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    mrmrgs1000

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    不器用な神の手 土地が違っても人間という生き物はある程度行動が似通るらしい。
    「いいだろ? 酒ならいくらでも奢ってあげるから」
    「うーん、どうしようかなぁ?」
     誘い文句のように聞こえるが、その実じりじりと距離を詰めて来るのは如何なものかと思う。女の子だったらとっくに危機感を覚えているだろうし、可愛い男の子から見てもこれはちょっとヤバイと思うから。
     今日は璃月における海灯祭の日だ。何度かこの祭りの日に立ち寄った事はあったけれど、今年は特に記憶に残るような特別な夜だったと思う。美味しい料理と美味しい酒をしこたま味わって、昔からの腐れ縁のじいさんと少々絡んで良い気分で店を離れた。
     それから小一時間、別のお店でちょっとだけ飲み直して帰ろうと思ったら、店の客の一人に追いかけられて路地裏で声をかけられた。そして今に至る訳なのだが。
    「お兄さん、ちょっと落ち着いた方が良いよ? 相当酔ってるでしょ?」
    「君だって相当飲んでいただろ? なぁ……あの歌声をまた聞かせてくれよ。今度は俺一人の為にさ」
     とん、と背中が壁にぶつかり退路を失った事に気づく。ああ確かに、今日は大分いい気分で飲んでいたから、自分も少し警戒心が足りなかったようだ。とはいえ自分とて七神の一人、人の子に遅れをとるような事はないが、問題なのはちゃんと手加減してこの場を切り抜けられるかどうかである。アルコールでふわふわした頭で、目の前の青年に怪我をさせず撤退させる事が出来るか否か。
     そんな事を考えている間にも、どこか愉悦の笑みを浮かべた青年がゆっくりとこちらへ手を伸ばす。もうここは最小出力の風域でも作って軽くダウンして頂くか。
     ふぅ、と小さく息を吐いてそれを実行しようとした刹那。
    「そこまでだ」
     耳に馴染んだ、心地良い声が思ったより近くから聞こえた。かと思えば突然腹部に掛かる圧力にうぇっ、と情けない声が口から洩れた。
    「……肩が食い込む、吐きそう」
    「ほぅ、ではお姫様抱っこと呼ばれるものをご所望か? 呑兵衛詩人殿」
     まるで荷物のように自分の体を肩に担ぎ上げたじいさん……元岩王帝君モラクスは、慈悲も何もない淡々とした声音で問い返したものの、処遇を改める気もなさそうだった。
    「な、なんっ……貴様、今、どこから……!?」
    「あー……ごめんねぇ、ボクすっかり忘れてたけど、今日はこのじいさんと先約あるんだったよ~。君も気をつけてお家に帰りなね?」
     肩に担がれたまま顔を上げてひらひらと手を振ると、話は終わったなとばかりに突如現れたじいさんはすたすたと歩きだす。その振動にまた腹を圧迫されて小さく呻くと、今度は心なしか揺れが収まった。一応気を付けて歩いてくれているらしい。
     とはいえ。
    「……ねぇ、恥ずかしいから降ろしてくれない?」
     時刻は割と遅いとは言え、今日は海灯祭だ。街にはまだまだ消える事のない灯と、大勢の人が行き交う姿が視界に映りこむ。そんな人々の視線がちらほら注がれている事には気づいているだろうに、人の視線に慣れているこの男ときたら。
    「またああいう輩に声をかけられるよりはましだろう」
     ああこれは、降ろしてくれる気はなさそうだ。もうこうなったら明日の璃月中に『あの鍾離先生が祭の夜に少年をお持ち帰り』なんて醜聞に塗れれば良いと思う。
    「……どこ向かってるの?」
     ふわふわした頭では方向感覚も馬鹿になっているようで、どこに向かっているのか周囲の景色をチラリとみても分からない。
    「そうだな……洞天にならお前をもてなす酒くらいはある」
    「洞天、かぁ……」
     そっかぁ……なんて小さく呟いて、諦めたように全身から力を抜いた。
     そうだ、確か昔もこんな事があったっけ。あれはもう、軽く500年は昔の事だったか。



