にどめのはつこい レンタル彼氏。
好みのキャストを選んで、最低二時間から数日間彼氏として振舞ってくれるサービス。
彼氏になってほしい、彼氏のふり、友人のふり、遊びに行く、ご飯、愚痴を聞いたり悩み相談なんかも可能! もちろん男性のご利用も大歓迎!
そんなことが書かれたサイトを流し見て、基本利用料金を確認。
(そんなに長い時間はいらねえはず、あぁでも事情説明なんかもいるから別日でも予約いるな……そうなると……)
キャストごとに若干値段も違うのかとさらにキャストのページへと飛び、複数人のキラキラした写真が並ぶのを食い入るように眺めて、まず何人か顔が好みの男を別タブで開いていく作業。これはそういうアプリとも変わらない。
次に、開いたタブを開いてプロフィールを熟読、何人かに絞る。
「うーん……いまいちだな」
ここがダメなら別のサイトにしたいところだが、ここが安全だよと紹介された手前下手なところにいくよりもここで決めたい……
なんてオレの要望は叶わず、顔が好みだった男たちはプロフィールを見てもあんまりぱっとせず空振りに終わる。
顔は好みじゃなくても……とキャスト一覧を眺めてふと手が止まる。
「よ、う……」
黒髪塩顔で好みの顔とは違ったが、なんとなく高校のときに世話になってから、一方的に気持ちを向けてた後輩を思い出しながらページを開く。
「えっ、二つ下かよ……」
童顔らしいその男の写真はすました顔が二枚だけ。前髪で目が隠れるのがもったいない……そう思いつつプロフィール詳細を目で追う。
料金も真ん中よりちょい上くらいのランクで、口コミも悪くない。サイト上でできる投げ銭の数は少ないものの、一人あたりの単価が高い。
『デートの満足度も高く、話を聞くのが上手いと評判のキャストです! 男性からの指名も多く、男女関係なく初めての方にもおすすめできます』
「……よし、コイツにしよう」
運営からのそのコメントを読んで、即決した。男性指名が多いのは、こういうサービスで良いのか悪いのかわかんねえが、少なくとも今のオレにはありがたすぎる言葉だった。
(別に似てるからとかじゃねえし)
直接本人に連絡を取れるサービスもあったが、いきなりは怖いので一旦サイトの予約システムから指名をする。
「さっさと終わらす」
そう意気込んで、予約完了の返信メールを待った。
そうして無事に今日、最低利用時間の二時間で会うことになっている。
予約ができたあとは結局キャストと直接ということで、メッセージアプリで何度かのやり取りをして、新宿に十七時とした。
今回指名したヨウは文面でのやり取りしかしてないが、丁寧で年下という情報を疑うくらいには落ち着いている。実際に会ったらどうなんだろうか、もしかしたら丁寧なのは文面だけなんじゃねえかと少しの不安がある。
それでも、そのまま指名相手を変えなかったのはなんとなく悪い奴ではなさそう、という確信だった。あとアイツとやっぱり少し似てるから、やめどきがなかったのもある。
お互いの服装を伝えて、緊張しながら待ち合わせ場所で時計を見上げていると、覗き込まれた気がして下に視線を向ける。
「えーと、ひさしさん?」
覗いてきた顔は、サイトでみたのとほぼ変わらない童顔塩顔黒髪の男だったから安心する。
「ヨウ、」
「そうです。待たせちゃってごめん、寒くなかった?」
「いや、大丈夫だ」
「良かった、お金はもう振り込まれてるのを確認してるので……」
料金と、時間、軽い確認事項を伝えてから携帯をしまったヨウが、遠慮がちに見上げてくる。
「場所はカラオケ予約したんですよね?」
「おう、悪ぃないきなり個室で」
「いいえ、ひさしさんとゆっくり話せるの楽しみにしてました」
にっこり笑うそれは営業スマイルというには柔和すぎて、普通に可愛いと思っちまうモンだった。
予約してたカラオケに入って座ると、どこに座るか少し迷った素振りをしてから向かい側を選んだヨウに、飲み物のメニューを差し出すと今度は迷うことなくホットコーヒーと言うのでタッチパネルからふたつ注文して、一旦息を吐く。
「改めて、今日はご予約ありがとうございます。ヨウです」
「あぁ、えとこちらこそ……ひさしです」
「メッセージでやり取りしてたのに、なんか緊張しますね」
「そ、だな」
飲み物がくるまで、本題に入りづらくてソワソワする。
目の前の男も同じなのか、こっちに合わせてるのか室内を見回す。カラオケを選んだものの、別に歌うわけではないからどっちもマイクに手を伸ばさない。
コンコン、とノックがされて飲み物が運ばれたことに安心して、店員が居なくなったところで早速と居住まいを正すオレを見てか、ヨウはくふ、と軽く笑う。
「彼氏のふりをしてほしいんですよね。たまにそういう依頼くることあるので、そんな緊張して事情説明入らなくていいですよ」
「あ、るのか」
「はい、なんならそういうので結構呼ばれるんで、そろそろ一回くらい同じ人に会いそう」
緊張を紛らわすように言ったその冗談に軽く笑って返してから、そっかあと安心してホットコーヒーに砂糖とミルクを入れた。
ヨウはカップに手をつけることなくオレの様子見をしているのか、視線を感じる。
ひと口飲んで、あちぃと顔を顰めると目を細めて笑う。なるほど、これがレンタル彼氏……とむず痒さを感じてカップを置いて今度こそと、事情説明をするために口を開く。
「あーオレ、」
そもそも男が好きであることを打ち明けなければいけない、そのことに口の中が乾いてまたカップを持ってコーヒーを入れる。ヨウは、焦らすわけでもなくオレの言葉を待ってくれていた。
「その、男が恋愛対象で」
ぱち、と大きなまばたきを一回。それから、なるほどと一言だけ。
彼氏のフリをしてほしい、の時点でなんとなく察してはいたんだろう。話が早くて助かる。
