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    ふじたに

    @oniku_maturi

    笹さに♂

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    ふじたに

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    猫と怪物 2の裏 笹さに♂

    猫と怪物 2の裏 二日目の朝は早かった。朝は弱いほうじゃないから平気。身支度して執務室に行くと、蜂須賀がもう待っていて、食堂に案内された。食事をしながら今日の動きについて知らされる。昨日はしなかった、出陣と遠征のシフト確認、告知、猫の朝ご飯と主の朝のお世話が発生した。あと今日は急に書類仕事が増えたから、主はおそらく執務室に釘付けになるだろうという予想。そういう時は集中を切らさないように、話しかけるのは少なく、時々飲み物を所定の場所に置くこと。
     厨で受け取った猫のご飯を持っていくと、猫の姿はなかった。昨日見たのと同じ場所に置く。近くにいるような気配はあったが、結局出てはこなかった。朝の喧騒が収まった頃に厨番のものが器は回収してくれるらしい。
     蜂須賀から説明されてはいたが、朝の主は思ったよりぐんにゃりしていた。昨日の凛とした立ち姿が嘘みたい。眼なんか半分しか開いてないし、支えがなくなっちゃったみたいにゆらゆらしてる。そんなゆらゆらな主を先に立たせて、支度をさせに行く。顔を洗うと少しだけしゃっきりした。断られたけど強引に着替えを手伝う。そのついでに少しだけ触った。役得。
     起こす時にも入ったが、主の部屋はすごかった。板の間の真ん中に布団が敷かれていて、後は全部本。ぶつかったら雪崩が起きそうだった。その真ん中で寝るの、危なくない…?
     オレたちが戻ると布団は畳まれていて、空いた場所に膳が置かれている。本来はこの動きを蜂須賀が一人でしているのだと思うと、自分だったらどう動くか考えてしまう。
     主に今日の予定など報告、主から何かないか聞くと、億劫そうにお粥を飲みこんで、今日の予定についてを話してくれた。午後は保留。こたつを求める提案書は却下されてしまったが、言い終わってから主がこちらを向いた。
    「笹貫も、こたつ、欲しいですか?」
     オレが一人部屋だから、気にしてくれたのか。
     とりあえず今は断ったが、蜂須賀が「贔屓」という言葉を使ったのがよかった。主にもっと贔屓されたい。
     その後は主が時折ため息をつきながら朝ご飯を食べるのを見守った。
    「俺は膳を下げて先に執務室に行っている。十五分ほどお休みいただいてから、いっしょに来てくれ」
     主は座ったままうつらうつらしている。そっと入って見ると主の横に本がない場所があったので、静かにそこに入って主を見ていた。
     十五分後に起こすと、さっきまでよりしゃっきりしていて、執務室まで歩く間にいつもの主になった。
     主の集中力はすごくて、飲み物を置いても、少しいつもより近づいても、全くこちらに気づいた気配はない。今なら触れそうだと思うけど、人目があるので我慢した。
     主に近い席で、割り振られた仕事をこなしながら主の様子をうかがう。時々、手が伸びて、飲み物を飲んでるけど、視線はモニターに固定だ。指定と違う飲み物を入れておいても、気にせず飲みそう。
     蜂須賀に何度か声をかけられて、やっと反応した主が出るというので、いっしょに出る。
     猫は昨日よりも主に甘えてるみたいで、昨日よりも長くかまっていたけれど、主が立ち上がって終了。
     昼食はオレはミートソーススパゲッティだったけど、主はなんかクリームのやつだった。
     四阿へ向かう道で、他愛のない質問をする。話したくないという空気を出していても、問いかけには真面目に答えてくれる。主が俺だけに答えてくれるのが、好きだ。
     煙草を一本もらって、主の顔を見る。今日オレが着せたのは、初めて会った時よりも紅がかった薄色の着物。主の肌の白さによく似合っている。細く通った鼻、切れ長の目尻、泣きぼくろ、薄めの唇、長い首。角度で色が変わるような不思議な瞳。
     だからなんの気なしに口にした。
    「主の顔、きれいだよね」
     返答は適当に流すようなものだったが、主の纏う空気がほんの少し固くなったような気がした。
    「その瞳の色って、何色って言うの?」
    「これは、多分、榛色です」
     気のせいじゃない、明らかに固くなった。
     昨日髪を褒めた時は心底どうでもよさそうにしていたのに、これはダメだったらしい。
    「そっか、オレ、その色好き」
     素直にそう言ったけれど、主の返事は素っ気ないものだった。
     主のことを質問しちゃいけないのは、興味がなくて面倒くさいからかと思っていたけど、そうじゃないみたいだ。
     ここが主の圧力を感じる部分だとしたら、本当に知られたくないことはなんだろう。
     本丸のことは、聞いてもだいじょうぶ。本丸に関わる主のことは、ちょっと面倒くさそうだけど、だいじょうぶ。本丸と切り離した、主のことで。髪がきれいだと言ったのはセーフだった。じゃあ髪の色に言及していたら違ったんだろうか?