     人の形を取った当時、自分は人間としての己の容姿がどんな風に人の目に映るのかなんて、まるで分かっていなかった。
     それを自覚したのは恐らくかなりの年月を経た後。人に扮して人間の生活を体験してからの事だ。
     そう、自分の人間としてのこの姿。かつてのかけがえのない友人の容姿というのが。
    「ウェンティ君って言うのかぁ、可愛いねぇ……おじさんとお酒でも飲まないかい……?」
    「へへっ、可愛くてごめ~ん」
     どうやらそう、女の子顔負けに可愛い、所謂美少年と呼ばれるものだと言う事を。
     褒められるのは悪くない。いや寧ろ嬉しい。何せこの姿はかつての友人を模したものであり、その友人を褒められているようでとても誇らしい気分になるからだ。そういえばまだ自分がただの精霊で在った頃、かつての友人もよくこんな風におじさんに誘われていた事を思い出す。その度彼は困ったように若干顔を引きつらせつつ断っていたが、なるほど人を知るようになってようやくあの時の彼の気持ちが理解できた。今なら的確に人の言葉で表現できる。
     うわぁ、変態だぁ。
     なんてわざわざ口にはしない事もこの数年でちゃんと学んだ。ちょっと呼吸が早くて手が脂ぎっていて若干目つきもおかしい気がするが、こういう相手を刺激するのは却って逆効果。穏便に済ませる方法を瞬時に15通りくらい思い描き、16番目に思いついた『酒を好きなだけ奢って頂き相手をベロベロに潰してからトンズラする』という案を採用しようと神様スマイルを浮かべてみせる。その瞬間、心臓を抑えてウッ、と呻いた男性は、荒い呼吸をさらに荒げながらこちらの肩を掴もうとその手を伸ばして。

    「……揺らぐことなし」
    「うぼぁぁ!?」

     ドゴォ!というえげつない轟音に混じって、おじさんの悲鳴が路地裏に上がる。突然目の前に生えた岩柱を目を見開いて凝視した彼は、ヒィ、と情けない声を上げて転がるような勢いで逃げ出して行く。そんな哀れな後ろ姿を見送った後、はぁとため息を吐いて声のした方に目を向けた。
    「何してるのじいさん……凡人相手に大人げなくない?」
    「俺は寧ろ、あの凡人がお前にモラを食いつくされる前に助けてやったつもりだが?」
     暗がりから現れたのは、フードを被った長身の男……いや、一目で凡人とは違うと分かるこの璃月を治める神。岩神モラクスの姿だった。
    「君がわざわざ出迎えてくれるなんてね~どういう風の吹き回しかな?」
    「出迎えた訳ではない。何の知らせもなく隣国の神が訪れたとなれば、理由くらい気にかけるだろう」
    「頭が固いなぁ。今日はお祭りって聞いたから、美味しいお酒を飲みにきただけだよ」
    「……そうか」
     こつこつと足音を響かせ、目の前で足を止めた男は相も変わらず神としての風格と威厳を無駄に振りまいている。凡人がこの姿を目にしたら、とりあえず地に伏せて崇めるしか術がなくなる事だろう。
    「……ひれ伏したら酒代くらい出してくれないかなこの岩神」
    「聞こえているぞ、喧嘩なら堂々と売るが良い」
     言い値で買ってやろう、なんて真顔で告げる辺りまだまだ血気盛んなじいさんだと思う。恐らく生涯現役で過ごす事だろう。
    「君に喧嘩売る暇があるならモラを稼いでお酒につぎ込むよ。ま、でも一応ありがとう。可愛すぎるのも罪深いよね」
    「……ああいった輩は初めてではないのか?」
    「モンドの酒場に行けば日常だよあんなの」
     ふむ、と微妙に眉を寄せる辺り、何だかんだと年長者として自分を心配してくれているのだろうか。神の座に就いたばかりの頃も、そういえば何かと気にかけてくれたりお説教してくれたりお小言をくれたり……いや忘れよう、これ以上はいけない。あの時の悪夢を再び見ない為にも、早々にこの場を離れるべきだ。
    「それじゃ、ボクは適当なお店で飲み直すから。じゃあね岩神サマ」
     くるりと踵を返した瞬間、若干足がもつれてぐらりと体が傾いだ。調子に乗って少し飲み過ぎたようだ。ふわふわする頭であ、こけるとぼんやり考えたその瞬間、ふわりと体が浮く感覚に目を白黒させてしまう。
    「……え? あれ、ちょっと……?」
    「これ以上璃月の民がお前に酒をたかられては困る。まだ飲みたいと言うなら俺の洞天に来い」
     何だか凄い格好で、予想外の事を言われている。
     ひょいと荷物のように肩に担がれながら、混乱した頭で考える。
     飲みたいなら俺の洞天に来い? モラクスの洞天で? 酒を飲めと?
    「えー……じいさんとサシで飲むの?」
    「凡人には一生の間でも叶えられん機会だ、光栄に思え」
    「ボク風神信仰のモンドの民なんでぇ」
    「供え物の酒が山ほどあるが、そうか残念だ」
    「今日から岩神を崇めまーす!」
    「調子が良いにも程がある」
    「あいた!」
     べしっと尻を叩かれ苦情を漏らすが、モラクスは気に掛ける事もなく足を踏み出し。
     次の瞬間には景色が切り替わり、そこにはかつて訪れた事もある岩神の洞天が存在していた。