「なんかトラブルですか?」
「この間、ちょっと遊んだ男が彼氏ヅラしてくるっつーか……ちょっとストーカー気味で」
「へえ」
遊んでるんだ、の揶揄に聞こえなくもない相槌に少し恥ずかしくなって黙り込んだのに気づいたのか、ごめんねと苦笑いをするその顔に思ってもねえくせにとまたコーヒーを飲む。
「それで、困ってレンタル彼氏ってことですか」
「そうだよ、悪いか」
「全然。おかげでオレはひさしさんの彼氏になれるわけだから」
人好きのする笑顔に、どこか既視感を覚える。でも記憶の中のソイツとはどこか重ならなくて、人違いだよなと首を傾げることしかできなかった。
「それで、ひさしさんのこと困らせてる男ってどんな人なの?」
ようやくコーヒーに口をつけたヨウに、オレはかいつまんでストーカー気味のその男について情報を出していく。
電話が多い、メールも多い。
「着拒しても、アドレス変えても、どうしてか連絡がくんだよな」
「そりゃ怖いですね。他は?」
気付くと講義で隣の席をキープされてる。
「ちなみに、授業は被ってねえ」
「ええ……情報筒抜けじゃないですか」
練習で帰りが遅くなった日、視線を感じる。
「……練習ってのは、」
「ああ、バスケだよ。高三の時に復帰したんだけどよ、まだまだだから自主練してんだ」
「すげえ。偉いじゃん」
今日会ってから一番緩い笑顔を見せられて、どうしてか少しだけ緊張した、当たり前のことだから偉いもなにもねえとか、なにか言いたかったのにどうしてかその言葉が出てこなくて、コーヒーで喉を無理矢理上下させた。
「なんか脅されたりとか、そういうのはありますか?」
「ねえな……ああでも、たまに鞄に手紙入ってたり、入れた覚えのねえモン入ったりしててよ。あとポストに切手貼られてねえ手紙とか……」
「タイムタイム、ちょっと待って。それちょっとレンタル彼氏の対応の域超えてません?」
困った顔をするヨウが言うことはもっともだ。それを承知で今回こうして時間契約の彼氏を利用することにしたわけだ。
「うーん……ひさしさん、その人ちょっと危なすぎっかも」
「だから彼氏のふりしてもらって、ソイツとはおサラバしてぇんだよ」
「そういう次元の話かなあ……」
ううん、と悩むヨウは少し下を向く。それだけで目の前の男の表情はなにも見えなくなってしまうから、やっぱり前髪が邪魔だなと眺める。
自分でも警察に行くべきだと思うが、それをする前に一旦彼氏がいるからと言ったら諦めてくれるかもしれない可能性を試しておきたかった。
(どうして出会ったのかとか聞かれんの、気まずいし……)
大学の飲み会で会って、酒が入って、寝ました。
そうしたら彼氏ヅラされて困ってます。
言えるかよ、と舌を一度打ったあとにヨウが顔を上げて名前を呼んでくる。
少し低めの、艶のある声。どっかで聞いたことあるような……と記憶を辿ってみても、覚えてる声とは少し違うからやっぱり気のせいだと、少し残念な気持ちになる。
「ちょっと……というかだいぶ金額負担上がる方法なんですけど、数日オレと恋人にならない?」
「は?」
「ストーカータイプに恋人のフリは逆上したりすることもあるから、ひさしさんの安全のためにもしばらくオレといるって確認させた方がいいと思うんだよね」
「……営業かけられてる?」
ご丁寧に持ってる端末で料金プランを出してくるヨウにそう言うと、曖昧に笑ってはぐらかされた気持ちになるが言い分はわからなくもない。
「一週間コースがあるんですけど、これだと泊まりと性的接触以外は大体できて……」
「せいてきせっしょく」
「セックスね」
「言わなくていい!」
オレの大声に、わは、と笑ってから悪いと思ってなさそうなごめんねを言ったヨウが、また説明に戻るのをジト目で睨む。こんなやり取りも、高校の時にはしょっちゅうだった……なんて考えるとやっぱり似てるのかもしれない。
(そういうタイプなら、やりやすくて助かるけどな)
「それで、遅くまでのデートもOKになるんだよね。だからひさしさんの家まで送ったり、しばらく家にいることもできて多少融通きくからいいかなと思って」
高いから無理はしないで、と言う顔はさすがに申し訳なさそうな感じがある。
改めて金額表を見れば、たしかに高い。というか跳ね上がるから即決しがたい。
「……」
「無理そうなら、必要なとき呼んでくれていいからさ」
そうは言っても、他の客に呼ばれてる間はオレのところにすぐ来れることはねえんだろう。
「……いや、今回は一旦いいわ」
「そう? じゃあ一回でわかってもらえるように、誠心誠意ひさしさんに尽くすね」
手を差し出されて、悪手かと思ってそれにそっと手を伸ばすと、にっこりと笑ってからゆるりと指を絡められてびくりと身体が跳ねた。
「お、おい……」
「恋人のふりするんでしょ、そんな反応してたら騙せるもんも騙せないですよ」
きゅ、と絡んだ指先が指の付け根に食い込んでいくのに、体温が少しだけ上がる感覚。
「……ヨウ、オマエさ」
「はい?」
「喧嘩ダコあるんだな」
ヨウの手を握り返すと、少しの違和感があってそう指摘してやれば困ったように笑って「昔ちょっとやんちゃしてて」と返される。
「それより、残りの時間まだあるからさ……お隣行ってもいい?」
「え、ああ……」
「良かった、恋人らしいことしないと」
手を離したヨウは立ち上がって、言った通りオレの隣に拳ひとつ分空けて座る。
「もっかい手繋いでもいい?」
「お、おお……」
「ありがと」
にこりと笑ったヨウがテーブルの上に置いたままになってたオレの手を拾って、あっという間に握り直すように指を絡められてしまった。
「……慣れてんな」
「こういう時にそういう話はナシだよ」
困ったようにそう言って、さっきと同じようにきゅうと指の付け根を握られる。
