恋は稲妻家が、無くなった。
朝起きて、学校に行って、今帰宅。
時間にして約10時間の間に我が家は旧我が家になっていた。
【売地】と看板までご丁寧に建てられたのを目にして、僕は一瞬これ夢かなと思って。
人間、唐突に理解できないことに直面すると現実を受け止められないと身を以て体験したわけである。
「えっ・・・・ええ・・・・?」
周りを見渡しても、間違いなく朝まで住んでいた僕の家。
産まれてから今日この日まで過ごした家を見間違えるわけもなく、闇ノシュウ18歳は夕暮れの中途方に暮れたのだった。
とにかく売地と書かれている以上、この家には入れないのだと、思う。
どこかに不動産の連絡先でも書いてないかな、誰かそれらしき人はいないかな、と看板を裏から覗いたり、あてもなくうろうろしてみたり。
というか、そうだ。
「叔父さん・・」
両親が少し前に海外出張中に不幸な事故に遭い帰らぬ人になった後に、後見人になった叔父。
家が無いということは財産の管理をしている叔父に何かしら許可や連絡が行くはずで。
そして僕へ連絡が来ているはず、来ていないわけがなくて。
ガチャガチャとスクールバッグの中身を漁って、スマホを操作する。
見慣れたアプリのアイコンに通知が1件、不在着信のマークが1件。
なんだ、やっぱり何か事情があるんだ、と少しだけ緊張がほぐれて指先でアプリを開く。
『すまない』
え、と声が出ると同時に手の中のスマホがブーッと振動して慣れ親しんだメロディーが、静かな住宅街に響く。
画面に表示された登録名。
叔父の、叔父が持っているはずのスマホからの連絡。
は、は、と息が荒くなって、指先が震えて。
どうか、どうかお願いって思いながら通話のボタンを押す。
「もし、もし」
つかえながら応答すれば、少しの間があって。
「お嬢さん、ここの家の子?」
『お嬢さん、ここの家の子?』
スマホ越しの声と、背中越しに聞こえる声。
知らない男の人の、声。
ゆっくりと振り返れば、ライオンを模した仮面をつけた黒いスーツの人と、白いスーツを着た金髪の人。
「ふは、振り向いたよね?当たりかな」
『ふは、振り向いたよね?当たりかな』
笑いながらこちらを見てる金髪の人の手の中にある、スマホ。
見覚えのあるスマホケースにストラップ、大事なものだと言っていた、母が作ったお守り。
脚に根が生えたように動かなくて。
頭でガンガンと警報が鳴って、冷や汗が背中を伝うのに。
じり、と後ずされば金髪の人がニコ、と笑った。
「一緒に来てくれる?」
あんまり女の子に手荒なことしたくないからさ?
有無を言わさない雰囲気に、頷くことしか出来なくて。
夕暮れの中、彼らと一緒に黒塗りの車に乗り込むことになったのだった。
「まずは自己紹介」
「俺の名前はルカ、ルカ・カネシロ。まあ簡単に言うとマフィアのボスなんだけどさ」
「君の叔父さんがしでかしてくれた事のオトシマエ?をしに来たんだよ」
車の中ですらすらと淀みなく喋るカネシロさんが話したのは今回の事の顛末。
マフィアの彼らがなんでこんなとこまで来たのかというその裏事情。
要はつまり、縄張り荒らしに借金。
彼らのファミリーの縄張りで叔父さんは違法な商売に手を出していたらしい。
麻薬を売りさばいたり、人を呪う事が出来る札と言って紙の束を売りつけたり。
厄介だったのは、それが少しだけ効果があったこと。
その札や麻薬を求めて、彼らの縄張りは一時期荒れに荒れたらしい。
何でそんなにお金を欲しがったのか僕には分からないけれど、叔父さんは彼らの逆鱗に触れて。
その結果莫大な金額の借金を背負う形になったらしい。
そして、おそらく叔父自身も無事ではないのだろう。
古い家系で呪術師として活動していたという闇ノ。
この平和な現代社会で呪術なんて言っても信じて貰えないかもしれないけれど、両親の書斎には確かにそういった類の書籍があったし祖父母の家に行けばなんだかよく分からない道具のようなものまであった。
僕自身もそういう資質がある、という事は田舎の祖父母からも聞かされていた。
特に母方の祖母は僕に随分執心していて、それ故に少し苦手だったのだけれども。
小さい時によく分からない装飾や衣装を身につけさせられたりだとか、呪文のようなものを教えられたりだとか。
今ではもう遠い記憶で、僕自身はただの女子高生でそれ以上でもそれ以下でもないのに。
「事情は、わかりました。でもなんで、僕が、僕の家が」
「うん、それなんだけどね」
君の叔父さん、君の後見人なんだよね?
