バンドau「魏嬰、魏嬰。三限に間に合わなくなる」
「ぅ、ん……」
瞼の向こうの疎ましい明るさを避けて枕に顔を埋める。枕からは心地よくて少し男臭い香りがする。鼻先を押し当てて深く呼吸をし、そうして、魏無羨はここが自分の部屋で無いことに気付いて一気に目を覚ました。
昨晩の出来事を全てはっきりと思い出すとそのままぐったりと脱力する。……またヤッてしまったらしい。
「……悪い、また迷惑掛けた」
「迷惑ではない」
腰を労りながらのそのそと起き上がり、差し出されたマグカップを受け取る。珈琲の良い香りを嗅ぎながら、視界の端に丁寧に畳まれた己の服を見つける。
魏無羨が起きるのを見届けると何事も無かったかのように読書を始めたこの男は藍忘機といい、同じ大学の違う学部の学生だ。
ついでに言えば魏無羨と同じくバンド活動をしていて、更に付け加えると、彼らは違うバンドなのだが先月ライブの後の高揚感のまま身体を重ねてしまい、それから打ち上げで顔を合わせる度に同じ過ちを繰り返している。
有り体に言えばセックスフレンドというものに分類される関係だ。
藍忘機の部屋で迎えた朝は、もう片手では数え切れない回数になっている。キャンパス一と噂されるその容姿に学年首席で性格は生真面目、実家はかの有名な藍財閥の本家だと聞く。ギターを持たせれば完璧なリズム感とコード進行を披露し、女遊びの噂もない。朝は珈琲のみという魏無羨の好みと時間割りまで把握していて、まめまめしい一面まである男なのだが、一つ欠点を上げるとすればその腕力だろう。昨日着ていた魏無羨のTシャツは、広げれば今回もズタズタに引き裂かれていた。
「シャワーと、シャツだけ貸してくれ」
「何度もすまない。シャツは、返さなくていい」
ライブ後の、何事にも変え難い高揚感をセックスで発散するという素晴らしい方法を知ったのは、楽屋で此奴と初めてキスをしたあの日だ。
お互い判断力が鈍るほど昂っていて、些細なきっかけで言い合いになって、手首を掴まれ───気付けば二人で床に転がって唇を合わせていた。最低限の私物だけを掴んでバンド仲間も置き去りにして、無言のまま連れ込まれたのもこの部屋だった。
セックスの度に怪我だらけになって、引き裂かれたTシャツの代わりに生地の厚い良いシャツを与えられる。タグに書かれたブランド名で検索してそっと画面を閉じたのは記憶に新しい。
バスルームから出て清潔なタオルで身体を拭い、傷だらけで、丁寧に手当てされた身体にふわりと良い香りのするシャツを纏う。腕に貼られたガーゼの下にはきっと歯並びの良い歯形があるのだろう。
長い髪をハーフアップにするのを待っていた藍忘機が立ち上がり、身支度を終えた魏無羨の隣に並ぶ。
「君はもう少し食べた方がいい。」
ブーツを履き終えたタイミングで差し出されたのは両手に載るほどの大きさの包みだった。受け取ればずっしりと重く、隙間からは水筒と箸箱が見えた。
「もしかして、弁当?」
頷いた藍忘機は相変わらず無表情だ。が、耳朶が真っ赤になっているのに気付いてしまって、魏無羨は何故か自身の顔がカッと熱くなるのを感じた。
「いや、悪いって! タダで泊めて貰った上に昼飯まで受け取るのは流石にさぁ」
「重いか?」
「重い……? 確かに中身がずっしり入ってそうな重さだけど持てないほどじゃ」
藍忘機は首を振り、少し躊躇った後で控えめに口を開いた。
「私は重い恋人だろうか」
「……………………は? 恋人? 誰と誰が?」
藍忘機はその薄い色の瞳を大きく見開き、ゆっくりと二度瞬きをすると、開いたドアと鍵をもう一度締めて魏無羨の肩に手を置いた。
「確認したい事がある」
「いや、藍湛落ち着け。俺は悪くない。悪くないからな? 俺たち一度も好きだとか付き合うだとかを話して無いし、いや、そもそも男同士で、セックスだっていつもライブの後の勢いで」
*
後から聞いた話によると、藍忘機が講義を欠席したのはこの日が初めてのことだったらしい。
「セックスもサボりも全部俺とするのが初めてだなんて、藍兄ちゃんは随分可愛いな」
「……可愛い恋人は嫌?」
「ッ! 嫌なわけないだろ! 今夜もライブの後たっぷり可愛がってやるから覚悟しろよ! あ、このシャツは破ったら駄目だからな」
藍忘機から貰ったシャツを引っ張りながら魏無羨が唇を尖らせている。毎晩グズグズになるまで可愛がっている恋人を見つめ、藍忘機は穏やかに微笑んだ。
「善処する」
終わり