「ひさしさんて、大学生でしたっけ」
「お、おお……」
「背でかいし、手もでかいからバスケ向いてそう」
手に収まんねえと眉を寄せたヨウから少し目を逸らして、ガキん頃からやってると返す。
「へえ、すげえ」
「すげえってなんだよ」
「小さい頃から始めて、大学までしてるってことはすげえ好きなんでしょ?」
「まあ……そりゃあ」
「ふふ、すごいよそれは。懸けるもんがあるってことでしょう」
柔らかな表情でそう言われると、なんだかむずむずしてくる。
(高校の時、置いてきただろうが)
思い出しそうになった感情に、ぎゅうぎゅうと蓋をし直す。そうでもしねえと、目の前の男に落ちそうで困る……
「ひさしさん?」
「いや……オマエはなんでレンタル彼氏やってんだよ」
「ええ、そういうのやめません?」
客相手にする話じゃないしとまた困った顔をしてしまう。たった一時間程度でコイツの困った顔をどれだけ見るんだとこっちも困った顔になっていく。
「……ねえ、彼氏のふりっていつするの?」
「あ、えと……オマエの予約空いてるとき?」
「ひさしさんレンタル彼氏向いてないよ」
「悪ィって……」
思わず口を尖らせると、わはと小さな声を出したヨウが拳ひとつ分空けてた距離を詰めてくる。
「オレ、ひさしさんに呼ばれるならいつでもいいよ」
香水の匂いに、少しだけ煙草が混ざっていて少しだけくらりと眩暈に近い感覚。
「あ、ひさしさんいい匂いする」
「は」
「いつもつけてんの?」
「いや、いつもはバスケで汗かくからつけてねえけど」
「じゃあ今日オレとのデートだからつけてくれたんだ」
嬉しい、と囁くヨウにぞわぞわと身体が痺れて、やめろやめろと身体を少し離す。
「照れてる」
「うるせえ」
「あは、ごめんね。それでいつにする?」
「……来週の土曜日、」
「うん、空いてる」
来週の土曜日、昼間から四時間。
もしかしたら延長もあるかもしれないと約束をつけるとヨウは任せてと笑う。今度は困ってない、きっと多分営業用の顔。
「ひさしさんのためなら、何時まででも空けておく」
「……」
「お、おお……?」
近付いてきた顔を両手で挟んでやると、初めて戸惑った顔が見えて気分がいい。
「は、思ったよりやらけえ頬してんな」
「やめへ……」
「うるせえ、恋人らしいことしようと思ってんだろうが」
「ええ、」
ふにふにと頬を揉むように両手で転がすと、ヨウはされるがままになって「もお」なんて言う。
高校のとき、見たくても全然見れなかったその顔。それから油断した声。
「いや、関係ねえ」
「え?」
「なんでもねえよ」
うりうりと頬を揉んで、それから離してやれば、いてえ~と言いつつ自分で頬を挟む。
視線を逸らすように腕時計を見れば、その時計に蓋をするように手が重ねられる。なにかと視線を戻すと、ヨウがオレの方を覗き込んで拗ねたような顔をしていた。
「アンタは時計見ないでいいの」
これも営業のそれなんだろうが、あざとくてこれはこれで悪くないと思っちまうからたった一時間そこいらでこうなるから、変なの引っかけんだよなと冷静な自分が呆れる。
「ねえ、もっとひさしさんの話聞かせてよ。来週の土曜までに、アンタのこともっと知っておかないと」
結局時間いっぱいまで手を絡めたまま、ヨウはオレの話をたくさん引き出した。言葉を出させるのが上手いのか、嫌な部分は触れず、自分が興味ないだろう話題も楽し気に聞いてくれる。
そういえば、キャスト紹介ページにも話を聞くのが上手いって書いてたなと思い出す。
繋いだ手も不快感はずっとなかったし、帰る準備をするために離された手が少しだけ寂しかったくらいだ。
(レンタル彼氏、恐るべし……)
元々オレが人見知りをしない方なのも功を奏してか、最低限の時間しか話してないというのにすっかりヨウのことを信用した。
これなら、彼氏のふりも上手くいくもんだと、そう信じていた……わけだが。
「あー、これは駄目そう。ちょっと避難しよっか」
人目のある場所、と指定した海辺でストーカー気味の例の男は、オレと手を繋いで現れたヨウを見ただけで憤怒の表情になった。
「僕の三井くんに触るな!」
そう叫んだ男に「オマエのじゃねえ!」と返したオレが悪い。
ヨウも呆れたようにあんたねえと呟いていて、そっちが素の性格かとちょっと嬉しくなったりしてるオレのことを気にかける様子もなく、手首を掴み直して走り出した。
「どこ行くんだよ」
「うちの事務所……!」
「アイツ、体力ねえから多分そこ曲がったら撒けるぜ」
「ん、」
体力がないわけではなさそうなヨウのペースに合わせて走ると、この野郎と小さく聞こえて思わず笑ってしまうと「ひさしさんのせいだからね!」と息を荒げる合間に文句を挟んできた。
思った通り、男は次の曲がり角で撒けたので少し早歩きくらいの速度で移動、途中でタクシーを拾ってヨウが所属してる会社の事務所へと向かうことにする。
早歩きのときもオレの方が歩幅を合わせたからか、むくれていたのをちらりと見下ろすと。眉をきゅうと寄せて睨まれた。
(ああ、やっぱ似てんな)
あの頃、一番見てた顔がこれだったわと思い出してまた笑うと、タクシーを捕まえながら何笑ってんのと怒られる。
「オマエ見てると、思い出すヤツいんだよ」
「……そう、今ひさしさんの彼氏はオレなのに別なヤツ見てんだ?」
停まったタクシーに乗り込む直前、そう言われてそういうビジネスとは言え、ヨウにこういう嫉妬をされるのは案外良いもんだなと、たった二度目の接触でそんなことを思う自分のチョロさにも呆れる。
「ねえひさしさん、やっぱりちょっと金かかって申し訳ないけど、長期間レンタルにしてくんないかな?」
「え」
「急にその額払えないと思うから、そこはオレからオーナーに緊急事態だから分割なりなんなりできないか確認する」