     外見に言及しただけで?納得がいかない。主の顔も瞳も好きだと思ったのは本当なんだから。
     でも帰り道、主は行きよりオレとほんの少し距離を多く取ってた。
     知らないから仕方ない、と言われたアドバンテージを少しでも生かしたいと思うけれど、どこまで許してくれるんだろう。
     獣道みたいな帰り道で、猫が飛び出してきた。見えた瞬間に足を止めたら、それ以上はオレに注意を払わなかった。
     主はしゃがみこんで猫を撫でる。猫が顔を主に近づけると、主も近づけて、鼻をくっつけた。秘密の挨拶みたいで、なんだか羨ましい。もう一匹ともやってる。オレもやりたい。一歩出してみたが、猫が両方ともこちらを見たので諦めた。
     猫に触ったら機嫌が少し直ったみたいだったけど、距離は変わらず。
     気持ちの揺れはあまり影響しないのか、午後も午前と変わらない集中力を発揮していた。
     残業するのかな、と思ったけど、いつも通りに動くみたい。
     猫は今日三度目だけど、何かを訴えるように鳴き、主にまとわりついている。まるで主の気分がわかっているみたい。主は猫が邪魔で動けないみたいだったけど、ふと、無防備に美しく笑った。猫に向かって、笑いながら歩けないよ、と言った。すると言葉がわかったように猫たちは主を先導して歩き始めて、いつもの餌場に行き着いた。主に促されて、オレも慌てて歩み寄って、餌皿を置いた。
     オレはさっきの笑顔が焼きついて離れなかった。主はいつも穏やかに笑っているけど、それは、なんていうんだろう、そうするべき場面だからそうしているだけ、という笑顔だった。さっきのはそうじゃない、主が心から笑った顔だった。胸の中がざわつく。すごくかわいかった、もっと見たい、できればこっちを向いてほしい、できれば、自分のために笑ってほしい。その顔を見て、それでオレはどうしたいんだろう。心臓が、誰かにぎゅっと握られているみたいで、苦しい。
     夜だから、遅くならないで建物の中に戻すべきだ。声をかけようか迷っていると、主も同じ事を思っていたのか猫に挨拶をしていた。立ち上がった主の膝が汚れていたので、指摘すると手で軽く払っていた。猫たちが闇の中に消えていくのを見送って、風呂に向かった。
     風呂場では主はぼーっとしてして、頭を2回洗ったり、同じところをずっと洗ったりしていた。オレのせいだったらちょっと嬉しいけど。仕事、戻ってするつもりなのかな。
     いつまでも同じところを洗い続けているのをやめさせて、湯船につける。五分もしないうちに船を漕ぎ始めたので強引に引き上げた。主の身体は全然筋肉がついてなくて、痩せてて、普通の背丈のある成人男性なのにとても軽い。白い肌をお湯が滑って、魅惑的に見える。純粋に昨日のような事故を防ごうと思ったのだが、主がかちんこちんになったので、少しやりすぎたかと顔を見ると、昨日ほど入っていないのに顔が赤かった。なら正しい判断だったな、と落ち着いて椅子に座らせる。
     拭いても文句を言わなかったので、結構のぼせてるのかも。危なかったな。立ってもだいじょうぶか心配だったけれど、風邪を引かせたくないので立たせたら、なにか文句を言おうとしたので、適当に言いくるめたら黙った。
     夕飯を食べるみたいだったので、ねだってみたらいっしょに食べてくれることになった。今日の際どいやりとりや、微妙な距離の取り方から言って断られる可能性も考えていたので、拍子抜けしたけど、でも嬉しかった。
     主はオレを解放するていですぐ追い払おうとするけど、そうはさせない。解放なんて望んでいないのだから。
