その名で呼ぶのはまだ早い放課後の校舎は静かだった。≪生徒会≫の存在を恐れているのか、大半の生徒はチャイムが鳴れば、そそくさと下校する者が多い。
最も、そんなことを一切考慮しないのが≪宝探し屋≫なのだが。
「そういえば、皆守って『こうたろう』だったな」
「はァ?」
「この前、夕薙がそう呼んでただろ」
当の≪宝探し屋≫ ——葉佩九龍は下駄箱の玄関口で、思い出したように皆守へ話しかけた。
「急になんだよ」
「ここに来てもう一週間は経ってるし。いい加減、人の名前くらいはちゃんと覚えておきたくて」
リュックを背負った彼は腕を組んで唸っている。
この≪転校生≫は名前を覚えるのが苦手らしい。普段から海外諸国を巡っている関係上、人の顔と名前が上手く結びつけられない、とは本人の弁だ。
「八千穂が『明日香』なのは最近覚えてきたんだ」
「……取手は?」
「手と足長いクン……あーウソウソ今のウソ! えっと、その……あ、か、かまち!」
皆守の視線に葉佩は慌てて訂正する。一応、相手の身体的特徴は把握しているようだ。
「椎名は?」
「リカちゃん」
「なら雛川は?」
「あーっと、確かヒナ先生!」
「……ま、担任を下の名前で呼ぶ機会はないか。じゃあ黒塚は?」
「『至人』でしょ。でも正直黒塚は『石塚』でも違和感ないかな。リカちゃんも『香山』っぽい」
「確かに」
二人は校庭を出てプール場を通り過ぎる。うとうとしかけた皆守を見かねて、葉佩が制服の袖を引っ張ってきた。こちらの胡乱な視線に葉佩は笑いかける。
「また空き地で寝られたら困っちゃうからね」
反論する気にもなれず、二人はゆっくり並んで歩く。皆守の眠気を振り払うように、葉佩は言葉を続けた。
「この前さ、黒塚とバッタリ会ったんだけどどうしても名前が思い出せなかったんだ。で、その時につい『石の人』って呼んじゃったんだよね」
「まァ間違いではないな」
「そしたら妙に嬉しそうな反応されちゃって。あんな顔されると思ってなかったからびっくりしちゃった」
「あいつにとっては誉め言葉なんだろうよ」
「そうみたい。自分の苗字にも石の字があれば良かったのに……って思うことが昔あったんだって」
「ありありと想像出来るな……」
しょうもない話をしながら男子寮に到着した。階段を上り、互いの寮室があるフロアへ辿り着く。
「じゃあね、『甲太郎』!」
不意に名を呼ばれてどきりとする。こちらの様子を見た葉佩に不思議そうな顔をされた。それ以上何かを悟られるのが嫌で、皆守は咳払いで誤魔化す。
「…………あァ」
「そこは『あァ』じゃなくて『九龍』で良くない?」
「お前をどう呼ぼうが俺の勝手だろ」
「そりゃそうだけど、うーん……こうなったらいつか絶対ファーストネームで呼んで貰うからな!」
謎の意気込みを見せる葉佩に、つい呆れてしまう。
「何だそりゃ」
「こうなったらもっとお前と仲良くなってみせるぜ! またな!」
彼はそのまま勢いよく走り出してしまった。自室に入る直前で手を振られて、思わず釣られそうになる。
(危なかった)
これでは本当の友人みたいではないか。
バタンと扉が閉まったのを確認してから、皆守も自室へ戻った。制服をハンガーに掛けて、緩い私服に着替える。
ベットに腰を下ろしてテレビのリモコンを取ろうとして、止めた。その長い脚を伸ばしてジッポライターを点ける。
このまま月日が過ぎていけば、あの男との交流も増えるのだろうか。そうなったとして、夕薙大和のような距離感で過ごすことになるのだろうか。
それとも、あの奇妙な遺跡で≪宝探し屋≫が命を落とすのが先か。
(くろう…………『九龍』ね)
反芻しながらアロマをふかす。
いずれにしても、その名で呼ぶのはまだ早い。