ちょっとありゃ難しいわ、とすぐ見放せばいいのに自分のことのように悩んでくれるのが少し嬉しい。
「まあそこも含めて、このあとちょっとオーナー交えて相談させて。場合によっちゃ、通報も考えるから」
「いや、そこまでは……」
「するよ、ひさしさんちょっと危機感なさすぎるんじゃない?」
む、と怒った顔を見せるヨウに、オレから声かけて一回寝たんだぜ、なんて藪蛇になりそうな言葉をなんとか飲み込む。
その代わりのように、長期プランに了承をした。
「オーナー、すんませんちょっと緊急で」
事務所に入るなり、ヨウがそう言って人を呼ぶ。
「ひさしさん、お茶とコーヒーどっちがいい?」
「お茶で」
「ん、持ってくるから、ここで座ってちょっと待ってて」
会議室のような一室にオレを通したヨウは、扉を閉めてどこかへと向かってしまった。
その間に、と携帯を確認するとおびただしい数の着信とメールとメッセージが入っていてさすがに顔を顰める。
外ではヨウとおそらくオーナーが話してるらしく、内容までは聞こえないがオレのことだというのはわかってる分、少しだけ肩身が狭い。
まさかあそこまで話を聞かないとは、という気持ちと、そこまでオレを好きでいてくれてたんかという少しの喜び。
(いや。そんでこうなってんだから世話ねえか)
さすがに反省、そう思っているとまた新しいメッセージが届く。
『さっきの男誰』
『ねえ三井くんは僕と付き合ってるんだよね』
「おおう……」
数件を通知で遡ってみても似たようなメッセージが並んでいて、あーあーと頭を抱える。あの日はこんな感じじゃないと思ったんだけどなあ……
『僕に嫉妬させたかっただけなんだよね』
「ンなわけねえだろ」
新着メッセージに、げえと顔を顰めたその瞬間に扉が開いて、ヨウとオーナーと名乗る男が入って来てお茶が目の前に置かれた。
「初めまして、この度はウチのご利用ありがとうございます」
「ああ、いえ……面倒に巻き込んですみません」
「それは気にしないでよ」
そうはいかねえのとヨウを小突いたオーナーに、すんませんと素直に謝る姿を見て、申し訳なさが出てくる。
それでもヨウは気にしないでねと笑いながら隣の席に座って、手を繋いでくれるんだから優しい。
「それで、長期契約の件だけど……さすがになんかあったら警察行くの前提だからな」
「もちろん」
「暴力沙汰はするなよ」
「あはは」
「あははじゃなくて……まあヨウはそのへんの線引きできるって信頼しておくけど」
そういえば昔ちょっとヤンチャしてたって言ってたっけと思い出してちらりとヨウを見ると、こっちを見て大丈夫だよと笑う。そうじゃねえけど。
オーナーが契約書と、料金説明のための資料をテーブルに広げた方に目を向ける。
「ヨウから多少の説明あったと思うけど、デートに時間制限がなくなる。ただし泊まりは禁止、性的接触も禁止ね」
「はい」
きゅうと指が絡められて、ニヤニヤと笑うヨウと目が合う。多分この間のカラオケでのやり取りを思い出してんだろうが、わかってんだよセックスだろと睨んでやると、くふと肩を揺らす。
「ヨウ、真面目に」
「はあい」
「で、料金なんだけど……話聞いた感じ、ちょっとウチのヨウが煽っておおごとになったところあるみたいだから、」
「え」
そんなことしてねえ、と言いかけるとさっきまでと違う強さで手ががっちりと握られる。言うな、とかいいから、とかそういう感情を含めた瞳が向けられるから、なんでかあの日……高校のときの体育館でのことを思い出して呼吸が止まる。
「急なことだし、支払いはちょっと待つけど、これ特例だから二度はないよ。あとこのあとキャストに危害加えられるような展開になったら、キミは出禁ね」
「は、い……」
注意はどう考えても真っ当なもので、さすがのヨウも茶々を入れるわけにもいかないのか、一緒になって黙ってオーナーの言葉を聞いてた。
他の細かい注意を全て聞いてから、改めて最後の確認が入る。確かに安くはないが、練習の合間にしてるバイトでなんとかなりそうだった。
「すんません、こんなしてもらって……」
「まあそこはヨウに感謝してって感じかな……正直ヨウが持ってきた話じゃなかったら一発出禁にしてるから」
「ええ……」
突然褒めるような言葉が出てきたからか、ヨウが動揺する。
「やだな、オーナー普段そんなこと言わないじゃん」
「こういう時じゃないと褒めさせてくんないからさあ。ほら、大丈夫ならサインして」
「あ、はい」
「あ、ひさしさんちゃんと全部読んだ?」
「読んだ」
「ならよし」
契約書にサインをして、別に用意された誓約書の類にも名前を書いていく。それをオーナーが確認してからファイルに入れた。
ふう、と息を吐くと隣にいるヨウが立ち上がって「それじゃあ行こうか」と手を差し出してくるから、オーナーがいんだぞと思わず視線をそっちに向けると、見てませんと言うように顔を両手で覆ってしまっていた。
「またしばらく恋人としてよろしくね」
「おう……」
「とりあえず、今日は一旦ひさしさん家まで送るつもりだけど……家って知られてるんだっけ?」
「そうなんだよな」
なるほど、と考えた顔をしつつ、とりあえず事務所から出ようかと手を引かれて入り口から出て新鮮な外の空気を吸い込んだ。
「なんか、すげえ怒涛」
「それ、ひさしさんが言う?」
呆れたように笑ったヨウに、それもそうかとつられたように笑う。
「あ、やっと笑った」
「あ?」
「ずっと難しい顔してたからさ。笑顔のひさしさんが見たかったんだよね」
良かったと嬉しそうに笑うヨウに、そんな顔してたか? と自分の顔を触ってみるがまあ当たり前にわからず首を傾げる。
「いいよわかんなくて。ひさしさん家行こ、どっかで飯食ってく?」
