想うはあなた一人 秋の昼。残暑はまだ少し残っているものの、気候がほんの少し穏やかに感じられるようになったある日。ダイキは珍しくハザマではなく、人間界のとある霊園に来ていた。
「よいしょ……ふぃ~、だいぶ綺麗になったかな」
「ダイキ、こっちも掃き終わったぞ」
「ありがとう龍之介。それじゃお線香あげとこっか」
墓石を丁寧に磨き、周りの落ち葉や雑草を払いのけた二人は火を灯した線香を前に目を瞑り手を合わせる。
(…ただいま。お祖父ちゃん、お祖母ちゃん)
そう、彼岸の時期。二人はダイキの祖父母へ墓参りをするため、人間界に訪れていたのだ。
「だいぶ汗かいちゃったね」
「もう9月って言ってもこっちはまだまだ暑いみたいだからな。半袖でも良かったんだぞ?」
「あはは…ハザマみたいに肌寒かったら嫌だな~って思って…」
「まあ確かに、あっちにいれば気温の感覚も変わってくるか」
墓参りを済ませ、ハザマへの帰宅途中で他愛もない話をする二人。久しぶりの人間界でのお出掛けなのだが、今回は墓参り以外は特にどこにも寄らずに帰宅する予定だ。
因みに、今は龍之介が運転する黒の軽自動車にて移動している。ハザマから人間界に行く時は車での移動が比較的楽であり、尚且つ自然であるからだ。
「………」
「ん、どうした?ボーっとして」
信号待ちしている間、ダイキが窓から空を眺めて呆けてるのを目にした龍之介が話しかける。今日は雲が一つ二つ浮いてるぐらいの晴れた秋空のようだ。
「いや…『死後の世界』ってどんなだろうな、って思って」
「もしかして、さっきの住職の話か?」
「…うん」
数刻前。墓掃除のための道具を返却しに霊園を管理してくれている住職の元を訪れ、その際に二人は挨拶をしていた。そこで少し話をしていたのだ。
といっても内容はご先祖様を敬うことは非常に大事なこと、亡くなった方へ思いをはせるのは良い時間、等の神仏に仕える者が語るありがたいお言葉みたいな決まり文句がほとんどであった。ダイキもその一人であるため、そういった心得は当然持っていた。
ただ、ダイキの中で印象に残った言葉が一つだけ。
(あなた方が冥福を祈ることでご先祖様たちは彼岸、つまり『死後の世界』にて安らかに過ごすことが出来るのです)
『死後の世界』。そのフレーズがダイキの頭に少し引っかかっていたのだ。
「そういった世界が本当にあるのかなって思ったんだ。それこそ、異界やハザマみたいな存在を知った今だからこそね」
「なるほど。確かに異界には閻魔王様が指揮を執る地獄も存在してるし、そういう疑問を持つのも分かるよ」
「でしょ?でもレイキが言ってたの。『異界の地獄は人間界の地獄とは別物』って。だから異界に『死後の世界』に属するものがあっても、そこにはお祖父ちゃん達はいないんだよ」
「…そうだな」
赤信号が青に変わり、龍之介はアクセルペダルをゆっくり踏み込んだ。
「お前はそういう場所に行ってみたいのか?」
「…そうかもね。本当にそんな場所に行けるなら行ってみてもいいかも」
どこか遠い目をしたまま話すダイキ。叶う可能性が限りなく低い、もしくはそれすら無いような夢物語を話している自覚があるのだろう。その様子を横目に、龍之介はあることについて少し考え込んだ。
車内に暫しの沈黙が流れ、再び龍之介が口を開いた。
「なら、行ってみるか?」
「…え?どこに?」
「『死後の世界』、みたいなとこだ」
「わぁ…!」
小高い丘を登り切り、目の前の光景を目にして、ダイキは思わず感嘆の声を漏らした。
そこには無数のヒガンバナが咲き誇り、地面を鮮やかな紅色で覆っているという神秘的で、それでいて少し不気味なほど美しい景色が広がっていた。