     モラクスの言う通り、彼の洞天には璃月の民から捧げられたと言う美味しい酒で溢れていた。思わず皮肉も忘れて目を輝かせると、好きなものを飲めという若干呆れた声を皮切りに、高そうな物からどんどん開封して回った。
     口にした酒はどれもこれも絶品で、自然と機嫌だってよくなってしまうと言うもの。気づけばモラクスにもぐいぐい酒を勧めていたし、ライアーを取り出して軽く一曲披露したり、人に紛れて生活している時の話をしてみたり。
     思えば、何前年と付き合って来た長い年月の中で、一番打ち解けた時間ではなかろうか。そんな風に思ったのは、互いに良い感じに酔いが回った頃だった。
    「ふふっ……何か変な感じだよねぇ……。じいさんって、こんな話せる人だったんだぁ」
    「まぁ……普段は他の者も目もあるからな。年長者として、緩んだ態度は見せられんだろう」
     いかにもお高そうなテーブルに突っ伏すような恰好でグラスを持ち、未だ姿勢よく椅子に座るモラクスを視線だけで見上げる。
    「へぇ~? じゃあもしかしてぇ……別にボクの事嫌ってる訳じゃないの?」
    「……は?」
     それは、自分にとっては長年のちょっとした悩みだった。
     モラクスは、自分でも言っていた通り年長者としてとても厳しい面を持っている。特に付き合いの長い自分は、もう何千年という長い月日を怒られたり何だりで過ごしてした記憶が多い。まだ未熟な神だった頃から厳しく指導され、未だってこの通り呆れられたり怒られたり。その度へらへら笑って躱していたが、内心ちょっと寂しいというか……悲しいというか。
    「モラクスってさ……いつもボクに厳しいし、ボクがお近づきになろうと寄って行っても眉間に皺寄せて怖い顔しているし……まぁ契約を重んじる君みたいな神が、ふわふわしたいい加減な風神なんて好きな訳ないと思うけど」
    「待て、何の話だ?」
     ああほら、またそうやって眉間に皺を寄せる。
     そう口に出して、つんつんと眉間を指先でつつくと初めて気づいたようにはっとしたような顔を見せる。
    「俺は……いつもそんな顔をお前に向けていたか?」
    「そーだよぉ。だからボクずーっと、君に嫌われてるのかなーって。……実際どうなの? じいさん」
    「好きか嫌いかで区別するなら、好きだ」
    「……びっくりするくらい即答で酔い覚めそう」
     もしかして酔ってる? と問いかければ、本人にも自覚はあるのか多少、と答えが返ってくる。なるほど酔っぱらいの戯言か。それならそれで、遠慮なく絡ませて頂こう。
    「そっか~じいさんボクの事好きだったんだ~? 良かった~ボクもじいさんの事嫌いじゃないからね」
    「曖昧だな。好きか嫌いかではっきりと言え」
    「えー、食いつくじゃん?」
    「俺には言わせただろう」
    「勝手に言った癖にこの横暴帝君~。うーん、そうだなぁ」
     よいしょ、とゆったりとした動きで頭を上げ、グラスをテーブルに戻していたモラクスの手をそっと掴む。じっと視線が注がれる中、その大きな手にすりっと頬を摺り寄せると、驚いたように石珀のような瞳が見開かれた。

    「触られたら嬉しい、って思うくらいには、好きだよ?」
    「っ……」

     容姿に秀でた吟遊詩人である自分に、触れようとする者は割と多い。けれど、本来あまりベタベタ触れるのは好きではなかった。元精霊である自分にとって、触れられる、という感覚がまず奇妙でしかなかったからだ。
     それが覆ったのは、もう遠い昔の事。
     一度だけ、戦争が終わった後に。