「あ、じゃあ家の近くに美味いラーメン屋あるからそこ行こうぜ」
「ひさしさんのおすすめは?」
「醤油」
「ふつー」
けらけら笑ったヨウを見て、なんだとと返しつつも確かに笑顔を見ると安心するかもしんねえなとほっと息を吐き出す。
人前で手を繋ぐわけにもいかないからか、しっかりと横で腕が時々当たる位置をキープしているからどうにも『彼氏』であることを意識させられるから、ちょっと緊張する。
というか恋人を意識して緊張するなんてこの間はなかったのに。
「ヨウ」
「ん?」
「なんか、ありがとな」
「はは、なに急に」
「なんとなく」
「じゃあラーメン奢ってよ、ひさしさん」
そういう金銭面の負担はどうせオレだけど、なんていうとまた「向いてない」って言われんだろうなと想像がついたのでやめた。
駅をいくつか離れて、ようやく自分の最寄り駅に着く。
「ラーメン屋、すぐそこだからよ」
「うん」
自分の生活圏内にヨウがいることへの違和感と、少しの高揚感。
「結構食える?」
「いや、一人前でちょうどいい」
「え、餃子は?」
「人が食ってるの横からもらう」
「オイ」
わは、と笑うのは癖なのか、楽し気な顔をして横を歩くヨウを少し見下ろして、これから契約期間の間はコイツを独り占めできんのかと思うと他の客に少しの優越感が出てくる。
(いやいやいやいや、これはよくねえ。ホストにハマるあれと同じだろ)
まずいまずい、目の前でラーメンすするの下手なヨウが首を傾げるのが、可愛いって思うことなんかありえねえって。つうか可愛いな。
「だあ!」
「えっ、なに怖い」
驚いた顔をしたヨウが、つるんと麺を口の中に収まっていく。
可愛いと思ったことなんて誤魔化して、炒飯を口の中に放り込む。
このあとどうするかとか、何時までいてくれんだろうとか、ヨウも大学があるんじゃないかとか、そういうことをうだうだ考えてしまう。
「ねえひさしさん」
「なんだよ」
「家着いたらいちゃいちゃしてもいい?」
甘えるように言われて、そういえばコイツそういう職業だったと急に思い出す。
口の端にネギついてる、というとごしごしと少し恥ずかしそうな顔をして口元を拭った。
***
家に着くと時間は思ったよりも早くて、作戦会議ということでもう少しヨウにはいてもらうことにする。とりあえずインスタントのコーヒーを用意してやると、ありがとと事務所にいるときとは違う笑顔を向けてくるから調子が狂う感覚。
「ひさしさん、まじでバスケばっかしてんだ」
「おー、まあ」
「かっこいいね」
お世辞はやめろ、というには随分熱のある瞳をする。
オレをかっこいいと言うくせに、どうしてかその瞳の熱がオレに向くことがないことを、なんでか前にも経験してることを思い出す。
今コイツは、なにを思ってかっこいいって言ったんだろう。それが気になる。
「……お」
「恋人なんだろ」
「そうだね」
ソファに引っ張って、そんなに大きくはないそこにくっつくように座るとヨウは慣れたようにオレの手に自分の手を重ねてくるから、自分から指を絡める。
少し古くなってる喧嘩ダコを指の腹で撫でるとくすぐったそうに笑って、だけど咎めるわけでもなく受け入れてくれる。
こういうことを、当たり前にしてきてんだろう。それが仕事だから。
「……ひさしさんて」
「ん?」
「家の中でいちゃつきたいタイプだった? カラオケでもそうだったね、個室とか周りに目が無い方がちょっと大胆になるっていうか」
「そら他人の目なんてない方がいいだろうが」
「なるほどね」
なんのなるほどねだよ、と思うがヨウはそうだなあとさらに何かを考えてる。歩いてるときと違う角度でその顔を眺めるが、何度見ても前髪は邪魔だった。
そろっと手を伸ばしてみると、思い切り仰け反るように逃げられてしまって、そんなに? という気持ちと逃げんの速いなという気持ちで瞬きも忘れて見てしまう。
「あ、ごめん……あの、手が手伸びてくると、ちょっと昔の癖で」
困ったように目を逸らしたヨウに、ようやくハッとして「悪い」と手を引っ込めた。
「ううん、オレもごめん」
「頭、触らない方がいいか?」
「うーん、そうだね……ひさしさんのこと殴ったりしちゃうかもしれないからさ」
「おっかねえな…・・・」
グレてても反射で殴るほどじゃなかったな、とあの頃を思い出しつつ、頭に手を伸ばさない約束をする。恋人のふりだろうと、嫌ならやんねえほうがいい。
「何日かあるし、お互いのそういうの確認しておかないとね」
そう笑ったヨウに頷きつつも、さっきの反応は『頭に触られるのが嫌』というのとは違う理由だったんじゃねえかな、と少しだけ引っかかった。
そこから数日間は、正直平和だった。
あの様子と連絡の数ですぐになにかしかけられるもんだと思ってたから、拍子抜けした……と言う方が正しいかもしれない。
「このまま何もないといいね」
「そうだな」
ヨウも毎日オレを送り迎えしてくれるし、デートの時もさりげなく周りを警戒したり気にしているらしく少しだけ疲れた顔をすることが増えた。当たり前だが、負担をかけてるなと申し訳なくなるが、それにすらすぐ気付いて誤魔化すように笑われてしまう。
『好きな人の心配してるだけだから、気にしないで』
オレを安心させるための言葉だとわかっていても、触れてくる手も、オレを見る目が優しいことも、全部錯覚させていく。
そして錯覚しかけると、ヨウは思い出させる。
『レンタル彼氏と客の恋愛はダメだよ』
遠まわしな言葉と態度で、そう言われたらもう何も言うこともできない。
「オマエ勘違いさせんの上手いよな」
「ええ、なにそれ。本当にひさしさん向いてないよね」
このやり取りも数回目、少し遠慮のなくなってきた声色が嬉しいのに、それは伝えちゃいけないやつだと思うと胸が痛い。
今日はどこに迎えに行く?
