している彼の者の異様な程の執着を。そのくせ、少年の細いうなじに、えげつない量のキスマークをつけている彼の者のその独占欲の強さを。
    関係者ならともかく、何も知らない者たちが見たら驚愕と共に泡を吹いてしまいそうな量の痕が、彼にはついている。そして、その痕が色事での痕であるが故に、誰もそのことを大っぴらには出来ず指摘するのも躊躇していた。当然である。

    そもそも、神々の関係もとい情事を匂わせる痕跡を残すのはどのような魂胆あってのものなのか。呆れてものも言えない。
    最初にそのマーキングに気付いた際、その痕の多さに驚きながらも、ウェンティにバレぬよう旅人に視線を遣れば、返ってきたのは苦虫を噛み砕いたような渋い表情と諦めろという意味の首振りだけだった。
    愛されているのは大変に結構。しかし、牽制は程々にしてくれと物申したい。


    そんなことをつらつらと考えていれば、時間と酔っ払いが酒場から去っていく一方で、招かれざる客も来る頃となっていた。
    チリンと軽やかなベルの音が鳴った扉に視線を向ければ、そこにはディルックの予想通り、賑やかで陽気な声の絶えない酒場には似合わない、秀麗な顔の美丈夫が立っている。彼の人は美しい笑みこそ浮かべているが、その黄金に優しい色合いはどこにもない。チグハグな感情が乗るその表情にお決まりの嫉妬だろうと結論付けて、表にバレないような小さなため息混じりにディルックは鍾離へと苦言を呈した。

    「嫉妬するくらいなら遊ばせなければ良いのでは?」
    「それは困る。自由奔放なところが此奴の美点でもあるからな」
    「その度に牽制されても困るのだが。僕にとって、彼は友人に過ぎない」
    「それは、すまない。しかし、悋気というものは無意識に現れてしまってな。……番に対する執着というのは、本当に御し難い」

    そう言う割に、鍾離は酷く愉しげであった。
    カウンターで突っ伏す、夢の中で緩やかに泳いでいるのであろうウェンティを腕の中に抱き寄せ、うっそりと微笑む客卿のその姿は大層説得力に欠けていた。蜂蜜酒の瞳が熱を孕んでドロリと蕩けていく様に内心引きつつ、連れ帰るのならば勘定をと言いかけたディルックと鍾離に旅人から待ったがかかる。

    「先生。ウェンティに番のこと言ってなかったんだね?」
    「……そうだな」
    「今はウェンティが幸せそうだから良いけど、今度ウェンティを泣かせたらモンドを巻き込んでの全面抗争も厭わないから」
    「おい。待ってくれ旅人」
    「ふむ……それも良いか。まぁ、そのような事態にならぬよう気を付けるとしよう」
    「貴殿も話に乗らないでくれ……」

    冗談だよ。冗談だと、冗談に聞こえないジョークをにこやかに笑いながら言ってのける旅人と鍾離に対して。そして、今目の前に広がる惨状も知らず、幸せそうに眠りこけるウェンティに対して。ディルックは今度こそ盛大にため息を吐いたのだった。







    『ごめんね〜……ディルック。でも、ボクのことが大好きな鍾離を見られる良い機会だから、許してね?』

    薄らと開いた翡翠と口角を弓形に曲げて、意外と強かな吟遊詩人は小さな我儘と謝罪を胸中で呟く。明日目が覚めたら、とびきり綺麗なセシリアの花と優しくて大好きな声に迎えられるのだろうと、そんな予感を抱きながら。
    ウェンティはもう一度幸せな眠りにつくのだった。


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