     主は紙で半分包まれたサンドイッチを片手で持って、ちまちまとこぼさず器用に食べる。あの部屋で食べることが前提なんだったら、それもそうか。お箸の使い方や仕草は品があって、家が厳しかったのかな、という印象を与えるけれど、さっきからサラダの生ハムしか食べていない。生ハム五に対してレタス一くらいの割合だ。しまいには生ハムだけ食べ尽くしてしまって、葉っぱをつついたりひっくり返したりしている。行儀がいいのか悪いのかわからない。昼の献立も違ったし、主は偏食があるようだ。
     食べたくないけど、残すとお小言があるとか、そういうことなのかな。なんにせよ主がここで動けないでいる間に、試してみたかったことをやってみよう。
    「主が興味ないかもしれないこと聞いてもいい?」
     まずは前置き。主は嫌だけどしかたない、という顔でうなずいた。
    「この本丸はできて何年?」
    「七年目です」
     これは本丸の質問だから余裕。
    「その前は主はなにしてたの?」
    「大学生でした」
     現世の話、もう嫌そう。
    「じゃあ主って今何歳なの?」
    「今年29歳になります」
     主の話。これは意外と気にならないみたい。髪がきれい、と同じような興味なさそうな声。でも思ったより歳がいってて驚いた。主の肌はつるんとしていて、顔は青白っぽいけど、まだ学生だと言われても信じそうだ。
    「日本人?」
    「父が日本人、母が仏人です」
     出自の話。これは完全にアウトだった。目元が一瞬ひくりと引きつった。
     地雷を踏んだのだったら、これ以上は無理だろう。オレは未練を見せずに身体を引き、ご褒美に生ハムを取りに行く。
     主自身に関する質問全てが禁忌、というより現世と出自、多分家族の話がいけないんだ。混血が問題なのか、ご両親が問題なのかまではわからなかったな。でもあの歳で自分の出自に忌避感があるなら、ご両親とは、少なくとも片方とはうまくいってないような気がする。母親の血が色濃く出ているから、瞳の話はまずかったのかもしれない。でも、顔は褒めただけだ。顔を褒めた人にあとで酷い目に合わされたとか。今回の質問だけで全部わかるとは思わないけれど。
     馬や猫がなんでオレを警戒するのかはわからないけど、主の警戒はどちらとも違うものだ。現に主の間合いを守っていれば、時折触れるくらいのおいたは許されていた。近侍に誘われたことがその証拠だ。けれど、こんなに近くに、ずっといていいんだと言われたら、試したくなる。どこまで入れるのか、どこまで許されるのか。そして知りたい。オレの主のことを。オレを捨てるかもしれない主のことを。オレのこの行動が、こんなにも主を警戒させていても。
     燭台切が苦り切った顔で細かくちぎった生ハムを持って、主のそばに戻る。主の横に立って、皿を置いて、伝言を伝えて、身体を折って、主の間合いの中に入って、他の奴に聞こえないように囁く。
    「主が聞かれたくないこと、聞いてごめんね」
     そして素早く席に戻ると、主はオレを咎めなかった。さっきのことでも、今のことでも。お礼だけ言って、もそもそと生ハムといっしょに野菜を食べ始めた。主があんまりおいしそうにしていたから、生ハムを1枚もらったら、おいしいけどけっこうしょっぱかった。燭台切が渋るのも納得だ。白米を残しておけばよかったな、と思いながらお茶を飲んだ。酒を飲んでる奴に渡せ、と言うのも納得だ。
     今日の夜の護衛をする村雲江はあんまり見かけないし、よく知らない刀だ。主の部屋の前で見た第一印象は、覇気のない奴。
     それが、主の手に手を重ねて、ほんの少しとは言え髪を撫でてもらった。
     正直言ってショックだった。オレがこんなに主の懐に入るために、危ない橋を渡って苦労しているのに。