そうメッセージがきたその日、まだもう少し自主練がしたくて大学の体育館へとヨウを招いた。他学生や見学の学生たちもよく出入りしてるから、ヨウはそれほど目立つこともなく辿り着けたらしい。他の奴らはもう帰っていったから、体育館に二人になる。
「……練習ってなにやるの?」
「スリー、もう少し打っておきてえんだ」
「うん、見ててもいい?」
「おう」
少しそわついた様子のヨウは、ゴールがある方の壁に背をもたれさせて、すきなだけどうぞと笑ってからオレをじいと見てくる。
視線は気になるが、それを気にしてたら練習にならねえと息を吸ってボールを何度か床に弾ませてからゴールを見る。
スリーポイントラインを確認してから脚を揃えて、いつものリズムでボールを放る。
いつも通りリングに当たらず通ったボールに息を吐けば、ヨウが「おお」と感嘆の声を出して軽い拍手をするから得意げな気持ちになった。当たり前になったそのシュートは、やっぱりオレの武器なんだと再確認する。
「ひさしさん、かっこいいね」
「なんだよ急に」
「思ったまま言っただけ、すげえもん」
手放しに褒められて悪い気はしない。そのあとも何度かシュートを決めてその度にヨウは嬉しそうに笑って、すごいと素直な感想を口に出してくれる。そのせいか、調子良く決まる。
「なんかオマエに応援されると懐かしい気持ちになるわ」
「何言ってんの、大学でも色んな人に応援されてるんでしょ?」
リングを通ったボールがヨウの方に弾んで、それをパスの要領で投げてくるその強さはやっぱりどこか懐かしい。
「ヨウ」
「うん?」
「バスケしてたか?」
「してるわけないでしょ」
そう笑って、オレのボトルを持って来て休憩しなよと提案してくれたそれに乗ろうとして、
「三井くん!」
体育館にぼんやりと響いたその声に、ヨウとほぼ同時に振り返るともうしばらく見てなくてメッセージもこなくなったことに安心していた男が立っていた。
オレを守るように前に出たヨウの背中越しに見る男は、この間よりも少し痩せたのか不気味に見える。そいつはヨウを睨んでからオレに目を向けた。
「三井くん、そいつは三井くんを騙してる!」
「はあ……?」
一歩前に出ようとするヨウの方を掴むと、止めるなよと強い視線で睨まれて一瞬びびってしまう。それでも、ここで引くわけにもいかずに後ろから抱きしめるようにしてどうにか止める。
「キレんな」
「……ひさしさんがそう言うなら」
「おい! 三井くんから離れろよ!」
男がなにか言う度に、ヨウが舌打ちをして言い返そうとする言葉を飲み込む。
つうかマジでアイツなんなんだよ、とこっちも舌打ちをするがそれにも「そんな男といると悪影響だ!」なんて言ってくるから腹が立つ。
「悪かったな、生まれつきだよ!」
「んふ」
「オマエは何笑ってんだ」
「ごめん」
ちょっと小突くと、こっちを振り返りつつ見上げてくるヨウがこんな時なのに可愛く見えてくるんだから困る。
「三井くん、そいつは偽物の恋人なんだろ?」
「あ?」
「レンタル彼氏のホームページにいたの見たからな!」
また至近距離のヨウと目を合わせて、肩を竦める。こういうパターンもちゃんと想定済みだ。
「レンタル彼氏でも、本命は別にいていんだよね」
「嘘だ! お前は三井くんから金取ってるだけだ!」
「うるせえな、そもそもオマエこそ一回遊んだだけで彼氏面すんじゃねえ」
「彼氏だよ!」
「ちげえっての」
うるせえな、とヨウの背中から出て行って一発殴ってやろうかと思ったが、それじゃあ最悪の展開もあり得る。
ヨウのことも調べてきてんなら、会社に連絡がいく可能性だってある。
「オレらちゃんと付き合ってんだよ、アンタと違って。ね、ひさしさん」
前にいたヨウが、オレの横に並んで立って手を繋ぐ。
数日の間、できるだけ一緒にいたからか前のように手を繋がれただけで過剰反応することもなくなったので、違和感もなくオレとヨウは恋人同士に見えるだろう。
(騙されてくれよ)
そう願いつつ、ヨウの身体を引き寄せると大胆だねと小声で言ってくるからうるせえと、掴んだ腰を少しだけつねる。つねるほどの肉がねえどころか、ほぼ筋肉なんだが。
「み、三井くん……だめだよ。そんな奴……」
よろよろとこっちに近づいてくる男に背を向けるようにヨウを抱きしめる形で顔を近付ける。背を向けてるが、向こうから見るとキスしてるように見えるだろう角度になるように意識する。
「あ、ああ……三井くん」
ショックを受けてるような声が聞こえて、もう一押しか? と思ってるとヨウが我慢できないようにくふ、と肩を揺らすの小声で咎める。
「これで騙されてくれそうだね」
「そうなったら楽なんだけどな」
顔を離す直前にそんな会話をして、ようやく男に向き直る。いつの間にか膝をついていたから、またヨウが笑いそうになってるのを肘で小突いて咳払いをひとつ。
「そういうわけだからよ、オマエはあの日だけで、コイツは本命。わかったかよ」
「う、うう……僕はずっと、三井くんのことすきで」
しつけえな、と眉をひそめたのと同時。くい、と身体が引っ張られてガチンと音がしそうな勢いでヨウの唇とオレの唇が当たる。
「なっ……」
「ね、わかったらもう二度とひさしさんに関わらないで」
そう言いながらヨウはオレの身体から離れて、男の前にいわゆるヤンキー座りでしゃがむ。
初めて見たそのガラの悪い姿勢は、どうにもアイツを思い出してしまうしキスをした事実も手伝ってドキドキする。
(でもヨウは目の色違うんだよな)
黒いあの瞳よりも薄い、ヨウの明るい茶色の瞳を思い出していると、男はなにやら謎の言葉を発しながら体育館から出て行く。その後ろ姿に暴力沙汰にならなくて良かったとホッとする。
