おとよめパロ応楓 シャリ、と木を削る音がする。
若くして与えられた作業場で、応星は黙々と木を削っている。幼さの残る手に握られる小刀は、しかし一切の迷いなく木材を削ぎ落していく。その姿は流石、齢十にしてあの百冶の称号を与えられただけはある。
そうして一心不乱に作業台に向かう応星の小さな肩が、トンと叩かれる。
「随分と熱心だが、食事を取らぬのは些か頂けないな」
「わっ」
鼻腔を擽る花のような香りに思わず応星が振り返れば、唇がぶつかりそうなほど間近に、それこそ神が自ら形作ったような美しい相貌があった。
「きゅ、急に話しかけるなよ!」
「急ではない、何度も呼んだ。お前は物作りになるとすぐ余を無視するな」
応星よりも一回りほど大きな身体で大袈裟に肩を落とす様子に思わず応星は「ごめん……」と小さく呟く。その姿を見た彼はチラリとこちらを伺うと、応星のまあるい頬に自らの頬を擦りつけながら言った。
「謝るな。それぐらいは我慢できる。なにせ余は、お前の妻なのだから」
この応星より一回りほど大きな丹楓が応星の元に嫁いで来たのはつい一月ほど前のことである。
元々は、応星と年の近い、丹恒という者が嫁に来る予定であった。しかし婚姻も間近に迫ったある日、唐突に丹恒が来られなくなったと相手の家が言い出した。代わりを寄越すのでそれで手を打って欲しいと言われやって来たのが丹楓、年は今年で二十一であるという。
急にやって来た年上の嫁に、初めは応星の師匠である懐炎はいい顔をしなかった。幼いながらに才能のある応星に箔を付けてやるべく遠方から縁談を持って来たというのに、やって来たのは応星よりも一回りも年の離れた丹楓である。要するに、舐められているのだ。嫌なら断ってもいいのだと、懐炎は応星に言った。
しかし初めて丹楓を見た応星の頭にこの縁談を断るという選択肢はなかった。毛先の一本ですら美しく整えられた長い髪、透き通るように白い肌。なにより、応星が生まれた中で一番美しい形をした丹楓に天から与えられし審美眼を持つ応星はすっかり夢中になってしまったのだ。
そうしてとりあえず一緒に暮らすことになった二人だったが、この丹楓という者はその美しい容姿に反して家事は苦手なようだった。家事は一通り出来るのだが、食事の味付けが微妙にしょっぱかったし、敷いた布団は皺になっていた。特に針仕事をする際には布よりも自分の指に針を突き刺す回数の方が多いほうで、なんやかんや一人暮らしの長い応星がした方が色々と効率がいいような有様である。だがそれでも、応星の為に慣れない家事をする丹楓がなんだか可愛らしくて、時間がかかっても好きにさせているのである。
「今は何を作っているのだ。懐炎殿から頼まれた依頼は昨日終わっていただろう?」
「うん。これは俺が好きでやってるやつ」
応星も手元を覗き込みながら丹楓が尋ねる。丹楓の吐息に頬を撫でられ、思わず頬に熱が集まるのを感じながら応星は答えた。
「これは……龍、か?」
応星の手に納まる木に彫られていたのは天を泳ぐ龍である。幼子の手に納まるほど小さな木片であるが、木目の流れすら計算されて彫られた精巧な龍はまるで今にも動き出しそうなほどだ。
「うむ、見事だ。手慰みにするには惜しいほどに」
「ほんと!?」
丹楓の言葉に応星はぱぁ、と顔を明るくする。大人と同じように働いている応星であるが、やはり褒められると嬉しいのだろう。まだ丸みのある頬に手を当てて恥ずかしそうに頭を振る。
「あぁ、流石は百冶殿」
そう言って、丹楓は応星の頭を撫でる。丹楓の大きな手は応星のお気に入りの一つである。滑らかで、少しひやりとして、優しい。その手の感触を享受して、応星は手に持った木彫りの龍を丹楓に差し出した。
「これ、やる」
「余にか?」
「うん」
驚いて目を丸くする丹楓を見ながら、応星は先の出来事を思い出していた。
ある時、外に出かけた丹楓が中々帰ってこない日があった。
幾ら丹楓が応星より年上だからと言っても、まだここに来て日は短い。どこか道に迷っているのではないかと心配した応星は丹楓を探しに外に出た。暫く辺りを探し回って、漸く見つけたのは応星の工房から少し離れた山の中の、泉のほとりであった。
その日見た光景を、応星は生涯忘れることはないだろう。
遠くに見つけた背中に応星が声を掛けるより先に丹楓が動いた。その手には長い槍が握られている。
泉に身を浸した丹楓が槍を振るう。その動きは一部の隙もないほど完璧で、斬新すらも美しい。自らの背と同じほど長い槍を自由に操り、跳ねる水滴すら支配しているような丹楓の動きに応星は目を離せなかった。結局応星は、丹楓が日課の鍛錬を終わらせ声を掛けてくるまでその場から動くことは出来なかった。
「まだちゃんと言ってなかったけどさ」
木彫りの龍を丹楓に握らせながら応星は丹楓を見つめる。静かな湖畔のような瞳は冷静に応星を見つめ返す。
周りの人は丹楓を嫁に貰った応星を哀れだと囁いている。応星がまだ子どもだから、とうがたった嫁を掴まされたのだと、面と向かって言われたこともある。当然、丹楓の耳にも心無い言葉は届いているのだろう。
「俺は、丹楓が俺の所に来てくれて良かったって思ってるし、これからもずっと、一緒に居るつもりだから」
きっと応星はこれから多くの物を見るだろう。多くの人に出会って、名声も力も、並の人では手に入らないような物を手が届くかもしれない。
しかし、きっと丹楓より素晴らしいものにはこれから一生出会えない。美しくて強くて、まるで物語の龍のようなそんな人。例え周りになんて言われようと、丹楓に出会えたことは、応星の人生にとって一番の幸福である。応星のこんな気持ちを丹楓にも知って欲しかった。
「だからこれは、その、証っていうか。……誰が見ても丹楓が俺のお嫁さんって分かるように、あげる」
そこまで言って応星は恥ずかしさに顔を俯かせる。まるで子どもが自分の物に名前を書くような行動に、呆れられたりはしないだろうかとちらりと丹楓の方を見る。
「……あぁ」
応星から貰った龍を指先でするりと撫でながら見つめる丹楓。その顔を見て、応星はまた丹楓から目が離せなくなってしまうのだった。