ぼんな五とお嬢な歌の話「えっ、先生の服、そんな高いの」
「あー、なんかそうらしいよ。よく知らないけど」
虎杖の驚いた声に返る五条の言葉は間延びしていて、関心のなさを伺わせた。野薔薇のこめかみがひくつく。
「あんたまじで言ってんの? それハイブランドよ? ハイブラ! くっそー! 特級様はハイブラを普段着にできるのかー!」
悔しがっているのか、羨んでいるのか、地団駄を踏む野薔薇の顔は、けれどはしゃいでいるようにも見えて、めったにお目にかかれない高級品にテンションが上がっているようだった。
「服とか買いに行く時間もないからさぁ、季節の変わり目ごとに外商呼んで適当に見繕って、まとめ買いしてんの」
だから、似たようなシャツが大量にあるよ、とへらりと笑う五条の前で、野薔薇はぴしゃーん! と落雷を受けた衝撃に固まった。
「が、がいしょー……」
「なにそれ」
よろりとよろめく野薔薇の横で虎杖が首を傾げる。
「デパートの品を販売員から直接買ってるってことだ」
伏黒の説明に、虎杖はふーん? と首を傾げたままだ。
「デパートの店員を家に呼びつけて買い物すんのよ。くそっ、ぼんぼんめっ!」
「ははは、いえーい、生粋で桁違いのぼんぼんでーす!」
五条が繰り出したダブルピースに野薔薇が歯を食いしばったとき、からりと教室の扉が開いた。
「あ、いた」
涼やかな声に振り返った四人の視線の先には、京都校の教師である庵歌姫が立っていた。
「ちょっと五条、職員室にいてって言ったでしょ」
「あー、もうそんな時間?」
教室前方にある時計を見あげて、五条がへらりと笑う。
「つい、かわいい生徒とのおしゃべりに夢中になっちゃってさー」
少し苛立っていたようだった歌姫は、五条の言葉に顔を緩めた。
「なに話してたの?」
教室に入り込んだ歌姫が、五条に並ぶ。
「このバカ目隠しが」
「釘崎」
生徒には甘いが礼儀には厳しい歌姫が、野薔薇をぴしゃりと遮る。
「はーい。えーと、ごじょーせんせーのお洋服がお高くて羨ましいなぁって話をしてましたぁ」
「ああ」
頷いた歌姫が、隣の五条に視線を移し、上から下まで眺めた。
「またいつもの?」
おかしそうに笑う歌姫に、五条が拗ねたように唇を突き出す。
「いいじゃん。気に入ってんの」
「だから言ったでしょ」
薄い水色のシャツ姿の五条の悔しそうな顔に、虎杖たち三人が顔を見合わせる。
「そういえば、歌姫せんせーも今日は巫女さんのかっこじゃないんだね」
一応、虎杖に、敬語、と示しながら、歌姫は自分の体を見下ろした。てろりと光沢のあるブラウスに膝丈のフレアスカート姿の歌姫は、いつもより教師然としている。
「なんか、ザ☆女教師、みたいな格好だよね」
「みたいじゃなくて、教師なのよ私は」
「違う違うそうだけどそうじゃなくて」
「はぁ?」
「めっちゃエロいね、ってこと」
「は……」
「うわ」
「最悪」
ぽかんと口を半開きにした歌姫の隣で、虎杖と野薔薇が顔を寄せ、囁きあっている。
「どストレートなセクハラですね。一発アウトです」
伏黒の冷静な判定に、歌姫がはっ、と覚醒する。
「五条! あんた言うに事欠いて……しかも生徒の前で……!」
「えー、褒めたんじゃん。もっと喜びなよー」
「ぜんっっっっぜん褒めてないんだわ!」
「まったく素直じゃないんだから」
「……っ!」
「あ、あ、あ、う、歌姫せんせーの服もなんかいいやつなの?」
顔を真っ赤にした歌姫が怒鳴るより早く、虎杖が慌てて全自動の会話にすべり込む。
ふーっふーっと猛獣のような呼吸を整えている歌姫のブラウスを、野薔薇が検分している。
「げっ。これって……」
せんせー、ちょっといい? と野薔薇が歌姫の首元の襟を捲り、タグを確認している。くらりと上向けた顔を手で覆った野薔薇が、ふらりと歌姫から離れた。
「く、釘崎?」
ぶるぶると震えている野薔薇を、虎杖が恐る恐る呼ぶ。すると、顔を伏せていた野薔薇がぐわりと仰け反るように上体を起こした。自分のスマートフォンを取り出すと、猛烈な勢いで操作している。
「じゅ、じゅういちまん……」
スクロールを終えた野薔薇の膝から力が抜ける。
「えっ。なにが」
きょろきょろとなぜか周囲を見回してる虎杖の胸ぐらを野薔薇が掴んだ。
「どこ見てんのよ! 歌姫先生! 着てる! ブラウス! じゅういちまんえん!」
「ちょ、なんで片言……!タンマタンマ、ちょっと苦しい……あ、呪力込めてるだろっ!」
ぐらぐらと頭を揺らされている虎杖の視界に、歌姫を見下ろしている五条が見える。
「あー、それ言ってた新作?」
「そうよ。おすすめされた。ボタン周りのフリルがかわいくて買っちゃったわ」
「ふーん。ま、悪くないんじゃない? 寂しい胸元が華やかになってよかったね」
「さっびしくねーんだわ!」
「し、か、も! 五条せんせーと同じブランド!」
「え、そうなの?」
釘崎の手首を掴み、振動を止めることに成功した虎杖が、並び立つ五条と歌姫に尋ねる。
「そ。お揃いなの僕たち」