「凄い…こんな場所があるなんて」
「な、言ったろ?絶対驚くって」
「…確かにそうだったね」
ヒガンバナ畑に見惚れるダイキの後ろから龍之介が声を掛ける。ここは龍之介の故郷である竜の国。この場所はその竜の国の中心部から少し離れた部分に当たるらしい。
あの会話の後、ハザマに帰還するや否や、龍之介が「故郷で案内したい場所がある」と連れてこられたのだが、その途中で行き先についても内緒にされていたのだ。ヒントをねだっても、
「きっとお前が驚く場所だ」
の一点張りで大した情報を知らされていなかったため、こういった景色を見れるとダイキは予想出来ていなかった。
ダイキの隣へと歩み寄りながら龍之介は話を続けた。
「ここは竜の国の観光名所の一つ、『彼岸の里』っていう所だ。この場所は一年を通して気温が20~25℃と比較的涼しく、尚且つ湿気が少なくてな。そのおかげで見ての通りヒガンバナが育ちやすい環境になっているんだ。加えて、元々自生していたヒガンバナが他の植物を差し置いてドンドン生育範囲を伸ばしていったのも相まってこういう場所になったんだとよ」
「へぇ、よく知ってるね」
「前にここの管理人から教えてもらったことだけどな。それと、この『彼岸の里』はこういった景色の様子から生きた者が立ち入る場所ではない、という意味合いも込めて一部では“故人の庭”とか“『死後の世界』”なんて呼ばれてるらしいぞ」
「『死後の世界』…」
顔をヒガンバナ畑に向けてみる。
確かにこの異質とも思える光景はこの世の物とは思えなくても不思議ではないだろう。他の草木が一つも見当たらず、ただただ紅色の海が遥か向こうにまで見えそうなほど広がっている。この景色につける名前としては一番ふさわしいかもしれない。
「昔、父上にここへ連れてきてもらった時があったが、この景色と色、何より衝撃が凄かったな。ただ花が咲き乱れているだけなのに、こんなに怖くて魅入ってしまう場所があったのか、ってな」
「…その気持ち、僕も分かるな。本当に怖いくらい綺麗で、でも絶対に忘れられない、そんな気分になるよ」
禁忌の場所に足を踏み入れたような感覚、と言うべきか。いづれにせよ形容しがたい気持ちに襲われるというのがこの場所に対する二人の共通認識のようだった。
「…ねぇ、ちょっと一緒に歩かない?」
「あぁ良いぞ。あまり遠くに行くと迷子になりそうだから、グルッと一周する感じで行くか」
「うん、それでいいよ」
そう言ってダイキが先行する形で彼岸の里でのお散歩を開始した。
ヒガンバナ畑に足を踏み入れようとすると、人一人通れるような小道が作られているのが目に入った。観光地になってることもあって、きっと先ほど龍之介が話していた管理人が設置してくれたのだろう。歩き回りやすく、且つ景観を損なわないように最低限の道を形成してくれたことにダイキは少しばかりの感謝を込め会釈をした。
紅色の海の中に凛と咲くヒガンバナがしっかり見える。それらは同じような見た目をしていると思っていたが、よく見ると一つ一つ咲き方や高さ、色の濃さも若干違っていることに気づいた。
紅色の海と一括りにしていたが、実はちゃんと個性がある花々であることが何となく可愛らしいと思ってしまう。花を愛でるとはこういうことなんだろうか。
花畑を半周回り終え、ふとスタート地点を眺めてみた。今の立ち位置は恐らく最初の場所から一番離れた反対側、そこに辿り着くまでヒガンバナに夢中になってしまっていたのだろう。その事実を再確認し、少しため息をついた。
(本当に魅入っちゃってたんだね。ちょっと歩くだけだったのに、時間の経ち方すらどうでもいいぐらい楽しんでたんだ…)
