はつこいのおもいで「むつきはじめです」
その日、花園雪が初めて会った親戚の男の子は、物怖じせずにそう名乗った。
礼儀正しくお辞儀までする彼とは対称的に、人見知りの激しい雪は母親の陰に隠れてもじもじするばかりだ。
そんな雪の態度に気を悪くした様子もなく、男の子――睦月始は優しく彼女に話しかける。
「きみのなまえは?」
「……はなぞの、ゆき」
「きれいななまえ。ゆき、ってよんでいい?」
綺麗などと言われたのは初めてで、雪は嬉しさと恥ずかしさで真っ赤になり俯いてしまう。
「……ダメだった?」
不安げな始の声音にはっとして、雪は慌てて首を横に振った。
「ダメじゃ、ないです」
おずおずと顔を上げると、嬉しそうに微笑む始と視線が絡む。
「ありがとう、ゆき。おれのことも、はじめ、ってよんで」
「はじめ……にいさま?」
始のほうが自分より年上だということを思い出し、雪はそう呼んでみた。
兄様、と呼ばれたことに驚いたのか、始はきょとんとした表情で瞳を瞬かせた。しかし、すぐにまた笑顔になり、雪に向かって手を差しのべる。
「ゆき! いっしょにあそぼう!」
引きよせられるように雪がその手を取ると、始は笑みを深め、彼女を連れて駆けだしていった――
◇
「先日、懐かしい夢を見ました」
撮影の仕事の休憩時間――
控え室を訪ねてきてくれた始と他愛のない話をしていた中、ふと思い出して雪はそんな話題を振った。
「どんな夢だ?」
「始さんと初めてお会いした時の夢です」
「ああ……あの頃のお前は、人見知りが激しかったな」
初対面での雪の態度を思い出し、始は苦笑を漏らす。
「あれぐらいの年齢の子どもならしかたがないと、今なら理解できるんだが……あの時は、嫌われているんじゃないかと不安だったんだぞ?」
「まあ、そうだったんですか? 全然そんなふうには見えませんでした……」
始の言葉に驚きを隠せず、雪はぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「――名前を呼んだ時、初めて俺の目を見てくれたな」
「えっ……?」
「すごく、嬉しかった」
そう言って優しい眼差しを向けてくれる始の、昔から変わらないその笑顔に、雪は思わずほろりと想いをこぼす。
「好きです、始さん」
「……いきなりどうした」
ふと見上げると、仏頂面を作った始の耳がかすかに赤くなっていた。不意打ちに照れてしまったことを隠そうと、わざと不機嫌に装う姿がなんだかかわいくて、雪はつい小さく吹き出してしまう。
「……なんだ」
「いえ、始さんのそういうお顔は珍しいなと思って……ふふっ」
「……」
くすくすと笑いを漏らす雪を不満げに見つめる始だったが、すぐに、悪戯を思いついたようににやりと笑みを浮かべた。
「雪」
「はい」
呼ばれた雪が顔を上げると、至近距離に始の顔が。驚いて身を引こうとしたが、腰を抱きよせられてしまい叶わなかった。
「あ、あのっ、始さん!?」
戸惑う雪の耳元に唇をよせ、始は甘くささやく。
「雪。愛してる」
「……っ!」
たちまち耳まで朱に染まった雪の顔に、始は満足そうに笑った。
「これでおあいこだ」
「……意地悪ですね、始さんったら」
言葉とは裏腹に、雪は嬉しそうな微笑みを浮かべる。
そんな彼女に始も優しい笑みを返し、ふたりは初めて会った時のように柔らかく手を繋ぐと、どちらからともなく唇を重ねるのだった。
ずっと、この穏やかで幸せな時間が続きますように――