九尾の日和と人の子ジュン「ジュン、いなくなっちゃったみたい。」
そのひと言で日和は自分の足元がガラガラと音を立てて崩れていく感覚に襲われた。ジュンくんが、いない?頭で理解した瞬間、先程までたしかにジュンが寝ていた部屋へと走る。
「ジュン・・・くん・・・?」
凪砂の言うようにそこにジュンの姿はなく、不自然に膨らんだ掛け布団はめくって出たというよりはそのままテレポートしたと言われた方が納得するような形になっていた。自分の中にある嫌な予感と現状が導き出す最悪の推理を否定できない。
「連れ去られました・・・な。」頭の中にはとうに浮かんでいたが、どうしても口にしたくなかった現実が茨の声で聞こえてカッと頭に血が上る。気づいた時には日和は茨の首を掴み、壁に押し付けていた。
「ジュンくんに何かあったら殺すから。」
後日談———
「いや〜、流石の自分もあの時は死んだと思いました!」
閣下が殿下を止めてくださらなければジュンに何もなくても自分、確実にあの場で死んでましたね!と、明朗に命の危機を語る茨に混乱が止まらない。
あの後、ジュンが再び意識を取り戻すと、耳と尻尾を逆毛立てた日和にぎゅっと抱きしめられていた。なんとなく重い身体は茨曰く、妖の業(今回で言うところの創の掘った穴)に半日ほど閉じ込められていたため、人間であるジュンの身体が気に当てられて熱を出してしまったせいだという。「これだから人の子は脆弱でなりませんな!」と言った茨に射殺さん勢いの殺気を送り低く唸る日和の様子が非常に気になるが、まずは何があってこうなっているのかを知らねばと聞いた経緯はこうだった。
あの後、ジュンを人質にとった創は三人の前に姿を現し、ジュンを返す代わりに自分をここから出して欲しいと交渉にでた。茨としては計画どおりだったのだが、ジュンを取られた日和が我を忘れて暴れ出してしまったため、交渉どころではなく、神である凪砂をもってしても日和を押さえつけるのに半日かかってしまったと。暴れる日和をなんとか眠らせて、そもそも茨や凪砂に攻撃の意思はないこと、姿を見せてもらえればすぐにここから出す予定だったこと、ジュンを返して欲しいことを伝えると創は顔を真っ青にしてすぐにジュンを元いた寝台へと戻したようだ。その後、創を結界の外に出し、目覚めた日和がジュンを抱き込んで茨や凪砂にまでも牙を剥き、ぐるると警戒すること丸一日。ジュンが目覚めて今に至る———と。
茨の話を聞いてなお、わからないことだらけだったジュンだが、説明を受ける間も痛いほどにジュンを抱き込み、茨を威嚇する日和をまずは落ち着かせないといけないことは分かった。殺気を浴び続ける茨も勿論居心地はよくないのだろう。一通り話し終えると「飲み物はそこに、夕食は後ほど用意しますので。」と言い残し、足早に部屋を去っていってしまった。
「おひいさん。もう大丈夫ですよぉ。オレはここにいます。どこにもいきません。」
日和を宥めるにも、ガチガチに拘束されて身動きの取れないジュンがまずは拘束を緩めてもらおうと優しい口調で日和に語りかける。ジュンの言葉を聞いて一瞬ふと緩みかけた拘束だったが、次の瞬間にはさらに強く抱き込まれてしまった。
「おひいさ〜ん。すみません。オレが迂闊でした。妖に簡単に心を開くなって言われてたのに、こうして捕まっちまって・・・心配しましたよね?」
日和の腕に更に力が入る。・・・これは肯定。と判断したジュンが更に続ける。
「心配かけてすみません。・・・でも、このままだとおひいさんの顔、見れないんです。帰ってきたんだっておひいさんの顔見て安心したいんで、ちょっとだけ腕緩めてくれません?」
今度は背中にぐりぐりと頭を押しつけられる感触。・・・これは否定か。それなら、
「おひいさん、お願いします。あんたの顔見て、ただいまって言わせてください。安心させて?」
かろうじて動く肘から先をなんとか動かして、自分にまわる日和の腕をぽんぽんと安心させるように叩きながら伺うように声をかける。
「〜ッ!ずるいね、ジュンくん!」
目が覚めてからずっと感じていた日和のぴりぴりとした雰囲気が和らいだのを感じる。作戦成功。日和はジュンの"おねだり"に弱い。自分でも卑怯だとは思ったが、百パーセント嘘ではないので許してほしい。日和の顔を見たいと思ったのだ。
ほんの少し緩められた腕の中でもぞもぞと向きを変える。すぐ近くにある日和の顔を見上げてジュンは驚いた。
「おひいさん、泣い・・・て・・・?」
日和の美しい紫からぽろぽろと宝石のような涙が溢れていた。折角顔を見れたと思ったのも束の間、日和はすぐに涙を隠すようにジュンの首元に自分の顔を押し付けてしまう。
「悪い日和!悪い日和っ!ジュンくんがいなくなるのが悪いんだからねっ。ぼくを一人にしないって言った癖に!攫われちゃうなんておまぬけにも程があるね!どれだけ心配したと・・・!もう、ほんとに・・・帰ってきてくれてよかった。」
たまらずにジュンは日和の頭を抱き込んだ。自分が弱いから、自分の不注意で、日和にこんな悲痛な声を上げさせてしまった。ジュンの中に重い自責の念が積もっていく。
「おひいさん・・・」
「一先ずは、本当に帰ってきてくれてよかった。おかえり、ジュンくん。」
きゅうっと胸が締め付けられる。やっぱり日和を安心させられるような言葉はみつからなくて。ここに来てうまく話せるようになりたいと、そう願ったのは何度目だろうか。今はまだ正解はわからないけれど、おかえりの返事は何度だってしてきた。
「ただいま、です。おひいさん。」
ジュンのただいまを聞いた日和の安心した顔を見てジュン自身も安心を覚える。自分の思いを伝えるのは苦手だけれど、それでも、たった一言で日和が満足気に微笑んでくれるから。
やっぱりもっと上手く伝えられるようになりたいなと数瞬前とはちがう前向きな気持ちでそう思えた。