それからじわじわとキスをした事実を思い出して、体育館の入り口を眺めるヨウの横顔を睨む。
「オマエなあ」
「いや、全然諦めそうもなかったんで。むしろすいません」
「……いいけどよ」
「じゃあこれでオレはお役御免ってことで」
「は」
「とりあえず、解決するまでの契約だったので……使わなかった日数分は、ちゃんと店長に伝えておくんでちょっと安くなると思うよ」
「いや、オマエちょっと待て……」
迎えに来たんだろ、とかこんな余韻もなく別れんのかよ、とか言いたいことだらけなのにヨウは拾ったボールをオレにパスよりも乱暴に投げて「じゃあね」と笑って去っていってしまう。
追いかけたら良かったのに、体育館ちゃんと閉めねえとなんてどうでもいいことに思考がいってしまって足が動かなくなったまま、ただ見送るだけだった。
***
それから数日。
何度か連絡をしてもどうしてか連絡が取れず、ならばと会社を通じて連絡を取ろうとしても「体調不良で」と返されてなにも話してくれそうにない。
前にオレの家で過ごしてるときに、出禁やNGになったヤツはどうなるのか聞いたら「体調不良とか、他の客といるとか、なんやかんや誤魔化してもらう」って言ってたのを思い出して、オレは出禁かNGになったんだと知って呆然とする。
(そんなんひでぇだろ)
なにしたってんだ、オレが……いやちょっと無理はさせたけどよお。礼くらい言わせろよと何度目かのホームページを閲覧していると表示が変わっていることに気付いた。
「なんだ?」
ヨウ
業務上の契約違反の可能性があるため、現在謹慎となっております。
「え……?」
何度文字列を追ってみても、ヨウの名前の下にそれは書かれていて、瞬きを何度しても読みすぎて覚えた紹介文に戻ることはなかった。
オレとの契約の間か、他の客のときか、それは定かではないがオレだとしたら、オーナーにあんなに言われたのに理解が足りなかったんだと心臓が冷えていった。
「ひさしさん」
久しぶりに聴いたその声に勢いよく振り返ると、そこにいたのはしばらく前に突然契約終了だとオレを置いて帰った男がいた。
「よ、ヨウ……オマエ」
「ねえ、ほんとに最後まで気付いてくんねえんだ」
「は?」
数日前までの記憶と少し違う、だけどやけに鮮明になる記憶と同じ声色と話し方をするヨウに頭が混乱していく。
見上げてくる瞳は、明るい茶色なんかじゃなくて、黒。
ずっと邪魔だと思ってた前髪を無造作に上げる所作がやけに似合う。
「アンタが会いたがってた男じゃなくてごめんね」
「み、水戸……?」
「そうだよ、水戸洋、平」
ヨウの音を強く発音してにんまり笑う顔を見るのは、何年ぶりか。
「は、え、なんで? ヨウは?」
「ヨウはもういねえよ、どうせそろそろ辞める話もしてたしちょうどよくて」
少しの距離を空けて隣に並んだ水戸が、とりあえず歩こうと先を進むその後ろ姿を見ると、歩き方の癖も含めてたしかにヨウで泣きそうになる。
「オマエ、なんで……」
「ヨウって名前で働いてたら、三井さんから連絡きてびっくりしたのはこっちだよ」
困ったように笑う顔は、たしかにヨウだった。
ヨウといるとき、度々思い出してたのはこの男で、それが間違いなかったことに動揺して、なんでとしか言えなくなるオレに、ヨウはそこ入ろうかと近くのファミレスへと足を向けた。
適当に注文するねと言って頼んだメニューは、しっかりとオレの好みと食える量を把握していてちょっとだけキュンとする。してる場合か。
「オマエ、契約違反ってなにしたんだよ」
そう聞けば、メニューをメニュー立てに戻しながらヨウ……水戸が眉を寄せた。
「あー。あの男いたでしょ、追い払った。アイツが店に客とキスをするのは違反じゃないかって連絡入れててさ。オーナーに呼ばれて事情説明して理解してもらったけど、違反は違反だからってちゃんと謹慎処分受けただけ」
「だけって……」
「あと、違反原因だから三井さんもNG扱いになってるから、アンタから必死な連絡来る度にスタッフから申し訳ない気持ちになるって言われてた。何度も連絡してくれてたのに説明今になってごめんね」
「……せめてメッセくらい」
「謹慎の時点で、社用のアカウント没収されてたからね」
先に運ばれてきたコーヒーが、二人の前に置かれる。水戸の分として置かれた砂糖は、当たり前にオレの方に差し出されるのを受け取るのはもう癖になっている。
「まあそのあとソイツから度々粘着受けてるし、会社にも影響出る前に辞める方向で話して、さっき退職書類出してきた」
なんでもないことのように言ってコーヒーを飲んだ水戸が、今はもうヨウではなくなったことに寂しさを覚えてる自分と、またこうして水戸と会えたことが嬉しい自分がいて複雑な気持ちになってしまう。
「さっきもちょっと言ったけど、もともと辞める話はしてたから、三井さんは気にしなくていいからね」
フォローのように言われた言葉に頷くと、ほっとしたように目を細める。その顔から目を逸らすようにコーヒーに砂糖をふたつとミルクを入れて、混ぜる。
ふう、と少し冷ましてから飲んで落ち着かせてようやく水戸と目線を合わせると、黒い瞳がオレを見ていて結局落ち着かない。
「目の色……」
「ああ、カラコンしてたの。あんまりバレたくないから。髪下ろしてたのも身バレ防止」
「なんですぐ水戸って名乗らなかった」
少し睨みながら言えば、瞬きをした水戸が高校時代やたらと見た人をおちょくるような顔をして笑うから、もう嫌な予感がした。
「すぐばれるかなって思ったのに全然だからさ、せめて契約終わりにって思ったらなんか長期間になっちゃったから言う機会逃して」