飽きることのない花畑。怖いとすら感じていた海に身を投じ、そこの花一つ一つを食い入るように眺めていた。
もしかしたら“こちら”ではなく、既に“あちら”に入っているのではないだろうか。『死後の世界』の名の通り、彼岸へ足を踏み入れられる場所なのだとしたら…。
(この先に、手を伸ばしてみたら行けるのかな…)
ゆっくりと、誘われるように、自身の左手を伸ばしてみる─
「ダイキ」
「!!」
突然の呼びかけにピタリと動きを止め、声の方へと顔を向けた。そこには、ただ黙ってこちらを見つめる恋人が居た。
「…どうしたの、龍之介」
刹那、体の横ををするりと吹き抜ける風が一吹き。後ろ髪が優しく煽られ、秋の涼しさを肌で感じた。
「あんまり、一人でそっちに行くな」
「あ…」
足元をよく見ると、小道ギリギリにまで足を近づけ、今まさにヒガンバナ畑に踏み入ろうとしているところまで来ていたことに気づいた。幸い、花を踏んだりはしていないようだ。
「ごめん…!ボーっとしてて…」
「いや良い。今日のお前ならそうなっても仕方ねぇよ」
「今日の…?」
龍之介の言葉にダイキは思わず疑問符が浮かんでしまった。そのまま彼は言葉を紡いだ。
「お前、墓参りに行って、住職の話を聞いて、そこから何となく思い耽るような顔してたんだよ。大方、祖父さん祖母さんのことで何か思い出してんのかなって考えて、だから今日はここに連れてきたんだ。ここならお前の思いに何か具体性が生まれるんじゃないか、ってな」
「具体、性…」
「それでどうだ?何でもいい、思い浮かんだこと話してみろ」
そう語る龍之介の目にはいつも以上に穏やかで優しい気配を感じた。少し間を置き、ダイキは先ほど感じていたことをそのまま龍之介へと伝えた。
「なるほど、そういうことを考えてたんだな」
「うん。僕としては、別に死にたいとかっていう訳じゃないんだ。ただ本当に興味本位でそういう世界を覗いてみたい気持ちが少しある、ってぐらいで…」
「ふーん…そうか」
「…ねぇ龍之介、お祖父ちゃん達のお葬式の時憶えてる?」
「ん?ああ」
「あの時、ほんの少しだけ、二人の後を追いたいって思っちゃったことあったんだ」
「…!」
自分の育ての親、大切な家族を同時に失ったあの夜。多くの涙を流し、暫くは大きな虚無感に襲われていた。その時にダイキは、二人がいるであろうあの世に思いを馳せていたことを龍之介に打ち明けた。
「でもね、あの時に君がくれた言葉が僕を支えてくれたんだよ」
(大丈夫、俺は絶対に離れないから。いつまでもお前の傍に居るから)
「あの言葉がなければ、本当に後を追ってたかもしれない。それぐらい君の言葉は僕の救いになってたんだよ」
「……」
「今日ここに来たおかげで、それを今改めて感じれた。本当にありがとう」
黙って話を聞いてくれている彼に向けて感謝を述べ、優しく微笑む。それに応えるように龍之介も口を開いた。
「俺も一つ、確信できることがあった」
「…何?」
「『死後の世界』がどんな場所なのか、俺には分からない。だが、俺はお前となら、例え“あちら”に行っても怖くない」
「…!」
痛いほどに真っ直ぐ見つめる眼差しも相まって、少し鼓動が高鳴る。彼の真剣で揺るぎないその確信が、自分を勇気づけてくれているのだと分かった。
「…そうだね。君と一緒なら、きっと怖くないよね」
「あぁ、そうだとも」
言葉を交わし、目線を交え、互いの手の平を合わせ繋ぐ。二人にとってはそれだけで魂を結ばれたも同然だ。
いつか目の前のような世界に行くことがあっても心配はない。その時はきっと必ず、二人一緒なんだから─
夕日が差し込む彼岸の里。その中でとある夫婦が手を繋ぎ、他愛ない話をしながら歩いていた。