「違うからっ!」
きょるんと両の拳を口元に当て、かわいいポーズを決める五条の隣で歌姫が否定する。
「もともと私が好きなブランドなのっ!」
「そうなんだよ~歌姫のセンスだしなぁ、って思ったけど、案外着心地いいし、服に罪はないからね」
「なに言ってんのよ。もうこれしか買わないって細谷さん困らせたでしょ。長谷川さんが言ってたわよ」
「ちょっと守秘義務どーなってんの~」
「付き合い長いんだから仕方ねーでしょ」
「あー、そろそろ呼ぼうかなぁ。冬服用に。歌姫は? もう呼んだ?」
「うちもまだ。そろそろコート新調したいのよね」
「もうめんどくさいから合同でいいじゃん」
「いや、意味わかんない」
「買ったげるよ?」
「間に合ってるわ」
「あ、あのー」
にやにやと見下ろした五条に、歌姫がつんと返した辺りで、野薔薇の手が挙がる。
「はい、野薔薇」
担任教師に指名された野薔薇が、いつもの勢いが嘘のように、小さく尋ねる。
「えっとぉ、呼ぶ、って……?」
やや抽象的な、端的な質問に、教師ふたりは一度顔を見合わせた。そして、うん、とどちらからともなく頷くと、野薔薇に向き直る。
「外商よ、外商。知ってる?」
ゆっくり優しく丁寧な回答後、歌姫は首を傾けた。わかる? と仕草でも確認されて、野薔薇の口から、思わず、ガッデム!! と彼らの学長の口癖が迸った。
「なになになに?! 歌姫せんせーも外商呼ぶの? そんなひょいひょい来てくれるの? 準一級もやっぱり儲かるの?!」
矢継ぎ早な野薔薇の勢いに少し仰け反った歌姫の体が、五条に当たる。くい、と押し返すように支えながら、五条がにやり、と目隠しを片目分持ち上げる。
「いやまぁ、特級の僕とは天と地ほどの差があるけど、準一級程度でも、まぁまぁ、そこそこそれなりに? 好きな服くらいは買えるよ~」
「いちいち嫌な言い方するんじゃない! 他の準一級に失礼! 儲かるって言い方はあれだけど、困窮したりってことはないわね」
だからあんたも頑張んなさい、と優しく微笑んだ歌姫が、野薔薇の肩をぽんと叩く。
「うう、はい……頑張りますぅ。ちなみに参考までに聞きたいんですけど、外商呼べるようになったのってどれくらいかかりました?」
「え?」
「準一級になってからどれくらいで呼べるのかなぁって」
「えっと……」
困惑している歌姫の横で、五条がきょとんと首を傾げる。ややあって、ああ! と声を上げた五条は、ぽんと拳で手のひらを叩く、わかった、の仕草をした。
「歌姫も子どもの時からじゃない? うちとは雲泥の差とはいえ、それなりの家格だし」
「だから、あんたはいちいち余計なのよっ! そうね、物心ついたときにはもう出入りしてたし。逆にウインドウショッピングをするようになったのが、準一級になってからかしら」
「……」
頬に手を当てて、何かを思い出すように視線を宙に投げる歌姫に、野薔薇が押し黙った。
「釘崎?」
「お嬢じゃん!!」
「うおっ」
野薔薇の何度目かの絶叫とのけぞりに、虎杖が跳ねる。
「え、なんなの? 高専教師はぼんとお嬢しかいないの?」
「いやそんなことはないけど、呪術師は、相伝のこともあって血筋が物を言う面はあるからね」
「マジレス! いらねー!」
五条の淡々とした返答に、野薔薇が血走った目をかっぴらいて絶叫する。
「カップ麺食べたことなかったって言ってましたもんね」
それまで事態をただ眺めていた伏黒が口を開く。
「そうなのよ。ここに通って初めて食べたわ。同期が教えてくれたの」
「僕もそうだよー。一時期ハマって毎日食べてたなぁ」
「健康に悪いんですって、当時うちの板前が嘆いてたわ」
「過ぎたるは猶及ばざるが如しってことでしょ」
「今は塩分控えめとかも出てるよ」
「あら、そうなの。いいわね」
にこり、と虎杖に笑いかけた歌姫が、ふ、と息をつく。
「さて、そろそろ時間よね。行かないと」
「ん。じゃーね。皆、お疲れ~」
教室を出ていく教師ふたりを見送った三人がなんとはなしに顔を見合わせる。
「うちの板前」
「板前」
「……」
「おい、なんかしゃべれよ伏黒」
「いや……特に」
「伏黒知ってたの? 歌姫せんせーがお嬢様って」
「ん、まぁ」
「言えよーー!」
「いや、わざわざ言うことじゃねーだろ」
「まぁ確かに。でもそうか、じゃあ歌姫先生も生まれも育ちも呪術師ってことなのね」
「だから五条せんせーと仲いいのかな」
「あんた、歌姫先生に殺されるわよ……」
怯えと同情と呆れを綯い交ぜたような釘崎に、え、と動揺した虎杖が縋るように伏黒を見やる。
「おい、こっち見んな」
それを煩わしそうに手で払った伏黒は、ふたりを見据えると、静かに口を開く。
「いいか。あのふたりに余計な口を出すと」
「出すと……?」
いつになく真剣な伏黒の表情に虎杖と野薔薇がごくりと喉を鳴らす。
「地獄を見る」
そこには、かつてその地獄を味わったのであろう苦痛が浮かんでいて、虎杖と野薔薇はいつになく真剣にわかった、と頷いた。