    『……よくやった』

     いつものように淡々とした声で、ぽん、と頭を撫でた大きな手。
     それを温かいと、嬉しいと思ってしまったその時から。余計に、嫌われているという疑念が胸を締め付けて。
     だからこそ今、頬に当たる掌の温度がこんなにも心地良い。それを伝えるようにふにゃりと力の抜けた笑みを浮かべると、動かなかったモラクスの指が、すりっと頬を撫でるように動いた。
    「お前こそ……嫌ではないのか?」
    「何が……?」
    「お前にはいつも厳しく当たってたし……俺を恐れていただろう? だから」
    「怖くないよ。……だから、もっと触っていいよ」
     出来ればあの時と同じように、頭を撫でてくれたらどれほど嬉しいか。
     そんな事を考えている間に、モラクスの端正な顔がゆっくりと近づいている事に気づき、思わずぱちりと目を瞬かせる。逸らす事無くじっと彼の顔を眺めたまま、それは止まる事無く唇にそっと触れていた。
     ……これは確か、人の営みで言う、口づけというものでは?
     行為自体は知っている。だが確かこれは、愛しいと思う相手にするものであり、いくら酒で場の空気が和んだからと言って軽々しくするものではないのでは。いや、人間には確かこういった行為を行う場合もあったはず。確か、そう。
    「……ワンナイト?」
    「……何?」
     唇を離したモラクスが、思わず口から出た言葉に反応して動きを止める。
    「いや、うん……こういうのって、そういう事でしょ……? じいさん、もしかしてボクと人間がするような営みがしたいのかなーって」
    「…………お前は、した事があるのか?」
     何故か表情の硬いモラクスが、疑惑の目を向けて来るのを不思議な気持ちで受け止める。
    「いや、ないけど」
    「……ない癖に、随分と軽々しく」
    「じいさんはあるの?」
    「何の尋問だ?」
     いや純粋な好奇心を向けているだけなのだが、何故モラクスはこんなにも動揺しているのだろうか。また眉間に皺を寄せて顔を伏せ、『そうかこういった事には…』『今のうちに分からせた方が…』などと理解しがたい呟きを数回零し、やがて意を決したように顔を上げた。
    「逆に問うがバルバトス」
    「うん?」
    「俺がそういった事をお前としたいと言ったら、お前は」
    「するする~」
    「お前の貞操観念はどうなっているんだ?」
    「何で怒るの~? ……じいさんがいっぱい触ってくれるなら、嬉しいかなって」
    「……お前は……他でもそういう発言をしているのか?」
    「する訳ないじゃん」
     ボク、他人に触られるのあんまり好きじゃないし。
     君だからいいんじゃないか。
     酔った頭は難しく考える事を放棄し、ただただ思った事をストレートに言葉にする。それがモラクスにどう響いたのか自分には知り様もなかったが。
     もう一度唇に触れるモラクスの行為が、嬉しい事だけは確かだった。