     主に端的にその気持ちを伝えると、なんと撫でてもらってる奴が他にもいるらしい。条件はなに?オレもそれがほしい。
     そう思って焦ってしまった。主のため息で我に返った。さっき踏み込みすぎてギリギリだったことを失念していた。
    「もしかしてオレ、今減点されてる…?」
     なるべく憐れっぽく見えるようにがんばって、自分の立場を聞く。クビか、とは聞きたくなかった。まだそばにいたい。
    「あまり言い募ると、そうですね」
     今やめたら許してくれるってことかな。
    「オレが…本当に元気なかったら撫でてくれる…?」
    「わかりました」
     可哀想っぽくしてみたついでにおねだりしたら、あっさり許諾された。主は猫が好きだと思ってたけど、ぷるぷる震える子犬にも弱いのかな。これからはその方向性も模索していきたい。
     戻りながら、当たり障りのない質問、側仕え事情について聞いてみる。オレが話を聞けた奴はだいたいどれもやってないか、執務だけ、と言っていた。夜番でメインを張ってる奴は生活時間帯が違うから、あまり会えなかった。
     聞いてみると思った以上に、近侍をやった奴は少ないらしい。さっき減点されたところだしな、とやる気があることを表明すると、褒められた。すごく褒められた。オレは来て時間も浅かったのに、どうして近侍に取り立ててくれたんだろう。いつそう思ってくれたんだろう。胸の中がなんだか温かくて、じんわりと嬉しかった。若干の含みを感じたのは、今日はやり過ぎてしまったのだから仕方ない。
     執務室に戻ると、蜂須賀が一緒に厨に行くと言う。主が蜂須賀に報告する隙はなかったと思うけど、なんだろう。
    「なにかしたのかい?」
     初っぱなから率直な質問。
    「昨日より主が間隔を空けている。少し警戒もしているようだ」
     七年来の近侍こわいな、と思った。確かに主のことは警戒させちゃったけど、許してくれている風でもあるので、話す順番にさえ気をつければ、そんな大惨事にはならない気がする。蜂須賀も詰問というほどの口調ではない。
    「昨日、なにも知らないから質問するのは仕方ないって言ってもらえたから、色々聞いちゃったのが良くなかったみたい。あと、質問じゃないけど、顔がきれいだねって言ったのも良くなかったかも」
    「ほかには?」
     鋭い。
    「お風呂で、昨日怪我させちゃったから今日は寝てたし早めに出そうと思って抱えたことか、さっき村雲が撫でてもらってて羨ましかったからオレも撫でてほしいって言ったことかな」
    「何を訊いた?」
    「瞳の色、前の職業、歳、日本人かどうか」
     蜂須賀がため息をついた。主従って、ため息も似るものなのかな。
    「答えてもらえたか?」
    「うん」
    「質問については、主が仕方ない、と言ったなら君のせいじゃない。主が仕方ない、と言ったのは、普段は主に不快な質問をしないように新参刀の家族に、それとなく教育を頼んでいるからだ。君は山姥切国広からしか聞けなかったのだから、強いて言えば自分で伝えなかった俺の落ち度だ」
     お咎めなしということだろうか。
    「不用意な質問のツケは、現在の近侍である君が払うことになるだろう。がんばってほしい。ご容貌の善し悪し、西洋の血が入っていること、ご家族の話、昔住んでた家の話、学生時代の話、恋人の話など、現世を思い出させる質問は法度だ。まさかそこまで地雷を立て続けに踏むと思わなかった、俺が悪かった。これからは何か疑問があったら俺に聞いてくれ。答えられる範囲では答える」
     オレが払うツケとは。あとそんなにはっきりわかってるなら教えておいてほしい。まあ、自分で探るのもスリルがあって楽しかったけど。