「クソがよお……ヨウの顔でその笑い方やめろ」
「いや、オレだから」
水戸がしばらく笑ってから、はあ~と深く息を吐き出す。その間にオレもコーヒーをもうひと口飲んで気持ちを落ち着ける。
「あとさ、髪上げるとさ、すぐバレると思って。避けちゃってごめんね」
触られたくないとは違う理由なんじゃないかと思った、あのときの感覚は間違いじゃなかったらしい。長い前髪をいじって目を逸らされてしまう。
「たしかに、髪上げたらすぐわかったわ。一番見慣れてるし」
「まじでずっと余裕なくてかっこ悪ィ……」
照れてるのか拗ねてるのか微妙な表情を見せる水戸に、思わず口角を上げるとすぐに気付いて今度こそ拗ねた顔で睨まれる。
「それより、あれからあの男大丈夫?」
「ああ、携帯もようやく落ち着いたし、視線とかもなくなったぜ。オマエがレンタル彼氏だってわかってても、キスは堪えたんじゃねえの」
「そう、それなら良かった」
ほっとした顔をするから、それにこっちも安心したタイミングで、頼んでた軽食が運ばれてきたからいただきますと手を合わせる。
「それなら契約違反した甲斐もあったよ」
「んぐ……ッ」
「ちなみに他の客とはしたことないからね」
やめろ喋るな、と片手を水戸の方に突き出しつつ水を飲んでつまった食べ物を飲み下す。水戸はからかい半分と、本気半分という顔でピッチャーをこっちに傾けてくるからコップを手元に置く。
「あとさあ」
「まだあんのかよ」
「オレ、高校の時三井さんのこと好きだったから……正直役得だなって思ってたから名乗りたくなかったんだよね」
たっぷり一分以上の間。
コップから溢れた水が指を濡らしていくが、そんなこと気にする余裕もなくて目の前にいる男の顔がじわじわと赤くなるのをバカみてえに口を開けて見るしかない。
「なんか言ってよ」
「……え、いやだって……」
「どうせオレは別人のふりで契約関係もないとアンタと恋人ごっこもできないし、告白もできないヘタレだよ」
「まだなんも言ってねえだろ」
「まだってことは言うつもりだったんだ」
「だあ! 揚げ足取りすんな!」
拗ねたのか、目の前にある料理を口に含んで顔を逸らした水戸の耳は赤い。
高校の時のことを思い出しては、ヨウを通して水戸を見てたヘタレはオレも同じで。
それが水戸から言われると思ってなかったから、すげえ今動転してて……
「……あーえっと」
「なに」
「水戸が良かったらなんだけどよ」
水戸の目がオレを見る。そこには少しの期待のような、ただのファミレスの照明のような、コップの中の水を反射したような、よくわかんねえきらきらが見えて言葉をつっかえさせる。
あのときヨウがしたみてえに、手を掴んで握る……とかができねえくらい水戸には隙がねえから、こっちからまた手を差し伸べる。
「オレも、高校の時水戸のこと好きだったから」
「え、」
「レンタルじゃなくて、ヨウじゃなくて、水戸洋平と付き合いたいんだけど……」
赤くなった顔をそのままにオレを見てくる、その黒い瞳におんなじような顔をした自分が映って決まらないったらない。再会の理由も思い返してみれば散々だ。
(それでもまあ)
「……オレ、ヨウのときみたいにアンタが欲しい言葉とか態度取れねえよ」
「いいよ。むしろオマエなら、そういうことしねえだろうなって思ってた」
「あと、アンタが今まで遊んだ男全部切ってくんねえとイヤだ」
「おう、今すぐする」
む、と口を尖らせた水戸が、恐る恐るという鈍さでオレに手を伸ばしてくるから、できるだけの力を使って掴み直して握って、指の付け根を撫でるように擦ってやると、やめてよと恥ずかしそうな声色が飛び出た。
「オマエがいつもしてただろ」
「そういう接客テクなの、三井さんはしなくていい」
「いででででで」
ぐぐぐと握りつぶされんじゃねえかって強さで握り返されて、やめろやめろと言うとようやく力の抜けた顔をして笑う。
「なんだ、オレらずっと両想いだったんだ」
「そうみてえだな」
「……すぐオレだって気付いてくれなかったみたいだけど?」
「うるせ、記憶の中のオマエの言動と一致しなかったんだよ。ヨウは優しかったからな」
「あ、オレとヨウ比べんのもナシね」
「条件多いな」
わは、と笑った水戸が手を解いて、コーヒーを飲む。
「ねえ三井さん、オレの秘密教えてあげる」
「お、なんだよ」
にんまり笑った水戸が、オレのコーヒーカップと自分のコーヒーカップを入れ替えた。
「熱いのも苦いのも、本当は苦手なんだ」
そんなとびきりの秘密に笑って、苦いコーヒーを代わりに飲み込むことにしてやった。
とりあえずそうだな、今からレンタル彼氏のときには聞けなかった水戸洋平のことをたくさん教えてもらって、それからオレん家に行こう。
「イチャつくのは家ン中がいいからな」
「じゃあラーメン屋も行こう。塩食いたかったんだ」
あの日の記憶も、家の中の記憶も、全部塗り替えていこう。
「なあ水戸」
「なに、三井さん」
「そのうち『ひさしさん』ってまた呼べよ」
そう言うと眉を顰めて、それから頬杖をつく。
「三井さんはオレのことなんて呼ぶの?」
ヨウって呼ぶのは嫌がるか? と少しの考えを巡らしてもしっくりくるものが「水戸」呼びなことに我ながら呆れる。
「みと」
「なんだよそれ、」
くふ、と笑った水戸が嬉しそうに笑ってから、思い出したように携帯を差し出してくる。
「連絡先、改めて教えて。社用の方のは削除されてっからさ」
「ああ、そっか」
メッセージアプリを起動して、お互いを登録する。
「ちなみにね、三井さんが初恋だからね」
コーヒーよりもとんでもねえ秘密をさらりと言った水戸に、オレもと言ったら、少しはこのすました顔を崩せるだろうかと口を開いた。