ゲームNBAの日本人選手、沢北栄治には秘密があった。
彼は、あるバーチャルキャラクターに恋をしていた。
それは、以前チームメイトから誕生日プレゼントとしてもらったVR体感ゲーム機に入っていたバスケットボールゲームだった。
そのゲームでは、自分でキャラクターを選んで1対1や試合ができる。
多種多様な人種や年齢のキャラクターの中に、アジア系の少年がいた。
彼の名前は「カズ」と表示されており、沢北はこれは子供向けの学生モデルだと推測した。
カズは白いユニフォームを着て、いつも無言だった。
他の騒がしい欧米のプレイヤーモデルとは違い、驚きや笑い声を発することもない。
カズはいつも静かで、1対1の時には眉を垂らし、感情の読めない目で沢北を見つめていた。
もしかすると、作り込みが足りないため、カズには表情やセリフがないのかもしれない。
しかし、沢北はカズのセリフを引き出したことがあった。
彼がわざとカズに負けたとき、カズは「手を抜いたピョン」と言った。
声は沢北が想像していたよりも高く、「ピョン」という語尾が印象的だった。
ゲームの開発者には、変わった趣味があるようだ。
その後、ゲームは何度かアップデートされ、他のプレイヤーには新しい動きやセリフが追加されたが、カズは変わらなかった。
カズだけがアップデートされず、成長もせず、新しい動きやセリフも追加されないのだろうか?
沢北は、自分が変態になったのではないかと感じるほど、バーチャルキャラクターに愛着と哀愁を抱いていた。
もしかすると、カズの髪型が自分に少し似ているからかもしれないし、カズとのプレイが騒がしくないからかもしれない。
沢北はこの小さな「恋」を続け、家で暇なときにはゲームを起動していた。
彼は多くのセリフを入力してみたが、カズは他のキャラクターのようにサブイベントのセリフを引き出すことはなかった。
カズは永遠に初期のままだった。
沢北は不公平だと感じた。
もしこの会社に文句を言う機会があれば、なぜこのキャラクターだけがアップデートされないのか問いただしたいと思っていた。
そして、その機会はすぐに訪れた。
新型ゲーム機の発売に伴い、第二世代の本体が沢北に広告モデルのオファーを送ってきた。
ゲームの広告モデルだけでなく、沢北はゲーム内に自分のモデルを持つことになり、そのモデルの声優とモーションキャプチャーも担当することになった。
「これはモーションキャプチャーというものですね」と、開発部のイケメン技術者である松本が説明した。
「この機器を身に着けて、モデルが実際の俳優の動きをコピーするんです。以前のすべてのキャラクターは、こうして動きを作りました」
松本の隣に立っていた小柄な男性、一ノ倉が補足した。
「沢北選手は、私たちのゲームで初めてのアジア人であり、現役のプロ選手としても初めてです。きっと人気が出るでしょう」
ちょっと待ってください、初めてのアジア人?
カズを無視するなんて、どういうことですか?
沢北は心の中でツッコミを入れたが、ビジネススマイルでそれを堪えた。
つまり、第二世代のゲームにはカズすら登場しないのか?
理由もなく、心に寂しさが広がった。
松本と一ノ倉、そして営業部の若者たちが沢北をモーションキャプチャーの施設に案内した。
そこには本物のバスケットコートと大きなグリーンバックがあった。
ちょうど昼休みの時間で、多くの社員が沢北を一目見ようと開発部の外に集まっていた。
早く来た人たちは、すでにコートの端に立っていた。
沢北はビジネススマイルを浮かべながら、皆に挨拶をした。
誰かが「シュートを打ってください」と提案し、コートとゴールがあるのだから、ファンの小さなお願いには応えようと、沢北はいつも通り対応した。
数回のシュートが決まった後、誰かが「部長、1on1しましょうよ」と言った。
素人と一対一をするのは、沢北にとって少し危険だった。
バスケットボールの身体的な接触で、相手が加減を知らなければ、双方が怪我をする可能性がある。
彼は断ろうとしたが、「部長」と呼ばれる男性がすでに前に出されていた。
眼鏡をかけ、髪型は普通の分け目の短髪で、前髪が眉毛を隠していた。
身長は自分とかなり違ったが、一般人の中では高い方で、肩幅も広かった。
男性は無表情で沢北を見つめ、その目は真っ直ぐだった。
ファンサービスとして、ここまで来たらやるしかない。