    「公示すれば主はそれだけでお心が揺れて、結局大変なことになる。そのために根回しをして主の耳に入らないようにしているんだ。過去は関係ない、今は俺たちの主だ。そういう顔をしていろ。とりあえず主は君の無礼を許してはくれていると思う。問題は明日以降だ。最近は研修の時は我慢してくださっていたからな…その反動が現れる可能性もある…。風呂は多少怒ったとしてもその場限りだ、溺死を止められるならその方法でいい。主がしてもいいと思うことはすぐに許されるから、渋られたらしつこくするな。近侍はねだりごとは厳禁だし、主の心証が悪くなるぞ」
     説教というよりは警告と忠告だろうか。主は許してくれてるけど、近侍としては減点されたんだろうな。でもオレだけが悪いわけじゃないし、運が悪かっただけの部分もあるから、クビではない、と。
    「謝れるなら、後で時間を作るから自分で主に謝っておけ。それで惨事を免れるわけではないが、心証は確実に良くなる」
     それは素直にありがたい。さっき謝った後でやらかしちゃったしね。それにしても明日以降何が起きるかは教えてくれないんだ。
     厨には本当に行った。残って下ごしらえをしているのだろう燭台切に、オレが近侍になってから主が夕食を食堂で取っていること、気まぐれに始まったことでいつ終わるかはわからないこと、それから明日から『来る』ぞ、と伝えていた。
    「食堂で食べてくれると、もっと色々なものが食べさせられるんだけど。明日から『来る』としても、食堂には来るといいな。『来てる』時の方が無頓着に食べることあるし」
     燭台切が言うと、蜂須賀はオレの肩を叩いて答えた。
    「それはこの笹貫が起こした奇跡だから、彼の手腕にかかってるかな。もっともこいつ、『来てる』とこ見るの初めてだからどうかな?」
    「わかった、しばらくはどのパターンでも対応できるようにしておくね。歌仙にも言っておくよ」
     頼んだ、と蜂須賀が言って用事は終わった。
     廊下にはあやかしの怨嗟のような声が満ちている。戻るときは蜂須賀はなにも話さなかった。
     オレたちが戻っても主は仕事をやめる気配がない。お昼にどのくらい消化したか聞いていたペースだと、本当に今日の分なんだろうか。疑問に思っていると蜂須賀が主に上がるように言った。主がオレに村雲を迎えに行かせようとするのを蜂須賀が止めて、長谷部も連れて出てくれた。時間を作ってくれたんだ。
     主は海をたくさん泳いだ後みたいな顔してる。
     蜂須賀の様子では主はそれほど怒っていなくて、クビはなさそうだったけど、主はそれを知らないから下手に出て聞いてみる。さっき考えた可哀想な子犬っぽさも試してみよう。
    「あのね、オレのこと嫌いになっちゃった?」
    「なっていませんよ、どうしましたか?」
     いつもの主だ。主って営業スマイルだし、距離取るし、冷たいと思うのに、微笑んでゆっくり話しかけられると好かれているのかなという気持ちにさせられて、なんだかずるい。主が偏屈で変わり者なのに、男士たちになんとなく好かれてるのは、お菓子の差し入れみたいな気遣いもそうなんだけど、こういうところなんだろうな、と思う。やっぱりずるい。
    「主がされたくない質問したり、したくないことしつこくしたりしたから…」
     主の反応が気になって、ちらりと伺ってしまう。
    「今日して、今日のうちに良くなかったと気づいたのでしたら、それでいいです。できれば今日気づいたことは、もうしてほしくはないです。過失は仕方ないと思いますが」
     蜂須賀からも止められたが、主にも釘を刺されてしまった。オレの質問が的確すぎたな。もっと遠回りにすればよかったのに、踏み込みすぎてしまった。踏み込みは浅くてもまずいけど、深すぎても良くない。
