酔っ払い 酒を嗜む神と言えば風神、という認識が強いが、他の神々だってそれなりに嗜むし、岩神モラクスに関しては風神に負けず劣らずの酒豪であることはあまり知られていないらしい。そもそも風神が酒好きという認識が強いのは、己の限界を考慮しないからである。毎度限界を超えて飲んだあとに何かしらやらかした結果とも言えた。
それはそれとして、凡人になったという元岩神と酒を飲み交わすことになるだなんて、ちょっと前なら想像も出来なかった自体だと思う。人前では嗜む程度にしか飲まないらしい『鍾離先生』は、今目の前にいるのが旧知の仲の自分という事で昔のようなペースで飲んでいた。ちゃんとモラを所持しているかは店に入った時点で確認してるし、璃月にあるこのお店は常連だからいざとなればツケもきく、らしい。最終手段として例の公子君にツケるのだけは回避しなくては神の尊厳も何も無くしてしまうと言うものだ。
そんな事を考えながらも、予想以上に飲み交わす時間は楽しいものだった。凡人になって多少雰囲気が柔らかくなった気もするし、様々なしがらみから開放されたじいさんは本当に凡人生活を謳歌しているようで。
だからこそ、気づかなかったのだ。酒を飲むペースが徐々に落ち始め、その目がどこか眠たげに細められる回数が増えた事に。
あれ、と思った時には、じいさんにしてはお行儀悪くテーブルに肘をつき、手にしたグラスをゆらゆらと揺らす様が目に飛び込んで。もしかしてこれ、酔ってるんじゃ?と思った時には、時すでに遅かったのだ。
「おーい、じいさん? もしかして酔っちゃったの?」
「……いや、この程度ならまだ……いけるはず……なんだが」
ひらひらと目の前で手を振るが、その目は眠たげにぼんやりとその動きを追っている。確かに自分が知る限り、じいさんはもっと飲めるはずなのだ。まぁ凡人にしては既に大分飲んでいるのだが、それでもまだ限界には遠いはずなのに。
「……もしかして、凡人になってから酒の許容量が少なくなったんじゃないかい?」
「ああ……なるほど、それは……こんなに飲むのは、久々だからな」
相手がお前だと気が緩んだ。
ぼそりと呟かれたそんな台詞に、思わず目を見開いてしまう。だってあのじいさんが、魔神モラクスが、こんなに素直に自分の前だから気が緩んだ、なんて!
「うわぁ……君って酔うと可愛げあったんだね」
「俺に可愛げ……? 奇妙な事を言う」
「まぁボクもトチ狂ってる自覚はあるけど、実際今の君可愛いよ」
受け答えにも間があくし、今だって何を言われたのか理解するまでにタイムラグが生じている。手遊びのようにグラスを揺らすのが危なっかしくてさっとそれを取り上げると、不満げな表情を浮かべられてますますたまらない気持ちになった。
やっばい、何この可愛い生き物。
こんなじいさん、とても衆目に晒せない。勿論知り合いにだって見せられないし、見せたくない。
となれば素早く撤退あるのみ。
手早く店員を呼んで会計を済ませると(モラはじいさんの財布から拝借した)肩を貸して店の隣にある宿に向かう。何とか歩く事はできるようだが、本格的に酔いが回っているのかその石珀の瞳は先程から何度も瞼に隠されそうになって、かろうじて意識を保っている始末。
本当に珍しい姿を拝んでしまったものだ。凡人の体の限界を後日改めて探る必要があるだろう。
なんて、内心ちょっとだけ約得だなぁ、なんて考えながら、チェックインを済ませ部屋までじいさんを運んでやり、ベッドに重い体を放り込んだところでやっと任務完了、の流れだった。
その、はずだった。
「……ウェンティ」
「ん? どうしたのじいさん?」
ベッドに横たわったじいさんが、のろのろとその腕を上げる。何かを求めるような仕草に、警戒なく近寄ってしまった自分が、今日一の過ちを犯したことに気付かされるのはその後の事だった。
「なに、水でも欲しい? なら貰ってく」
がしり、と思いの外強い力で腕を掴まれて、そこまでは何とか理解出来た。
その直後、抗い難い力で体が引っ張られ、気づいた時視界に映っていたのは部屋の天井……ではなく、顔面国宝とも言える整った顔で。
「え、ちょ、なに!?」
状況を理解して思わず狼狽えると、何を思ってか自分を寝台に組み敷いたじいさんが、やけに色っぽく見える仕草でしゅるりとシャツの襟元を寛げてみせる。
あ、なんかこういうシチュエーション娯楽小説で読んだ事あるなぁ、いやいやでもそんな状況あるわけ無いし? そもそも自分とじいさんの間に、そんな事がおこる訳がない。だから何だか思いっきりキスされてるような気がするしその不埒な手がごそごそと服を脱がせにかかってるとかそうだこれはきっと夢に違いない、もしくは自分も酔っているとか。
「……逃げないのなら、貰い受けるぞ」
だってこれはきっと夢で、逃げなかったら君に何を捧げると言うのか。
酒のせいか、石珀の瞳がとろりと溶けそうに甘く見える。酒気を帯びた吐息が首筋に落ちて行くのをぼんやりと眺めていた自分は、これを本当に夢だと思っていたのかそれとも。
後日、ベッドの上で目覚めた瞬間二人揃って頭を抱える事になったのは記すまでもなく。互いの気持ちが通じるまでには、あとひと悶着あったりなかったりするのだった。
【終】