「バスケットボールの経験はありますか?」と沢北が尋ねた。
男性はうなずき、スーツの上着を脱いだ。
体型は想像以上に良く、肩幅だけでなく、シャツの下の上腕や胸筋もアスリートに劣らない厚みがあった。
男性は腰を落とし、確かにバスケットボールの動きだった。
もしスーツのズボンでなければ、もっと低く構えられただろう。
この姿勢はスティールに有利だ。
沢北は笑って、「では、始めましょう」と言った。
しかし、普通のサラリーマンと現役NBA選手の技術には大きな差があった。
沢北は一気に加速して、男性のディフェンスを抜き、シュートを決めた。
振り返って、少し申し訳なさそうに舌を出して笑った。
男性は無表情のまま沢北を見つめ、突然「もう一球、いいですか?」と尋ねた。
沢北は彼の意図を理解し、今回は彼が攻撃する番だと察した。
彼はボールを男に投げ渡した。男はメガネを外して隣の社員に手渡し、顔を横に向けながら手で前髪をかき上げた。
感情の読めない深い瞳と、わずかに垂れた眉があらわれる。
沢北の心臓がドクンと大きく跳ねたのが、自分でも分かった。
一瞬気を取られたその隙に、男に抜かれていた。
2対2の同点。
コートの外では社員たちが歓声を上げ、「部長すごい!」と声が飛ぶ。
沢北はその場で呆然と立ち尽くしていた。
男の声が聞こえた。
「沢北選手が手を抜いたピョン」
「!?」
気がついたときには、沢北は男の手首を掴んでいた。
ボールは地面を転がっている。
「……名前、教えてもらってもいいですか?」
男の瞳に一瞬だけ驚きの色が走ったが、すぐにまた無表情に戻った。
「深津」
「下の名前も……教えてください」
「一成(かずなり)ピョン」
沢北の心臓が再び大きく跳ねた。
とりあえず確認したのは、今自分が掴んでいる男の左手の薬指――そこに、指輪はなかった。
おわり
——その前の話
営業部の深津部長は、いつも開発部に入り浸っている。というのも、開発部にいる二人の重要な技術者は、部長と同期だからだ。
深津部長はイチノを掴まえ、恨めしそうな顔で言った。
「正式版には俺のモデル入れないって言ってたピョン!? あれは開発版の実験用ピョン!?」
「深津、子供みたいなこと言わないで。君のモデル、使用感の評価すごく高いんだから。多分、あのNBAの日本人選手・沢北栄治と髪型が似てたし、当時君が“絶対バレたくないピョン”って駄々こねて、学生体型で作ったじゃん。それが逆に子供プレイヤーに好評なんだよ」
「沢北栄治と似てるからって理由なら、会社に沢北本人をモーションキャプチャーの俳優として呼べばいいピョン!俺のモデルとパラメーター、さっさと削除してほしいピョン!」
「いやぁ……誰だってそうしたいよ?沢北くん、めっちゃ有名だし、彼に広告とモーキャプ両方やってもらえたら次のゲーム絶対バカ売れ。でもさ、俺らは開発だからね、そんな決定権ないよ」
イチノはにこにこ笑いながら深津を見た。
深津一成は決意した。
自分が開発中に“ちょっとだけ手伝う”という軽い気持ちで、うっかり録られてしまった人物モデルをサーバーから削除するために――営業部を率いて、どうにかして沢北栄治を広告モデルに引っ張ってくるのだ。
「覚悟しとけピョン、沢北栄治!」
——その後の話
「ごめんね深津、沢北選手が『カズのモデルを削除するなら、契約しません』って言ってるんだ。ちょっと我慢して?」
「………………………………ピョン」
「あと沢北選手、『カズのパラメータ更新してほしい』って言ってたから、来月また撮影お願いできる?」
「………………………………ピョン」
深津一成、自ら墓穴を掘る。
後書き2:
付き合い始めてから、沢北選手はちょくちょく「カズはこうで~」「カズはああで~」と口にする。
更新後のカズモデルには、いくつか表情が追加された。沢北はとても満足している。
でも――ゲームより、やっぱり深津本人と一対一するほうがずっと楽しい。
深津のディフェンスは、ゲームのパラメータよりもさらに手強くて、沢北もよく負けてしまう。
沢北は深津の腰に腕を回して言った。
「深さん、カズと全然違いますね!めっちゃすごい!」
深津は彼のキラキラした目を見て、少しだけ呆れたように笑った。
「……沢北。俺はゲームのキャラじゃなくて、リアルな人間なんだピョン」
沢北は笑顔を浮かべた。
「うん、知ってます。ほんとに、よかったです」
ほんとに,お.わ.り🫶