    「ええ~……ほんとに、するの?」
    「今更怖気づいたのか?」
     呆れたようにそんな事を言われても、こういった行為は未経験な訳で、いざ本番となってようやく思い知らされたのだ。
     こういった行為が、死にたくなるほど、恥ずかしいと。
     びっくりするほど丁重にベッドに運ばれた時から、心臓が爆発しそうだった。何せあのモラクスの、戦場での荒ぶる姿を見慣れている身としては、こんな優しい仕草も出来たのかと驚きと共に居たたまれなさで今すぐモンドの風に戻りたい気分だ。つまり何というか、酔いなど一瞬で吹っ飛んでしまって、今現在ベッドに組み敷かれているこの状況を把握し始めじわじわと羞恥が襲い掛かってきている訳だ。
     無論、何千年と生きてきた身だ、知識としては何をするのかくらい分かっている。酒場でだってそういう下世話な話は日常的に耳に入るし、何ならそういう誘いを受けた事も何度もある。応じた事は無論皆無だが。
     そしてこれから、知識でだけは知っているアレやコレやをモラクスと行うのかと思うと、酔っていたとは言えワンナイとか言い出した数分前の自分を風域に乗せて吹っ飛ばしたい。
    「そういう訳じゃないけど……その、モラクスは……ボクの事、抱ける、の……?」
     純粋な疑問として。
     ついさっきまで互いに嫌われている、怖がられていると勘違いしていたはずなのに。さらに言うならこの体は一応男性のものだ。いくら可愛くても女性のような柔らかみもなければ行為に適した体でもない。そんな自分をわざわざ抱く事にどんなメリットがあると言うのか。まぁ、自分から誘ってしまったようなものなのだが。
     じっとこちらを見下ろしていたモラクスは、少し考える素振りを見せた後ゆっくりと口を開いてみせる。
    「抱ける抱けないで言えば、抱けるな」
    「そ、そうなんだ……」
    「お前はどうなんだ?」
    「……え?」
    「大方やっと正気に戻ったようだが……このまま続けても良いと思うのか?」
     このまま、続けても。
     これまでに蓄積した情報だけがぐるぐると頭の中を駆け巡る。多分それは、何千年と生きてきても経験した事のない感覚で、きっと羞恥で死んでしまいそうなそういう行いなのだろうけど。
     この、思いの外好きだなぁ、と気づいてしまった大きな手が、この体に触れてくれるのなら。
    「……ボク、割と人気者なんだよ?」
    「……だろうな、稀代の吟遊詩人殿」
    「そんなボクの初物をあげるんだからさ……冥途の土産にでもしなよ、じいさん」
    「お前は本当に可愛くないな」
     台詞とは裏腹に、ふっと優しく笑ったモラクスがまた頬を撫でる。初めて向けられる柔らかい眼差しにドクリと心臓が大きく跳ねて、ぎしりとベッドが軋む音と共に何度目かの口づけが降りて来る。
     恥ずかしさにぎゅっと目を閉じ、されるがままに身を委ねる事くらいしか出来ない。頬に、瞼に唇を這わせながら、モラクスの指がマントのリボンを外し、ゆっくりと首元を緩めて行く。首筋が外気に触れたかと思えばそこに唇が押し当てられて、ぬるりと舌が這う感覚にぞわりと背筋が粟立った。
     今更泣き事を言って呆れられたくなくて、ぎゅっと唇を引き結び声を漏らさぬよう耐えている間に、モラクスの手はコルセットやシャツを丁寧に外し、普段晒さぬ肌を徐々に暴きにかかっている。
     薄い胸元を掌でなぞられて、またぞくぞくと未知の感覚が背筋を這いあがった。一体どんな顔で自分に触れているのだろうかと、好奇心に負けて目を開いてしまい、そこで後悔する事になる。
     自分を見下ろすモラクスの目には、これまでに見たことのない、明らかな欲の色がはっきりと浮かんでいて。自分のこの体に興奮しているのかと理解した瞬間、全身の血が顔に集まるような羞恥を覚えた。
    「随分と可愛い顔をするな」
    「……じろじろ見ないでよ、悪趣味」
    「隠すな」
    「っ……!」
     思わず腕で顔を隠せば、それを許さないとばかりに手首を掴まれシーツに押し付けられる。泣きそうな気持で軽く睨んでやると、何故か酷く満足したような表情でその手が顔に伸びてきて。
     指先が、ふいに三つ編みの先にある細い紐を引き抜く。次いで、モラクスの長い指が三つ編みの根本に挿し込まれ、しゅるりと解くように下へと動かされた。
     はらりと頬に掛かるのは、普段ずっと三つ編みにしてある髪の一部。柔らかなそれは、ずっと編んであったため軽く波打っていて、それを横目でチラリと見た後、疑問を視線に乗せて送る。
    「……なに?」
     問いかけるも、モラクスは無言のままもう片方の三つ編みもその指で解いて行く。同じように波打つ髪を指で暫く触れた後、また満足そうな笑みがその顔に浮かんでいた。
    「え、何なの……?」
    「いや……」
     何と言ったら良いのか考えるように暫しの沈黙を保った後、モラクスは分かりやすく言ってのけた。
    「思った以上に、興奮するな」
     三つ編みを、解く事が?
     いや、そうではなく。
     ……多分、恐らく、誰かの前で三つ編みを解いた事など一度もないから。そんな姿を見て興奮したと、そう言っているのかモラクスは。
     ああもう、本当に。何なのだこのじいさんは。
     これじゃまるで、まるで、自分の事を、好いているようではないか。
     あれ、ワンナイってこういう感じなんだっけ? 聞いた話だと、一夜の過ちというかその時だけの関係とかそういう感じだったはずなのに。
     それでもいいか、なんて思ったのに。
     そんな愛おしげな目で見下ろされたら、勘違いしそうになるではないか。
     だからもう。
    「なら丁度いいんじゃない? ……興覚めする前に、終わらせよ?」
    「……ああ」
     何か言いたげな視線を感じたが、今度は自分から唇を寄せて続きを封じ込める。
     覚悟を決めてもう一度強く目を閉じると、今度こそモラクスに身を委ねた。