ひら、と目の前に差し出された一枚の紙。
僕の、両親が遺した全財産も、僕含めて彼らファミリーのものになるという誓約書。
あ、と声が出て、目からぼた、と涙が落ちるのがやけにスローモーションで。
ごめんね?と柔らかく微笑まれる。
全身が冷えていく。
僕と両親の思い出の場所も、遺してくれたものも。
僕自身さえも。
全て、紙切れ一枚で。
「で、ここからが本題なんだけど」
カネシロさんが微笑んだまま僕の顔を覗き込む。
叔父の事なんてもう、彼の中では終わったことなのだろう。
搾れるものを搾り取って、制裁をして。
そして最後に獲物を探しに来た。
「俺ね、別に君の事殺そうとかそういう事は考えていないんだ」
まだね、と付け足された一言に、背筋を汗が伝う。
まだ、という事はいつでも僕なんて殺せるって事だ。
マフィアなんだもん、ただの女子高生なんてそれこそ一ひねりだろう。
カネシロさんが指を3本立てる。
「1つ目、命だけは助けてあげる。その代わり売春婦とかそういうのかな?君の働いた分はずーっと俺達のもの、まあ一生タダ働きって事だよね」
「2つ目も命だけは助けてあげるけど、君の中身、まあ臓器だよね。そういったお金になりそうなやつをぜーんぶ取っちゃう」
「3つ目、さっきの言葉を取り消して、ここでこの世とおさらばするか」
まあ3つ目なら2つ目の臓器貰うのも出来るから実質2つかな!と笑うカネシロさんの言葉が上手く処理できない。
つまりどの道を選んでも、僕の行く先は地獄だ。
なんで、なんで、とぐるぐると頭の奥がガンガンしてきて、吐き気もしてくる。
「決められないなら、一番楽な道にしてあげようか?」
優しい、甘い声でまるで口説くようにカネシロさんが囁いてくる。
でも、彼の手は胸元に入っていって、黒い銃身が出てきて。
「君の返事次第だよ」
ぐり、と銃口が額に当てられて、トリガーに指がかかるのが見える。
僕、死んじゃうのかな。
こんな、誰かの尻拭いみたいな感じで。
僕の意思でもなく、ただ流されるみたいに。
カネシロさんの目は僕を見ていて、僕も彼の目を見て。
僕の頭の中で何かがぱり、と光った。
「やだ!!!!!!!」
バチン!!と音がして、僕の額に押し当てられていた圧が消える。
気づけばカネシロさんが持っていたはずの銃がバラ・・と崩れていくのが見えて、また一瞬だけカネシロさんと視線が交差して。
「っ・・・むっ・・・!!!」
ダン!と後ろ手を固められて、シートに頭を押しつけられる。
みし・・と関節が悲鳴をあげているのを感じながら体重をかけられた肺で必死に息を吸う。
「やめろ」
「しかし、ボス」
頭上で交わされる会話。
痛みと呼吸の苦しさで出た涙がシートに吸われていきながら、ひ、ひ、と呼吸をする。
乗っていた体重が離れて、腕が解放されて。
「ね、顔上げて」
カネシロさんが、ひょいと僕を抱き上げて膝に乗せた。
涙と涎でぐちゃぐちゃの顔を見てふは、と笑って。
「ぐちゃぐちゃだ」
指で涙をぐい、と拭われる。
「さっきのどうやったの?あれもジュジュツ、ってやつ?」
「わ、分からないです、僕も何が起きたのか」
本当に分からない。
ただ大きな音がして、気づいたら銃がバラバラになった。
僕が大声を出したとしても、だからといって。
「ふは!無意識って事?」
「俺、ちょっと気が変わっちゃった」
子どもみたいにはしゃぐ目の前のマフィアのボスはさっきまで僕に銃を突きつけてた人と同一人物なんだろうか。
頬を少しだけ紅潮させて、目を輝かせて。
「あのさ、取引しない?」
「ボス」
「黙ってろ」
焦ったように声をかけてきた部下の人に一瞬で冷たい声の返答をして。
「君が俺達のファミリーに入るなら、借金の事少しだけ減額してあげる」
「君、18歳だっけ?今まで通り学校にも行って良いよ」
「あの家や財産は俺達のものだけど、条件付きで卒業まで住んで良いし」
「もしマフィアとしてちゃんと活躍できたらご褒美もあげる」
ね?と小首を傾げて優しい顔をして。
「君のこと、もっと知りたいな」
さっきまでの条件からすると僕にとっては破格の条件。
死ぬか、生きても一生彼らの養分として搾取し続けられるか。
どれに転んでも地獄を見る3択で僕が選べるものなんて最初からなかった。
「・・・あなたのことは、ボスって呼べばいいんですか」
震える声で絞り出すように言えば、目尻を下げたカネシロさんが蕩けるような笑顔を見せた。
ああ、そういう顔も出来るんだ、マフィアのボスなのに。
「いい子だね」
素直な子、俺だーい好き!!
車の中で交わされた新しい契約に、部下の人が頭を抱えているのが見えて。
僕のマフィア兼女子高生の生活が幕を開けたのである。
彼の右腕と呼ばれるようになるとは、この時の僕は思いもしなかったのだけれど。