    「もう近侍でいられない…?」
    「今の話を蜂須賀にしたんですか?」
    「した」
    「それで蜂須賀が今日で終わりだと言っていないのなら、継続です」
    「主はイヤじゃない?」
    「私から何か言う前に謝ってくれて、蜂須賀にも正直に申告しているのなら、問題ありません」
     蜂須賀に嘘をつかなかったオレの判断は正しかった。謝るように言ってくれた蜂須賀には感謝しかない。主がなにか言う前に鮮やかに時間を作ってくれたことにも、感心した。すっかりいつもの主だ。明日には距離も戻っているといい。
    「よかった」
     心から安堵して笑うと、主はいつもの笑顔のまま、少し目を細めた。初めて見た反応を、もっと見ていたかったけれど、蜂須賀が村雲を連れて帰ってきたので、名残惜しく目を離した。
     主が村雲と執務室を出て行くのを見てから、蜂須賀に向き直る。
    「オレに時間をくれてありがとう。あと謝れって言ってくれたのも、助かった。もう間違えないために蜂須賀に質問したい」
    「早く寝た方がいいと思うけど、君と二人の時間を作るのは結構難しいし、明日からはもっと難しくなるだろうし、少しならいいよ。でも俺も、なんでも知っているわけじゃないからね」
     頭を下げたまま頼むと、蜂須賀は許してくれた。彼が自分のデスクに座るのを見て、考えながら口を開く。もう主に直接聞けなくて、知っておきたいこと。
    「家族と仲悪いの?家族って生きてるの?」
    「どうしてだ?」
     さっき止められた質問をいきなりしたからだろう、蜂須賀は警戒するように質問で返してきた。
    「主にはもう言わないよ。連絡があったりするのかな、とか、里帰りしたりするのかな、とかホームシックになったりするのかなって。あとは、なにが主をあんなにかたくなにさせてるのかなって」
    「祖父君、祖母君は亡くなられているようだ。ご両親はご存命のように感じたが、確証はない。どなたとも仲はよろしくないように俺は思った。連絡は七年間俺が知る限りでは一度も聞いたことはない。だがスマホやパソコンに連絡があっても俺にはわからない。里帰りは一度もなさっていない。ホームシックはわからない、逆のような気もするが、ある意味明日から起こることがホームシックなのかもしれない。ご家族のことに一因があるのは確かかと思う」
     それは、確定された話ではなく、蜂須賀がきっと7年かけてほんの少しずつ築き上げた情報なのだろう。ほとんどが推測だ。
    「現世に行くことあるの?」
    「現世には一度もお渡りになられたことはない。用があるときは俺たち男子だけで行く。現代遠征という話も聞いたことはあるが、うちは一度も受けたことはない」
    「恋人とかいるの?」
    「昔いらした、と聞いたことはあるが、今いる、と感じたことはない」
     蜂須賀に隠せるとは思えないから、蜂須賀がそう思うなら今は本当にいないのだろう。
    「何人いたの?」
    「言葉尻からは、複数人のように感じられた」
     じりり、と胸に良くない火が点ったように思えた。
     この分だと、蜂須賀もおそらく突っ込んだことは知らないのだろう。有限の中で、あとなにを聞こうか。
    「主の着物ってなんで全部灰色なの?」
    「それは主に聞いてだいじょうぶだ。御容姿との合わせではない」
     どっちか見定めができなくてしないでいた質問は、安牌だったらしい。これは今度主に聞いてみよ。
    「さっき親と祖父母しか出なかったってことは、主は一人っ子?」
    「ご兄弟ご姉妹の話が出たことはないし、幼いこどもを扱いかねている様子からも、そうだと思って接している」