    「……それ、まだ興奮するの?」
    「そうだな」
     まるで500年前の再現だな、なんて考えながら、あの時と同じ洞天のベッドで、懲りずに同じ事をしている。あの時、次はいつ会えるかなんて、らしくない事を尋ねてきた男に『100年に一度くらいは付き合ってあげるよ』なんて返したけれど。まさかそこから500年程眠りにつくなんて、自分でもちょっと予想外だった訳で。
     しゅるりと三つ編みを解く指に淀みはない。愛おし気に波打つ髪を指で梳き、感触を楽しむような男の仕草にぎゅっと胸が締め付けられる。
    「500年ぶりなんだから、手加減はしてよね鍾離せんせ?」
    「あの時も十分優しくしただろう」
    「まぁ……そうだけど」
     本当に、びっくりするくらい優しくされて死にたくなるほど恥ずかしかった。恥ずかしくて、でも気持ち良くて、このじいさんずるいなぁ、なんて思いながら。
    「ボクの事、探したの?」
    「さっさと場を離れた時には少し焦った」
    「ふふ……追って来てくれるかなぁ、って、ちょっと考えてた」
    「今日は随分と可愛げがあるな」
    「まぁ、酔ってるからね」
     だからまた、ワンナイしよっか。
     笑いながらそう誘えば、500年前より随分雰囲気が柔らかくなった男が、酷く愛おし気に笑ってみせた。



     ちまちまと、真剣な面持ちの男が懸命に髪を編んでいる。無論、自分の横髪だ。
     ベッドの端に座ったまま、編まれて行く髪を眺める事暫し、ようやく出来たぞ、という声が聞けて脇に用意しておいた手鏡を覗き込む。覗き込んで、落胆した。
    「……へったくそ。歪んでるし」
    「……こういう細かい作業は、あまり得意ではなくてな」
    「君、500年前から全然上達してないじゃない」
     確かあの時も、ぐちゃぐちゃの三つ編みに溜息を吐いた覚えがある。全く、解くなら編めるようになって欲しいものだ。自分でやっても良いのだが、今は体のあちこちが痛むしだるいしで何もしたくない訳で。
    「少しは練習しとけば良いのに」
    「俺にその髪型が似合うとでも?」
    「君にやれとは言ってないよ……他の人の髪で練習すれば良いじゃないか」
     まぁ三つ編みの練習なんてした所で、披露する場面は極々限られている訳だけど。
    「そうか、なら次までにお前で練習させてくれ」
    「……おかしくない?」
    「何がだ?」
    「いや、色々……次って……」
    「次までには上達しておきたいからな。それに、お前以外の髪を編む予定はない」
     少し歪な、不器用に編まれた三つ編みを撫でながら、男ははっきりとそう言ってのける。いやおかしい、次の話とか、練習させろとか、そんなの所謂ワンナイ相手に言う事では。
    「じいさんって……ボクの事好きなんだね」
    「今更か。次の『ワンナイ』はいつにする」
    「……100年に一度くらいの周期で良いよ」
    「気の長い話だな……ますますじじいになってしまうぞ」
    「もう棺桶に半身突っ込んでる年なんだから、自重しなよ」
    「老い先長いじじいだからな、末永く介護してくれ」
    「そういうの世間じゃ老々介護って言うんだよねぇ」
     まぁ仕方がない、相手は超がつくご高齢のじいさんなのだから。
    「棺桶に入るまで、末永く付き合ってあげても良いよ」
     ワンナイも、回数を重ねれば一夜の過ちなどではなくなる。そう言って歪な三つ編みを撫でれば、恭しくその手に口づけられた。



     その後暫く、歪んだ三つ編みを見咎められて、直そうかという申し出を丁重に断る吟遊詩人は、酷く幸せそうな顔をしていたとか。



    【終】
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