0802 藍忘機は兎が好きだった。ふわふわして、抱き締めると温かくて、この愛らしい生き物と生きるきっかけをくれた人を思い出すから。
含光君と呼ばれ、人々から崇められるようになった今では、彼らの好物は勿論、性格も喜ばれる撫で方もよく知っていた。
「誰かと思えば藍湛じゃないか! また夜狩か? 時間があるなら話し相手になってくれよ。丁度いい果実酒があってさ……あ、お前のとこは酒が駄目なんだっけ。茶でいいなら温情に聞いてくるよ」
「……」
「なんだよ。嫌なのか?」
「その耳はどうした」
夷陵老祖こと魏無羨の頭の上で黒くて長いふわふわの耳が二つ、嬉しそうにピクピクと動いている。それは見た目も動き方も藍忘機が見慣れた兎のものとよく似ていた。
「あ? 耳? あぁ。こないだ実験で失敗してさ。特に不便は無いから気にするなよ。それより茶でいいか?」
「……。うん」
魏無羨が茶の用意を頼む為に洞窟から出ていき、そして暫くしてから粗末な盆に茶碗を一つ載せて戻ってくる。
「お前なんで逆立ちしてるんだ?」
「精神を、落ち着かせるために」
「へー……」
それ以上何も言わずに魏無羨は机替わりにしていた岩の上に茶托を置き、逆立ちを止めて優雅に裾を払う藍忘機に座るよう勧めた。そして。
「何故、隣に?」
普段ならば向かい側の椅子のような岩に腰掛ける魏無羨が、今日は何故か藍忘機の直ぐ隣にぴたりと座った。
大きく肩を震わせたものの仰け反ることも押し退けることも出来ない藍忘機は、衣越しに伝わってくる少し低い体温に、自身の心臓が破裂しそうな勢いで鼓動するのを感じていた。魏無羨の髪が膝の上できちんと揃えていた藍忘機の手の甲を撫で、握り締めた拳から鈍い音が鳴る。
「あ、悪い。なんだか最近人肌恋しくて……?」
首を傾げる魏無羨と一緒に長い耳も愛らしく傾く。耳だけでなく精神も兎に近付いているのでは。だとか、その可愛らしい耳は今すぐ隠すべきだ。だとか、その耳の桃色の部分はどうなっている。だとか、色々な考えが一瞬にして湧き上がったが、藍忘機はキュッと唇を引き結んだまま背筋を伸ばしていた。
「ちょっとだけ。ごめん」
魏無羨はそう言うと藍忘機の肩にコトンと頭を預けた。長い耳が藍忘機の頬を掠める。
「ん……落ち着く」
魏無羨の鼻がヒクヒクと動き、お前っていい匂いがするな。と独り言のように呟いた。
「っ!」
「あっ♡」
とうとう我慢出来ずに、藍忘機の手が魏無羨の頭に触れ、それから優しく背中までを撫で下ろした。思わず短く声を上げた魏無羨は、震わせた耳をぺたりと後ろに倒し「今の、もっとシて……?」と吐息混じりに訴える。
「っ、分かった」
「あぅ……♡」
数年間、雲深不知処の兎達を相手に鍛え上げた藍忘機を前にして、魏無羨が崩れ落ちるまでそう時間は掛からなかった。頭からお尻までを大きな手のひらで揉むように撫でるマッサージを体験して、懐かなかった兎はこれまで居ないのだ。
魏無羨は骨まで蕩けたようになって、逞しい太腿の上にうつ伏せでくたりと上半身を預けていた。うわ言のように「背中、気持ちいい……」と零し、うっとりとため息をつく。
「しっぽの近くも撫でてくれよ」
魏無羨の腕が緩慢に動きゆったりとした上衣を捲ると、中央に適当に切れ込みを入れたと思われるした下衣が露になった。大きな切れ込みからはふわふわした丸いしっぽと真っ白な腰が覗いている。
「なぁ、頼むよ」
「……分かった」
藍忘機の手がしっぽの近く、露になった腰に触れる。
「んっ」
太腿に顔を埋めて鼻にかかった危うい声を上げる魏無羨の直ぐ近くには、藍忘機の含光君があった。が、彼の強靭な精神力と兎達への愛のお陰でこの日、それが衣を押し上げることはなかった。
相変わらず術が解けずにいた魏無羨の発情期が始まったのは、この数日後のことである。
終わり