供養01 日本刀はすべからく古刀の昔に復するべき。江戸時代後期に「刀剣復古論」を提唱した刀工の影響か、水心子正秀は古刀のこととなるとつい夢中になってしまうきらいがあった。
「んな、大胆な! あひゃひゃひゃひゃ!」
「あ!」
独特な笑い声を上げながら地面に崩れ落ちた孫六を見て、水心子は「しまった」と思わずにはいられなかった。
かつて刀工・水心子正秀が傑作と讃えた孫六兼元を間近で目にした興奮が急速に冷めていく。
水心子はすぐに息を荒げうずくまる孫六に慌ただしく駆け寄った。
「す、すまない! そ、その……大丈夫か……?」
「ああ……まだ少し、むず痒いがな……」
「本当にすまない……」
孫六は苦笑まじりに言うと、再度謝りつつ差し出された水心子の手をとり立ち上がった。続いて刀を受け取り腰に差すと、尾を引いていたこそばゆい感触が落ち着いてきたのかふう、と息を吐いた。
「その……こんなことになってしまって恐縮だが、貴重な機会を与えてくれて感謝する。詫びも兼ねて、何か礼をさせてもらえないだろうか」
「礼ねぇ」
さて、どうしたものか──指先で顎をさすりながら孫六は思案する。
(詫びも礼も必要ないが、それじゃあ納得しないだろうなぁ……かと言って、欲しいものもこれと言って浮かばないし……)
悶々としながらちらりと前を見やると、まっすぐこちらを見上げている翡翠の双眼と目が合い、孫六はふと思い至る。
(目には目を、だな)
孫六は口角を微かに上げて「それじゃあ」と、話を切り出した。
「一つ頼まれて貰おうか」
「ああ、私にできることなら何でもやろう」
「あんたの刀を見せてくれ」
「え……そんなことでいいのか?」
「俺もあんたの刀に興味がある。江戸三作のの一つで新々刀の祖の刀を、是非とも拝見したい」
「……わかった。私の刀で良ければ」
水心子は戸惑いを帯びた顔色で何度か瞬きしたが、孫六の真面目な様子に一つ頷き自身の刀を差し出した。
水心子の刀を受け取ると孫六はさっそく鞘を抜き、静かな眼差しで刀身の曲線を視線で辿っていった。
理想とする刀の一つである孫六兼元に、自身の刀をまじまじと見られているという緊張が、水心子の心拍数を高めていく。
あの孫六兼元が水心子正秀の刀にどんな言葉を発するのだろう──待ち遠しさと同時に不安が入り混じる中、水心子は拳を握り締めて流れる沈黙に耐え忍んでいた。
固唾を飲み待ち続ける水心子に、孫六が不意に視線を送ると水心子の瞳がわかりやすく期待に満ちて輝いたが、孫六は口を開かずに、ニヤリと不敵な笑い方をした。
「あ、ちょ……ははっ! あ! んんっ……何を……あ、まっ……んんっ!」
(く、くすぐったい──‼︎)
ぞわぞわと悪寒が背筋を這い上がり、続いて込み上げる笑いを水心子は口を抑えてやり過ごそうとする。
孫六のように笑い飛ばしたら楽だろうに、新々刀の租たる矜持がそれを許さない。
「ひっ…! ふ、はぁっ、……んくっ、あ、」
やがて水心子の顔は真っ赤に染まり、目にはじわりと涙がにじんできた。その様子に孫六は「おやおや」とわざとらしく片眉を上げる。
「いいのか? そんな可愛らしい表情を見せられたら、やめてやれなくなるが」
口元に微かな笑みを湛えて告げられた言葉が、水心子の堪忍袋の緒を切ってしまった。
奥歯を噛み締めて、水心子は前屈みになっていた身体を勢いよく起こす。
「私の刀に触るな!」
勢いをそのままに水心子は孫六が持つ刀に手を伸ばす。対して孫六は抵抗することなく、されるがままだった。難なく刀を取り戻すことができた水心子は安堵で息を吐いたが、腹の虫はまだおさまりそうになかった。
「これで御相子だな」
「……一つ伝えておきたいことがある」
水心子のよく通る声が、凛と響く。
孫六は反射的に身構えたが、それより早く、水心子は刀を振い孫六の脛に峰打ちを見舞った。
「──っっ」
人の身を得て初めて経験する痛みに孫六は小さく悲鳴を上げ、脛を抑えながらしゃがみ込む。
「武士たる者は……ではないのか?」
加えて言葉で追い討ちをかけられ孫六はバツが悪そうに水心子を見上げた。
孫六の前に悠然と立つ姿は、目に涙をにじませていた彼とは打って変わっていた。
「貴方は私の理想とする刀だ。だが、刀剣男士としての経験は私の方がある。本丸に戻ったら足と一緒に、頭も冷やすがいい」
納刀すると、水心子は踵を返しその場から立ち去った。黒い外套が流麗にひるがえる。孫六は黙したまま、水心子の後ろ姿に視線を注いだ。
「……はは、これは火傷じゃ済まなそうだな……」
脛を摩りながら孫六は小声でささやく。痛みはまだ、引きそうになかった。