    「恋人は男?女?」
    「それは伺ったことはない。会議や演練でどちらに話しかけられてもそつなく返しておられるので、どちらかの性に忌避感があるということはなさそうだった。この質問はしようと思ったことがないが、過去の恋人のことに触れなければ嗜好については答えてくださると思うね」
     なるほど、切り離せばいけるのか。
    「なんで丁寧な話し方なの?」
    「ご家庭でそのように躾けられたとのことだ」
    「なんで蜂須賀も主にだけ丁寧なの?」
     これはオマケ。
    「主が丁寧に話しかけてくださるのに、こちらがぞんざいに返すわけにはいかないからだ。真作としてそれは許せない」
     それから主が答えてくれなかったやつ。
    「オレ以外に誰が近侍になれるの?」
    「それは難しい質問だな。研修を終えていて、いざという時に近侍になれるものはけっこういる」
    「少ないって聞いたよ?」
    「それは明日私が折れて、私抜きで一人で近侍を回せるものの人数だろうな」
    「それは何人?」
    「三人くらいかな…でも安心できるのは一人だけかもな」
    「誰?」
    「性格的に適正があったのと、当たりが良かったというのもあるから、これから増えるかもしれない」
     教えてくれなかった。多分贔屓とか格差とかそういうのを気にしてるんだろうけど。この分だと誰が合格なのかも誰にも教えていないのかもしれない。
     最後の質問は当然これ。
    「明日から何が起こるの?」
    「これまでは、研修用のやさしいロボットを相手してきたと思ってほしい。明日からが本当の研修だ。それを乗り越えられれば、君は近侍候補として上位三名に入れる。だが、無理ならいつ辞退してもいい」
     もっと具体的な内容とか対処法が知りたかったんだけど、なんか挑戦状みたいなの渡されて終わった感じ。
     オレが考え込んでるのを見て蜂須賀はふ、と笑って、立ち上がった。
    「今日はこのくらいかな?じゃあ明日に備えて今日はもう寝よう」
     オレも頷いて、いっしょに執務室を出た。電気が消えた執務室は冷え冷えとしていた。
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    ふじたに

    PROGRESS猫と怪物 8の表 笹さに♂
    猫と怪物 8の表 笹貫に直に会って触れてみた効果はすごくて、読書も仕事も捗った。会わないと決めたのは自分だし、もう怪我なんてしてほしくないから、またしばらくは会えないほうがいい。そう頭では理解しているのに、彼がすぐそばにいた日のことを何度も思い返してしまう。
     研修のものがいないときは、基本的に蜂須賀が近侍を兼ねている。とはいえ蜂須賀は忙しいので、簡易版と言うべきだろうか。起こしてもらって、朝の支度はひとりでして、戻ると食事があるのでそれを食べ、器を厨に返してから執務室へ行く。猫のところはいっしょに行ってくれて、昼食は自室で取り、東屋へは執務室の誰かがついてきてくれる。蜂須賀に余裕があるときは内番を見に行ったり、私の仕事に余裕があるときは誰かを護衛に立てて演練へ。いっしょに猫に行って風呂に入ったら、部屋に食事を運んでくれて終わり。簡略化しても蜂須賀は残業をしている気配なので、私としてはもっとひとりでもいいと思っているのだが、本丸初期の本当に手が足りていないときに、私が不意に湧いたあやかしと遭遇してしまって以来、蜂須賀は常についていられる近侍に向いているものを見つけるのに熱心だ。
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